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2006/04/16

時を呼ぶ声

久世光彦氏が死去」という題名の記事を以前、書いた。訃報そして追悼の記事である。この記事にある方がコメントを寄せてくれたのだが、その中に、「子ども時代を過ごした富山の話は「時を呼ぶ声」(立風書房)に詳しく読むごとに共感をおぼえます」というくだりがあった。
 だから、その後、同氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を借り出して、関連する記事をあれこれ書き綴っていても(「久世光彦著『怖い絵』の周辺」「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」「久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)」「ベックリンの「死の島」と髑髏」など)、ずっとこの本を読みたいと思ってきた。それがようやく叶い、先日、読了した。

 小生が読んだのは、『時を呼ぶ声』(立風書房)だが、文庫版(学研M文庫)もあるようだ。
 出版社側の謳い文句によると、「あの日の空の青さは何だったのか? 五つの小学校を転々とした少年期--、都市が全焼する空襲の夜の美しさ--、軍人だった父の晩年--、戦後の歌や映画、文学という女人への恋--名演出家・作家の原風景と昭和への挽歌!」とある。
 久世光彦氏は、東京(阿佐ヶ谷)で生まれ、浪人時代も含めた大学生以降は、東京で暮らした。が、中学・高校時代、つまり十二歳から十八歳までを富山で暮らした(正確には小学校の卒業直前に富山へ疎開した)。
「少年期であり思春期」を富山で過ごしたわけである。
「五つの小学校を転々とした少年期」の思い出、小学校に上がる前の記憶と体験も彼の人生に重きを成していないわけではない。
 それでも、富山で過ごした数年は彼自身、決定的な影響をずっと残したのであり、ある意味、文学する心の源泉も富山で育まれたといっていいと考えているようである。
 富山で生まれ育ち、高校卒業と共に大学生活を仙台で、卒業後は東京で(都内を転々としつつも)暮らしてきた小生には、久世氏が高校の先輩であることも含め(このことはつい十年ほど前、母校が出しているある同窓会報で偶然、知ったのだった)、興味津々で読むのは当然だろう。
 彼が中学の頃から入り浸ったという富山の繁華街にある喫茶店の名前も小生には馴染みである。といっても、気の小さな小生、学校(高校)では入ることを禁じられていた喫茶店へ折々寄るようになったのは、高校を卒業してからのことだった。
 それでも、あの喫茶店に久世氏も通い、煙草を燻らせたのかと思うと、感懐深くなる。その喫茶店に足を向けなくなって久しい。今もあるのだろうか。

 本書の目次を列挙しておくと、「1 転校生 2 天皇 3 エロール・フリンの口髭 4 赤き蒸汽の… 5 あんたとあたいのブルース 6 夭折の季節 7 しろがねの… 8 五十年 9 曲がり角 10 さらば夏の光よ」である。
 本書の題名は、寺山修司の「駈けてきてふいに止まればわれを越えてゆく風たちの時を呼ぶ声」から採られている。
 上記の文章群は、「「北日本新聞」一九九二年十一月一日号より九六年十月七日号にかけて連載されたもの」だとか。
 小生が富山に居住していたら読めたか、あるいは帰省の折になら読めたか。残念ながら、読めなかっただろう。まず、そんな連載が北日本新聞に載っていること自体、知らなかったが、郷里の家では、家庭の事情もあり、新聞を購読していなかったか、余儀ない事情で読売新聞を取っていたはずで、生きている間の久世氏の文筆活動での活躍に接することはついになかったのである。

 本書を通じてのテーマを敢えて挙げるなら、あの年の夏の空の青さ、に尽きるだろう。もしかしたら久世氏の生涯を通じての文学のテーマも。
 特に重要ではないのかもしれないが、印象に残るくだりを転記させてもらう:
「昭和二十年、あの年の夏の空は異常に青かった。どこまでも澄んで広かったあの空の色は、まるで奇蹟の色のようだった。その空の下で、私の中では昨日までのことがきれいになくなっていた。明日のことも思わなかった。何もなかった。」

「昭和二十年、あの年の夏の空」というのは、言うまでもなく、富山大空襲で市街地が全焼した光景の思い出が背景にある。「半世紀以上も生きてきて、あんなにきれいなものを見たことは、それ以来ない。一つの市(まち)がそっくりそのまま燃えてなくなる光景である。」
 少年の彼と母と姉との三人で火の海を逃げ惑った。夢にまでその光景を見た。建物の類いがまるでなくなって遥か遠くまで見渡せる日々を生きたその夏の日々の空は異常に青かった、というのである。
 久世氏の家族は、「上新川郡熊野村の安養寺というところに親戚の紹介でしばらく住むようになったが、そこで見た空は私が見たいちばん美しい青空だった。あの青はいったい何だったのだろう。」

 小生には、拙稿「富山大空襲と母のこと」がある。
 我ながら不思議でならないのは、昭和二九年生まれの小生なのに、B29という巨大な爆撃機による空襲の夜の光景をまざまざと見たことがあったことだ。尤も、夢の中でのことだが。
 しかし、紺碧の夜空に銀色の機体の編隊が我が物顔に富山の町の上空を飛び、焼夷弾の類いを民家めがけて投下し、紅蓮の焔が上がる様子をあざといほどの色彩で見てしまったのだった。
 久世氏と母と姉とは「空襲の翌朝、熱い地熱の道路を爪先立って歩き回ったが、とうとう昨日まで住んでいた家の跡を見つけることができなかった」という。

 単なる偶然なのか、小生も長い冬の曇天の空も忘じがたいが、夏の青い空、秋の日の抜けるような青空を背にした一本の柿の木に成り、落ち残ってしまって風に空しく揺れる朱色の柿の実の光景は、一つの原風景である。「村上元三氏死去」という拙稿の中でも、昔は、「空がやたらと青い!」と強調している。
 もしかしたら、思春期に見た青空というのは、季語で言う「青写真」なのかもしれない。少年の日に見た青い空は感光してその人の心に永遠に焼き付いてしまうのかもしれない。ある程度、年を重ねてしまうと、心という感光体は最早、感光するための感受性も感度も鈍ってしまって、青い空のその蒼が心にまで届かなくなるのかもしれない。

 本書を巡っては、歌謡曲や戦後の富山の焼け跡の風景など(小生は上記したように昭和二九年生まれだが、物心付いた昭和三十年代半ばには市街地の方々に戦災の跡が残っていて、瓦礫に埋もれるようにしてポッカリ空いた防空壕の穴もあった…)、あれこれ書きたいことが山ほどあるが、きりがないので折に触れて本書の感想文とは切り離して書くことにする。

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