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2006/04/23

「連翹」の陰と陽

 4月の季題(季語)の中に「連翹」があることには気づいていた。「れんぎょう」と読むことも、漢字にも弱い小生なのに、何故か知っている。
 きっと、案外と身近な植物なのだろう。あるいは通勤の途次や買い物の際に目にしていて、これは何という名の植物…花なのだろうと疑問に思いつつも、そのままになっているそんな木や花の一つなのだろう…。
 しばしば本サイトでも登場願っている「YS2001のホームページ」の「季語(れ)」にある「連翹(れんぎょう)」の項を参照させてもらう。
「果実が薬用になる半蔓性でモクセイ科の落葉低木」で、別名「⇒イタチ草(いたちぐさ)」とある。
 まず、「連翹」がどんな植物なのか、花ならどんな色・形の花なのか、木なのか草の類いなのかを確かめておく必要がある。
 これまた折に触れて参照させてもらっている「季節の花 300」にて「連翹 (れんぎょう)」の様子を見てみよう。
 画像を見た瞬間、ああ、これ、近所の何処かで見たことがある! が、正直な感想。
「Forsythia」という学名(属名)はともかく、「 Golden bells」…直訳すると「金色の鐘」というのは、言い得て妙なる名前だ。
 今では和名になっている「連翹」という名称。やはり、この植物が中国原産なのでこうした日本人には難しい呼び名になっているのだろうか。古来からあったら、和名(古名)の表記が当てはめられるのだろうが、「日本には300年ほど前に薬用として渡来」したというから、和名を持つ時間がなかったのだろうか。

 ついでながら、「Forsythia(フォルシシア)は、 18世紀のイギリスの園芸家 「Forsyth(フォーサイス)さん」の名前にちなむ」のだとか。
「Forsythia suspensa(連翹)」 と「 Forsythia koreana (朝鮮連翹) 」の二種類あり、花びらの形で区別されるらしい(詳しい違いなどは、「連翹(レンギョウ)|花の俳句」を参照願いたい)。
「本来「連翹」とは巴草(ともえそう)をさしていたが、この木に誤用され、以来この木が「連翹」の名で呼ばれるようになった。」というのは興味深い。
 何故、誤って呼称されるようになったのか。「連翹」の花びらの形が何処となく「巴草」を思わせるからなのだろうか。
 では、「連翹」が「イタチ草」という別名を持つのは、どういう背景があるのか。

 まずは、「連翹」という季語の織り込まれている句を幾つか。ネット検索の過程で偶然、ヒットしたサイト「Morris.日乘 2001年4月日記」に載っていたので、サイトアドレスを亡失しないうちにメモしておく。

連翹や黄母衣の衆の屋敷町   炭太祇
連翹の莟喰ふかかわら鶸   酒井抱一
連翹に一閑張の机かな   正岡子規
連翹の一枝圓を描きおり   高浜虚子
連翹に人住みかはる小家かな   高橋淡路女
行き過ぎて尚連翹の花ざかり   中村汀女
連翹やうすうす懸りゐし銀河   田中牛次郎

 炭太祇の句「連翹や黄母衣の衆の屋敷町」にある「黄母衣の衆」が分からない。「キモイの衆」…数百年の昔に「キモイ」なんて言葉が既にあった?!
 早速、「母衣 - Wikipedia」を覗く。
「母衣(ほろ)は、日本の軍装の一種。幌・保侶とも書く」とか。「母衣(ほろ)」と読む!!
 何処かで幌馬車の「幌(ほろ)」と関係があるのだろうか。それとも、読みが同じなのはただの偶然?
goo 辞書」によると、「幌(ほろ)」とは、「(1)室内に垂れ下げて隔てとする布。たれぬの。たれぎぬ。(2)物をおおいかくす物、物を隔てて区切る物などのたとえ」だとか。

「元来は平安時代末期に生まれた懸保侶(かけぼろ)という補助防具である。背中に長い布をたわませたもので、馬を駆けると風をはらんでふくらみ、背後に長く引いて背面からの流れ矢を防ぐ役割を果たすので、大鎧とともに馬を駆り弓を主武器とする当時の武士の戦闘法に適した」とかで、「騎馬戦闘が廃れた室町時代のころから、内部に竹などで編んだカゴを入れて常に風をはらんでふくらんだ形状とした装飾具に変化し、指物の一種となった」という。
 どんなものか、見てみたい!
城下町東城のお通り行列」に素敵な、というか「母衣(ほろ)を背負って出番を待つ女の子」などの可愛い「母衣(ほろ)行列」の画像が載っていた。必見?!

 酒井抱一の句「連翹の莟喰ふかかわら鶸」の「鶸」がまた読めない!
goo 辞書」によると、「ひわ」「ひは」と読むとか。季語でもあり、秋の季語だという。現代だと季重ねとなり、敬遠される表現なのか。
 ああ、悲しや、「莟喰ふ」の「莟」も読めない。「蓼喰う虫」の「蓼(たで)」じゃないだろうし。
 同じく、「goo 辞書」によると、「蕾」「莟」(つぼみ)だって!

 正岡子規の句「連翹に一閑張の机かな」の「一閑張」がまた読めない。というか、強引には、「いっかんばり」と読めそうな気がするが、自信が持てない(小生、「一張羅(いっちょうら)」の古形かと一瞬、思ったが、これは内緒)。
 またまた「goo 辞書」によると、「一閑張(いっかんばり)」で、あてずっぽうだったが読みは合っていた。「漆器の一。木型を使って紙を張り重ね、型から抜き取って漆を塗った器具。木地に紙を張ったものもある。薄茶器・香合・箱・机などが作られた」とか。
 なんだか、素養の違いを見せ付けられているようでもある。

 田中牛次郎のことは、寡聞にして知らない。清水 基吉氏著の『意中の俳人たち』(富士見書房)の中で紹介されているようだが(清水基吉氏は『雁立』で芥川賞を受賞された俳人)。

 ネット検索していて知ったのだが、「去る4月2日は高村光太郎の命日でした。彼が好きだった花から連翹忌と言う」のだとか。情報を得たのは、「magnoria-ウェブリブログ」の「高村光太郎と連翹忌」にて。
 この頁には、「高村光太郎は、言葉の発達が遅れていて5歳くらいになってはじめてしゃべれるようになった」など、高村光太郎のプロフィールが簡潔に紹介されている。

 さらにネット検索してみると、「高村光太郎:没後50年 ゆかりの松庵寺で「連翹忌」--花巻 /岩手」という情報を見つけた。
「高村光太郎の命日にあたる2日、光太郎ゆかりの花巻市双葉町の松庵寺(小川隆英住職)で「連翹(れんぎょう)忌」が営まれた。光太郎は1956年4月2日に亡くなっており、今年は没後50年。祭壇には光太郎が好んだ連翹の花が供えられた」という。
 今年が没後50年だったのだ。それなりに話題にはなっていたのだろうが、小生は全く気づかなかった。
 今日は高村光太郎がテーマではないので、彼に付いては深入りしない。
 関心のある方は、「高村光太郎 - Wikipedia」を参照願いたい。
「1945年4月の空襲によりアトリエとともに多くの彫刻やデッサンが焼失した。五月、岩手県花巻町(現在の花巻市)の宮沢清六方に疎開(宮沢清六は宮沢賢治の弟で、その家は賢治の実家であった)」などといった興味深い情報に接することが出来る。
『道程』や『智恵子抄』などの詩集に親しまれた方も多いのでは。
 高村光太郎と「智恵子(抄)」との関係に付いては、拙稿である「東京は坂の町でもある」の中で若干、触れている。高村光太郎というと、宮沢賢治と共に吉本 隆明 (よしもと たかあき)が好きな詩人の一人だったことは知る人ぞ知るだろうか。
 個人的には、高村光太郎というと「手」などの彫刻よりも、あるいは「レモン哀歌」もいいのだが、高校の教科書に載っていた詩だったか、それとも何か他の詩が載っていて興味を抱き、彼の詩集を買い求めて知った詩だったかは忘れたが、「ぼろぼろな駝鳥」という詩が今も印象に残っていて、高村光太郎のイメージは高校時代に早々と(早計過ぎたかも)決定付けられてしまった。
 このある意味で過剰なばかりの倫理性と思想性、そして圧倒的な才能が智恵子を苦しめてしまったのかもしれない。だが、彼女を犠牲にすることで光太郎は変貌を遂げることができたのだが…。
 是非、「ぼろぼろな駝鳥」を再読(初めての方は一読)を願いたい。

 ちょっと余談が過ぎた。季語としての「連翹」に戻る。
 今は削除されてしまったらしい、「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」という頁には、以下の句が載っていた(既出分は省いた):

連翹の一枝づつの花ざかり   立子
連翹の縄をほどけば八方に   青邨
連翹に見えて居るなり隠れんぼ   虚子

 他に、西行にちなむということで、一句だけ載せておく(「阿羅野巻八脚注」より。鑑賞文を読むと句の味わいが違ってくる):

連翹や其望日としほれけり   胡及

満開の大きな株が庭にあると,黄金の水を吹き上げている噴水のように見えます」という連翹。最後に蛇足:


連翹の花盛りにも影のあり
連翹の黄色き鐘の空に満つ
連翹は漢字変換あるのみぞ

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コメント

はじめまして。拙文をブログで引用していただき有難うございました(^^)。国見様はタクシー・ドライバーをされながら文筆活動をされているのですね。私も事務員をしながら文筆業を目指しているので国見様の存在は私にとってとても励みに、そして目標になります。ブログの内容をざっと拝見いたしましたが、とても素晴らしくとても勉強になります。これから毎日拝読いたしますのでよろしくお願いいたします。
ちなみに私のハンドルネームのマグノリア(白木蓮)の名前はフランス・モンペリエの植物園の園長だったピエール・マニョール(1638 - 1751)にちなんだものだそうです。
お礼に、おとといブックオフで偶然見つけた歌集の中から見つけた連翹にまつわる短歌を一首紹介させていただきます。

 ゆびさきから花の憂ひが伝はれり連翹の匂ふあをの陶器に  (「未生 寺島博子歌集」(角川書店 2005))

投稿: magnoria | 2006/04/24 21:49

magnoriaさん、はじめまして。
来訪、コメント、ありがとう!

勝手に引用・参照だけして失礼しました。
名前もユニークですね:
白木蓮 (はくもくれん):
http://www.hana300.com/hakumo.html

哲学科出身(人文科)だとか。小生もです(西洋哲学科)。
御覧のように、文章だけのサイトです。体力がなくて、タクシーの仕事を終えると、自宅では寝たきりの生活。取材などして画像を充実させて、来訪される方が楽しめるサイトにしたいのですが、当分、無理そう。

)ゆびさきから花の憂ひが伝はれり連翹の匂ふあをの陶器に  (「未生 寺島博子歌集」(角川書店 2005))

 ゆびさきの憂いさえもが馥郁と   (や)

投稿: やいっち | 2006/04/25 14:19

せっかくなので寺島博子歌集『未生』(角川書店)から幾つか短歌を挙げておく(ネット上で見つけたもの):

ひとの心にするりと住んでゐる君は遠近法を守らうとせず
墓参りにすれ違ふひとは日常を今日こんなふうに生きてゐるのだ
幾億の雨脚は着地するときに傷を負ひ傷を語らず流る
激しさをわれに与へよ幸せを拒みても生きてゆけるくらゐの
空色の帽子を脱ぐとき空色の記憶を消し去り夕暮れが来る
きみを想ふわれの胸には美しきものが住まふとルージュを塗れり
マニキュアを落とす晩春の夜の更けに内なる蕊が剥落をする
わたくしの胸乳のかたちかうなのと囁きがほに睡蓮がひらく
草木(さうもく)は悲しみを秘めしかと立ち人間(ひと)が触れればわけまへをくれる
乳癌と告げらればうと眺めたる陽(ひ)はみんなみに聳やかなりき
地球といふわがままなる子を授かりて銀河系は胎(たい)を捩(よぢ)らむ
水底より見れば古りたる歳月もあざやかに産毛はやして飛べり
鏡には見なれぬ左の耳がありそこから太古の海原が見ゆ

(注)「乳癌と告げらればうと眺めたる陽(ひ)はみんなみに聳やかなりき」の中の「聳やかなりき」は「そびやかなりき」と読む。意は「ほっそりしているさま。すらりとして背が高いさま」だとか。

投稿: やいっち | 2006/04/25 22:28

歌でもおわかりになるように寺島博子さんは乳癌で手術を経験された方です。近年カトリックの洗礼を受けられたそうです。
この歌集の帯文を紹介しておきます。

 送られてきた歌稿を読んでみて、寺島さんの生きていくことに必死である姿勢が伝わってきた。
 他の人にはない何かを持っている。
 直感であるが、わたしは強く感じ取った。
                            外塚 喬   

 

投稿: magnoria | 2006/04/27 09:43

magnoriaさん、また、情報、ありがとう。
寺島博子さんの歌には切なさと懸命さとある種のおおらかさもありますね。
男には分からない苦しみもあるのでしょう。でも、そのことを直接に歌うことがないのが歌を詠むものには救われる思いがする。本人はともかく他人は(それぞれの人が重荷を背負っているのだし)人の苦しみに直に面するのは億劫になってしまう。
だ、歌で自らを客観視してくれることで、詠み手も余裕を以て共感できるわけだ。
ところで、「連翹について」の丁寧な紹介、嬉しく思います:
 http://magnoria.at.webry.info/200604/article_29.html
 小生の拙稿では漏らしたことがいろいろ書いてあります。


投稿: やいっち | 2006/04/27 16:37

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  ぼくたちは肉体をなくして   意志だけで生きている   ぼくたちは亡霊として十一月の墓地からでてくる   ぼくたちの空は遠くまで無言だ   ぼくたちの空のしたは遠くまで過酷だ   ぼくの孤独は   ほとんど極限に耐えられる   ぼくの肉体は   ほとんど苛酷に耐えられる   ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる   もたれあうことを   きらった反抗がたおれる   ぼくは ぼ�... [続きを読む]

受信: 2006/04/26 01:03

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