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2006/04/30

路傍のツツジ

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→ 30日の午後、都内、恵比寿にて。尿意を堪えてお客さんを乗せて渋谷へ。その帰り、トイレに駆け込みホッと一息。駆け込む前の小生の頬っぺは、このツツジより紅かったかも、なんて。
 小生、ツツジが大好き。それとも今の時期が好きなのか。昼も綺麗だけど、夜もヘッドライトに浮ぶ赤紫や淡いピンクや真っ白のツツジたちは疲れたり神経が苛立ったりする小生を慰めようと微笑んでいるようだ。

昼夜と精魂尽くし咲くツツジ

 

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2006/04/29

久々の読書拾遺

 ハーマン・メルヴィル著の『白鯨―モービィ・ディック』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)を29日、読了した。感動の一言だ。小生ごときが感想文を今更綴っても詮無いので、読了の報告だけしておく。
 ただ、アメリカの魂が表現されている、とだけ書いておく。
 やや古くはスタインベック著の『怒りの葡萄』 (大久保 康雄訳、新潮文庫など)や、ポピュラーな小説ということではマーガレット・ミッチェル著の『風と共に去りぬ』 (大久保 康雄,/竹内 道之助訳、新潮社。続編に『スカーレット』(森 瑶子訳、新潮文庫)がある。これも読んじゃったよ!)、あるいはマイケル・ギルモア著の『心臓を貫かれて 上・下』(村上 春樹訳、文春文庫)などに感じる殺伐とした茫漠たる魂を、『白鯨』で一層、凄みを増して感じてしまった。

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→ 4月30日、都内芝公園脇から春霞の東京タワー。春麗な日曜日だった。仕事も。

 海洋文学において名作という理解もあるが、とてもその枠には収まりきらないものがある。
白鯨 - Wikipedia」を読まれると面白いかも。
 特に、「この作品は象徴性に富み、モビー・ディックは悪の象徴、エイハブ船長は多種多様な人種を統率した人間の善の象徴、作品の背後にある広大な海を人生に例えるのが一般的な解釈であるが、サマセット・モームは逆に、全身が純白で大自然の中に生きるモビーディックこそが善であり、憎しみに駆られるエイハブが悪の象徴であると解釈している(『世界の十大小説』岩波新書)←これがまた面白い!」とある点が興味深い。
 一体、モービィ・ディック(小説の中ではしばしばリヴァイアサンとルビが振られたりする)は、そしてエイハブ船長は何を象徴しているのだろうか。

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愛国心だってさ

 政治向きのことはよく分からないし、まして教育問題など小生に語る知識も経験もない。
 一応は大学を卒業したが、間違っても教師にはなるまいと思っていた。人に教える立場など、自分にはありえないと思っていたし。
 自分については、勉強するのも嫌いだが、人に教えるのはもっと苦手で面倒くさいと思ってしまう人間なのだと理解している。
 とは重々分かっていても、最低限のことはメモしておきたい。

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→ 4月17日、都内某所にある公園にて。ボンボンのような八重桜だった。今はもう見る影もない。それにしても、桜が武の象徴の意味合いが篭められた花だという認識が世間では薄い…。

 教育の荒廃、人心の荒廃が言われる。本当だろうか。
 一部では日教組が悪の元凶のように言われたりもする。
 とんでもないことだ。少年犯罪が増加したと言われる。本当だろうか。
 実際には少年犯罪の増加はそれほどではなく(戦後の一時期は別としても)、マスコミの採り上げ方が事々しいのではないか(他にワイドショーのネタがないのか、芸がないのか、それとも、裏に教育が荒廃していることを印象付けたい、教育基本法改正を意図する保守やタカ派の意向が働いているのか)。
 責任転嫁も甚だしい。
 仮に教育の荒廃という実情があるというのなら、国旗・国歌の起立斉唱を強制する頑迷固陋な一部の保守反動の類いにある、そういった連中がテレビなどのワイドショーに恥ずかしげもなく登場する、そんな寒々しい惨状のほうが余程、蓮っ葉で軽薄な言動が良しとされる風潮の元凶であり結果なのではないかと思えたりするが、ま、堂々巡りになるからここらで犯人探しは止めておこう。
(既に早々と、この拙稿に「朝日新聞に「愛国心」を語る資格はない (新聞記事・ニュース批評@ブログ)」といったトラックバックがありがたくも付いている。異見も歓迎なので、参考に削除しないで残しておく。)

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2006/04/28

『白鯨』余聞・余談

 また、大麻事件が発生した。「大麻所持で有名シェフ逮捕」(警視庁組織犯罪対策五課は26日までに、大麻取締法違反(所持)の現行犯で、東京都港区南青山のレストラン経営会社「リストランテ・ヒロ」社長で総料理長山田宏巳容疑者(53)=東京都文京区=を逮捕した)というもの。
 この事件に関連し、今日は「大麻」乃至は「麻」をテーマに季語随筆を綴ろうと思ったが、「麻」は夏の季語ということなので、後日、夏になって思い出したら扱いたい。
大麻 - Wikipedia」は読んでいるだけで面白い(特に「人体への作用」や「合法・非犯罪化国」の項など)。煙草やお酒は許されていて、大麻が許されないのは変。無論、法律で決まっているから法を破ってはいけないが、この法律の矛盾はそれなりに追及する余地が十分にありえる。
 小生には「中島らもと大麻と煙草と/カナダでのマリファナ事情あれこれ」といった拙文がある。

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→ 蓮華草さんに戴いたライラックの画像です。「心の万華鏡 君の名は・・・・・」を覗くと他にも素敵なライラックの画像に逢えます。そういえば、小生、昨年の四月には「ライラック…リラ冷え」なるエッセイを綴ったっけ。

 閑話休題:規制の緩和は及第か

 ハーマン・メルヴィル著の『白鯨―モービィ・ディック』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)を読んでいると、しばしばジャパンという名称に出会う。言うまでもなく日本である、と言いたいが、さにあらずジャパンと呼称される太平洋の中のある海域を指す。日本という国が含意されていることは否めないとしても、捕鯨が盛んとなっても、太平洋までその捕鯨船の足を伸ばすのにはそれなりの苦労と時間を要したのだし、まずはジャパンという海域が関心の対象だったのは当然と言えば当然なのかもしれない。
「一七八八年、アメリカ号なる堂々たる船が、意気盛んなるこのエンダビー家の単独出資により、捕鯨という単独目標を掲げて、大胆にもホーン岬を通過し、諸国の捕鯨船に先駆け、かの壮麗なる南太平洋にはじめて捕鯨ボートを降ろした。」(「白鯨」下p.371)
 無事、成果を得て母港へと帰還し、「太平洋の抹香鯨漁場はその大舞台の幕を切って落としたのである。」

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2006/04/27

悪魔に仕える牧師

 リチャード・ドーキンス著『悪魔に仕える牧師』(垂水 雄二訳、早川書房)を過日、読了した。
 題名がおどろおどろしいようで、何処かトンでも本っぽく、ちょっと手が出しづらかった。原題は、「A Devil's Chaplain」で、直訳すると、「悪魔の礼拝堂牧師(教戒師)」だから、最近の本の題名のようにとにかく人目を惹かんがために出版社側が際もの的に付したわけではなさそう。
 レビューによると、「タイトルの「悪魔に仕える牧師」は、ダーウィンが知人宛に書いた書簡の中でつ かわれた言葉で、進化論という無神論的な、自然のいとなみに「神」は関係ないと いう立場を押しだそうとした自分が、信心深い社会には「悪魔に仕える牧師」のよ うに映るだろう、という思いから記された言葉のよう」とのことで、まあ、「利己的な遺伝子」「ミーム」の唱導者にして、練達の科学啓蒙家でもあるドーキ ンス待望の新作エッセイ集」なのだから、訳の分からない本のわけがないのである。

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→ 26日の夜半過ぎ、丑三つ時も過ぎた頃、都内某所の公園脇にて休憩。これって花水木だろうか。花びらや葉っぱ越しにチラッと見えるのは我が愛車。

 本書において、リチャード・ドーキンスは反宗教の立場を一層、鮮明にしている。場合によってはそこまで反宗教的である必要はないのではと思えたりもする。
 が、たとえば、世界の先進国であり民主主義国の牙城でもあるはずのアメリカにおいては、20世紀初頭以来、過去、「進化論裁判」が幾度も行われてきたお国柄という一面を持つ。
 これは、「アメリカ合衆国で制定された、進化論を学校教育の場で教えることを制限する法律、いわゆる反進化論法に対する一連の裁判のことを、進化論裁判という」もの。
 背景に、「進化論とキリスト教保守派の対立は、科学と宗教の対立としてしばしば取りあげられる。特にアメリカ合衆国における反進化論運動はその顕著な例として知られている。アメリカは伝統的に聖書を重視するプロテスタントの信者が多いが、なかでも聖書の字句を一字一句正しいものとして扱う福音派の保守派がその活動の中心となっており、アメリカにおけるキリスト教原理主義(キリスト教根本主義)の潮流を形成している。」ことなどがある。
 その頑迷さは比較的温和な宗教的土壌というか気質を持っている今の日本には想像も付かないものがあるようだ。実感を持てないというべきか。
 聖書で禁じられている(?)妊娠中絶を行う産婦人科医が脅されたり殺害されたりする過激な教条主義。
 そういった土壌を持つアメリカで進化論を研究し啓蒙するのは、とてつもなく大変な労苦を伴うのだろうし、当然ながら進化論を是とする立場に立つなら、徹底した研究と理論武装が必要不可欠なわけで、そうした進化論の学者の筆頭の一人がリチャード・ドーキンスなのである。

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2006/04/26

ハムレットとスミレとオフィーリアと

 月曜日の営業中、すっかり日が落ちた頃、都内某所の公園脇に車を止めてトイレへ向かおうとしたら、立ち木の緑の葉っぱと宵闇を背に白っぽい花が目に。あれ、こんな花、ここにあったっけ。幸い、木の幹には名札が下がっている。読むと、ハナミズキとある。悲しいかな手元にデジカメがなく、ポケットから携帯電話を取り出してデジカメ機能で撮影。
 残念ながら、やはり携帯のデジカメではうまく撮れなかった。
 その代わり、というわけでもないだろうが、夜半を回ってラジオからハナミズキの話題が出てきてくれた。まるで小生のためにわざわざ解説してくれたようなものである。

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← ジョン・エヴァレット・ミレー 『オフィーリア』 (1851-52 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵) (画像は、「ジョン・エヴァレット・ミレー - Wikipedia」より) 後段で、この絵に関連した記事を扱っている。

 話の大半は忘れたが、そのうちの一つは、「1912年(明治45年、大正元年)、東京市からアメリカ・ワシントン市へ3,000本の桜苗木が送られた。それから3年後の1915年(大正4年)、桜の返礼としてアメリカから東京市へ白花のハナミズキ苗木40本が贈られてきた(その後、ピンクのハナミズキも贈られた)。」というものだった(「北信州の道草図鑑」の「ハナミズキ(花水木)」なる頁より)。
 東京市からとあるが、当時の東京市長はかの尾崎行雄だった。アメリカのワシントン市とあるが、ポトマック湖畔に桜並木が誕生したのは有名な話。
 花水木は歳時上は夏の季語扱いとなっているようだ。今を盛りと咲き誇っているから、せめて晩春の季語であっても良さそうな気がするのだが。五月になっても咲いていてくれるだろうか。

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2006/04/25

黄砂に吹かれて

 昨日はタクシーの営業の日だった。小生は遅番の出なので、実際の営業を始めるのは11時前。いつものように都心に向かってみると、普段とは様子が違う。交通量が多めのような。5・10日でもないのに何故。
 連休前だから? と思っていたら、「[線路変形]またトラブル 乗客、怒りの声 山手線ストップ」といったアクシデントのためだった。
 その内容は、報じられているように、「24日午前10時半ごろ、東京都新宿区大久保3のJR新大久保―高田馬場駅間を走行中の埼京線・湘南新宿ライン大船発宇都宮行き普通電車(15両編成)の運転士から「通常の走行音と違う音を感知した」と東京総合指令所に連絡があった。付近を走行中の山手線内回り電車(11両編成)も異常に気付いて緊急停車した。JR東日本が付近を点検したところ線路の一部が盛り上がり、変形しているのが見つかった。」というもの。
 ラジオである電車関係の工事や事故の専門家の方が話されていたことが印象的だった。「線路の一部が盛り上がり、変形してい」たというが、その盛り上がりは5センチほど。だが、その方によると、線路の異常個所が直線だったから走行の異常で済んだが、これがカーブだったりすると、脱線もありえる重大な変形であり異常なのだとか。
 原因については、[線路変形]JR東日本開発の工法で線路隆起」と言われているが、詳しい原因の解明はこれからだろう。
 
 思えば 奇しくも今日は、「福知山線脱線事故から1年、きょう追悼慰霊式(読売新聞)」といった話題がニュースの筆頭に来る日でもある。
 なんだか、昨年の今日の事故の教訓を忘れるなという戒めのように思えるのは不謹慎な感想だろうか。

 さて、そんなトラブルの情報を折々ラジオから仕入れつつ営業していた。

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→ 紫苑さんにいただいた名残の桜(画像)です。山の原で開催された「つるやオープンゴルフトーナメント」に観戦に行ったり、京都の「都をどり」を観劇したりと相変わらず活動的な紫苑さん。無精を決め込んでいる弥一としては、爪の垢でも煎じて飲ませてもらわないといけないかもね。

 雨が降るような降らないような、風が出たかと思うと収まってしまう、春らしい不穏な天気。関東でも山のほうでは雷雨の地域もあったとか。
 都心でも夜に入って小降りの雨が思い出したようにやってくる。

 ところで、驚かされるのはタクシーのボディの汚れ具合。やたらと土埃が付着して汚らしい。
 例えば雨が降ると、ボディの汚れは雨が降っている間は流れ落ちていく。雨粒の中にだって埃や塵は含まれているはずだが、ほんの微量で、水飛沫(しぶき)泥はねなどは別にして、雨で車のボディ表面が汚れるのは、あるいは汚れが目立つのは、雨上がりである。雨滴で濡れているボディに空中に舞っている埃などが付着する。
 水分は車のボディのエンジンなどからの熱気で蒸発し、また、走ることによって水分が吹き飛ばされたりして、霧散するがボディに付着した微細な土埃の類いは、水分と共に去りぬとは行かず、車の表面にしがみついたままである。一緒にドライブに連れてって欲しいのだろうか。

 が、昨日から今朝にかけて経験した車の表面の汚れはそんなものではなかった。

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2006/04/24

春筍から松明へ

 あるお気に入りのサイトを覗いてみた。すると、「春筍」という言葉が織り込まれた句が掲げられている。
「春筍(しゅんじゅん)」って季語なの?
俳句歳時記の部屋」の「春の季語(動・植物編-50音順)」にて「春筍」を探してみると、ちゃんとある!
「春の筍」なる季語の項があり、「春にとれる筍。柔らかく、香がよい」と説明されている。
「銀砂子」の「雀の生活 2003年3月」なる頁にある記述に拠ると、「腕組んで春筍を見てをりぬ」(出典/『鯨が海を選んだ日』)なる句が載っていて、「季語/春筍/晩春」と付記されている。

「竹」に関係する春の季語というと、「竹の秋」という季語がある。立派な春四月の季語である。
 既に昨年の四月の季語随筆にて、竹のなのに春(の季語)とは、これ如何ということで、「竹の秋…竹筒のこと」の題名のもと、採り上げている。
 その中でも紹介したが、竹に関して、「季語の研究」なるサイトが興味深い。
 拙稿では、駄文調だが「独活と竹の子」、掌編として「筍 の 家」がある。

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2006/04/23

「連翹」の陰と陽

 4月の季題(季語)の中に「連翹」があることには気づいていた。「れんぎょう」と読むことも、漢字にも弱い小生なのに、何故か知っている。
 きっと、案外と身近な植物なのだろう。あるいは通勤の途次や買い物の際に目にしていて、これは何という名の植物…花なのだろうと疑問に思いつつも、そのままになっているそんな木や花の一つなのだろう…。
 しばしば本サイトでも登場願っている「YS2001のホームページ」の「季語(れ)」にある「連翹(れんぎょう)」の項を参照させてもらう。
「果実が薬用になる半蔓性でモクセイ科の落葉低木」で、別名「⇒イタチ草(いたちぐさ)」とある。
 まず、「連翹」がどんな植物なのか、花ならどんな色・形の花なのか、木なのか草の類いなのかを確かめておく必要がある。
 これまた折に触れて参照させてもらっている「季節の花 300」にて「連翹 (れんぎょう)」の様子を見てみよう。
 画像を見た瞬間、ああ、これ、近所の何処かで見たことがある! が、正直な感想。
「Forsythia」という学名(属名)はともかく、「 Golden bells」…直訳すると「金色の鐘」というのは、言い得て妙なる名前だ。
 今では和名になっている「連翹」という名称。やはり、この植物が中国原産なのでこうした日本人には難しい呼び名になっているのだろうか。古来からあったら、和名(古名)の表記が当てはめられるのだろうが、「日本には300年ほど前に薬用として渡来」したというから、和名を持つ時間がなかったのだろうか。

 ついでながら、「Forsythia(フォルシシア)は、 18世紀のイギリスの園芸家 「Forsyth(フォーサイス)さん」の名前にちなむ」のだとか。
「Forsythia suspensa(連翹)」 と「 Forsythia koreana (朝鮮連翹) 」の二種類あり、花びらの形で区別されるらしい(詳しい違いなどは、「連翹(レンギョウ)|花の俳句」を参照願いたい)。
「本来「連翹」とは巴草(ともえそう)をさしていたが、この木に誤用され、以来この木が「連翹」の名で呼ばれるようになった。」というのは興味深い。
 何故、誤って呼称されるようになったのか。「連翹」の花びらの形が何処となく「巴草」を思わせるからなのだろうか。
 では、「連翹」が「イタチ草」という別名を持つのは、どういう背景があるのか。

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2006/04/22

飯田龍太…山本玄峯…ポツダム宣言

 車中では先週来、折々、飯田龍太著の『俳句入門三十三講』(講談社学術文庫)を読んできた。
 季語随筆を一昨年の秋口より綴ってきたが、飯田龍太氏の名はほとんど初耳である。図書館で本書を見つけた際も、連句を学ぼうと物色していたが、適当な本が見つからず、車中で気軽に読める本ということで選んだ。
 俳句に多少でも関心を持つ人には顰蹙を買いそうだが、事実だから仕方がない。
 レビューによると、「「ホトトギス」を源流とする「雲母」に育った龍太は、父蛇笏の写実的俳句を継ぎながら、その作品は近代俳句の正嫡ともいうべく、勢いがよく魅力的で、しかも広がりと深さを持つ。本書は、「雲母」の例会の実作指導のなかから選りすぐった俳論・俳話で、いずれも文学の根源に触れるおもしろさがあり、読者は居ながらにして句会の現場に立ち会うような、しかもその語り口から著者の人柄にも触れることができる、好個の入門書といえよう。」とある。
 そう、名前からして、そうだろうなとは思ったけれど、(多くの方には、多分、言うまでもなく)飯田龍太氏は飯田蛇笏の子息なのである。
 困った時の「Wikipedia」で「飯田龍太 - Wikipedia」なる頁を覗いてみる。あまり詳しくはないが、小生には非常に参考になる。
 飯田龍太(いいだ りゅうた)は、「1920年、山梨県東八代郡五成村(現・笛吹市)に生まれる。折口信夫を尊崇していた彼は旧制甲府中学(現山梨県立甲府第一高等学校)から國學院大學へ進み、句作にふける」というくだりに惹かれてしまった。少なくとも本書を読む限りでは、折口信夫の影も匂いも感じなかったので意外ではあるが、折口信夫を若くして尊崇し彼の教授する(していたことのある)國學院大學へ進んで句作にふけったというのは、さすがに「俳句と俳人に囲まれた環境」といった彼の生まれと育ちを物語るものでもあるのか。

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2006/04/21

勿忘草と都忘れとは

 いつもながら何を書く当てもなく画面に向かう。まあ、その気になれば書くネタを見つけられないことはないが、強いてこれにするという題材がない。
 それでも、四月の季語(季題)表を眺めていたら、表題にある「勿忘草」が目に入った。
 思えば、過日より、ブログの名前がまさに「勿忘草」というサイト(の方)とひょんなことから縁を持つことが出来た。
 実は、「勿忘草 季語」でネット検索して「勿忘草」の主に季語に絡む情報を摂取しようとしたら、上位に「勿忘草」さんサイトが登場する。大人気サイトなのだ。
 ダンスのインストラクターをされつつ、日々、ブログをも運営されている。「DANCIN' FUJI」というホームページをも。曲がりなりにもサンバのファンになっている小生、尚のこと、関心を持ってしまうのは自然の勢いというもの。

 ウン、今日の季語随筆は「勿忘草」に決定!

 ところで、恥ずかしながらだが、「勿忘草」を漢字表記させようとすると、少しは面倒なのかなと思っていたが、「わすれなぐさ」と書き込んで仮名漢字変換させると、一発で「勿忘草」という感じ表記になった! 
 今更、感激するのも小生が迂闊なだけかもしれないが、ちょっと嬉しいのは何故?

 さて、いつものように、「動・植物編(種類順)」の「勿忘草(わすれなぐさ)」の項を覗かせもらうと、「水色や青紫色の小花で、花言葉は「私を忘れないで」」とある。
 と、考えてみたら、「勿忘草 季語」で浮上してきた「勿忘草 ( わすれなぐさ ):忘れな草」なる頁に「勿忘草」の可憐な画像(サイト主の方も驚いておられたが、画像は「向島百花園の入り口の片隅の目立たない場所に咲いていた」ものを撮ったとかで、9月の撮影だとか!)と共に、《勿忘草》についての伝説が紹介されている。
 どうやらドイツの伝説らしい。

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2006/04/20

「ぼくの哲学日記」の周辺

よそにぞ消ゆる春燈(はるともし)」なる記事へのコメントの中で森本哲郎氏の名前が出てきた。
 たまたま図書館の随筆のコーナーで同氏の本を見かけ、借りようかどうしようか迷っていたところだし、二ヶ月来続いている『白鯨』購読の合間に読むのに、エッセイ本なら息抜きになるかと、『ぼくの哲学日記』(集英社)を借り出してきて、今週初め読了した。
 レビューには、「薔薇の木に薔薇の花さく。なにごとの不思議なけれど。(「大悲集」より) 人間を人間たらしめているのは、「なぜ?」という素朴な疑問を持つからで、そこから「哲学」が生まれる。当たり前の日常に一石を投じる人生指南書。 」とあるが、身構えずとも気軽に読めるので、専ら寝床で就寝前に読んできた。

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← 17日夜、東京タワー。照明の加減なのか、ゴールドのタワーのようだ。

 森本哲郎氏の本はほぼ十年ぶりだ。確か拙著『化石の夢』(新風舎)を自費出版して間もない頃、父が小生にこれを読んだらと渡してくれた本が森本哲郎氏の文庫本だった。
 小生の文章のあまりの堅苦しさに、これを読んで少しは文章を勉強しろということで父がさりげなく(?)選んでくれたものだったろうか。けれど、題名を忘れてしまった。日本語(の言葉)についての本だったと思うのだが。
 同氏がフリーアナウンサー・森本毅郎の兄だということを知ったのは、そんなに昔のことではない。弟さんのほうとは見た目の印象がまるで違うので、何かの折に(多分、本の紹介文だった)プロフィールを読むまでトンと思い至らなかった。
 森本哲郎、森本毅郎…。並べたらやっと気づく迂闊さ。
森本哲郎 - Wikipedia」によると、「日本の文明批評の第1人者として知られており」とあるが、小生にはそんな認識はなくて、あくまで評論家の一人という理解に留まっていた。
 まして哲学科(大学院)上がりだとは、未だにちょっと腑に落ちない。
[ 読者からの指摘で、森本哲郎氏は大学院は社会学科だと判明。ご指摘、ありがとう! (06/04/22 注)]

 が、そんなことより、本書を読んで驚いたのは、マスコミ人だったことと関係するのか、森本氏が行動家だということ。興味を持ったら即座に行動に移し、人物ならインタビューするし、場所なら現地を取材する点。

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2006/04/19

風船から安本丹へ

風車が春の季語なのは」では、「風車(かざぐるま)」が何ゆえ春四月の季語なのか自体が探求の動機であり目的のようなものだった。
 結論を出せたわけではないが、春になって陽気に誘われ、子供たちが外に出る機会も増える。冬の間は隣の村や町、まして遠くの町とは行き来も困難だったが、雪も消えて風車売りがやってくる。
 もう、子供たちは大喜びで風船売りに群がり、親にねだって風車を買ってもらう。
 買ったばかりの風車を、それも、昔は誰もが買えたわけじゃなかろうし、子供らのうちの誰か一人か二人が買ってもらったのだろう。あるいは、子供らのうちのリーダー格の子だろうか。
 その子が走りながら回す風車。それをみんなが追いかける。そうしてはしゃぐ子らを見守る子守のお爺さんかお婆さん、親たちは子供の遊びの歓声が耳に入っているのかいないのか、仕事のことで頭の中は一杯である。
 そうした風景の中心に風車がある。真っ赤な風車だろうか。青い風車だろうか。緑と土の色と晴れていても春霞の青い空に原色のセルロイド製の風車が遠目にも鮮やかである…。

 多少、こじつけめいているし、釈然としない面があるのだが、とりあえず、そんな光景を思い浮かべておいてもいいのだろう。

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→ 蓮華草さんに戴いた、「京都は洛北の原谷苑の枝垂れ」桜の画像です。原谷苑は個人の持ち山の桜なのだとか。関西も山のほうはこれからが桜の園の季節のようだ。

 さて、「風船」という春四月の季語も、風船だけからは春を連想するのは飛躍がある。夏だっていいし、冬だっていい。秋だって、勿論、構わないはず。
 しかし、歳時記上は、春(四月頃)の季語となっている。
俳句歳時記の部屋」の「春の季語(行事・暮らし編-種類順)」なる頁では、「風船売 紙風船 ゴム風船」といった類義語を示し、「暖かになると子供らは戸外に出て風船などで遊ぶ」と説明されている(引用元には「都外」とあるが「戸外」の間違いだろうと思われる)。
「風船」が春四月の季語なのは、どうやら「風車」と事情は同じらしい。

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2006/04/18

クジラ後日談・余談

 昨夜は、久々の月影に恵まれた。昨日の日中は晴れていて風もなく、仕事がなかったら、絶好の行楽日和という一日だった。曇天・雨天が続いていただけに、道行く人たちもどことなく足取りが軽そう。そのせいか、タクシーに乗ってくれる人も少なめ!
 風のない晴れの夜だと、月が出ていても、霞んでしまって朧月になってしまう。恐らく黄砂の影響もあるのだろうけど、いかにも春を思わせる風情だ。

 そんな月影も夜が明けるにつれて薄明に、たださえ朧だった輪郭が一層、暈され、ちょっと目を離すと姿を見失い、何処に月があったかも分からなくなってしまう。
 そんな朝、ラジオをに耳を傾けていたら、耳寄りな話が聞こえてきた。それは、シガマッコウクジラが実は新しい属だと判明したというもの。
 仕事中なので、「シガマッコウクジラ、長谷川、20年前に発見」などのキーワードだけメモしておいた。
「白鯨」を読んでいる最中であり、白鯨のモデルはマッコウクジラとされているだけに、聞き流せるニュースではない!
 もう、クジラと聞いただけで耳がダンボになる。

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→ 健ちゃんさんに戴いた、春景色。関西の何処かの池のようである。水鳥さんたち、池の中から花見する人間たちを眺めてる? 池の水面にいるから、池面の水鳥なんだろうね。

淡き花眺める人も春の色

 そういえば、「私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ」にて、「「高速船が衝突事故、49人負傷~鹿児島、クジラの可能性」といったニュースが、つい先日、マスコミを通じて流れた」云々と冒頭に書いている。
 まだ、確定されたわけではないが、衝突したのは流木だったのではという判断に傾きつつあるようだ。
 少なくとも、血痕・肉片その他が見つかっていないことからして、クジラではなかったことは、断定していいようだ。
 よかったね、クジラさん、犯人にされなくて。それとも被害者かな。とにかく濡れ衣は着せられずに済んだわけだ……。といっても、海の中に暮らしているから、年中、濡れ衣を着てるんだろうけど。

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2006/04/17

白鯨とイカと竜涎香と

 NHKテレビで「ダーウィンが来た! 人類初目撃! 深海の幻の巨大イカ」なる番組が放映されていた(らしい)。生憎、我が家のテレビはカーナビのモニターで、アンテナ事情が悪く、画面は雨模様である。特に、何故だか、NHKの映りが一番ひどい。いつも大雨・大嵐なのだ!
 なので、見るのを諦めて、森本哲郎著の『ぼくの哲学日記』(集英社)やリチャード・ドーキンス著の『悪魔に仕える牧師』(垂水雄二訳、早川書房)などをとっかえひっかえ読んだりした。
 でも、脳裏には、イカ、巨大イカだからきっとダイオウイカのことが残映のように揺らめいている。
 というのも、土曜日から日曜日にかけて読んでいたハーマン・メルヴィル著の『白鯨―モービィ・ディック』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)の中で、ちょうど、イカに関係する記述があったのだ。
 テレビでも、今、読んでいる本でもイカ! 偶然にしては出来すぎている。
 今日は、この辺りをかいつまんで綴ってみる。

Riris_belly_dance1

→ 「Charlie K's Photo & Text」の中の「RiRi's Belly Dance Show at "Gran Deseo" 」より。"Gran Deseo" でのベリーダンスショーの一場面だ。例によって画像と本文とは関係ありません。

焔(ほむら)なり踊る女の笑みさえも

『白鯨』を読んでいたら、91章「ピークオッド号、薔薇乃蕾号に出会う」の末尾にて、「竜涎香(アンバーグリス/りゅうぜんこう)」なるものが出てきた。聞いたことがある、でも、よくは分からない代物。
 実際には、91章の冒頭に、トマス・ブラウン『俗見の誤謬』(一六四六年刊)からとして、「竜涎香を求めてこの巨鯨(レヴァイサン)の腹のなかを探ったが、無駄に終わった。耐え難いほどの悪臭に行く手を阻まれたのである。」という一文が掲げられている。
 だが、小生は読み過ごしてしまっていた。続く一章を費やして扱われるような素材とは思わなかったし、巨鯨(レヴァイサン)やマッコウクジラの体内に時に形を為す、貴重だが奇異な物質だとは想像も付かなかったのだ。

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2006/04/16

コラムエッセイをアップ

「[高松塚古墳]壁画損傷こっそり補修、東文研所長が指示」といった事件に関連し、「天皇陵・古墳の学術的研究・保存を早急に求める」という記事をコラムエッセイのブログにアップさせました。

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時を呼ぶ声

久世光彦氏が死去」という題名の記事を以前、書いた。訃報そして追悼の記事である。この記事にある方がコメントを寄せてくれたのだが、その中に、「子ども時代を過ごした富山の話は「時を呼ぶ声」(立風書房)に詳しく読むごとに共感をおぼえます」というくだりがあった。
 だから、その後、同氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を借り出して、関連する記事をあれこれ書き綴っていても(「久世光彦著『怖い絵』の周辺」「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」「久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)」「ベックリンの「死の島」と髑髏」など)、ずっとこの本を読みたいと思ってきた。それがようやく叶い、先日、読了した。

 小生が読んだのは、『時を呼ぶ声』(立風書房)だが、文庫版(学研M文庫)もあるようだ。
 出版社側の謳い文句によると、「あの日の空の青さは何だったのか? 五つの小学校を転々とした少年期--、都市が全焼する空襲の夜の美しさ--、軍人だった父の晩年--、戦後の歌や映画、文学という女人への恋--名演出家・作家の原風景と昭和への挽歌!」とある。
 久世光彦氏は、東京(阿佐ヶ谷)で生まれ、浪人時代も含めた大学生以降は、東京で暮らした。が、中学・高校時代、つまり十二歳から十八歳までを富山で暮らした(正確には小学校の卒業直前に富山へ疎開した)。
「少年期であり思春期」を富山で過ごしたわけである。
「五つの小学校を転々とした少年期」の思い出、小学校に上がる前の記憶と体験も彼の人生に重きを成していないわけではない。
 それでも、富山で過ごした数年は彼自身、決定的な影響をずっと残したのであり、ある意味、文学する心の源泉も富山で育まれたといっていいと考えているようである。
 富山で生まれ育ち、高校卒業と共に大学生活を仙台で、卒業後は東京で(都内を転々としつつも)暮らしてきた小生には、久世氏が高校の先輩であることも含め(このことはつい十年ほど前、母校が出しているある同窓会報で偶然、知ったのだった)、興味津々で読むのは当然だろう。
 彼が中学の頃から入り浸ったという富山の繁華街にある喫茶店の名前も小生には馴染みである。といっても、気の小さな小生、学校(高校)では入ることを禁じられていた喫茶店へ折々寄るようになったのは、高校を卒業してからのことだった。
 それでも、あの喫茶店に久世氏も通い、煙草を燻らせたのかと思うと、感懐深くなる。その喫茶店に足を向けなくなって久しい。今もあるのだろうか。

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2006/04/15

掌編アップ!

 幻想モノとオレものの中間的な掌編。モノローグ風かもね:
闇夜に躑躅の花の咲く

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保田義孝個展へ

 保田義孝氏の存在を知ったのは、いつだったろう。小生のホームページで勝手ながら保田氏のサイトをリンクさせてもらったのは、今年の二月。
 但し、大急ぎで断っておかなければならないのは、保田氏のサイトと書いたが、正確には、「「大分県佐伯市在住の画家、“保田義孝先生”のもとで、色鉛筆画を描く仲間達のサイト」である「アトリエピースブランチ」というサイトなのである。

 保田氏のサイトを知ったのは、ある詩人で最近は色鉛筆での絵の制作に励んでおられる女性のサイトを通じてだった。彼女は、ご自身が色鉛筆を描かれるということで、色鉛筆画家の保田氏の存在を知ったのだろうか。彼女が「アトリエピースブランチ」を知ったのは、今年の1月23日だったとか。ということは、小生が保田氏の存在を知ったのも、その直後だったろうと思われる。
 ネットで「保田義孝」をキーワードに検索しても、ヒットする数はそんなに多くはない。ということは、一般的にはそれほど知られていないということなのか。
 それとも、高名ではあるけれど、ネットの世界で扱う人が少ないということか。

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→ 15日、紫苑さんに戴いた「造幣局の夜桜」画像です。最近は連日の桜巡りの日々だとか。動かざること弥一の如し、そう「静」の弥一に比べ「動」の紫苑さん。凄い好対照だ!

 さて、保田義孝個展会場を訪問したレポートを書く前に、できれば同氏の絵をじっくりと眺めてもらいたい。上掲のサイトを通じて、かなりの作品を見ることができる(最近、サイト内を衣替えされたようで、サイト内で閲覧できる作品の数がかなり増えている。そうはいっても、同氏の作品は累計すると一万点以上になるとか):
 http://www.saiki.tv/~gizmo/nsal.htm 
[↑既にファイルは見当たらなくなっている。代わりに、「第47企画展 『保田義孝展』 山田和宏氏代行」なる頁を紹介させてもらう。「アトリエピースブランチ」と併せてみると、保田義孝氏の詩情溢れる世界を堪能できるのでは。 (06/04/15 追記)]

 使用する画材は、ほとんどが色鉛筆だけ。なのに、「雪の舟だまり」を見ても、「漁船のある風景」(パステル画)を見ても、惚れ惚れする作品世界が創造されている。小生の比較的最近のお気に入りは、「晩秋のひざし」である。これも、色鉛筆画なのだ。

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誰も皆 笑顔の帰り 待っている

副題:「今日は日比谷大講習会」余談

 この記事は、余談というよりは、直前の記事「今日は日比谷大講習会」を書いたあとで思い出したことであったので、追記に近い。

 文中、警視庁の交通関係の方より講話を賜ったと書いている。いろんな話を聞いた。子供や高齢者の事故が増えている。自転車の事故が増えている。オートバイの事故が増えている。などなど。

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→ 帰りのバスの車中から携帯電話のカメラで東京タワーの雄姿を撮った。ビルの陰になりがち。夜だとライトアップされていて綺麗なんだろうけど。

(余談だが、その方は、タクシーに乗る機会が増えている。乗ったら、乗務員と話をするのが楽しみの一つだと語っておられた。が、最近は運転手の方はお喋りをする人が減ってきているような気がする、と。
 不況のせいで、無口になりがちなのか。売り上げが思ったように伸びない状況がここ数年続いているし…。
 そんなこともあるのかもしれないが、ドライバーの側からすると、会社からは余計なお喋りをしないようにと教育されている。
 とにかく、会社や東京タクシーセンターへお客さんからの苦情が持ち込まれるのが何より困るので、運転手としては、若干、警戒気味、守りの姿勢に入っているのかもしれない。
 無論、お客さんから話しかけられたら、雑談に応じるのは言うまでもない。
 あるいは、近頃は、一人で乗り込んできたお客さんであっても、運転手とお喋りするより、他の人とお喋りしたり何かに夢中になっていることが多いことも背景として考えられるだろう。
 そう、察せられるように、携帯電話の存在である。車中では、仕事の延長だとばかりに携帯でお喋りされている、あるいは携帯の画面に向かってメールを打っている、それともゲームに興じている、などと、とにかく以前ほどには乗っている時間に乗務員に話しかけることが少なくなった。
 だからだろう、お客さんが運転手に話しかけても、つい、返事を躊躇ったりする。何も話しに応じるのが嫌なのではなく、携帯電話の相手と話しているのか、それとも自分に話しかけてきたのか、一瞬、分からず途惑ってしまうことがありえるのだ。
 まあ、そんな時代だということだ。)

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2006/04/14

今日は日比谷大講習会

 今日は明け番の日だったが、日比谷で行われる大講習会に行ってきた。これは小生の所属する会社東都自動車株式会社の行事として毎年一度、二日にわたって行われるもので、今年で二十年目となる。名称にも日比谷大講習会と、「大」の文字が被せられている。
 我が社は、「タクシー、ハイヤー、観光バス、ゴルフ場、自動車教習所、賃貸マンション、ホテルマロウドチェーン、スポーツクラブ、民間車検場、他」などを営業するグループ企業で、小生はそのタクシー部門のタクシードライバーなのである。
 タクシー部門について言うと、「現在2,105台は業界トップクラス」とか。タクシードライバーも嘱託を含めると、4,000人以上(5,000人近く?)いる。

東都自動車交通 - Wikipedia」をネット検索してみたら、ほとんど書きかけの状態に留まっている。
 ただ、「ボディカラーはベージュ(余談だがこのカラーはトヨタ純正色であり、色名はそのものズバリ「トートベージュ」)」というのは、初耳で、へえー、であった。
 この頁には、当社のタクシーの雄姿画像が載っている。
(ちなみに、だが、当社のタクシーの営業用(無線で呼ぶ)の名刺には、当然ながら当社のタクシーのボディ写真が載っているが、その車は、小生がその当時乗っていた、まさにその車なのだ。中古とは言わないが、既にロートルの域に入ろうという車を何故、撮影するのか小生には理解できなかった。新車が何台か駐車場にはあったのだし。)

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← 講習会が始まるまでの待ち時間の間、日比谷公園にて散策。チューリップが満開だった。

 大講習会とはいえ、全員が一堂に介する介するわけにはいかず、二日に分けて行われるわけだが、それでも日比谷公会堂はさすがに立つ人は居ないが、立錐の余地もないほどで、満杯である。分からないが管理する会社の社員らには会場の中には座席は用意されていない。運転手で二階席まで含め鮨詰め状態で、運転手らは制帽はないが制服着用で公会堂の狭い席に押し込められるようにして座っている。
 肩を寄せ合い…と表現したいが、肩をすぼめないと座れない。何も悪いことをしたわけでもないのに、身を縮こまらせての窮屈な状態なので、それこそ一時期、飛行機のエコノミー症候群が話題になったが、下手すると講習会が終わる頃には血の巡りが悪くなってからだの具合が悪くなってしまいそう。
 たださえ、明け番というのは、その日の朝まで営業してきたのだから、体は疲労の極にある。都合があり、営業は早めに切り上げ(そのため営業収入も減る!)、営業所の休憩所などで仮眠を取ったりするが、正午近くまで大切な行事とはいえ目をサラにして起きて話を聞いていないければならないから、体が辛い。朝、仕事を終えたらまっすぐ帰宅してお茶の一杯も飲んだら、寝るというパターンが崩れる。
 いつもと仕事や休憩の生活リズムが狂って、午後、帰宅してすぐにベッドに潜り込んだが、今もいつも以上に体が熱っぽい。
 愚痴はここまで。

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2006/04/13

「春光」とは春の色のこと

 夜半に読了した久世光彦氏著の『時を呼ぶ声』(立風書房 学研M文庫)の感想文を書こうかとも思ったが、これは後日に回して、今日の季語随筆の題材は、「春光」とする。
 
季節のことのは・季語 春 の 章 Ⅰ」の「季語 2  春光(しゅんこう)」の項に「「春の日」は日光をさしますが、「春光」 春の風光すなわち、春のやわらかい日の光りをいいます。春は空と地中からいち早く動き始めるという通り、光りと影が相まって春を実感させる言葉といえます」とあるように、とても爽やかさを感じさせる季語だ。

 実は、ふと、この季語、昨年、扱ったことがあるはずと、「2005年04月の索引…悲しい二周年」を覗いてみたが、ない。「風光る…杉菜…こきりこ」にて、「風光る」という似た(ような)語感を持つ季語は載っているが。
 勘違いなのか。でも、扱ったはずと遡ってみると、やはり、あった。
 四月ではなく昨年の三月に「春光・色の話」という表題で採り上げていたのだ。
 それにしても、「春光」と「色の話」を結びつけるのは我ながら強引だなと読み返してみたら、ネット検索の結果もあって、「春の色 春色 春景 春景色」などを傍題に持つ、「春光」に行き当たったのだった。
 肝心の季語である「春光」については、実際には糸口乃至は申し訳程度に触れているに過ぎず、大半は「色の話」に終始している。なんといっても、「古代には色の表現はなかった、あったのは、(色の)濃淡であり、明暗なのだ」というラジオで聴いた話のインパクトが大きかったのである。

 ということで、ここに改めて、季語としての「春光」に焦点を合わせてあれこれ綴ってみたいのである。このところ天候に恵まれない日が続くだけに、春らしさを待望する意味も篭めて。

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2006/04/12

私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ

高速船が衝突事故、49人負傷~鹿児島、クジラの可能性」といったニュースが、つい先日、マスコミを通じて流れた。
9日午後6時ごろ、鹿児島県・佐多岬の北西沖約3キロの錦江湾入り口付近を航行していた鹿児島商船(鹿児島市)の高速船「トッピー4」(281トン、赤瀬強一船長、乗員5人、乗客103人)から、「何かに衝突し、多数のけが人が出ている」と第10管区海上保安本部(鹿児島)に118番通報が入った」というもの。
「赤瀬船長は「船左後部の水中翼に何かが当たり、船が前のめりになった。目視では確認できなかったので流木ではなく、クジラのような海中生物の可能性が高い」と話しているという」のだが。
「鹿児島商船によると、トッピーは午後4時20分、屋久島・宮之浦港を出港し、種子島・西之表港、指宿経由で鹿児島港に午後7時20分に着く予定だった。事故当時は全速力に近い時速約80キロで航行していた」というが、そんな高速の船に鯨が衝突したのなら、被害甚大になるのも当然だろう。
「船にはクジラが嫌がる音波を出す「アンダーウオータースピーカー」を備えていたが、クジラの種類によっては効果がないという」。そもそも高速の船が運航していたら、スピーカーからの音だけじゃなく、船からの並を蹴散らす衝撃波(の音、高周波も低周波も含めて)が鯨には察知可能だろうと思えるが、実際には、そうでもないのか。

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→ 先週末、都内某大学の構内にて。数日前なら桜吹雪の中を走れたはずだが。

 今朝のニュースだと、会社のトップは、ぶつかった跡が見えるのが「船左後部の水中翼」や船底の一部だけで、前部の水中翼にはぶつかった徴候がないことなどを挙げて、衝突したのは鯨ではない可能性を示唆していた。
 実際、ぶつかった相手を確認(現認)していないようだから(夕方とはいっても、真っ暗だったのかどうか、視界はあったのかどうか)、正確な事故原因については、明日(13日)、海上保安庁による(警察も交えて行われるという)、衝突の相手や衝突の原因・メカニズムについての詳細な調査結果を待つべきなのだろう。

 鯨というと、過日も鯨絡みの事故があったばかり。
 二月の下旬からハーマン・メルヴィル著の『白鯨(上・下)』(講談社文芸文庫)をゆっくりじっくり読み続けている小生としては、他人事ではなかった。

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2006/04/11

風車が春の季語なのは

 例によって、「季題【季語】紹介 【4月の季題(季語)一例】」なる頁に並ぶ季語の数々をぼんやり眺めていた。今日はどの季語を扱うか。どの季語も俳句上での使われ方、歴史、篭められてきた意味合い、知らないものばかり。
「チューリップ、ヒヤシンス、シクラメン、スイートピー、シネラリヤ、アネモネ、フリージア」と並んでいる。
 昔からお袋が田舎の我が家の庭で丹精篭めて育ててきた、富山県の産する花としても有名なチューリップを扱おうか。
 そういえば、先週末、仕事で都内某所の住宅街を走ったら、公園の片隅の歌壇に色とりどりのチューリップがはちきれんばかりに咲き誇っていて、思わず写真に収めようと思ったが、折悪しく、そこにはお子さん連れの若奥さんが憩いのひと時を過ごされていて、そんな傍にタクシーを止め、車を降りて写真を撮りにいくのも、窮屈な気がして、後ろ髪を引かれる思いをしつつ、走り去ってしまった。惜しかった!
 でも、富山じゃ、四月の終わりか五月の頭にピークが来る。気持ちが田舎の富山と居住している東京の両方に跨っている小生、どっちつかずになってしまって、その気が失せてしまった。

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→ 先週末、都内某所の公園にて。八重桜だろうか、雨上がりの空の下、今にも芽吹きそうな蕾たち。青空になったら一斉に咲こうとでもいうようだ。

咲くを待つ蕾も我も空見つめ

 ヒヤシンス、シクラメン、スイートピーのどれもいい。「赤いスイートピー」は、誰しも…、少なくとも小生は松田聖子の歌を連想してしまう。そしてその時代の破れた恋のことも。以前、この季語随筆でちょっとだけ触れたことがあるし、まだとことん書ききるには早すぎる気がする。

 ぼんやり眺めていたら、ふと、「風車」に焦点が合った。
 が、「風車」は、「ふうしゃ」なのか、それとも「かざぐるま」なのか、分からない。分からないままに、頭の中では、昔、流行った「回れかざぐるま かざぐるま いつまでも♪」というメロディと歌詞がリフレインしている。誰の歌だったか…。そう、松山千春の歌「かざぐるま」だ。彼の歌には好きなのが幾つもあるが、特に歌「恋」にはこれまた思い出も思い入れもある。「男はいつも~またせるだけで~. 女はいつも~待ちくた~びれて~♪」

 実のところ、松山千春の歌「恋」と松田聖子の「赤いスイートピー」とは、同じ人に絡むのだが。ま、これ以上は野暮になるから書かない。
 とにかく、今日は読み方が分からないままに「風車」に決定!

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2006/04/10

硬さと堅さ…翡翠の謎

 ようやく厳しい営業日程も終えて、ホッと一息ついている。丁度、二週間前に体調を崩して、3月27日の営業を4月の2日にずらしたため、この二週間、完全な隔勤になり、体を休めることもできず、アップアップの日々が続いていたのだ。
 日曜日は、久しぶりに翌日が休みという状況。これは二週間ぶりだ。体が喜んでいる。
 日曜日の日中は、ひたすら寝て過ごした。夕方くらいになって、ようやく溜まった疲れが少し抜けた感じがする。「あの日の空の青さは何だったのか。五つの小学校を転々とした少年期、都市が全焼する空襲の夜の美しさ、軍人だった父の晩年、戦後の歌や映画、文学という女人への恋…。『北日本新聞』連載をまとめる」という、久世光彦著の『時を呼ぶ声』(立風書房)を手にしつつ、居眠りする愉悦も味わえた(本書については後日、感想文を書くかも)。

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→ 「勿忘草 ( わすれなぐさ )」さんサイトで見つけた、「花篝(はなかがり)」をイメージさせる、あまりに素敵な画像です。

朧なる春の艶夜(あでよ)に惑ふとも
        たわぶれてみん君が袂に

 また、小林 達雄氏編の『古代翡翠文化の謎を探る』(学生社)を金曜日の夜から読み始めている。
 なんだか、今時、珍しいほどに堅苦しいというか、窮屈な題名で、たまたま「翡翠(ヒスイ)」に関心があったから手を出したけれど、そうでなかったら、題名だけで敬遠したかもしれない。
 また、内容も、「古代日本のヒスイ文化はなぜ消えたか? 翡翠とは何か、縄文時代の玉文化の展開や翡翠をめぐる生産と交易など、姿を消した謎のヒスイ文化の全貌を解き明かす」と、やはり研究者や関係者でなければ、読む人、その以前に手を出す人も限られている、かもしれない。
 編者の小林達雄氏を「ビーケーワン:古代翡翠文化の謎を探る」からの転記の形で紹介しておくと、「1937年新潟県生まれ。国学院大学大学院博士課程修了。文化庁文化財調査官を経て、国学院大学文学部教授、新潟県立歴史博物館館長。浜田青陵賞受賞。著書に「縄文土器の研究」など」とある。

小生が何ゆえ柄にもなく、自分で贔屓目に省みても似合いそうにない翡翠(ヒスイ)に関心を抱いているのか。

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2006/04/09

ユダの福音書とマリヤと

 最近、「ユダ」についての衝撃的(?)なニュースがネットや新聞に踊っていた。さすがにテレビでは採り上げられたのかどうか、小生はテレビ鎖国の状態にあるので分からない(ニュースとして流れても、見逃したかもしれない)。
 ネットで関連の記事を探すと、「ZAKZAK」では、「解読で判明!「ユダの裏切り」はキリストの指示だった」という題名の記事が見つかる。
 その一部を転記すると、「米地理学協会(本部ワシントン)は6日、「異端の書」としてほとんどが破棄されたとみられていた「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。キリストを敵に売った使徒として知られるユダが、実はキリストの指示を受けていたと記されており、今後論争を呼びそうだ」とか。
 このサイトではさらに、「写本は古代エジプト語(コプト語)でパピルスに記され、放射性炭素による年代測定などで、3-4世紀(約1700年前)の本物と鑑定された」とか、「ギリシャ語の原本から訳されたとみられ、キリストは、自分を人間の肉体から解放する手助けを、教えの本当の意味を理解していたユダに頼んだとの内容になっている」とも記述されている。

中日新聞ホームページへようこそ」では、「ユダの汚名すすぐ 米で福音書の写本を英訳」と題されたより詳しい記事が見つかった。
 ここには、新聞でも載っていたが、写本の画像も掲げられている。
「聖書を元に、イエスの受難はユダの裏切りが原因という解釈から、ユダとユダヤ人が重なり、世界史の悲劇であるユダヤ人の大虐殺が起きたとの見方がある」といった記述がある。

 破棄されあるはずのないユダの福音書(翻訳)の出現は、関心のあるものには、マリア像(女性像)をどう描きなおすかも含め、場合によっては哲学・思想・宗教観の根幹を揺るがすかもしれない事態かもしれない。

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2006/04/08

よそにぞ消ゆる春燈(はるともし)

季題【季語】紹介 【4月の季題(季語)一例】」をぼんやり眺めていた。今日はどの季語を扱おうか。が、どうにも焦点が定まらない。頭が朧月のようになっている。
 そのうち、「春の海」はどうかという気になった。そう、与謝 蕪村の有名な句、「春の海ひねもすのたりのたりかな」が脳裏の片隅に浮かんだ。宮城道雄(1894-1956)が作曲した筝曲の「春の海」もある。小生の初恋の人が琴を奏でる人だったっけ。旧姓が「菅」だというのも、今日(既に昨日となったが)の民主党の代表選挙で敗れた菅直人氏の話題につなげようかとも思ったが、少々無理があるので断念。「春の海」は、イメージ的な広がりもあるし、後日、改めて採り上げたい季語である。
 ついで目に飛び込んできたのが表題にある「春燈(はるともし)」である。
俳句歳時記の部屋」の「春の季語(行事・暮らし編-種類順) 春燈」によると、類義語に「春灯 春の灯 春の燭」があり、「しゅんとう」とも読むという。
 意味合いは、「はんなりとした春の灯火」とか。

Rengesakura

→ 蓮華草さんから戴いた桜の画像です。花冷えとはいえ、関西も桜花爛漫の春を迎えているとか。

 まあ、文字からして想像できる意味である。また、この表現や文字からして、イメージ的に暖かみがあり、どこか艶冶(えんや)な感じも漂ってくる。
 冬の灯火というと、厳しい寒さの雪の原に小さく灯る民家の明かりで、暖かみは勿論あるのだが、自分は外に居るがゆえに橙色の窓灯りが恋しい、人肌が恋しい、ということになる。
 その点、「春燈」は、そこに他の人がいてもいなくても構わない。いなくても、自分の体からほんのり体臭と熱気とが発せられる。男なら男が想像する、あるいは関心を持って覗いているその部屋(空間)にいるのは妙齢の女であり、一人で何をしているのか、床しくてならない。女なら、その逆の構図であるか。

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2006/04/07

絵門ゆう子さん、逝く

村上元三氏死去」に続いての訃報記事となる。

 絵門ゆう子さんが亡くなられたことを知ったのは、6日の朝だった。仕事に出かける準備をしながらテレビを見ていたら、そんなニュースが飛び込んできたのだった。

 絵門ゆう子さんがガンに罹患していることを知ったのは、朝日新聞・東京版(「いのち」欄連載(通常木曜日))に絵門ゆう子「がんとゆっくり日記」が載ったからである。が、情けないことに我が家の財政状況が破綻寸前に陥り、昨年四月から新聞の購読を辞めていて、以来、当然ながらそのコラムも目にしていない。
(但し、「週間ポスト2003/5/30」に「私は全身がん」壮絶告白」という記事が載ったというから、ワイドショーを朝食時に見る習慣のある小生、この前後に知った可能性がある。末期ガンとご自身、その時点で申し渡されていたのだから、ワイドショー的に話題性は十分である。多分、小生も彼女の状況は認識はしていたはずだ。が、後に書く理由もあって、それほど関心が持てなかった。)

 幸いにもというべきなのか、偶然にもなのか、この三月からお試し期間ということで、朝日新聞を取り始めている。なので、「がんとゆっくり日記」の最後の第89回「真摯な無心の闘い感動呼ぶ」から第92回「薬に耐性・・・玉手箱が開いた」の四回分は目を通すことができた。第93回になるはずの記事は追悼の記事で彼女の手になるものではなかった。あるいは、彼女の手元に草稿でも残っているのだろうか。
 とにかく、これも縁なのだろう。お前も、ちょっとは向き合えよという、天の声なのか。

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2006/04/06

村上元三氏死去

 昨夜(4日の深夜)だったか、ラジオを聴いていたら、作家の村上元三氏死去のニュースが流れてきた。
 小生には懐かしい作家の一人という感がある。といっても、この大衆性のあるこの作家に傾倒したというわけではない。
 ある時期、彼の作品である「次郎長三国志」を夢中になって読んだことがあっただけのことなのだ。

 念のため、ネット上で読める記事の一部を転記しておくと、以下のとおり:
「「佐々木小次郎」「水戸黄門」などの時代小説で知られる直木賞作家の村上元三(むらかみ・げんぞう)さんが3日、心不全のため死去した。96歳だった」
「10年、韓国・元山生まれ。41年、「上総風土記」で直木賞を受賞した」
「49年から本紙に連載した「佐々木小次郎」で大衆文壇の第一人者の地位を確立。その後も、「源義経」など、歴史の流れにほんろうされた人物を、徹底した時代考証をもとに描いた」
(以上、「作家の村上元三さんが死去 (朝日新聞) - goo ニュース」より)
「時代小説で活躍、村上元三氏が死去 (読売新聞) - goo ニュース」から若干、補足しておくと、「1938年、長谷川伸の門下に入り」、「、41年「上総風土記」他で直木賞を受賞」と続くわけである。

村上元三 - Wikipedia」を覗いてみても、あまり詳しい記述があるわけではない。彼(1910年3月14日生まれ)はもう忘れられた作家だったのだろうか。
 ここから追記しておくと、「1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳作となった『利根の川霧』でデビュー」や、「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる」だろうか。

 時代小説、歴史小説は父ほどではないが(父は今でも好んで読んでいるようだ)小生も中学から大学生の頃、結構、楽しんだという記憶がある。さすがに「立川文庫」世代ではないが、吉川英治の小説『宮本武蔵』は勿論のこと、山岡荘八の「徳川家康」、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などは、漫画の本を読むより頁を捲る手が早かったような。

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2006/04/05

反時代的毒虫の周辺

 車中では、待機中の折に、車谷長吉氏著の『反時代的毒虫』(平凡社新書)を読んでいる。
 小生は平均すると週に三冊、本を借りる。必ずそうするというわけではないが、基本的に借りる本の性格は三種類に決まっている。一冊は、自宅のロッキングチェアーに腰をどっかり沈めてじっくり読む本。一冊は、本格的な本の合間や就寝前に読む軽めの本。残りの一冊は、仕事中(車中にて)読む本である。
 図書館通いして何が嬉しく助かるかといって、軽めの本を借りれるのが嬉しい。買うとなると躊躇うが、試しに読んでみたいという類いの本や著者、分野の本に気兼ねなく手が出せる。読む本のジャンルも広まるというもの。
 上掲の『反時代的毒虫』は、車谷長吉氏については、名前は知っていても未だ一冊も読んだことがないし( 『赤目四十八瀧心中未遂』も『鹽壺の匙』も読んだことがない!)、その意味で、本書は対談集ということもあり彼の人となりを知るに便利だ。

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→ 深く眠りに就いているのか、それとも夜半にこそ、人目を気にせず咲き誇っているのだろうか。

 軽めの本と書いたが、中身が軽いという意味では決してない。狭い車中に置くに便利な厚さ(頁数=新書)だとか、薄暗い車中で読むには活字の大きさにも留意しないといけないというほどの意味である。無論、面白くないと困る!
 本書を借りるに際し、車中で読むための条件の幾つかは軽くクリアーしたが、ここまでだとそんな候補になりえる本が数多あるわけで、必要条件は満たしても十分条件に至ってはいない。
 とはいっても、図書館に滞留できる時間は限られているので、必要条件を満たすだけで、ま、いっか、となることも多いのだが。
 本書を借りるについては、パラパラと捲っていて、対談相手がなかなかだったことがある。江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多恵子、奥本大三郎…。錚々たる面々ではないか!
 が、決定的だったのは、目次にある第3部の「夫婦句会(春宵夫婦句会(高橋順子)」と「駄木句会(高橋順子)) 」の章だった。おお、俳句の話題も採り上げられている。車谷長吉氏は俳句もやるのか。
 季語随筆日記を書いている小生としては、これで決まりである。

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2006/04/04

花篝は闇を深くする

 四月には季語(季題)が多い。やはり芽吹いていた命が花開く季節だからだろうか。日曜はただでさえ風が強い上に、夕方前後の雨が花散らしの雨となって、ああ、花見も終わりかなと思わせられた。
 今日、月曜日も(少なくとも東京は)強い風が吹き荒れて、一層、花びらが吹き飛ばされ散っていった。近くには小川さえもないし、かといって池があるわけでもないので、小生の近所の桜の花びらは、ただ敢え無く散るばかりである。
 路肩に、玄関先に、庭先に、電柱の根元に、歩道の柵に、自転車やバイク、車のボディや車輪の周りに、花びらたちが吹き溜まっている。花びらは散るまでが命ということなのだろうか。散ってしまった花びらは、ただのゴミなのだろうか。見ていると、歩道の花びらを踏まないようにと、殊更、足元に気をつける人もいない。
 やはり、地に落ちた花びらは、美しさもその命もその役目さえも地に落ちてしまったというわけだ。
 一度咲いた命は散るのだ、この世から、視界から消え去るのが、潔いというわけか。桜は平和の象徴ではなく、武を象徴する花だということが、つくづくと思い知らされる寂しい現実。
 誰も花を花として愛してなどいない。散った花びらは踏みつけにされる。ゴミ扱いにされる。路上を汚す邪魔者に過ぎない。誰かが余儀なく掃き集め一塊に纏め、そうしてゴミ収集車に乗せられ、夢の島へでも運ばれていく。

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→ 近い将来の枝なのだろうか、幹の中途から芽生え始めている。花も咲かせながら。

 花の命が短いのか長いのか。いずれにしても美しいとか、綺麗とかと愛でられる時間は短い。
 だからこそ、せめて短い花の命を少しでも堪能しようと、あれこれと工夫する。
 といっても、花の枝を折らないようにして、桜の木が折られた枝の部分から感染症に冒されるのを防ぐとか、桜の木の根元付近で茣蓙を敷くのを止めて、桜の木の根っこが痛むのを少しでも回避しようとか、そんな優しさを示そうというのでは、毛頭ない。
 あくまで咲いている花の時を享楽しようという、健気な楽しみを、もっと濃厚な愉悦の時にしようとあの手この手を繰り出すというのに留まる。

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2006/04/03

散った花びらの行く末

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→ 数知れず散っていく花びらたち。風に舞い、吹き寄せられ、踏みつけにされ、見向きもされなくなる。せめて、このようであったら、花びらたちは喜ぶのだろうか。それでも行く末は同じなのではないか。一瞬の輝きに命の限りを尽くす。役目を終えたら、あとは散る。その潔さこそが桜の花の粋であり意気なのではないか。

 散った花後を追うなと潔く


「無精庵方丈記」更新しました。「落句拾遺 3-2」だよ。

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夜間飛行を堪能する

 真夜中の高速道路を一路、都心を目指してタクシーを巡航させる。ほんの一瞬だけれど、ふと、「夜間飛行」という言葉が脳裏を過(よぎ)ることがある。
 この言葉、そして感覚が不意に浮上してくるのは、あくまで帰路である。往路では、まずそんな経験はない。

 他の道府県は地域によって違うようだが、小生が所属している東京の営業エリアのタクシー(といっても、東京の23区と鷹市・蔵野市の、通称で武三23地区に限定されているが)は、夜間、空車の場合、車の上の広告塔(行灯=アンドン)が点灯している。実車(乃至は回送)となると、車のフロント左端にある空車(実車)表示板が実車(あるいは回送)表示に切り替わると同時に、行灯(会社のロゴマークを表示してある)の灯りも消される。
 こうすることによって、少なくとも遠くからもタクシーが実車(か回送か迎車などなど)であるか空車であるかが一目で分かるというものである(まあ、夜間だと空車だということが一目で分かるのであって、実車だと遠目には普通車と見分けが付かないという理屈だが、細かい議論はさて置く。余談だが、風力発電機付き行灯も発明されている)。

 さて、往路だと後部座席にお客さんを乗せている。気持ちは安全・的確・迅速(叶うなら快適)にお客さんを目的地にお届けしたいという一心である。できれば渋滞して欲しくないな。目的地近くになったら気持ちよく寝入っておられるお客さんを起こすけれど、すんなり起きてくれるだろうか、支払いは滞りなく手続きが済むだろうか、云々と結構、頭の中はあれこれ考えている。
 それ以上に、往路は、上記したように、行灯が消えているので、タクシーも普通車も区別がない。少なからぬ車が黒っぽい塊と化して下りの道をひた走っているだけである。
 
 それが、夜半過ぎの帰路となると、様子は一変する。

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2006/04/02

杉の花…花粉だけじゃない!

 スギ花粉の季節がようやくピークを過ぎたようだ。
 今年は飛散の量はさほどなかったらしく、実際、町中を車で流しても、傍観者には大仰に見えるマスクを装着した人の姿は例年ほどは見かけなかったような気がする。
 この花粉のせいで、すっかり嫌われ者になったような感もある杉。「杉の花」は立派な春の季語である。議論はあったようだが、「現代俳句歳時記(現代俳句協会編)」などでは、杉花粉症も傍題(類義語)として季語の一つである。
 但し、「花粉症」は微妙のようだ

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→ 紫苑さんにいただいた桜の画像です。庭には椿、サザンカ、クリスマスローズ、諸葛菜(紫なずな)、ゼラニューム、ポリアンサス、梅、桃……と咲くとか。どんな庭か、散策してみたい!

雄花は米粒大で枝先に群がり、黄色の花粉を飛ばす」というが、これが厄介者となっているわけだ。
 咲いても喜ばれない、その杉の花とはどんな花なのか。
 まずは、人によっては見たくない画像だろうが、「甚平鮫」サイトの「杉の花がパンク寸前」にて杉の雄花が膨らみかけている様子を見てみよう。
 もう、この今にも弾けそうな、はちきれんばかりの花の状態を見るだけで、花粉症の方でなくても鼻がムズムズしてきそうだ。
 ちょっとびっくりしたのは、「杉の花と言えば・・・杉鉄砲!」の一言。えっ、そんな鉄砲(遊び)なんてあったっけ。
 あるいは小生もガキの頃は仲間の輪に加わって、楽しんでいたのだったろうか(ヒジ鉄砲なら喰らったことはあるけど…)。
 これについては、「大末畳店」サイトの「道具を作って遊ぶ すぎ鉄砲 他」が詳しい。
 要するに紙(水)鉄砲の紙(水)の代わりに杉の実を玉として使う。竹が砲身で、竹の外側を使って芯棒を作るということだが、ここまで詳しく説明されてもピンと来ないことからして、やはり杉鉄砲では遊んでいない気がする。
 鉄砲を撃つと、独特の音がするというが、一度は聞いてみたいものだ。

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2006/04/01

2005年04月の索引…悲しい二周年

 このところ恒例になりつつある月初めの索引作りだが、今月も索引から始めることにする。
 例によって昨年の四月の目次・索引である。
 決して今年の四月の索引でも目次でもない!
 ざっとだが、こうして目次(索引)を作成しつつ読み返してみると、我ながら頑張っていると思う。いろんな分野の話題を扱っている。とにかく知らないことばかりだから、何を調べても、へぇー、の連発だ。
 別に雑学的知識を蓄えようという発想はない。本やささやかな経験や、そして何と言ってもネットの力を借りつつ、あくまで知らないことを探求し網羅し渉猟し、コト(事それとも言)とモノとの根源に迫りたいという願望と衝動があるばかりなのだ。
 哲学的営みの一種もである。

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→ 31日の夜半を回って、そろそろ未明かという時間。都内某所の公園脇で小憩。日中は人の目に晒され落ち着けない桜の花も、深い闇の中でまったり。
 
「万愚節(ばんぐせつ)」(エイプリル・フールのこと、早生まれの意味 April 01, 2005
「春宵花影・春宵十話」(松林桂月の「春宵花影」、岡潔の「春宵十話」 April 02, 2005
「鳥雲に入る」(夏目漱石の「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」 April 03, 2005
「春の塵…塵の河」(ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』や月の粉塵 April 04, 2005
「柳絮:植物状態の<人間>」(アメリカの尊厳死事情 April 05, 2005
「沈丁花の思い出…」(石川さゆりの「沈丁花」をめぐって April 06, 2005
「朧月…春の月」(月影は狂想を誘う April 07, 2005
「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ」(桜餅が誕生! ソメイヨシノのこと April 08, 2005
「春宵花影…」(句を織り込んだ創作 April 09, 2005
「黄砂…地球環境の主役?!」(エアロゾル…黄砂はいまや世界の注目を集めている April 10, 2005

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