久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)
相変わらず久世光彦(てるひこ)氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を読んでいる。すっかり彼の文章のファンになってしまった。が、小生には彼の文章・文学の評など書けないので、やはりここでも「久世光彦著『怖い絵』の周辺」をもう少々。
(車中で読んでいた小池真理子氏著の『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社刊)はある意味、意外なほどに楽しみつつ読めたので、読了したことでもあり、感想ぐらいは後日、綴りたい。)
『怖い絵』は大部の本ではないのだが、絵の絡む本となると、どうしても登場する画家や絵画を前にしばし瞑目したり、久しぶりに見る絵(画家)を懐かしんだり、逆に聞き慣れない(見慣れない)名前に戸惑って調べてみたくなり、気になってなかなか先に進めないのである。
そこはネットのありがたさで、音楽だと曲そのものを聞くというのは、例外的にのみ可能で、せいぜい作曲家らの周辺を廻るだけだが、絵画(画家)となると、大概は関連サイトに絵が掲げられている。小生も許されるなら載せたいし、そのための手間は惜しまないつもりだが、未だ、その手続きが分からないでいる。
ギュスターヴ・モローやビアズリー(ビアズリー(1872~1898(イギリス)「享年25歳 結核で死去」だとか)らのサロメも採り上げたいが、後日を期す。
ビアズリーについては、「BERDSLEY ビアズリー」なるサイトがいい。オスカー・ワイルド著「サロメ」の押絵(岩波文庫)からなど、ビアズリーの数々の絵が載っていて壮観である)、ここでは日本の画家、主に挿し絵画家の周辺を廻ってみたい。
→ 15日の夕方、外に出たら満月が。でも低い空。なので、密集する住宅に月影が見え隠れする。ほぼ真ん中に位置する月影に気づかれるだろうか。今頃は高い空に上っていることだろう。あとで、外に出て夜空を見上げてみようかな。
挿し絵画家。多くは世に知られている画家だろう。名前は初耳でも、絵を観ると、ああ、この絵なら観たことがある! と思うに違いないと思う。特に久世氏と近いある年輩以上の方は、きっと。
小生にとっては年代がやや上だが、それでも歴史小説・時代小説がとりわけ好きな父の書斎や書棚には、時代小説の専門月刊誌や単行本・文庫本が日本文学全集などと共に並んでいた記憶がある。今も並んでいるが、当時は父の書斎といっても、ガキだった小生が勝手に入り込めるような襖の部屋で、家族のいない間にこっそり本を手に取ったものだった。
こっそりというのは、そもそも小生は本が嫌いだったから(あるいま今も?)、まして活字となると拒否反応を起こすほうで、本というと漫画の本以外は幼少の頃から読まない人間だったのである。
ただ、漫画好きだからなのかどうか、挿し絵だけは見るのが好きだった。中学生になっても本というと挿し絵・図解入りの本が好きで、活字の説明というか本文は、あくまで挿画や写真を見るための余儀ない流しの部分に過ぎなかった。
例えば、本書『怖い絵』には、甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと 1894-1978)なる挿し絵画家が出てくる。何年か前に挿絵画壇の鬼才・岩田専太郎や伊藤春雨らと共に、名前程度は触れたことがあるはずだが、しかし、改めて関連サイトを覗いてみる。
「甲斐庄楠音研究室」が充実している。本書『怖い絵』では、「酔う女」という頁の中の、「「舞う」二人道成寺」が俎上に上っていた。久世氏がこの絵にどのような思い入れをしているか、本書はなかなか読み応えがあった。
但し、この絵を観ての小生の鑑賞とはやや違う(時間があったら彼と小生との鑑賞の違いを示してみたい)。
このサイトに掲げてある絵を観ると、何処かで見たことがあると思われた方も結構いるだろう。大正ロマン溢れる絵画の数々。どこか平安時代の美人画風な切れ長の一重の目。
だけれど、「花に酔」などを観ると、背筋がぞくっとしてくる。色気というより怨念が潜んでいるような気がしてならないのである。若き日、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》に感銘を受けたというが、何処か妄執を化粧と不可思議な笑みで無理やり抑え込んでいるような気味を感じる。
伊藤彦造がまた久世氏のこだわりの挿し絵画家のようだ。
「弥生美術館・竹久夢二美術館 生誕百年記念 伊藤彦造展 ―少年美剣士と嗜虐のエロス―」を覗いてみる。これら二つの絵のタッチや雰囲気でもう、ああ、知ってる、観たことあるという声が上がりそう。
「彦造は剣豪伊藤一刀斎の末裔として生まれ、少年の時から剣の修行に真剣を用いたとい」うのである。絵に鬼気迫るものがあるのも当然なのかもしれない。
この展覧会の会期は、「2003年1月3日(金)~3月30日(日)」である。で、生誕百年記念。なんと伊藤彦造氏は平成16年に百歳で亡くなられたのだ!
ところで、「少年美剣士と嗜虐のエロス」と銘打っているのに、そこに掲げられている絵は、優れてはいるが、伊藤彦造うじにしては、やや穏便な類いである。
「Hugo Strikes Back! 伊藤彦造 (Ito Hikozo)」なる頁に掲げてある挿し絵群が「少年美剣士と嗜虐のエロス」という彼の絵の世界を知るに相応しい。もう少し、突っ込み、エロスを突き抜けてしまったなら、そしてファロスが壁も障子も肉も内臓も刺し貫いてしまって、さらには大地をも抉ってしまって、闇の宇宙で獲物を探しあぐね、吐き出すものは肺腑しかなく、吹き出るものは妄執だけとなって、ついには絶対零度の時空で凍て付いてしまったなら、あるいはデューラー(Albrecht Durer 1471-1528)のメランコリアの域に達しそうな予感さえ漂う。
それにしても、こんな彼の絵を「南総里見八犬伝」など子供向けの本(「南総里見八犬伝」が子供向けと決め付けるのは総計だとしても)の挿し絵に使うとは。講談社は偉かった。
伊藤彦造の前には高畠華宵(たかばたけ かしょう)を扱うべきだったか。伊藤彦造は、高畠華宵が講談社を去った空隙を埋めるようにして発掘された人材群の一人だったのだし。
まさに大正ロマンの香り漂う挿画作家である。そう、大正ロマンの画家というと、「宵待草」の作詞者としても有名な竹久夢二を思い起こすが、高畠華宵も大正の世を画した挿画作家だったのだ。
「高畠華宵大正ロマン館」(美術館の佇まいが素晴らしい!)
他にも何人も採り上げたい挿画作家がいる。名前だけでも挙げておきたい。例えば、竹中英太郎がいる。夢野久作の小説に寄せて描いた挿画を描いたりしている。
「竹中英太郎コレクション」なるサイトがいい。
というか、上掲の挿画作家たちは観たことがあるが、竹中英太郎の作品はピンと来ないのである。小生は見たことがないのだろうか。
紹介した頁の画像群はどれも小さいのだが、それでも彼の独自な世界が髣髴としてくる。個性が際立っている。江戸川乱歩らの探偵小説の挿画を描いたというが、乱歩が決して子ども向きだというわけではないが、好きな人なら幼少の頃から乱歩や久作の世界に惑溺していくわけで、小生の世界もさることながら、こうした挿画を食い入るようにして眺め入りつつ育ったら、一体、どんな歪んだ…じゃない、心の豊かな、個性溢れる子どもに育つことやら。
今時の下手なエロ漫画よりは遥かに想像力が刺激されて、頭の中も下半身の一部も膨らみっぱなしになってしまうのではないか。
[ コメントで、竹中栄太郎の伝記、備仲臣道著の『美は乱調にあり、生は無頼にあり─幻の画家・竹中英太郎の生涯』(批評社)が出たばかりという情報を戴きました。ありがとうございます。
この「美は乱調にあり、生は無頼にあり〈幻の画家・竹中英太郎の生涯〉(備仲 臣道・著)○批評社●版元ドットコム」なるサイトに拠ると、「青年期に熊本水平社の設立に関わり、労働運動に傾倒した竹中英太郎(明治39~昭和63年)。上京後は、挿絵画家として頭角を現し、雑誌「新青年」を舞台に江戸川乱歩『陰獣』、横溝正史『鬼火』をはじめ、甲賀三郎、夢野久作、三角寛らの小説の挿絵を描き、その怪奇幻想的な画風で一世を風靡する」などと書かれてある。
本文中では言及する余裕がなかったが、長男は「怪物」ルポライターの竹中労氏である。
ちなみに、この批評社からは、利田敏氏著による『サンカの末裔を訪ねて 面談サンカ学――僕が出会った最後のサンカ』 などの興味深い本も出ているようだ。 (06/03/18 追記)]
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コメント
竹中栄太郎、何たる偶然!
今読んでいる「週刊金曜日」のお薦め本に「美は乱調にあり、生は無頼にアリー幻の画家竹中栄太郎の生涯」が出ているのですよ。
労働運動も指揮した人ですね。
どんな絵を描くのだろう?
ベン・シャーンみたいな絵かしら。
挿絵作家なのですか、見てみたい!
投稿: oki | 2006/03/17 23:21
画家、竹中栄太郎の伝記、備仲臣道著の『美は乱調にあり、生は無頼にあり─幻の画家・竹中英太郎の生涯』(批評社)ですね。情報、ありがとうございます。
絵に付いては、本文中にサイトを示してあります。
投稿: やいっち | 2006/03/18 02:45