村上元三氏死去
昨夜(4日の深夜)だったか、ラジオを聴いていたら、作家の村上元三氏死去のニュースが流れてきた。
小生には懐かしい作家の一人という感がある。といっても、この大衆性のあるこの作家に傾倒したというわけではない。
ある時期、彼の作品である「次郎長三国志」を夢中になって読んだことがあっただけのことなのだ。
念のため、ネット上で読める記事の一部を転記しておくと、以下のとおり:
「「佐々木小次郎」「水戸黄門」などの時代小説で知られる直木賞作家の村上元三(むらかみ・げんぞう)さんが3日、心不全のため死去した。96歳だった」
「10年、韓国・元山生まれ。41年、「上総風土記」で直木賞を受賞した」
「49年から本紙に連載した「佐々木小次郎」で大衆文壇の第一人者の地位を確立。その後も、「源義経」など、歴史の流れにほんろうされた人物を、徹底した時代考証をもとに描いた」
(以上、「作家の村上元三さんが死去 (朝日新聞) - goo ニュース」より)
「時代小説で活躍、村上元三氏が死去 (読売新聞) - goo ニュース」から若干、補足しておくと、「1938年、長谷川伸の門下に入り」、「、41年「上総風土記」他で直木賞を受賞」と続くわけである。
「村上元三 - Wikipedia」を覗いてみても、あまり詳しい記述があるわけではない。彼(1910年3月14日生まれ)はもう忘れられた作家だったのだろうか。
ここから追記しておくと、「1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳作となった『利根の川霧』でデビュー」や、「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる」だろうか。
時代小説、歴史小説は父ほどではないが(父は今でも好んで読んでいるようだ)小生も中学から大学生の頃、結構、楽しんだという記憶がある。さすがに「立川文庫」世代ではないが、吉川英治の小説『宮本武蔵』は勿論のこと、山岡荘八の「徳川家康」、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などは、漫画の本を読むより頁を捲る手が早かったような。
「次郎長三国志」(春陽堂書店)に、多分、中学生だった小生が夢中になったのは、この本が原作となった映画(監督:マキノ雅弘 主演:鶴田浩二 1963年)の影響なのだろうか。我ながら記憶が曖昧で覚束ない。
それでも、「次郎長三国志」に限らず、春陽堂書店の文庫本は結構、読み漁ったという記憶がある。
そういえば、数年前、杉良太郎主演、佐藤藍子がお蝶役でテレビでやっていたっけ。
調べてみると、「12時間超ワイドドラマ『次郎長三国志』」なるサイトがあって、「平成12年の初頭を飾ったテレビ東京正月恒例の大型時代劇、12時間超ワイドドラマ作品『次郎長三国志』。テレビ東京開局三十五周年を記念する番組の主演を務めるのは、くしくも芸能生活三十五周年を迎えた杉良太郎。記念番組にふさわしく、ベテランから若手まで豪華キャストで贈る定番の名作時代劇」とにぎにぎしく解説されている。
さらに、「『次郎長三国志』は、幕末から明治維新の動乱期に、古いモラルをつき崩し、優れた人心掌握術と調整能力でのし上がった男、清水次郎長を、今回はまったく新しい視点からとりあげ、男が男に惚れる侠気の世界を魅力いっぱいに描く」とも。
小生は任侠ものが好きだったのだろうか。昔は(といっても、正確にいつの頃とは言えないのが苦しい)、任侠もの、博徒もの、つまりはヤクザもの(今風に言えば暴力団ということになるのか)がテレビでも映画でも定番の題材の一つだった。
鶴田浩二、渡哲也、藤純子、高倉健…と、ヤクザものは欠かせないジャンルだったのだ(あの頃の藤純子さん、綺麗だった。小生の近所の奥さんのイメージにダブらせていたっけ…)。まだ、ヤクザものを撮るのは、そんなに世間的な指弾を受けることは少なかったようだ。おおらかだったのか、それとも暴力団の力が映画界にも強かったから、結果的にそうした類いの映画が作られやすかったのか、小生には分からない。
尤も、学生時代だったか、後年、「蒲田行進曲」などの名作を作られた深作欣二監督の「仁義なき戦い」を夢中になって映画館で(学生の頃とて、自宅の部屋にはテレビがなかったし)観ていたのだから、案外とヤクザモノが好きなのかもしれない。
この頃の菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫らは、未だ若くスリムで、欲望・野心にギラギラしている感じがよく出ていたっけ。
ただ、小生が映画館で夢中になって映画を観たのは、小学生を卒業するまでのことだった。
小生の家から歩いて十分余りのところに古びた映画館があって、三本で幾ら(記憶では80円? もっと安かったかも)で、人を誘うのが苦手な小生も、大して親しくもないクラスメイトを近所に住んでいたこともあって誘って映画館へ足を運んだ。
そこは各地の映画館を回って、もう、さんざん映写し尽くしたような古びた映画を見せてくれた。それでもテレビ好き、映画好き、漫画好き(漫画以外の本を読むのは嫌い)の小生には嬉しい娯楽の場だった。
多くは時代劇だったような気がするが、小生の印象に過ぎないのかもしれない。あるいは時代劇を好んで選んだのだったか(文芸作品を選ぶはずもないし…)。
惜しくもかの映画館は、小生が小学校を卒業する前に火事で全焼してしまった。小生の映画館通いも同時に終わってしまった。
火災そのものは見ていないが、焼け跡は見た。大きな建物が綺麗さっぱり消え去っていたのが印象的だった。
当然ながら当時の映画は昭和30年代の日本の風景が背景になっている。任侠もの、特に時代劇だと、何かの因縁を抱えてしまった主役は、故郷の村を離れ、遠くの地へ旅に出るという場面が必ずのように出てくる。
となると、歩くのは場末の村や山だし、あるいは宿場町であり、松林の浜だったりする。
そうして、空がやたらと青い!
そう、空がまだすっきり青かったのである。既に高度成長期に入っていたのかどうか分からないが、場所によっては工場がたくさん作られて排煙がモクモク上がっていたのかもしれないが、未だ、空を濁らせるほどではなかった。
また、海岸を埋め立てたりして工場地・宅地などがドンドン造成され始める以前のことだから、時代劇の背景となる自然豊かな風景がたっぷりあった。
いつの頃からだったろうか、時代劇を作ろうにも、背景に工場やマンション(団地)が必ずのように入ってしまう。川という川にはコンクリートの土手で護岸され、浜辺も埋め立てられ、道という道はアスファルト舗装され、ちょっとした山や森にも鉄塔が立ち、でっかい看板が立ち並び、電柱がやたらと立ってしまって、広々とした風景がなくなってしまった、時代劇の背景となる風景が失われてしまった、ロケ地を確保するのに苦労する、なんて言われ始めたのは。
思えば、任侠ものの映画、そしてフィルムに<雨>の入っている古びた映画が好きなのは、映画の中身より何より、そうした失われてしまった古き良き日本の風景と空の青さとをフィルムの中で(そしてフィルムを通してのみ!)観ることができる、懐かしむことができるからだったのではなかろうか。
ところで、「村上元三 - Wikipedia」から引用した一文で、気になる記述があった。「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載」云々とある。
「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説、「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載』」!
何がタブーだったのだろか。剣豪小説か、それとも佐々木小次郎を描くことなのか。
「下関観光コンベンションセンター 第三章 虚像にまみれた孤愁の剣士 佐々木小次郎の巻」(ホームページは、「下関観光コンベンション協会」)を覗くと、「佐々木小次郎」を新聞小説で採り上げる村上元三の心意気・目論見が分かる。「昭和二十五年朝日新聞に連載された村上元三の小説「佐々木小次郎」がそのイメージを一変させた。巷につたわる毒々しい悪役の臭気をふりはらい、孤愁の青年美剣士にがらりと変貌したのである」以下、その目覚しさは今となっては分からないほどのものなのかもしれない。「村上小次郎の出現は、たんに小次郎の復権だけでなく、太平洋戦争後まもないガレキの街にたたずむ人びとに、さっそうとした「戦後世代」の若者のイメージを印象づけた」のだったのだ。
まあ、終戦直後の数年は、映画においても新聞小説においても戦争を描くことも、封建制度の象徴(?)とも追われたのか刀を振り回すような場面を描くことも許されなかったのだろう(← 推測で書いている。確認の要あり)。
訃報と言えば、「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者としても知られる作曲家・宮川泰氏のことも書きたかったが、ちょっとタイミングを逸してしまった。後日、機会があったら若干でも触れてみたい。
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