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2006/03/26

「白鯨」…酷薄なる自然、それとも人間という悲劇

 あれこれ読み散らしていて、感想文を書く暇もない。チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)や西成彦氏著の『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)、小池 真理子氏著の『肉体のファンタジア』(集英社、集英社文庫版あり)のどれについてもメモっておきたいこと、感想など書いておきたいが、返却期限が来ているので、感想文を書くのは諦め気味である。
 土曜日は「明集」で生活のリズムが狂って、いつも以上に寝たきり状態になり、今朝、未明になってやっと起き上がれるようになった。といっても、ベッドからロッキングチェアーに塒(ねぐら)を移動させただけという見方もあるが。
 さて、今日は『白鯨』について若干。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンス はエジプト、トルコ等、アラブ全域で踊られる女性による即興のソロダンスとして有名ですが、名の由来腹部や腰をくねらせて踊る為、欧米ではBelly(腹部)Danceと呼ばれているところもあります。アラビア語でのベリーダンスはRaks Sharki(東方の踊り)という呼びかたをします」という。「ニューヨークでベリーダンス ニューヨークへ旅行♪」なんていうブログを発見!(例によって本文と画像とは関係ありません。以下同様)。

 先月末以来読み始めているハーマン・メルヴィルの『白鯨―モービィ・ディック (上・下)』(千石 英世訳、講談社文芸文庫)の世界にますます引き込まれている。読むのが遅い小生のこと、ようやく半分ほどを読んだだけだが、その凄みは、ブロンテの『嵐が丘』並みだと感じている。
 これはあるいは、英語にも弱い小生が言うのもおこがましいが、訳が従前に増して日本語になっているから、翻訳された本を読んでいるという特有の違和感を覚えないから、という側面があるのかもしれない。
 といっても、『白鯨』は学生時代に一度読んだきりで、当時は(前にも書いたが)河出書房新社グリーン版世界文学全集所収の版で、訳者は「冬の宿」の作家・阿部知二氏だったと思う。
 では阿部知二氏の訳がまずかったのかというと、記憶が定かでなく、覚束ない。
 当時の読解力では歯が立たなかったというのが正直なところなのかもしれない。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンス の起源には古代エジプトでは出産を助ける三人の女神を奉り、繁栄と豊穣を祈って女性により女性のために踊られたことからはじまります。やがて宮廷に入りエンターテイメント性を帯び、ダンサーは王家の指示のもと、高い地位につくようになってきました。オスマントルコ帝国にアラブ諸国が支配され、王宮の奥深いハーレムで踊られたのがベリーダンスの原形とも言われています。七世紀、イスラム教が起こり、その預言者ムハンマドが歌や踊りは魂を惑わすものとして嫌った為、ベリーダンスはストリートやハーレムで踊られるようになっていきました。ハーレムでは男主人の気を引くために踊らなければならない場合もあり、またストリートではダンサーはガワジーと呼ばれる集団となり、顔を隠すベールもつけず金の為に踊らなければならなかったので、忌まわしい職業と見なされ、もはや宗教色はなくなってしまっていきました」という。

『白鯨』という作品全体のトーンとしてある、「その一番奥にあるのは、アメリカ文化の底流に流れるキリスト教、それも厳格なカルヴィニズムに対する懐疑と信仰」の感覚を掴むこともできず、さりとて、「クジラと人をめぐる冒険譚として、捕鯨船についての膨大かつ詳細な記述から19世紀当時の捕鯨のドキュメンタリーとして」読むには、本文には(少なくとも当時の小生には)冗長な鯨学の薀蓄を語る部分が多く、そうした箇所でやたらと退屈してしまったりする。

 冒険譚にしては、余計な部分が多いと当時は感じてしまったのだ。が、この点も、今回読み直して、荒海・大海へと遠洋航海に出て、巨大な鯨と木造の船やボートで銛(もり)などを使うにしても素手で格闘する、その凄まじさが随所で描かれていることに気づく(若い人向き、冒険譚好きには、そうした部分を集めたダイジェスト版を関係者なら考えるかもしれない)。
 

 それは見るも恐るべき驚異の光景だった。全能の海が盛り上がり、鈍い底鳴りの音を響かせて膨張し、四艘のボートの八枚の船縁を洗って行く。海という無限の広さをたたえたボーリング・グリーンの競技場にあって巨大な波の玉が次々に襲いかかってくるようであった。ボートは波に押し上げられ、切り立ったナイフの刃渡りのような波頭に打ち震える。二つにへし折れるかもしれないのだ。が、次の瞬間、底無しの水の谷へと滑り落ちて行った。と思うと次の波が巨大な山となって眼前に聳え立ち、そのまままっすぐ、迫ってくる。鋭く拍車を噛ませ、激しく突き棒で突き、喘ぐボートをその頂きへ押し上げていく。するともう波頭を越えたのか、あっと思うと、真っ逆様、また谷底へ橇のように滑り落ちていくのだ。このとき終始、艇長と銛打ちは叫喚と怒声を発しつづけ、漕ぎ手はオールを操りながら全筋肉を痙攣させて呻き声を発し、こうした声という声が交錯するなか、彼方より蒼白の色をしたピークオッドが全帆を広げて、泣き叫ぶ雛を追う野鴨さながら、四艘のボートめがけて異様な姿で迫り来るのだ。これすべて、心の奥底に震えが走る世界であった。初めて妻の柔らかな胸を離れ、火炎舞い散る戦場に駆り出された新米の戦士といえども、あるいは、あの世に旅立って初めて見知らぬ幽霊と出会った死者の魂といえども、これほどにまで怪異な感情を経験することはあり得ない。そこはまさに魔に魅せられた激烈なる世界、初めて抹香鯨追跡に身を置いた人が出会う世界がこれであった。
 海上を走る雲の影がその暗色を濃くし、あたりが次第に薄暗くなって行くせいか、追跡される鯨の群れが上げる舞い散るようなしぶきは、いよいよその白さを鮮明にしてくる。漂い上がる水蒸気はもう混ざり合うのを止めて右に左に、そして至るところに飛散し、個別に漂い始めている。鯨の群れがばらけてきたのだ。ボートも互いの間隔を広げて走っている。三頭の鯨が風下へ向かってまっすぐに泳いで行く。スターバックはそれを狙って追走しているのだ。我々のボートにはすでに帆が張られ、いよいよ強まる風のなかを飛ぶように走って行く。波を切って狂ったように疾走していくので、水を捉えるべく風下へ差し込んだオールはどんなに素早く漕ぎ抜いても、オール受けからもぎ取れそうになるのだ。
 やがて我々のボートは、あたり一面を覆いつくすヴェールのような水蒸気のなかに突っ込んで行った。そして母船も他のボートも見えなくなってしまった。


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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「1983年、アメリカのシカゴでワールドフェアーが開かれ、世界の文化が紹介されました。その中でも最も注目を浴びたのがエジプト中央部のダンスだった。特に、アメリカのフェミニスト達に女性の美しさ、神秘性を最も表現できる踊りとして絶賛を浴び、空前のベリーダンスブームとなっていきました。その影響を受け、エジプト、トルコ等では再びベリーダンスの価値が認められ、国を代表するエンターテイメントとしての地位を確立していくことにな」ったという。「ベリーダンス アラビヤ民族舞踊家 矢口美香」なるサイト発見!

 引用しても読んでもらいたい箇所は幾つもあるが、きりがない。
 こうしたまさに巨大な鯨との格闘の場面こそが映画などでは一つの売り物、クライマックスシーンなのだろう。

 が、この作品の真の怖さ凄さは、自らこうした航海に出たりするような作者の茫漠たる魂の謎にこそあるのだろう。それは単に宗教的煩悶というには留まらない。ほぼ同時代のドストエフスキーらに比肩する想像力と創造力とが書き手を駆り立てて突き上げて止まない凄まじい、自分ではどうにもならない盲目的な意思の力と今は示唆して置くしかない。

 引用ついでにもう一箇所、ここに転記しておく。
 といっても、次は訳者である千石英世氏自身が解説しているので、その解説からの抜粋である。小生の下手な感想よりずっと中身の濃いものが示せると思う。

 

 清く正しく素朴に生きる人に悲劇は狙いすましたかのように襲いかかる。その横であくどく狡く生きる人は栄え、もう笑いが止まらない。これが世界だとしたら、そして、こんな酷薄な世界を通りぬけて行かねばならぬのが私たちだとしたら、私たちはどうするだろうか。人生におびえ、立ちすくんでしまうだろうか。十九世紀アメリカ文学の最高傑作とされ、『嵐が丘』、『リア王』とともに英語で書かれた三大悲劇の一つとも称される『白鯨 モービィ・ディック』の語り手イシュメールが、世界に感じていた違和感の一面はこのようなものであった。
 イシュメールと名乗る青年は、みずからをイシュメールと自称するだけで実は本名不明の人物である。青年はいわば偽名を使ってこの世の酷薄を避け、この世の埒外へと身を置き、何とか生き延びようとしているといえぬだろうか。埒外の世界とは、遠く陸影を去った海の彼方の海、海と空と水平線しかない絶海の波間の一点である。その一点を襲うのはむき出しの自然だ。またしても酷薄の世界、しかし、これは明らかに別種の酷薄であり、いわば一瞬にして生死を分かつ絶対世界、というよりむしろ生死が分かたれたことすら、場合によってはだれも気づかぬままその一点がかき消される世界なき絶対といったほうがいいかもしれない。
 イシュメールという名は、旧約聖書の登場人物の名を借りたものである。イシュメールは、ヘブライ語読みでは(ということは日本語聖書の記述では)、イシマエルとなる。イシュメールはその英語読みである。ユダヤの民であるヘブライ民族の始祖アブラハムの正妻には子供ができなかった。だが、側室には男の子が生まれる。イシマエルである。ところが、正妻にもその後男の子が生まれた。となると、側室とその子は追放される。母と子はパレスチナの砂漠を寂しく彷徨することになった。なぜ追放されねばならぬのか、旧約聖書「創世記」十六章はそんな疑問に一切答えることなく、淡々とこのイシマエルの物語を伝えている。砂漠もまた海と同じ自然、むき出しの自然、生き物の死体が砂粒に変わる世界だ。『白鯨 モービィ・ディック』の語り手は、そんな聖書物語から名を借り、この世の酷薄から絶対の酷薄へ、埒外へ、海へと逃亡するのである。
 イシュメールが乗り組んだ捕鯨船の名前はピークオッド。彼女の名前はアメリカ・インディアンの部族名に由来する。「彼女」といったのは、英語で船を代名詞で言い換えるときsheとなることを強調してそういってみたのだが、彼女がその名を得ているピークオッド族の人々は、北米大陸の北東部、コネチカット川流域に居住していた。この人々はヨーロッパ渡来の白人入植者と激しく争い、一六三七年、白人戦闘部隊の急襲を受けて、絶滅した。後に「ピークオッド戦争」と呼ばれるこの悲劇は、たしかに今日いう民族戦争とはいえず、むしろ小戦争であり、そして小戦争とはいえ規模が一点に凝縮した全面戦争、民族殲滅戦争であった。北米先住民で白人側と抗争して絶滅した最初の部族である。女子供をも皆殺しにするジェノサイドであった。英国からメイフラワー号で白人キリスト教徒たちが到着した一六二〇年から数えてわずか一七年目、白人キリスト教徒たちの新世界における「勝利」の第一歩でもあった。

 示したのは千石氏の解説の冒頭の一説に過ぎない。できれば全文を引用転記したいくらいだ(引用文のうち太字は小生の手による)。
 この一文だけでも、掴みはOKと思うが、伏在する問題は多い。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Suiren's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「現在のアラブにおける一流ベリーダンサーは皆の憧れのスターであり、歌も演技もできる女優として映画、テレビに出演し、一座の女座長として総勢70人(オーケストラ、歌手、裏方など)を抱える。ワンステージのギャラは一般エジプト人の年収に当たり、従ってムスリム社会においてベリーダンスは女性にとっての唯一の出世街道となっている。又、ベリーダンスが盛んなのはアラブだけではありません。欧米各地のアラブ人街では多数の欧米人ダンサーが出演しているし、アメリカ、フランス、ドイツ、スウェーデン、オーストラリアには多くのベリーダンス学校が数多く存在」するという。「Sacred Earth Belly Dance」(by Mishaal)なるサイト発見!「ベリーダンス アラブ 民族舞踊」なる頁には画像満載!

 剥き出しの自然、つまり酷薄な砂漠、あるいは酷薄で時には穏やかだが一旦牙を剥くと情け容赦のない海(ドストエフスキーならロシアの地平線をはるかに見遣る魂だろう)がメルヴィルの文学の背景(土台)にある。それに比して、平安の時代には少なくとも日本の中央の文学では剥き出しの自然からははるかに遠ざかり後退してしまって、加工され仮構された花鳥風月の自然、技巧と機知に収斂されてしまった自然観に至ってしまっている。
 但し、だから日本の文学は大陸の文学に比して貧相だというつもりはない。窒息しそうなほどに濃密な人工世界にあったからこそ、世界の中でも稀有な『源氏物語』が平安の世に早くも生まれたのだろうと考えられるからだ。

 船に乗る。英語では船は代名詞で言い換えるとき「she=彼女」となる。このsheに単なる音韻的な連関ということではなくして、「sea=海」をも含意させていいのではないかと思う。女という荒波・大海・母なる海に乗る。乗っていると言いながら乗せられている翻弄されてもいる。どんな大海の彼方の海へ漕ぎ出してもそこには海があり島があり女がいる…。逃げたいが逃げられない。追いかけたいが追いかけきれない。

 ヨーロッパ渡来の白人入植者により殲滅され絶滅したピークオッド族の人々だが、信仰心に熱く新天地を求めた清教徒たちだが、実際にやったことは先住民の虐殺と殲滅だった。そうした現実から目を背けるのが多くの常識と良識ある白人だったのだろうが、中にはそうした現実にまともに向き合う精神の持ち主もいる。インディアンだって人間なのではないか。黒人も人間ではないか。アラブ人も人間ではないか。東洋人も人間のはずなのである。が、原理主義的な信仰心に篤い人にはそのようには思えないらしい。
 さて、一方、捕鯨を入植した白人らが学んだのは先住民であるインディアンからだったようだ。学んだのか奪ったのかは定かではないが。いずれにしろ、「アメリカではじめて捕鯨業を行ったのは、この地域の先住民であるインディアンであった。彼等はカヌーを使ってハクジラの一種であるネズミイルカを浅瀬に追い込み、石でつくった武器でいとめた。植民地時代の1640年には、ロングアイランドに住む移民たちによる捕鯨がはじまり、1700年代になると、マサチューセッツの頑迷な信者たちに追われたクエーカー教徒のナンタケット島(マサチューセッツ州南東岸沖にある島)は、鯨が最も多く捕獲される地域として知られ、植民地の内外からのwhale oil(鯨油、1435年の言葉)やwhale bone(鯨ひげ、17世紀の言葉)の注文によって繁栄するようになった」のである(転記させてもらった「文学の中のアメリカ生活誌(39)」なる頁は捕鯨のことについて詳しい)。

「1800年代中期まで、北米大陸はまちがいなくバイソンたちの天下だった。草原や荒野は数百万頭のバイソンでそれこそあふれていた」「ところが1800年代に入り、ヨーロッパから人々が移民してくると、彼らは毛皮とその肉欲しさにバイソンを狩って狩って狩りまくった」。その結果、「1902年ごろには人々がまだほとんど訪れることのなかったイエローストーン国立公園周辺でかろうじて50頭ほどが残っているにすぎなくなった」のである(引用は全て「Mammo.tv Natural Mode ~Vol.3 国立公園発祥の地、イエローストーン その3~」より。読み応えがある。画像がまた素晴らしい!)。
 一方、先住民であるインディアンにしても、その先祖たちは北米大陸を闊歩していた(だろう)サーベルタイガーを絶滅に追いやっている。因果はめぐるというのは不謹慎か(「戦え絶滅動物」参照)。

 インディアンについては歴史も含め、下記のサイトが非常に参考になる:
インディアンの魂の叫び ~風と空と大地と~
 このサイトの表紙に、「当サイトにおいては、現在差別用語とされつつある“インディアン”を呼称しています。アメリカをはじめとする先進諸国が彼等を“ネィティブアメリカン”と統一の動きがあるようですが、日本においては、彼等への迫害や差別、虐殺の歴史は、ありません。むしろ愛称を込めて昔から“インディアン”呼称している筈です。また、彼等自身も“インディアン”の呼称に愛着を持ち、受け入れているからです」とある。
 小生がインディアンに関し、ネィティブアメリカンといった曖昧な(無難な?)呼称を用いないのも、今示した引用にある考え方と通底するものがあると思っている。

 インディアンを知る文献については、「羽根、あるいは栄光と悲惨の歴史」でも若干を示したが、下記サイトが詳しい:
インディアンの歴史と現在を知る文献
 書籍の詳細はもとより、引用までもが施されているのは、ありがたい!

 本稿は、「白鯨と蝋とspermと」に続く『白鯨』稿である。

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