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2006/05/19

紫陽花の花言葉は…移り気

 このところ東京(に限らないけれど)は曇天続きで雨の日が多い。梅雨に入ってしまってるんじゃないかという話題がラジオから聞こえてくるし、車中でも交わされる。
 今も外はシトシト雨。
 そこで、梅雨と言えば紫陽花と、単純に連想する小生のこと、一ヶ月ほどの間、眼福の時を恵んでくれたツツジの季節も終わりつつあることだし、次は紫陽花に期待するしかない。
 紫陽花をテーマに季語随筆日記を綴ろうかと思ったりもする…けれど、せっかちな小生のこと、既に昨年の五月、連日、「紫陽花」を巡っての雑文を綴っている:
「シーパラダイスで紫陽花」(2005/05/29
「季語随筆拾遺…紫陽花と雛罌粟」(2005/05/30

 さて、上掲の「シーパラダイスで紫陽花」は、その日、サンバのイベント「エンコントロ・ジ・アルモニアEncontro de Harmonia 》 」が場所は横浜・八景島シーパラダイス内、野外広場で催され、小生はスタッフ兼ギャラリーとして参加(というより実質)見物してきたのだった。
 すると、その会場の八景島シーパラダイス内のあちこちで紫陽花の咲く光景に恵まれたので、早速、あれこれ雑文を綴ったのである。
 ちなみに、昨年のサンバのイベント「エンコントロ・ジ・アルモニア《 Encontro de Harmonia 》 」については、以下のような簡単なレポートをメモっていた:
エンコントロ・ジ・アルモニア(1)
エンコントロ・ジ・アルモニア(2)
エンコントロ(3)…サンバ写真

 その「エンコントロ・ジ・アルモニア」は今年も同じ場所にて開催される。ホームページのスケジュール頁を覗いても、もう一週間余り先に迫っているというのに、詳細が書いてないのが残念だ。
 小生が知っているのは、開催日は5/28(日)だということだけ。実際に始まるのは午後(昨年も午後だった)だろうということ。
 リベルダージ(G.R.E.S. LIBERDADE)のホームページ公式スケジュールの頁)に詳細が載ったら、改めてお知らせするつもり。

 季語随筆を書き始めた一昨年の秋口以前にも、例えば、「梅雨のあれこれ(紫陽花編)」を綴っていた。
 ちょっと異例な(?)雑文だと、「紫陽花ばなし?」がある。ほとんど、沈丁花の話題なのだが、しかし微妙に紫陽花の話でもあるのだ。

 今日はいつも以上に気分が散漫だ。そぼ降る雨のせいにしておこうか。
 車中では、アーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史―数と自然の不思議な関係 Kawade new science』(松浦 俊輔訳、河出書房新社)を、自宅では、ジェイムズ・モートン著の『わが名はヴィドック』(栗山 節子訳、東洋書林)を読み始めている。
 後者はさすがに、現代に生きる我々の感覚からするととんでもない人生を送っているが、それだけに興味津々。読み始めなので、後日、感想文を書くかも。

 過日より読み始めているハーマン・メルヴィル著の『ピエール』(坂下 昇訳、国書刊行会)がいよいよ面白くなってきた。英米文学特有の憑かれたような精神の人間ドラマが佳境に入ってきたのだ。
(『ピエール』については、既に「読書拾遺…素数の音楽など」の中で若干、触れている。)
 ピューリタニズムの倨傲(きょごう)なまでの偽善性、一皮剥けば欺瞞臭がプンプン匂っているのが誰しも分かるし気づいているのだけれど、その信仰に囚われた人は、その欺瞞を断固無視し撥ね付ける。というよりないものと断固、看做す。
 遅れた、新たに開拓された地であるだけにピュアさこそが信条なのだろうが、人間は誤りを犯すし、不倫もする、不義の子も生まれたりする。自分の親は(つまりは神は、ということが含意されているのだろうが)絶対に過ちを犯したりはしない、そのようであって欲しいし、建前として絶対的に正義の人であり悪を許容しない人であるとするなら、あるいは愛する人の頑ななまでの<信念>を傷つけたくは無いと思うならば、実際には現実に為してしまった過ちを何処かで誰かが背負い呑み込み苦しみ続けなければならない。
 この世にありえるはずの無い正義を表向き貫くためには、その裏面の闇も深くなるし、罪も凄まじいリアリティを持ってしまう。誰かが辻褄を合わせないといけない。誰かが罪を背負い、皺寄せを甘受しないといけない。たとえ、世の人に誤解され指弾され、我が身が裂け、魂が引き裂かれても、だ。しかも、愛するその人に一番激しく憎まれる怖れさえある…。

 同じくメルヴィルの『白鯨』(の特にクジラについての長々とした薀蓄話など)に辟易した人もこの物語には親しめるものと思う。
 但し、そうした原理主義とまでは言わないが、清教徒的な倫理観に縁遠い、どこか曖昧な湿っぽさに韜晦するのが普通である日本の道徳観にどっぷり浸かった者には、そもそも何に悩んでいるか自体に違和感を覚え、空々しさの感を拭えないかもしれない。
 そもそも日本人に「ピューリタンたちは「新しいエルサレム」への移住をどこかで希求する」という、ピューリタニズムなど分かるはずがないのかもしれない。
 イエズス会の人が、勃興したプロテスタンティズムに対抗するため、「1534年8月15日、バスク出身のイグナチオ・デ・ロヨラを中心にして7人の同志が、パリのモンマルトルの丘のディオニソス聖堂で貞潔、清貧、エルサレムへの巡礼もしくは世界への宣教という3つの誓願を立て」、「目上の命令には絶対服従を要求する軍隊方式」と「会員には会の活動に全てを捧げる献身を要求していたこと、少数精鋭を旨」という特徴のもと、世界へ販路を宣教の地を追い求めた。
 ピューリタニズムはイエズス会の一派などではないのだが(イエズス会については、拙稿「無精庵風土記 - バスク人のこと」を参照のこと)、しかし、ある意味、新たなエルサレムの地を求めての、より苛烈な情熱と衝動に駆られていたのは間違いないだろう。そしてその地で追い求めるのは絶対の正義の実現であるわけだ。
 
 無論、素晴らしい文学作品の特徴として、そうした歴史的背景を度外視しても人間ドラマとして凄まじいまでの描きこみがあるわけだが、しかし、多少なりとも理解しておいて邪魔にはならないだろう。
 紫陽花の花言葉は「移り気」だとか。思うに、これほどピューリタンから遠い心性はありえないかもしれない。
 いかにも日本的なウエットな花、紫陽花。

 当初、訳文が古風な気がして読みづらかったが、慣れてきたら物語の中に入り込むのに支障は感じない。ただ、活字の組み方が何か変。文字の並びがちょっとおかしいような気がする。
 と、あれこれ書いたが、物語は動き始めたばかり。読むのが遅い小生のこと、読了はいつになるか分からない。読み終えたら、改めて感想を綴る(かも)。


[ おなじみ、magnoriaさんが、「紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」「高慢」 magnoria-ウェブリブログ」にて、紫陽花の別の花言葉を紹介されています。 (06/05/25 追記)]

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コメント

小生、男ではあるが、「紫陽花の花言葉は…移り気」に何か引っかかった。

淡い中途半端な紫色。

淡い中途半端な色は、中途半端ゆえに固執執着しない色であり、固執執着しないが故に移り気なのでしょうか?。紫も濃ければ、病気の色とも、赤い力と青き憂鬱とも。(笑

何故か花言葉が覚えやすい今日この頃。(笑

投稿: 通りすがりの象徴好き。w | 2006/05/22 22:19

通りすがりの象徴好き。さん。

そう、紫陽花はまさに淡い中途半端な色合いですね。固執執着しないが故に移り気なのか、それとも(花びらの色合いは、土壌の酸性度に敏感に反応してのものだという事実を鑑みると)目の前の現実(土壌、相手)に固執するが故に次々と目前の相手に惚れ賛美するから、(その浮気っぽいかのような行動が他人には)移り気に見えるということかもしれないですね。

濃い紫は、特に日本においては尋常な色とは看做されていない。古代だと高貴な色であり、神秘の色、一般人には使いこなすのが難しい色でもあったような。
現代だと、紫色のボディの車に乗っているのは、高貴な人じゃなくて、大概、暴走族まがいのチンピラだしね。
今、映画で話題(?)の「イエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされていた」とか(古代ローマでは王が死の時は紫の衣を纏う)。

色の事は、人の気持ちを昂ぶらせるものですね。

あ、そうそう、今朝、バイクでの会社からの帰り道、路肩に今の時期にしては珍しく鮮やかな色合いの紫陽花を発見。あまりに意外で、思わずハンドルが取られそうになった!

投稿: やいっち | 2006/05/23 13:25

末尾に追記しました。覗いてみてね。

「AESA☆エンコントロ・ジ・アルモニア 2006」については、リベルダージのホームページ(スケジュールの頁)には未だに詳細が載っていない。よってネット上で見つけた詳細を以下に示します:
 http://www.aesa.jp/summit/summit.html
 このイベントは、関係者だけの内部の催しではなく、広くより多くの方に観てもらいたいはずだし、観たいと思う方もいるはずだと思う。
 昨年はイベントの一週間以上前には詳細と会場近辺の地図が載っていたのに、今年の対応はちょっと残念だ。
 サンバとリベルダージの一人のファンとして、ここにささやかに「エンコントロ・ジ・アルモニア 2006」の宣伝をしておきます。

投稿: やいっち | 2006/05/25 22:38

「AESA☆エンコントロ・ジ・アルモニア 2006」の画像がアップされてました:
 http://www.aesa.jp/summit/summit.html
リベルダージはこれ:
 http://www.aesa.jp/summit/2006/5G_R_E_S_LIBERDADE.html
逆光の画像が多いのが残念。

恥ずかしながら、「エンコントロ(4)」なる記事のあることを本文で漏らしている:
 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/06/post_068e.html


投稿: やいっち | 2006/05/31 23:02

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