ハムレットとスミレとオフィーリアと
月曜日の営業中、すっかり日が落ちた頃、都内某所の公園脇に車を止めてトイレへ向かおうとしたら、立ち木の緑の葉っぱと宵闇を背に白っぽい花が目に。あれ、こんな花、ここにあったっけ。幸い、木の幹には名札が下がっている。読むと、ハナミズキとある。悲しいかな手元にデジカメがなく、ポケットから携帯電話を取り出してデジカメ機能で撮影。
残念ながら、やはり携帯のデジカメではうまく撮れなかった。
その代わり、というわけでもないだろうが、夜半を回ってラジオからハナミズキの話題が出てきてくれた。まるで小生のためにわざわざ解説してくれたようなものである。
← ジョン・エヴァレット・ミレー 『オフィーリア』 (1851-52 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵) (画像は、「ジョン・エヴァレット・ミレー - Wikipedia」より) 後段で、この絵に関連した記事を扱っている。
話の大半は忘れたが、そのうちの一つは、「1912年(明治45年、大正元年)、東京市からアメリカ・ワシントン市へ3,000本の桜苗木が送られた。それから3年後の1915年(大正4年)、桜の返礼としてアメリカから東京市へ白花のハナミズキ苗木40本が贈られてきた(その後、ピンクのハナミズキも贈られた)。」というものだった(「北信州の道草図鑑」の「ハナミズキ(花水木)」なる頁より)。
東京市からとあるが、当時の東京市長はかの尾崎行雄だった。アメリカのワシントン市とあるが、ポトマック湖畔に桜並木が誕生したのは有名な話。
花水木は歳時上は夏の季語扱いとなっているようだ。今を盛りと咲き誇っているから、せめて晩春の季語であっても良さそうな気がするのだが。五月になっても咲いていてくれるだろうか。
ラジオで聴いた話の大半は亡失したが、ただ、今、書いていて思い出したのだが、一青窈さんが歌ってヒットした(確かテレビドラマのテーマ曲でもあった)「ハナミズキ」という曲(作詞:一青窈)が話の後に流れたのだっけ。好きな曲だけど、最近はあまり架からなかっただけに、聴けて嬉しかった。
が、季語上は初夏扱いだからというわけじゃないが、今日はハナミズキの話題ではない。
実はスミレがテーマ。
では、スミレ(菫)は春四月の季語なのか、というと、さにあらず、三月となっている。
では、何故、今日、俎上に載せるかというと、月曜日から車中で読み始めた半藤一利氏著の『漱石俳句探偵帖』(角川選書)の中にスミレに絡む話題が出てきたので、忘れないうちにメモしておきたかったからである(尚、本書『漱石俳句探偵帖』については後日、改めて感想文を書くつもりでいる)。
本が俳句に関係する本だから、さては、漱石が作ったスミレを織り込んだ句が気に入ったから紹介しよう、というわけでもないし(実際には漱石はスミレ絡みの句を作っている。以下に紹介するが、意味深であり、出来具合はともかく面白い句ではある)、かの芭蕉の有名な句、「山路来てなにやらゆかしすみれ草」が何かの形で参照されている、というものでもない。
ちなみに、小生は芭蕉などを別格とすると、俳句の作風で好きなのは、漱石である。漱石が俳人と呼ぶのが妥当かどうか分からないが、彼は相当な量の句を作っている。彼の親友の子規や弟子(?)の虚子よりは好きのは確かだ。
良し悪しは分からないが。
→ 26日の午後、都内某所の公園脇にて休憩。これって花水木だろうか。ちょっと違うね。
漱石は漢詩に親しんできた。留学してまで学び先生にもなったほどに英文学に通暁していたが、最後まで漢詩の世界に奥深いものを感じていた。漢詩を土台に俳句を作ったりもしている。
一方、英文学の素養もあり、シェイクスピアの悲劇作品は絶賛している(手放しではないところが漱石らしい)。
本書によると、「リア王」「マクベス」「オセロ」「ベニスの商人」といった有名な劇に絡む句をも作っている。時間があったら、それらの句も紹介したいが、後日ということにさせてもらう。
さて、半藤氏が好きだという、「ハムレット」を踏まえている漱石の句がある:
骸骨を叩いて見たる菫かな
以下、要約するのも面倒だし、長くはないので本書『漱石俳句探偵帖』から当該の箇所を抜書きさせてもらう:
"That skull had a tongue in it,and could sing once." (第五幕第一場)
この場は、ご存知のように、人足が卑猥な歌を陽気に歌いながら墓を掘るところにはじまる。漱石がもっとも好んだ場面であろうと勝手にきめている。悲劇的な雰囲気のいよいよ昂まるところに、ぽいとユーモラスな一景をいれる。漱石がウムとうなったところとみる。
ハムレットが近づくと、墓掘りが髑髏(しゃれこうべ)をぽんと抛りだす。それをひろった憂愁の貴公子が、
「この髑髏にも舌はあった。昔は歌もうたえたものを」
とつぶやく。
以下は、平川祐弘教授の名解説をそのまま引用する。
「もちろん(菫)にはオフェリアのイメージも重なっている。第四幕第五場では気が狂ったオフェリアが国王や王妃らに花を配るが、その中には菫もまじっていた。また第五幕で牧師が、自殺した女にたいしてこれ以上お勤めすることは罷りならぬ、と言い出した時、オフェリアの兄は激怒して『墓穴の中へオフェリアを埋めろ、あの美しい無垢の体から、菫の花が咲くように!』と叫んだ。そのように菫の花の連想裡(り)にオフェリアの姿がほのかに浮ぶからこそ、この句も生れたに相違ない」
長い引用となったが、卓説で、わたくしは脱帽するばかりである。菫にオフェリアのイメージがすでに託されていたとは!
その菫の花はまた、漱石が好んだ花でもある。それにグロテスクなものと美しいものを対比する、漱石的なレトリックはすなわちシェイクスピアのもっとも得意な手法でもあった。
参考に、「「於母影」で発表されたシェークスピアの悲劇「ハムレット」の中で、狂乱状態になったハムレットの恋人オフェリアがうたう詩の冒頭の3連であり、森鴎外自身が翻訳したものとして知られている」という「オフェリアの歌」を読めるサイトの頁(「於母影(おもかげ)---新声社」)を紹介しておく。
漱石の小説「草枕」とオフェリア幻想とを対比させて考究している頁:「九 「オフェリア幻想」とラストの場面」
ここで改めてスミレの可憐な姿を見てみよう:「817 スミレいろいろ」
スミレについては、「花の図像学 花文様・装飾の美術文化博物誌」の中の「花の図像学:スミレ 菫 Violet」が実に詳しい。中世においてはスミレは「聖母マリアの花」だったのだとか。
← 都内某所の公園脇の車道。路肩には桜の花びらが吹き寄せられて。誰にも看取られないままに花びらは朽ち果て腐り粉微塵になり…。
ところで、尾崎紅葉作の小説『金色夜叉』の末尾は、まさに今の話題に無縁とは思えない。小生は以前、以下のように書いている(「尾崎紅葉『金色夜叉』あれこれ」より。奇しくもほぼ三年前の拙稿だ。あるいは拙稿「正宗白鳥著『作家論』」も関係する記事である):
そしてついに満枝が宮を殺そうとして、逆に満枝が宮に刺し殺されてしまう。宮も深く傷つく。息も絶え絶えになる。宮は、自分の若い頃の過ちを許してくれと懇願する。貫一は、この期に及んで、やっと宮を許す。許されたと知った宮は、何処へとも知れず、貫一の前を去っていく。
去りゆく宮を貫一が追う場面は秀逸である。何処かの藪の中、巌のある滝壷に宮は身を投げるのである。
明らかに、この場面は、シェイクスピアの『ハムレット』で有名なオフィーリアの水辺での死の場面を意識している。あるいはジョン・エヴァレット・ミレーの描く「オフィーリア」(1852)そのものだ。
愁嘆場は屋敷の中なのが、絶命寸前の宮が、貫一に許された以上は、宮が彼の前を去る必要もないのに、わざわざ屋敷の外に出、しかも好都合にも終焉の地としてオフィーリアの死を思わせる場所へ向かわせるのは不自然なのだ。
特にヨーロッパにおけるスミレについては、まだまだ触れておくべきことがありそうだが、またの機会にさせてもらう。
最後になったが、ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を見ずには、本稿を終えるわけには行かないだろう。
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コメント
TBありがとうございました。
『金色夜叉』とミレイ『オフィーリア』について、興味深く読ませていただきました。
尾崎紅葉がミレイの絵を知っていたかどうかは分かりませんが、「NHK日曜美術館名画への旅」シリーズ20巻『音楽をめざす絵画』(講談社)によると、鏑木清方の回想に、『金色夜叉』の挿絵を描くために、「何かで見たオフェリヤの水に泛ぶ潔い屍を波紋のうちに描きながら」川のほとりを行きつ戻りつしたとあるそうです。
なかなか興味深い記述だと思います。
こちらからもTBさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
投稿: lapis | 2008/01/28 21:40
lapisさん
逆TBそしてコメント、ありがとう。
「ドラローシュ 若き殉教者と倫敦塔」は(だけじゃないけど)やはりいい記事です。
>尾崎紅葉がミレイの絵を知っていたかどうかは分かりませんが、「NHK日曜美術館名画への旅」シリーズ20巻『音楽をめざす絵画』(講談社)によると、鏑木清方の回想に、『金色夜叉』の挿絵を描くために、「何かで見たオフェリヤの水に泛ぶ潔い屍を波紋のうちに描きながら」川のほとりを行きつ戻りつしたとあるそうです。
興味深い話です。
あるいは(かなりの可能性で)尾崎紅葉がミレイの絵を知っていたってのも、ありかもですね。
小生は、小説を読んで絵を連想した(自分では鋭いって自惚れていた)けれど、尾崎紅葉はある意味あからさまに(意図的に)そうした背後(時代の素養)を読者が嗅ぎ取ることを計算に入れつつ書いたのかもしれないって(今は)思えます。
いずれにしても大きく見ると、紅葉や漱石に限らず、西欧の文学や美術、思想が明治にドッと流入したわけで、その文芸の洪水の一筋としてシェイクスピアの「ハムレット」のオフィーリアの水辺での死の場面(の叙述そのものか、描かれたものなのかは別にして)が西欧において大きなものであり、明治の文化受容者らには印象的なもの、新鮮なものだったのでしょう。
投稿: やいっち | 2008/01/28 23:25
逆TB、有難う御座います。
英国ロマン派のオフィーリアとしては、ウォーターハウスも素敵ですが、やはりミレイもいいですね。
この恍惚とした表情に鬼気迫るものを感じるのでしょうかね。
いえ、私はネクロフィリアという訳ではないのですが…。
投稿: Usher | 2008/07/07 00:12
Usherさん
ミレイのオフィーリアは、今まさに死につつある場面なのではって思わせるものがあります。
手は水面にあるのか、水面から若干、出ているのか。
出ているとして亡くなって硬直した状態だということなのか。
まあ、それはそれとして、瞑想に耽りたくなる絵です。
投稿: やいっち | 2008/07/07 10:21