春筍から松明へ
あるお気に入りのサイトを覗いてみた。すると、「春筍」という言葉が織り込まれた句が掲げられている。
「春筍(しゅんじゅん)」って季語なの?
「俳句歳時記の部屋」の「春の季語(動・植物編-50音順)」にて「春筍」を探してみると、ちゃんとある!
「春の筍」なる季語の項があり、「春にとれる筍。柔らかく、香がよい」と説明されている。
「銀砂子」の「雀の生活 2003年3月」なる頁にある記述に拠ると、「腕組んで春筍を見てをりぬ」(出典/『鯨が海を選んだ日』)なる句が載っていて、「季語/春筍/晩春」と付記されている。
「竹」に関係する春の季語というと、「竹の秋」という季語がある。立派な春四月の季語である。
既に昨年の四月の季語随筆にて、竹の秋なのに春(の季語)とは、これ如何ということで、「竹の秋…竹筒のこと」の題名のもと、採り上げている。
その中でも紹介したが、竹に関して、「季語の研究」なるサイトが興味深い。
拙稿では、駄文調だが「独活と竹の子」、掌編として「筍 の 家」がある。
ネット検索してみると、「春筍(しゅんじゅん)」は季語としてよりも春の旬(しゅん)の素材としての情報が圧倒的だった。あまりに情報が豊かなので、敢えてサイトを示す必要もないだろう。
ただ一つだけ、料理・食べ物に限定されない情報を提供してくれるサイトとして「perinet homepage」の「食材小話 【冬筍(フユタケノコ)】 」なる頁だけ覗かせてもらう。
「え~タケノコって、春じゃなかったの?」というタイトルがキャッチー?!
冒頭に、「タケノコ、竹は、食用はもちろん建築材料・竹かご・竹網・各種用具の資材・玩具材料・竹竿・燃料など用途は極めて多い。中国の河南地区は温暖なため一年中タケノコが採れる。春は春筍、冬は冬筍、夏秋は鞭筍(地下茎の先端の軟らかい部分を食用にする)が採れ、河南省の生活は竹で保たれているといえるほど重要な植物であり、中国人にとって「竹はしなやかさに丈夫さを兼ね備えたすばらしいもの」である。」という一文がある。
「春は春筍、冬は冬筍、夏秋は鞭筍」とあるのが注目点なのだが、ちょっと疑問なのは、それぞれの季節に採れるやわらかい部分をそのように呼称するのか、それとも、例えば春に採れるものは「春筍」でやわらかく食材になるものであり、「冬筍」は十分以上に育った竹であって、竹竿など建築材料といった用途に供される竹を指すのか、という点。
「中国の河南地区は温暖なため一年中タケノコが採れる」というのは、一年中、食用の柔らかい筍も採れれば、建築素材に相応しい育った丈夫な竹が採れる、という意味なのだろうか。
「筍(竹の子)」というと、脳裏に孟宗竹をまず思い描く人も多いだろう。上掲の疑問点も含め、続く一文できちんと説かれている:
「二百種余りあるタケノコの中でも、最も美味である「冬筍」の孟宗竹は、十月中旬頃には土中で小さいタケノコができ、春には芽を出すが、芽を出す前の軟らかい時、即ち冬に掘り取ったものが「冬筍」であり、中国食材の美味なるものの称である、「冬姑」(干ししいたけ)・「冬菜」(大根の塩漬け)・「冬筍」の三冬の一つである。」という。
「食材小話 【冬筍(フユタケノコ)】 」なる頁には、孟宗竹という名称についての故事も書かれていて興味深い。
上で、竹に関して、「季語の研究」なる頁を紹介した。
その中に、「竹とくらし」という項があり、「竹垣に囲まれた空間は、何でもないように見えながら、実はある意味を持たせられている。ふるくから神々のいる聖なる境域は竹垣でかこう習俗があった。この竹には、穢れや災禍を祓う呪力があり、清浄のシンボルとされたのである。」といった気になるくだりから始まるコラムがある。
以下は当該の頁で読んでもらうとして、ここでは、文中に登場する「松明」に拘ってみる。
「お水取り」で焚かれる大松明は、直径12センチの根付きのマダケに限られているが」とあるが、そもそも「松明」と表記して、なぜ「たいまつ」と読ませるのか、また、「松明」と表記させておきながら、どうして「竹(マダケ)」が使われるのか。
「竹(マダケ)」が使われるのは、「この竹には、穢れや災禍を祓う呪力があり、清浄のシンボルとされた」からだろうとは分かる。だが、どうして「松明」を「たいまつ」と読むのかが分からない。
そもそも「松明」とは、「登山用語集「ら」」の「【ランプ】lamp{E} lampe{F}」の項にあるように、「松の木を割って束ね、火を点け照明とするもの」である。
何故、松の木が照明の(松明の)材料となるのか。
「お城の基礎豆知識」によると、「城内に植えられた樹木で多いのが松で、松は生木でもよく燃えたので、籠城の時に燃料や松明の材料にもなった」とか。
なるほど! そういえば、お城の庭には松の木が植えられていることが多い(ことに時代劇などを見ていて思った)が、そういった事情があったからなのだ。伊達に松の木が配されていたわけじゃなかったのだ。
ところで、「たいまつ」は古くは(「歴史的仮名遣ひ」では)「たきまつ」と表記していたとか。
ということは「松」は「まつ」ですんなり読めるからいいとして、「松明」が「たいまつ」と読む所以については、あるいは「明き」が「たき」と読めるかどうかに帰着するということか(もしれないし、見当違いの怖れも十分ある)。
ただ、残念ながら、小生がネットで調べた限りでは、結論や成果を得ることはできなかった。
(ここでは「松」問題は度外視する。「マツ(松):広島工業大学」を参照のこと。
あるいは、「大昔「火」の事を「まつ」と言った。この言葉は現在は「たいまつ」に残されていて漢字で書くと《松明》となる。松の木は、脂分が多く暖をとるのにも明かりとするのにも役に立つ、そんな木なので「まつ」と言うようになった。」という「雑学大作戦:知泉[松]」も面白い。)
竹の子…筍…。いずれにしても、何年か前までは嫌いな食べ物だった。食感が嫌いだったのだろうか。味が嫌いだったのか、今では分からない。この数年で一気に食べ物の好みが変わってしまった。まあ、ハンバーグやカレー、焼肉の類いが嫌いになったわけではないが、あっさりしたもの、キノコ類、イモ類、海苔やワカメのどれかは必ず食卓に上っている。春筍もその一つである。
その実、気力や体力は衰えているのは否めない。今更、身長が伸びて欲しいとは思わないが、油断すると大して食べたわけでもないのに体重が増えるのはどうしたわけだろう。
春筍を美味しく思う年となり
春筍の勢いありし昔かも
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コメント
筍、旬ですね。
今日、NHKのBSで美味しそうな筍ステーキが出ていたので、思わずよだれが出てきそうでした。
と、これは置いておいて、竹ですが、中国の温暖な地域で1年中しかも、国産に比べたらかなり安価で購入できるとのことですね。
先日仕事で、訪ねた家が竹細工の職人さんの家だったのですが、中国産は安いけど、質があまり良くなく(繊維の密度があまりよくないとのこと)、国産を仕入れたくても、卸問屋が高齢化してだんだんと減っていると話してました。
これも余談ですね。
また、読みに来ます。
投稿: 撞木 | 2006/04/24 02:02
撞木さん、コメント、ありがとう。
筍ステーキ、食べてみたいですね。今が旬ですからね。
竹についての情報、ありがとう。
日本での竹事情。過日、テレビで日本各地で竹薮が勝手に育って困っているという話題が扱われていました。山間の地の森や林を世話する人が減って、そこに竹が生え始めると、竹の繁殖力が強く、草木を駆逐して竹薮がドンドン繁殖するのだとか。
ということは、質はともかく日本も竹の生育と生産に向いている風土だろうと推測される。
だったら、せっかく生い茂ってくる竹をうまく利用することを考えたほうがいいと考える人も出てくるのは世の習い。
竹炭・木炭:
http://www.e-tan.jp/
http://www.tikutan-itiba.jp/gyomu.htm
竹細工品:
http://hamono.ocnk.net/product/513
竹炭石鹸:
http://park.ruru.ne.jp/circle/take-soap/
国産の竹をビジネスに:
http://www.nhk.or.jp/miraijin/bangumi/0604/4_14/2.html
竹材の利用と生産:
http://www.pref.kagawa.jp/kankyo/midori/tikurin/3_riyou/3_riyou.htm
竹 - Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9
なんとか国内にある資源を有効に使うよう工夫したいものです。
投稿: やいっち | 2006/04/25 07:42