保田義孝個展へ
保田義孝氏の存在を知ったのは、いつだったろう。小生のホームページで勝手ながら保田氏のサイトをリンクさせてもらったのは、今年の二月。
但し、大急ぎで断っておかなければならないのは、保田氏のサイトと書いたが、正確には、「「大分県佐伯市在住の画家、“保田義孝先生”のもとで、色鉛筆画を描く仲間達のサイト」である「アトリエピースブランチ」というサイトなのである。
保田氏のサイトを知ったのは、ある詩人で最近は色鉛筆での絵の制作に励んでおられる女性のサイトを通じてだった。彼女は、ご自身が色鉛筆を描かれるということで、色鉛筆画家の保田氏の存在を知ったのだろうか。彼女が「アトリエピースブランチ」を知ったのは、今年の1月23日だったとか。ということは、小生が保田氏の存在を知ったのも、その直後だったろうと思われる。
ネットで「保田義孝」をキーワードに検索しても、ヒットする数はそんなに多くはない。ということは、一般的にはそれほど知られていないということなのか。
それとも、高名ではあるけれど、ネットの世界で扱う人が少ないということか。
→ 15日、紫苑さんに戴いた「造幣局の夜桜」画像です。最近は連日の桜巡りの日々だとか。動かざること弥一の如し、そう「静」の弥一に比べ「動」の紫苑さん。凄い好対照だ!
さて、保田義孝個展会場を訪問したレポートを書く前に、できれば同氏の絵をじっくりと眺めてもらいたい。上掲のサイトを通じて、かなりの作品を見ることができる(最近、サイト内を衣替えされたようで、サイト内で閲覧できる作品の数がかなり増えている。そうはいっても、同氏の作品は累計すると一万点以上になるとか):
http://www.saiki.tv/~gizmo/nsal.htm
[↑既にファイルは見当たらなくなっている。代わりに、「第47企画展 『保田義孝展』 山田和宏氏代行」なる頁を紹介させてもらう。「アトリエピースブランチ」と併せてみると、保田義孝氏の詩情溢れる世界を堪能できるのでは。 (06/04/15 追記)]
使用する画材は、ほとんどが色鉛筆だけ。なのに、「雪の舟だまり」を見ても、「漁船のある風景」(パステル画)を見ても、惚れ惚れする作品世界が創造されている。小生の比較的最近のお気に入りは、「晩秋のひざし」である。これも、色鉛筆画なのだ。
この個展は、今日で終わった。但し、二年後にはまた個展を開きたいと思っておられるとか:
「ギャラリー銀座」
[「http://www.rr.iij4u.or.jp/~gallery/event.html」なる頁に三年前は同氏の個展の案内が載っていたが、さすがに今は見つからない。 (06/04/15 記)]
個展が始まったのは、17日の月曜日。小生はタクシーという仕事柄、週に三日は終日の仕事だし、仕事が明けた日は、グロッキー状態なので、ウイークデーに時間を割いて銀座に行くのは至難のわざ。
今日にしても、今朝7時頃に帰宅し、ネットをめぐったり、掲示板の書き込みへの返事を書いたりして、就寝したのは九時過ぎ。正午過ぎに目覚めて、洗濯したりして、さて、体の調子を探ってみたところ、外出が出来ないほどではないので、今日が最後という個展を見に行こうと思い立った次第なのである。
サンバを通じて、オフ会、そして少なからぬ人たちと出会ったが、この個展もある意味で、ネットでの直接の交流はないものの、ささやかなオフ会のようなものと言えるかもしれない。
保田氏という存在だけではなく、作品とのオフ会でもあるのだ。
ネットで同氏の絵の数々を見て、気に入っていたとはいえ、実物は、やはり違うはずなのである。そして、実際に見てきて、行ってよかったと感じている。
小生は絵を実物で見るのが好きだが(これは当然だ)、図録や画集などで絵を見るのも好きである。
当然のことながら、実物と印刷とは違う。どんなに印刷技術が発達しているとはいえ、カタログの絵と実物は等価であるはずがない。
が、そうした常識を踏まえた上で、画集の絵を見て楽しむのも一興なのである。印刷された絵を見て、実物を想像するもよし、海外の作品だと将来に渡って圧倒的大多数の絵は実物を拝めないという現実を思うと、想像の中で絵のタッチや画面の感じなどを自分なりに思い描くのも愉しいのである。
さて、風の冷たい日曜日だった。スクーターで走るには、あまりに急激な冷気の襲来で体がついていけず、辛い走行となった。実際、居住する大田区から画廊のある銀座へはスムーズに行けたのだが、スクーターのエンジンを止めてみると、体が寒気で少しばかり震えている。
さて、会場のそ入り口には記帳台がある。サインペンなどで住所や名前を記帳してくれれば、ということだ。
が、小生、手がかじかんで、ただでさえ下手な字が、ギクシャクした活字になってしまって、書いていて恥ずかしかった。傍には、受付けというか案内される女性もいる。
画廊は、中に入ると、いきなり作品の数々と対面することになる。美術館のように、エントランスがあり、受付けがあり、通路があり、順路があり、というわけではない。どこかに中庭があって、そこで一服というわけにもいかない。
小生は久しぶりの銀座の画廊訪問なので、この、いきなり作品世界との対面というのは、ちょっと戸惑ってしまう。
でも、壁面には額に収められた保田氏の絵が並んでいる。そうだ、この絵たちに会いたかったのだ! 中に入ってしまうと、絵の世界に没入できる。
案内してくれる御婦人も丁寧であると同時に、質問に気さくに応じてくれる。たまたま入った時は、来訪者は小生一人だったこともあり(奥の休憩所に誰かが休憩していたけど)、その案内の方は、しばらく小生の相手を務めてくれた。お茶さえ、出してくれたり。
狭い会場で親切心だろうとはいえ、立ち会われたりすると、何だか窮屈になって、おちおち絵を眺めてはいられなくなるのが普通だが、そんな気詰まりを感じることがなかった。その御婦人の人柄なのだろうか。それとも保田氏の絵を気に入ってる、その同好の士という思いが気の置けない雰囲気に繋がっていたのだろうか。
個展であり、展示されている作品の数はそんなに多くはない。一階に十数点。外階段を登る二階にも十点ほど。人物画(肖像画)はなかった。「山手線百景」や「画集蒸気機関車」、「古代生物マンモス」もない(これらもネットで見たことがあるだけだが、素晴らしい。上掲のサイトで見ることができる)。主に静物画、風景画が展示されていた。
保田氏の絵をネットで見ていて、そして今日、実際に見ていて、誰かの絵の雰囲気に似ていると思っていた。でも、喉まで浮かんでいる名前が出て来ない。
すると、まるで小生のもどかしい思いを察したかのように、彼女は、「アンドリュー・ワイエスの絵に似ているという人が、結構、います」と話された。小生は、そうだ、アンドリュー・ワイエスだ! と、胸のつかえが取れたような気がした:
「アンドリュー・ワイエス」
「アートコレクターまこちゃんルーム」の「アンドリュー・ワイエス」
もう、十年の昔、嬉しくも、小生はアンドリュー・ワイエス展で実物を見ることが出来ている(曖昧な記憶だが、1995年に「文化村ザ・ミュージアム」で開催された展覧会だったはず。図録も買った!)。溜め息の出るような、乾いた大陸的な叙情性とでも評すべき世界があった。
確かに、何処か似ている。
けれど、保田氏の作品世界は、もっと暖かい。俗っぽく言うと、日本的な暖かな叙情性の世界があるのだ。人恋しい。人嫌いというわけでもない。でも、敢えて人気のない浜辺とか、誰にも見捨てられた廃船やドラム缶や落ちた木の実とかに心を寄せてしまう。描かれている風景や情景に人影は見当たらない。なのに、人肌の温もりを感じてしまう。ウエット。でも、決してしつこくはない。画面からは、何故かある懐かしい感覚が漂ってくるように感じられる。
保田氏は、喜寿を迎えられたとか。なのに背筋がピンと伸びていて、知り合いなどが来ると、一階と二階に分かれている会場を急な階段をものともせずに上り下りされていた。
二階に上ると、どうやら保田氏の親族と思しき方がお子さん連れで来ていたようで、ちょうど帰るところだった。また、見に来てねと先生がお子さんに語りかけていたりして。保田氏は、みんなと一緒に下に下りていかれた。
小生は一人、残される。御蔭で、のんびりと作品を拝見できる。そこへ、先ほどの案内の女性がお茶をお盆に載せて、二階の小生のもとへ。お茶は一階で煎れてくれていたのだが、それをわざわざ二階まで持ってきてくれたのだ。そして、二階でも、小生の相手をしてくれる。作品制作の背景などを説明してくれたり。
しばらくして、一階に下りて、もう一度、「遥かなる海洋」や「春雪の小樽」「岩陰の廃船」などを眺めている間に、先生は来客との挨拶を終えられたので、小生が話し掛けると、初対面の小生とも、短い時間ながら、気さくに応じてくださった。絵を自分で描くわけでもない、絵のド素人の小生としては恐縮するも、嬉しかったのは言うまでもない。いろいろなテーマを追いかけてきたけど、最近は「岩陰の廃船」に象徴されるような世界を描きたいと思っていると語っておられた。
最後には、先生自ら、名刺を渡してくれた。これまた恐縮してしまった。
ところで、このレポートを書くに際して、上記したように、「保田義孝」をキーワードにネットを彷徨ってみた。すると、例えば、下記のようなサイトが見つかった:
「『SF名作シリーズ』/偕成社」
http://www.kuusoushounenn.jp.org/list/6703.html
[↑この頁も閲覧不能になっている。代わりの頁を紹介する。「SF名作シリーズ 3」なる頁の中の、「 『25 ゆれる宇宙』ラインスター 作/福島正実 訳」の表紙の絵が保田義孝氏の手になるもの。 (06/04/15 追記)]
小生は、ガキの頃は漫画とテレビにドップリだったが、次第に文章に挿絵の混じる本も読むようになった。特にSF(空想科学)小説が大好きだった。近所の貸し本屋さんでどれほど借りたか知れない。推理小説は、ほとんど読まなかったような気がする。
その後、自分で本を買うようになっても、SF小説好きという嗜好は変わらなかったものだ。その点、不思議なのは父はSF小説よりも歴史や時代物と共に、推理小説、探偵小説が好きだったことだ。安っぽい精神分析をすると、ガキの頃に父の書棚にぎっしりと並ぶ文庫本を見て、圧倒され、ついで、好奇心で引っ張り出したコナン・ドイルの本の活字の多さに、更に呆れ果て、自分にはとてもこんな活字の多い本など読めないと恐れ入ってしまったことが遠因としてあるような気がするが、さて、どんなものか。
余談はともかく、推理小説は、ネタバレすると、一気に作品への関心が薄れてしまう。ネタがばれても余韻が残り、再読したいと思わせる作品というのは、かなり少ないのではないだろうか。
その点、SF小説というのは、ある種ファンタジーの世界、想像力で描かれた世界なので、ネタバレも何も関係ない。空想を逞しくさせてくれる刺激に満ちた世界が描かれている限り、退屈はしない。読むほうとしては、作家の想像力と空想の翼にただ身も心も任せていれば、それでファンタジーとイマジネーションの海に漂って居られるわけである。
保田氏は、そうしたSFや伝記の本の表紙や挿絵をも描いておられた。「70年代からプロのイラストレーターとして活躍し」ていたのである。
つまり、自分では保田氏の作品とは意識しないで、結構、保田氏の作品世界と出会っていたという可能性が大きいということだ。
同氏の絵に、何か懐かしいもの、胸が熱くなるものを感じる、その万分の1の理由に、そんな遠い日の出会いの思い出が反映していないとは言えないような気がするのである。 会場では、図録などはないので、趣味で集めているポストカードがあったので、幾枚か貰ってきた。ちょいと嬉しい。
[本稿は、ホームページにアップ済み(03/11/23作、03/11/24 up)の記事ですが、リンク先の変更・追記などがあり、このブログに再録します。)]
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コメント
まったく知らない画家です。
銀座とかはギャラリーも多いですが、どうも敷居が高い。
静かに鑑賞したいのにいろいろ話しかけてきたり中には絵を売りつけようとする人すらいます!
さてさて三鷹の美術ギャラリー大岡信のコレクションの展覧会に行ってきます。
ところで昨日の新聞でイエスはガリラヤ湖の水の上を歩いたのではなく実は氷結していた水の上を歩いたという説が出ています、やはり反論というか原理主義者の抗議はすごいようですね。
投稿: oki | 2006/04/16 13:41
小生が行ったギャラリーは、落ち着けるいい画廊でした。じっくり見れたし、それでいてお茶で持て成してくれた。
銀座は、でも、敷居が高いのも事実。余程、知識があったり、懐が暖かかったりしないと、気軽には行けない。
十年に一度、行くかどうかです。
大岡信のコレクションの展覧会には行けるものなら行きたい。なんといっても、抽象絵画への目を持たせてくれ、今に至る関心を抱かせてくれた恩人のような人だし(講演会へも行ったことがある)。
okiさんの「昨日の新聞でイエスはガリラヤ湖の水の上を歩いたのではなく実は氷結していた水の上を歩いたという説が出ています」というのは、小生、初耳。
ネット検索してみると、かの有名なサイト「X51.ORG」にて、以下の記事が見つかりました:
「X51.ORG イエスは氷の上を歩いていた 米科学者が新説」
http://x51.org/x/06/04/0654.php
「博士らによれば、今から2500年前から1500年前にかけ、イスラエル北部のガリラヤ湖(現在ではキナレット湖として知られる)では今よりも気温が低い時代が続いたため、冷たい淡水の表面に、薄い氷が張っていた可能性が考えられるという。またそうした湖面に張った薄い氷は、おそらく湖面の水と見分けることは困難であったはずであると、博士らは試論している。」とか。
但し書きが付いていて、「自然科学者として、単純に同地域では過去12000年の間にそうした特殊な氷結現象が発生した可能性が高いということを説明しただけです。聖書に記されたことが本当であるかどうかという議論は他の人に委ねたいと思います。」とも。
確か、出エジプト記で、エジプト軍に追われるモーゼの一行の前に立ちはばかる海。それが、「モーゼが、手を海の上に差し伸べると、神は夜もすがら強い東風を吹かせ、海を退かせた。イスラエル人は、無事に海を渡ることができた」という。所謂 「葦の海の奇跡」です:
http://www.vivonet.co.jp/History/b1_As_Create/Moses.html
この奇蹟に付いても、ある仮説が出されていたっけ。okiさん、ご存知ですか。
投稿: やいっち | 2006/04/16 19:38
弥一さんは大岡信で抽象絵画への道を開かれたのですか。
日本橋の南画廊というのがキーワードなんですね。
いまは存在しないけど弥一さんいかれたことは?
弥一さんはいわゆるプリミティブアートというか世田谷美術館の「パラレルヴィジョン」に多くの影響を受けたと語っておられましたが、たとえば日本の琳派とかには興味はないのですか?
日本美術というと桃山の「侘び」の意識や琳派を最高とする風潮がありますが僕はこれには反対なのです。
投稿: oki | 2006/04/18 11:45
大岡信氏著の『抽象絵画への招待』(岩波新書)を読んだのは85年。関心を呼び覚まされ、その後の数年、抽象表現主義や生の芸術関係のアートを見て回って心酔したものでした:
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2005/01/post_12.html
世田谷美術館で開催された『パラレル・ヴィジョン展』を93年に見たのも、その一環だといっていいと思います。この展覧会は最高の一つ:
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/post-outsider-art.htm
まあ、尾形光琳や俵屋宗達が凄いのは凄いし、「侘び」というのも、湿度が高くカビとサビがついて回る日本にあっては芸術も思想も(?)宿命のようなもの。
日本の美術の最高峰は分かりませんが、個人的には近世だと葛飾北斎が常に頭の片隅にあるのは事実です。
投稿: やいっち | 2006/04/18 15:42
保田義孝さんのことがホームページで話題に上ったので、せっかくなので、ここでも注意を喚起しておく。
記事の中にも同氏の作品を見ることの出来るサイトを紹介しているけど、例えば、ここ:
http://www.paa.gr.jp/gl/annex/yasuda/yasuda.htm
↑↑ 画像、拡大して見てね。
投稿: やいっち | 2006/07/27 21:38