2005年04月の索引…悲しい二周年
このところ恒例になりつつある月初めの索引作りだが、今月も索引から始めることにする。
例によって昨年の四月の目次・索引である。
決して今年の四月の索引でも目次でもない!
ざっとだが、こうして目次(索引)を作成しつつ読み返してみると、我ながら頑張っていると思う。いろんな分野の話題を扱っている。とにかく知らないことばかりだから、何を調べても、へぇー、の連発だ。
別に雑学的知識を蓄えようという発想はない。本やささやかな経験や、そして何と言ってもネットの力を借りつつ、あくまで知らないことを探求し網羅し渉猟し、コト(事それとも言)とモノとの根源に迫りたいという願望と衝動があるばかりなのだ。
哲学的営みの一種もである。
→ 31日の夜半を回って、そろそろ未明かという時間。都内某所の公園脇で小憩。日中は人の目に晒され落ち着けない桜の花も、深い闇の中でまったり。
「万愚節(ばんぐせつ)」(エイプリル・フールのこと、早生まれの意味 April 01, 2005)
「春宵花影・春宵十話」(松林桂月の「春宵花影」、岡潔の「春宵十話」 April 02, 2005)
「鳥雲に入る」(夏目漱石の「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」 April 03, 2005)
「春の塵…塵の河」(ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』や月の粉塵 April 04, 2005)
「柳絮:植物状態の<人間>」(アメリカの尊厳死事情 April 05, 2005)
「沈丁花の思い出…」(石川さゆりの「沈丁花」をめぐって April 06, 2005)
「朧月…春の月」(月影は狂想を誘う April 07, 2005)
「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ」(桜餅が誕生! ソメイヨシノのこと April 08, 2005)
「春宵花影…」(句を織り込んだ創作 April 09, 2005)
「黄砂…地球環境の主役?!」(エアロゾル…黄砂はいまや世界の注目を集めている April 10, 2005)
大事なことは、書き終えたら書いてしまった些事の大半は可及的速やかに忘れてしまうこと。リセットすること。で、頭の中を空っぽにすること。脳みそのキャパシティが少ないこともあるが、何かを見、何かを感じるのに先入観(予備知識)はむしろ邪魔であって、大切なのは虚心坦懐に、無知(と無恥)の心と体でそのモノに迫り、実感し、体感し、その感じえたことを生のコト(言や事)に置き換えるという意思なのだと思う。
葉裏を伝う一粒の雫の宇宙を感じるのに、どんな知識が必要だろうか。
本だって、読んでいる最中は感激し感服しその世界に浸ることができたらいい。読了したら、通り過ぎた人のように忘れ去ることだ。
眼前にあるのは、闇と影。影の放つ光の眩さにたじろがないこと。
ところで今日で二周年を迎えた。といって、目出度いことではない。雑誌も含めて本を買わなくなって二周年なのだ。近くの書店が廃業になりコンビニになったこともあるが、財政再建が10年目を迎える。本も新聞もテレビも美術館巡りはあと少なくとも数年無理そうだ。
書店で本を物色する楽しみ、買ってきた本を繙く喜び、蔵書を並べ眺める楽しみをいつかは、と思っているが、それでも図書館があるのでまだ助かっている(蔵書が少ないのと新刊が競争もあって手に出来ないのが残念だが)。無料で入れる美術館が近所にあったらもっと嬉しいのだが。
「花散らしの雨…言の葉」(野 弘彦著『折口信夫伝』 April 11, 2005)
「花冷…花の雨」(黛まどかさん! April 12, 2005)
「竹の秋…竹筒のこと」(横井清著『的と胞衣 中世人の生と死』、神野清一氏著の『卑賤観の系譜』 April 13, 2005)
「二輪草…二輪、そう!」(高速道路でのオートバイの2人乗り解禁! April 14, 2005)
「ムスカリの花」(ムスカリの花の色香に惑いたし April 15, 2005)
「ライラック…リラ冷え」(ライラックと文学と April 16, 2005)
「はなにあらしの…春愁」(網野善彦著『蒙古襲来―転換する社会』の周辺 April 17, 2005)
「人丸忌…言の葉」(岡野 弘彦著『折口信夫伝』から人麻呂のこと April 18, 2005)
「磯遊(いそあそび)…混沌の海」(ウルトラマンの致命的な弱点?! April 19, 2005)
「苔の話あれこれ」(秋山 弘之著『苔の話―小さな植物の知られざる生態』 April 20, 2005)
ただ、考えてみたら、美術館がそこにあるではないか、という気もする。そう、自然という宇宙が誰にも、この鈍愚なる小生にも与えられている!
なるほどビルが立ち並び、車や自転車や電車が行き交い、電線が走り、電波が飛び、アスファルトやコンクリートで大地が埋め尽くされている。都会とは、文明化とは、コンクリートで空と地が引き裂かれていることだと言わんばかりだ。
それでも、無尽蔵の埃や塵が舞い、ウイルスが体にもパソコンに蠢き、風はどんな透き間をも見逃さないし、人の心は穏やかである時などついぞあったためしがない。自然は真空を許さない。人工物に囲まれていたって、窓で壁で絶望で外界との接触が遮られていても、それでも目を閉じると、耳を澄ませると、鼻をひくつかせると、皮膚の変化に敏感になると、圧倒的な闇が我を囲繞(いにょう)し尽くしていることを感じるではないか。
誰もが無と無限に際会している。可能性の海に漂っている。溺れていると言っていいのかもしれないほどだ。
あとは、どれほどのものを感じ表現できるかは、自分の感受性と想像力と創造力次第だ。
「苔の話…ひかりごけ」(武田泰淳と「ひかりごけ事件」 April 21, 2005)
「ツツジの宇宙」(八重桜…ツツジをめぐるエッセイ April 22, 2005)
「蛤 浅蜊 桜貝 鮑 飯蛸 海雲 海胆…」(「焼けて口開く蛤(はまぐり)」! April 23, 2005)
「風光る…杉菜…こきりこ」(「筑子竹(こきりこ)」など April 24, 2005)
「荒れ野の40年」(マルティン・ヴァイン著『ヴァイツゼッカー家』とヴァイゼッカー博士の目 April 24, 2005)
「躑躅(つつじ)と髑髏と」(命の横溢する躑躅には髑髏が似合う April 25, 2005)
「指パッチン」(ポール牧さんの自殺、寅さんの映画を見る April 26, 2005)
「狐の牡丹…雑草のこと」(花と雑草の間 April 27, 2005)
「逢う魔が時…花は橘」(魑魅魍魎や物の化の現れる時 April 28, 2005)
「春の灸…青い鳥」(小林忠著『江戸の画家たち』 April 29, 2005)
「暗号・季語」(スティーブン・レビー著『暗号化』暗号は歴史を左右する April 30, 2005)
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