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2006/04/05

反時代的毒虫の周辺

 車中では、待機中の折に、車谷長吉氏著の『反時代的毒虫』(平凡社新書)を読んでいる。
 小生は平均すると週に三冊、本を借りる。必ずそうするというわけではないが、基本的に借りる本の性格は三種類に決まっている。一冊は、自宅のロッキングチェアーに腰をどっかり沈めてじっくり読む本。一冊は、本格的な本の合間や就寝前に読む軽めの本。残りの一冊は、仕事中(車中にて)読む本である。
 図書館通いして何が嬉しく助かるかといって、軽めの本を借りれるのが嬉しい。買うとなると躊躇うが、試しに読んでみたいという類いの本や著者、分野の本に気兼ねなく手が出せる。読む本のジャンルも広まるというもの。
 上掲の『反時代的毒虫』は、車谷長吉氏については、名前は知っていても未だ一冊も読んだことがないし( 『赤目四十八瀧心中未遂』も『鹽壺の匙』も読んだことがない!)、その意味で、本書は対談集ということもあり彼の人となりを知るに便利だ。

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→ 深く眠りに就いているのか、それとも夜半にこそ、人目を気にせず咲き誇っているのだろうか。

 軽めの本と書いたが、中身が軽いという意味では決してない。狭い車中に置くに便利な厚さ(頁数=新書)だとか、薄暗い車中で読むには活字の大きさにも留意しないといけないというほどの意味である。無論、面白くないと困る!
 本書を借りるに際し、車中で読むための条件の幾つかは軽くクリアーしたが、ここまでだとそんな候補になりえる本が数多あるわけで、必要条件は満たしても十分条件に至ってはいない。
 とはいっても、図書館に滞留できる時間は限られているので、必要条件を満たすだけで、ま、いっか、となることも多いのだが。
 本書を借りるについては、パラパラと捲っていて、対談相手がなかなかだったことがある。江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多恵子、奥本大三郎…。錚々たる面々ではないか!
 が、決定的だったのは、目次にある第3部の「夫婦句会(春宵夫婦句会(高橋順子)」と「駄木句会(高橋順子)) 」の章だった。おお、俳句の話題も採り上げられている。車谷長吉氏は俳句もやるのか。
 季語随筆日記を書いている小生としては、これで決まりである。

 それにしても、迂闊なのは、目次に第3部として「夫婦句会(春宵夫婦句会(高橋順子)」と「駄木句会(高橋順子)) 」とあるのに、車谷長吉氏の奥さんが誰なのか、まるで気が付かないでいて、その第3部を読んで初めて、彼の奥さんが高橋順子氏だと悟ったことである。
 それまでの対談の中で奥さんのことは散々話題に上っているのに、無名の人で(だからこそ名前が出てこない)、東大出の美人で押しかけ女房的で、と、彼女の正体にまるで考えが及ばないでいたのだった。

 対談はどれも面白い。第1部の「私小説、言葉、女(私小説に骨を埋める(江藤淳)」や「人の悲しみと言葉の命(白洲正子)」も、前者は相手が江藤淳氏だけあって、さすがに文学者らしい高踏的な内容で感心させられたし、後者は小生の畏敬する白洲正子氏である。彼女は早くから車谷長吉氏を評価しファンレターを出したこともあったとか。このファンレターが彼、車谷氏を励ましたようである。さもあらん。
(白洲正子氏との、「文学界」での対談については、「松岡正剛の千夜千冊『鹽壷の匙』車谷長吉」の冒頭にも話題に上っている。)

 が、対談として彼らしい、彼の本領が発揮されていると感じさせられたのは、第2部の「銭金の話(覚悟の文学、命がけの浪費(中村うさぎ)」や「文学カネ問答(河野多恵子、奥本大三郎))」だった。
 対談として秀逸なのは、「銭金の話(覚悟の文学、命がけの浪費(中村うさぎ)」である。対談相手の中村うさぎ氏については、著書を読んだことはないが、無類の浪費家でブランド物の買い物、ホストクラブ通いなどに熱中し借金を重ねたなどといったゴシップめいた(うそのような、ショッピングの女王というのは、実話のようだ)話は漏れ聞こえてきていた。
 私小説家を自負する車谷氏と買い物中毒、頼まれたら自分が借金をしてもおカネを貸すという中村うさぎ氏との対談。面白くないわけがない。

 車谷長吉氏は近年では珍しくなっている私小説家である(ちなみに、本書のタイトル『反時代的毒虫』にある「毒虫」とは、私小説のことを意味する。文学が品のいいもの、素行良好なものになってきつつあるなかにおいては、昔ながらの私小説は蛇蝎のごとく嫌われている。毒虫扱いだと車谷は語っている。「私小説の極北」といわれる嘉村磯多(かむらいそた) などを範としている!)。カネと女が話題の中心になるのは当然だが、文学を高尚なものと気取る傾向にある中にあって、敢えて真正面からこの話題(カネ)にぶつかろうとするのは、いかにも彼らしい正直さというべきなのか。
 女については、彼の小説を読んでいないので分からないが、恐妻家というのか愛妻家というのか、妻依存症気味の彼がどこまで描いているのか興味のあるところだ。
 小生、対談の第1部、第2部を読んでいて、東大出の美人で押しかけ女房的な結婚で、しかも、旦那に向かって東大の門の近くに部屋数十個の家を買えとか、賞を取れという女性が気になっていた(共に旦那は実現させた!)。
 その人との対談が第3部である。まだ、読んでいないのだが、句を拾い詠みしたところ、旦那の車谷氏は、結構、いかにも作家的というか状況(物語)設定的というのか、面白い句を書く。

 一方、奥方はというと、高橋順子氏である。49歳と48歳で結婚(ともに初婚)である。車谷氏の俳句との出会いも奥さんが関係している。
 亭主の車谷氏が『赤目四十八瀧心中未遂』を書き上げて(なのか)強迫神経症になり何も書けなくなったことがあった。そのとき、彼に句作を薦めたのが奥さんの高橋順子氏だったとか。週に一度、無類の酒好きの車谷氏も医者から酒抜きを言われ、そんな夜は食卓が静かになる。そこで、奥さんの発案で連句を二人でやろうということになったのだとか。
 小説は書けなくても、(俳)句は、思考回路が違うからなのか、それとも奥さんに挑発されて負けじ魂が発揮されたのか、まあ、ドツボに嵌ったというわけのようだ。
 この辺りのことを奥さんの高橋順子氏が書いたのが、高橋順子著『けったいな連れ合い』(PHP)らしい(小生は未読。「高橋順子『けったいな連れ合い』(書評/本あれこれ) - mm(ミリメートル)」参照のこと)。

 余談だが、第2部の「文学カネ問答(河野多恵子、奥本大三郎))」を昨夜、読んだのだが、それに相前後するかのように、NHKラジオで夜半だったか、奥本大三郎氏へのインタビュー番組が流れてきた! 話の内容は忘れたが(後日、機会があったら、彼を採り上げたい)、偶然とは恐ろしいものだ!
 それにしても、本書での対談でも語っているが、奥本大三郎氏は大学院の頃まではおカネの心配(どころかそもそもおカネのこと)など考えたこともなかったという点には驚いた。でも、そうだからこそ、昆虫の世界に無心に没入できたのだろうけれど。

 さて、肝心の車谷長吉氏の小説家としての側面は触れず仕舞いである。句のこともあわせ、後日、採り上げられたらと思う。
 時間が取れるかどうか、心配なので車谷長吉氏の句を幾つか:

 木蓮や猫駈け登る寺の庭
 ふるさとや花屑流す飾磨川(しかまがわ)
 いかにせん心の鬼を竹の秋

 どれも味わいがあるが、「ふるさとや花屑流す飾磨川」は、「花篝は闇を深くする」や「散った花びらの行く末」を書いた小生としては、してやったりの一句である。

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