『白鯨』余聞・余談
また、大麻事件が発生した。「大麻所持で有名シェフ逮捕」(警視庁組織犯罪対策五課は26日までに、大麻取締法違反(所持)の現行犯で、東京都港区南青山のレストラン経営会社「リストランテ・ヒロ」社長で総料理長山田宏巳容疑者(53)=東京都文京区=を逮捕した)というもの。
この事件に関連し、今日は「大麻」乃至は「麻」をテーマに季語随筆を綴ろうと思ったが、「麻」は夏の季語ということなので、後日、夏になって思い出したら扱いたい。
「大麻 - Wikipedia」は読んでいるだけで面白い(特に「人体への作用」や「合法・非犯罪化国」の項など)。煙草やお酒は許されていて、大麻が許されないのは変。無論、法律で決まっているから法を破ってはいけないが、この法律の矛盾はそれなりに追及する余地が十分にありえる。
小生には「中島らもと大麻と煙草と/カナダでのマリファナ事情あれこれ」といった拙文がある。
→ 蓮華草さんに戴いたライラックの画像です。「心の万華鏡 君の名は・・・・・」を覗くと他にも素敵なライラックの画像に逢えます。そういえば、小生、昨年の四月には「ライラック…リラ冷え」なるエッセイを綴ったっけ。
閑話休題:規制の緩和は及第か
ハーマン・メルヴィル著の『白鯨―モービィ・ディック』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)を読んでいると、しばしばジャパンという名称に出会う。言うまでもなく日本である、と言いたいが、さにあらずジャパンと呼称される太平洋の中のある海域を指す。日本という国が含意されていることは否めないとしても、捕鯨が盛んとなっても、太平洋までその捕鯨船の足を伸ばすのにはそれなりの苦労と時間を要したのだし、まずはジャパンという海域が関心の対象だったのは当然と言えば当然なのかもしれない。
「一七八八年、アメリカ号なる堂々たる船が、意気盛んなるこのエンダビー家の単独出資により、捕鯨という単独目標を掲げて、大胆にもホーン岬を通過し、諸国の捕鯨船に先駆け、かの壮麗なる南太平洋にはじめて捕鯨ボートを降ろした。」(「白鯨」下p.371)
無事、成果を得て母港へと帰還し、「太平洋の抹香鯨漁場はその大舞台の幕を切って落としたのである。」
さらに、「一八一九年、一家は捕鯨漁場探索のため、自前で探検船を仕立て、遠くジャパンの近海まで試験航海に赴かせたのであった。この探検船は、いみじくも海人美女(サイレーン)と名づけられて、見事実験航海を果たし、その結果、あの偉大なるジャパン近海の捕鯨漁場が初めて世に広く鳴り響くようになったのである。この歴史に残る探検航海におけるサイレーン号を指揮したのはコフィン船長、すなわちナンタケットの人にほかならない。」(「白鯨 下」p.372)
ちなみに、「1825年 外国捕鯨船団が日本近海で操業。(735隻) 」であり、1845年頃から1850年代がメルヴィルの「白鯨」の時代」である。
「捕鯨の歴史」
「正義の価値は~捕鯨年表」
引用文中にジャパンの近海(「on the coast of Japan」)とあるが、「小笠原近海は当時ジャパングラウンドと呼ばれ、捕鯨場所であった」とか(「小笠原・父島ガイドブックbyマルベリー」の「モビーディック」より)
あるいは、「有鄰 No.445 P2 座談会「鯨捕りと漂流民-ペリー来航前夜-」 (2)」が「on the coast of Japan」についてより詳しい。このサイト頁は、日本の開国を示唆する『白鯨』中の記述への言及や捕鯨と『白鯨』との関連など、興味深い対談がなされている。一読の価値あり。
本書『白鯨 下』も今週末、つまりは月末には読了しそうである。エイハブ船長の白鯨との対決の時も迫っている。こうなると、二ヶ月あまりも読み続けてきただけに、読了するのが惜しくなる。じっくり読んできた甲斐があった。大海を時に嵐と遭遇し、時にクジラと格闘し、船長と船員との確執を越え、出自の多彩な乗務員相互の軋轢も時に一触即発だったりする。大海は穏やかな時は鏡のように滑らかで穏やかだが、一旦、牙を剥くと情け容赦などあるはずもない。その意味で大海は海の砂漠でもある。人間性が剥き出しになる。人間の生の肉体と心と信念と欲望と忠誠心との戦いが陰に陽に繰り広げられる、どんな名作の劇より凄まじい、周りは奈落の底だらけの舞台なのだ。
その舞台はジャパングラウンドの先の南太平洋だが、その前に越えるべき海域がある。
「さて、ピークオッド号は、いまやバシー諸島(フィリピンと台湾の間のバタン諸島のこと)へ、またフォルモーサ(台湾のポルトガル語名)へと、南西の方角から北上、接近しつつあった。これら二つの海域の間は、支那海から太平洋へ通じる熱帯の出入り口に相当する海域の一つである。船長室の入り口に降り立ったスターバックの眼前には、海図を広げているエイハブの背中があった。この恐るべき老人が見入っているのは、一つは、東洋の群島全般を一枚に表した海図、もう一つは、ジャパン諸島、すなわち、二フォン、マツメイ、シコキィーの各島の東側沿岸を表した部分図であった。」(「白鯨 下」p.432)
(支那海だなんて、石原都知事が喜びそうな名称だ。)
バシー諸島やフォルモーサには注釈が加えられてあるのに、「二フォン、マツメイ、シコキィーの各島」には付せられていない。何故。
「ジャパン諸島、すなわち、二フォン、マツメイ、シコキィーの各島」とあるからには、日本近海の諸島なのだろう。
想像するに(というか、想像するまでもないのかもしれないが)、「マツメイ」は「松前」なのか「歯舞」か。
「シコキィー」は、「色丹」だろうか。では、「二フォン」って、何処?
その前に、「ジャパン諸島」という呼称(地名)からして、日本列島と考えるべきなのか。
すると、「二フォン」とは「日本」のこと?
既出の「有鄰 No.445 P2 座談会「鯨捕りと漂流民-ペリー来航前夜-」 (2)」を参照しても分からない。
「かのジャパン沖太平洋の夏の日々は、光の氾濫であった。かのジャパンの太陽は、またたきもせずじっと見つめる溌剌たる処女の瞳といえばいいのか、限り無くうちつづく鏡のような一枚の海が焦熱凸レンズと化して、その焦点に太陽がきらめいているのであった。雲ひとつない青空は漆塗り(ジャパニーズ)を施したようにつややかに光り、水平線が空中に浮んでいるように見える。裸体の発するひかりのごとく容赦なく輝く陽光は、神の玉座の光輝にも等しく、まともに目をむけることができない。」(「白鯨 下」p.484-5)
小生には、「ジャパンのこと」という一文があり、その中で「ジャパン=漆(器)」について簡単に探っている。
「ジャパン=漆器」については書いているが、「ジャパニーズ=漆塗り」には言及していない。ま、同じようなものか。この辺りのことも、実はよく分かっていないので教えを請うところだ。
「白鯨」及びクジラ関連記事:
「クジラ後日談・余談」
「白鯨とイカと竜涎香と」
「私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ」
「「白鯨」…酷薄なる自然、それとも人間という悲劇」
「白鯨と蝋とspermと」
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コメント
(大麻についてコメントを別のサイトで貰った。以下はその意見に関連してのレス)
大麻については(本文にもあるけど)下記の通り:
「カナダでのマリファナ事情あれこれ」
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/ramo-taima.htm
煙草を合法にしているんだから、大麻も合法にする。煙草は一本、二十五円ほど、大麻は一本、??(相場が分からない)
大切なことは煙草や酒や大麻のリアルなメリット、デメリットを明確にすること。その上で人生を大麻で(激辛料理で、塩分の濃い料理で、危険な遊びで)充実させるのは本人の自己責任。
そもそも今の医療は薬漬けじゃん。それぞれの専門医が他の医者がどんな薬を患者に出しているかに無頓着に自分の専門分野での診断や検査結果だけを見て薬を出しているのがおかしい(薬で儲けを出さざるを得ない実情があるのも悲しい現実)。
薬学の専門家がそれぞれの専門医(と患者)に複数にわたる薬の服用についての総合的なアドバイスをするようにすべきだと思う。
投稿: やいっち | 2006/04/29 07:47