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2006/04/07

絵門ゆう子さん、逝く

村上元三氏死去」に続いての訃報記事となる。

 絵門ゆう子さんが亡くなられたことを知ったのは、6日の朝だった。仕事に出かける準備をしながらテレビを見ていたら、そんなニュースが飛び込んできたのだった。

 絵門ゆう子さんがガンに罹患していることを知ったのは、朝日新聞・東京版(「いのち」欄連載(通常木曜日))に絵門ゆう子「がんとゆっくり日記」が載ったからである。が、情けないことに我が家の財政状況が破綻寸前に陥り、昨年四月から新聞の購読を辞めていて、以来、当然ながらそのコラムも目にしていない。
(但し、「週間ポスト2003/5/30」に「私は全身がん」壮絶告白」という記事が載ったというから、ワイドショーを朝食時に見る習慣のある小生、この前後に知った可能性がある。末期ガンとご自身、その時点で申し渡されていたのだから、ワイドショー的に話題性は十分である。多分、小生も彼女の状況は認識はしていたはずだ。が、後に書く理由もあって、それほど関心が持てなかった。)

 幸いにもというべきなのか、偶然にもなのか、この三月からお試し期間ということで、朝日新聞を取り始めている。なので、「がんとゆっくり日記」の最後の第89回「真摯な無心の闘い感動呼ぶ」から第92回「薬に耐性・・・玉手箱が開いた」の四回分は目を通すことができた。第93回になるはずの記事は追悼の記事で彼女の手になるものではなかった。あるいは、彼女の手元に草稿でも残っているのだろうか。
 とにかく、これも縁なのだろう。お前も、ちょっとは向き合えよという、天の声なのか。

 そもそも、最初(2004/11/06)に朝日新聞のコラムで絵門ゆう子という名前を見て、びっくり。あれ、この人、アナウンサーか女優か何かやってなかったっけ。
 それはともかく、第一回のコラムを一部、「絵門ゆう子のメッセージ-ゆっくり生きよう」より勝手ながら転載させてもらう(ここでは「がんとゆっくり日記」を今なら全文を読める)。第一回めの題名は「病気かかえても感謝の日々」。その冒頭には、「9月17日、聖路加国際病院の外科外来。主治医の中村清吾先生から、がんの勢いを示す腫瘍マーカーの数値が上がってしまったことを伝えられた」とある。
 ガンの宣告はされていて、「がんと一緒にゆっくりと」(新潮社)も出版しており、治療と同時並行して原稿書きや講演などをしていたのだったが、腫瘍マーカーの数値が上がった、つまり、状況が変わったことを伝えられてからの日記なのである。
 あちこちにガンが転移していることは知って、「原稿の執筆に向かうだけだった私の日々」では飽き足らなくなり、「尻に火がついたカチカチ山のタヌキ」を自ら思い浮かべつつ、「私のようにつらい思いをする人を1人でも減らせる役に立つのならと、私は積極的にマスコミに出て体験を話し、本を紹介してもらうことにした。忙しくなり、身内からは「ちっとも『ゆっくりと』になっていない」と忠告される」という生活となったわけである。

 小生は、正直、「がんとゆっくり日記」をじっくりゆっくり向き合って読むことはなかった。
 それは、そもそもアナウンサー時代はあまり覚えていないのだが、外見に素直に誤魔化される小生、まだ初々しかっただろう池田裕子アナにはゾッコンだった(?)かもしれない。
 民放へ行き、さらに女優に転身してからの彼女にいいイメージを持っていなかった。何も不倫がどうのが問題ではなかった(どうせ不倫するなら相手をオイラにしろよ、というダサい突っ込みも遠慮しておく)。マスコミなどからの受け答えがどうかということも、気にはなっても、マスコミに攻め立てられたら、誰だって人間性の皮が必要以上に剥がされるに決まっているからだ。人間が正直で嘘を言えない人ほど、窮地に立つと外見からは、他人からは偏屈で不器用で過剰防衛的な反応をするしかなくなってしまう。
 が、彼女の場合、そうした以上の常識外れなものを直感していた。偏見だろうと、流しておいたけれど。

 多分、彼女が池田裕子という名前で女優をしているドラマをちらっと見たことがあった。演技などど素人の小生が見ても、演技が下手だと感じた。生粋のアナウンサー上がりではなく歌手や司会者だった沢田亜矢子とは比べ物にならないような気がした。
 が、演技が下手でも、男たるもの綺麗な人には好感を取りあえずは抱くはずなのだが、何か辟易させるものを感じた。
 でも、小生の印象はそれだけのものであり、テレビへの露出が減れば、すっかり忘れ去ってしまうその他大勢のタレントの一人に過ぎなかったはずだ。
 それが、いきなり朝日新聞の「がんとゆっくり日記」である(上記したように、その前にワイドショー!)。

 ガンと向き合う日々。もと女優。それだけでも関心を抱き、共感を以て読めるはずなのに、小生は感覚的に受け付けないものを彼女の日記に感じていた。
 彼女、がんと一緒にゆっくりと、などしているはずがない! 
がんとゆっくり日記  朝日新聞東京版「いのち」欄連載」をいずれの日でもいいから読んでもらいたい(自分が読むのが辛いといいながら、薦めるのも変だが)。

 彼女は、ガンになったとき、西洋医学ではなく代替医療を選んだ。それも、民間療法である。西洋医学(手術)を最初から拒否して、いきなり民間療法を選んだ!
 この辺りのことは、医学の話題が出る時には、勝手ながらお世話になっている「外科医・山内昌一郎のホームページ」が詳しい。その中の「代替医療と池田裕子さん」が非常に参考になる。
 ただ、ここを覗いても、何ゆえ彼女が西洋医学を選ばず最初から民間療法に走ったのか、その理由が分からない。
 憶測をする立場にないし、無責任なことは書けないが、まさか新聞その他の奇妙な広告宣伝に乗せられたわけでもないだろうに。

 小生は、彼女の話題に触れるのは気が進まなかった。けれど、「天にいたる波も一滴の露より成れリ:絵門ゆう子さん、逝く。」を読んでいて、なんとなく背中を押されたような気になった。
 ネット上の付き合いとはいえ、彼女と接触のある方がいることに、奇縁を感じてしまったのだ。
 小生は、「小生は感覚的に受け付けないものを彼女の日記に感じていた」と上で書いている。彼女の性格からして(と言いながらも、小生は彼女の性格など知るはずがない! 文章から受ける直感だけから書いている!)、彼女が末期ガンで死が避けられないことを受け入れられるはずがない、受け入れているはずがない、がんとゆっくりなんかできるはずがない、書いている傍から嘘に決まっていると小生は感じてしまって、読んでいて痛々しくてならなかったのである。
 小生の誤解に過ぎず、死と向き合っていない自分の浅慮に過ぎないのかもしれない。
 が、彼女、きっと真っ正直過ぎるのだと思えてならないのだ。今、この瞬間に真実と解決とに向き合える、出会えると信じられてならない、そんな女性(人間)だったのではないかと思えてならないのである。
 ガンは、克服できる、西洋医学ではなく自然にあるモノ、自然に由来するモノの力と、何よりも自分の中の生きたいという意欲でガンに打ち勝てると信じてしまう、信じられてしまう、信じないではいられない、そんな人だったのではないかと思う。手術で患部を摘出して、それで片付けることを潔しとしなかったのではないか、そんな憶測を小生はしてしまう。

がんとゆっくり日記 第91回  3月23日」を読む。その回の題名は、「病気との長い月日が心を育む」とある。
 ここも読んでいて、痛々しい。「がんというテーマと向かい合う長い月日が私を成長させたと改めて思う」だって?!
 そんなわけないだろう! 他の人ならともかく、絵門ゆう子さんには。
 人間には成長できる人と、できない人がいる。小生は、彼女の日記を読んでいて、無理を感じてならなかった。彼女は一向に成長などしていないと感じてならなかった。人間は頑張れば病を克服できる、病む心に打ち勝てる、心が成長する、きっと彼女は、人間とはそのようなものであってほしいのだろう。だから、無理にもそう自分に言い聞かせる。
 その誤魔化し(と小生には感じられた)が辛いのである。
 端的に言うと、彼女の日記に、成長できないタイプの人間たる小生自身を映し込んでいたのだ。死は怖い。病から、病んでいる自分から、死から目を背けたい、決して、今生、死を受け入れない、受け入れられない自分。
 しかしながら、本当のところなど、分からない。末期の彼女はどうだったのだろうか。苦しんで死んだ? 眠るように? 小生はどうだろう。ベッドの上? 路上? ジタバタして足掻いた挙句、往生際の悪さに周囲を辟易させて死ぬのか。それとも、薬剤で眠らされ、訳も分からないままにあの世へ移行していくのか。
「がんとゆっくり日記」をじっくりゆっくり向き合って読むことはなかったと上で書いたが、ただ、こうした問題に向き合うのが億劫だったからに過ぎないのでは、などとも一方では思う。

 最最近の小説では殺害の場面が描かれることが多い。殺人者の心理が描かれる。それなりに、まことしやかに。しかし、殺される側の心理は描かれない。殺人を犯す側の心理も安易だが、それ以上に安易な叙述に留まっているのが、殺され沈黙の海に消え去った者の世界だ。下手するとご都合主義的に殺されているだけじゃないのと憶測したくなる。
 現実の世界でも、殺された側は不条理の極みである。せめて小説の中でだけは、沈黙の重みに引き合う敬意を以て遇すべきだと思う。むしろ、小説は語られざる世界と向き合ってこそ、本物なのではないか。
 死と向き合うなんて億劫なことはやめて、あくまで現実に目を背け通して、最後は究極の煙草や酒である鎮痛剤と睡眠剤とで神経を<癒し><眠る>ように消えていくのが現代的なのだろうか。
 知りたいのは、繰り返しになるが、最後のギリギリの瞬間、彼女がどう感じていたのかということ。

参考:
 ガンと戦って亡くなられた元女子アナウンサーというと、「天にいたる波も一滴の露より成れリ」(その今日の記事は、「絵門ゆう子さん、告別式 」だ!)の中のある記事で再認識させてもらった、田原節子さんのことを思い出す。彼女のことが記憶に新しい人もいるのでは(「minori kitahara column 節子さんのこと」参照)。
田原節子追悼記(第4回総会トークショウ)」は、田原節子、絵門ゆう子、俵萠子の三方によるもの。

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コメント

朝日新聞の絵門ゆう子さんの記事はいつも気になっていました。
でも癌患者を看取った事のある僕にとっては、思い出したくない事なので、一度も読んだことがありませんでした。
今となっては読んでみたかったと思います。
いすれは本になるでしょうが。

投稿: 勿忘草 | 2006/04/08 07:19

そうですね。小生もなかなか読めないでいました。とりあえず読んでも、サッと他の関心事に移っていこうとしたり。
朝日新聞の絵門ゆう子さんの記事は、近い将来、本になるでしょうが、日記については、本文にあるように、ネットで全文を読むことが出来ます。

投稿: やいっち | 2006/04/08 09:29

who you think you are.
you just don't know anyhing about life.
very ugly comment.

投稿: yuko sueta | 2006/04/09 16:46

yuko sueta さん。コメントありがとう。

who you think you are.
you just don't know anyhing about life.
というのは、誰にも当てはまることですね。
揶揄するって、余程、「very ugly comment」のような気がします。


投稿: やいっち | 2006/04/09 18:18

ずっと前にこちらで見つけたYuko Suetaのコメントが気になっていました。私の大切な友人のYuko Suetaは、30代という若さで先日癌で亡くなりました。末期癌を宣告されて5年間、よく頑張ったと思います。

投稿: Manami | 2009/11/17 00:10

Manamiさん

Yuko Suetaさんが亡くなられたとか。

同氏の切迫したコメントだったのでしょうか(このコメントを書いた頃、既に癌だったのでしょうか)。

謹んで冥福を祈ります。

投稿: やいっち | 2009/11/17 21:29

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