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2006/03/06

土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…

 昨日、日曜日は夕方、図書館へ。日中、天気が良かったようで(タクシーの仕事でグロッキーで日中、ずっと寝ていた!)、そろそろ冷え始める刻限だったにも関わらず、日頃のようには喉を守るためのマスクをする必要も感じなかった。
 例によって本を三冊返却し、その足で新刊本のコーナーへ。
 脳科学(前頭葉)に関する本、哲学の本、犬の本、それから世界各地のその地特有の建物を見開き二頁で当然、画像を掲げつつ紹介する本があった。これを借りるか。
 でも、目は画集のほうへ。それは小生には聞きなれない画家の画集。
 タイトルは、『土屋輝雄作品集』(求龍堂)で、「土屋 禮一【監修】・平光 明彦【解説】(著者紹介)」となっている。「2006-02-28出版」だから出たばかりの湯気が出ているような本だ。パラパラ捲る。いい。絵がいい。一見すると日本画に組するような。でも、そうでもないような。
 日本画を描かれる多くの人は、題材に鳥を選ぶことが多い。何故なのか分からない。多くは鶏、つまりニワトリだったりするので、あるいは身近な題材だったからなのかもしれない。
 画集の中に、鳥の剥製の居並ぶ棚の白黒写真があって、記憶ではその剥製の多くは土屋輝雄氏自らが剥製にしたとあったような。

土屋輝雄作品集
土屋 輝雄著 / 土屋 礼一監修 / 平光 明彦解説
求竜堂 (2006.2)
通常24時間以内に発送します。

 迷った挙句、他に借りたい本があったので今回は断念。でも、図書館の隅っこで本画集を眺める束の間のひと時だけれど、「長い闘病生活の傍ら描き続け、青龍社展にも出品した日本画家」であり、「描くことがそのまま生きることであった」土屋輝雄の世界をじっくり楽しめた。

 ちなみに、「土屋輝雄・禮一父子展」が間もなく奈良県立万葉文化館にて始まるようである(開催日は、2006年3月16日 10:00~2006年5月21日 17:30)。

 日曜日に借りてきたのは、継続だがメルヴィルの『白鯨(上)』と、ついそのタイトルで書架から抜き出した小池真理子氏の『闇夜の国から二人で舟を出す』(新潮社刊。題名は、小池氏が彼女が学生時代に好きだった井上揚水のかの名曲の曲名から採ったものだとか)、そして過日、逝去された久世光彦氏の『怖い絵』(文藝春秋刊。文春文庫所収)の三冊。
『白鯨』は今月から来月にかけてゆっくり読んでいくつもり。学生時代のように体力にモノを言わせて一気に読むなんて芸当はできるはずもないし、暗黒の大洋を著者や登場人物たちと一緒に航海するつもりで。字面を追うだけじゃなく、書き手たる作家の書く熱源とその熱水の噴出の様相を、つまりは文体という名のメルヴィルの人間像をも垣間見ることになるだろう。
 小池真理子氏の小説は二冊しか読んでいない。今回は大作(白鯨)を読む傍らということで、彼女のエッセイを読む。女性作家の書く小説やエッセイは小生の大好物なのだ。男が描く女性像は大概が辟易させられるし(稀な例外はあるが)。「行き着く先などワカラナイ。ならば、ひたすら流されてゆこう。私はそのように生きて、恋して、書いてきた。創作と生と性の「証」を初めてまとめたエッセイ集」というのだ、恋には生き切れなかった軟弱者の小生はその根性(?)を堪能させてもらうしかない。

 久世光彦氏に付いては、特に作家としての久世氏については全く未知で無知なので、小説を借りるか随筆を借りるかで迷った。借り出した『怖い絵』は「ビアズリーの〈サロメ〉、乱歩の〈陰獣〉の挿し絵を画いた竹中英太郎、ベックリンの〈死の島〉、生涯〈蝋燭〉を描きつづけた高島野十郎―。テレビ界の鬼才が、数々の絵との出逢いと、〈ヰタ・セクスアリス〉を綾糸のように織りなした妖かしの世界」ということで、絵の好きな小生だから、入りやすいかもという魂胆もあっての選択。
 迷ったのは同氏の『一九三四年冬―乱歩』(新潮社刊。新潮文庫所収)と『怖い絵』のどちらにするか。
昭和九年冬、江戸川乱歩はスランプに陥り、麻布の「張ホテル」に身を隠した。時に乱歩四十歳。滞在中の探偵小説マニアの人妻や、謎めいた美貌の中国人青年に心乱されながらも、乱歩はこの世のものとは思えぬエロティシズムにあふれた短編「梔子姫」を書き始めた―。乱歩以上に乱歩らしく濃密で妖しい作中作を織り込み、昭和初期の時代の匂いをリアルに描いた」というんだもの、乱歩好きな小生、惑うし迷っちゃうよね。
 この文脈からして察せられるように乱歩には短編「梔子姫」はない!
 実は密かに、『触れもせで―向田邦子との二十年』(講談社)を探していたけれど、見つからなかった。ま、楽しみは寝て待つか。
 それにしても、 「柔肌の熱き血潮に触れもみで 淋しからずや道を説く君」と女に言われる男は根性なしなのだろうか。男は(やせ)我慢が命か。
 
 ところで、上記引用文中に「生涯〈蝋燭〉を描きつづけた高島野十郎」という一行がある。『怖い絵』の表紙にも高島野十郎の蝋燭画が使われている。
 蝋燭というと気になる。何も薄暗い部屋で赤い蝋燭を女体に垂らして…というあれじゃない(これも一度は経験したいが)。「蝋燭の焔に浮かぶもの」で(バシュラールに感化されて?)蝋燭へのこだわりを示している小生なのだ。
幻妖ブックブログ 高島野十郎の蝋燭画」という頁が見つかった。
 この頁は、どうやら多田茂治著の『野十郎の炎』という本を紹介しているらしい。検索したら、同名のタイトルの頁が見つかった。本書に、そしてやはり野十郎に魅せられて書き下ろした一文だった。ホームページへ遡ってみると、「オーダーメイドの治療で癌と闘い老化を克服し、輝かしい命を!」と謳う「外科医・山内昌一郎のホームページ」だった。
「蝋燭の画家」「孤高の画家」 と一部に注目されていただけだったのが、テレビの「なんでも鑑定団」で採り上げられたことで一躍、脚光を浴びるようになったようだ。蝋燭の焔の光が掻き消されないことを願うばかりだ。

 と、あれこれ書いてきたけれど、実は、図書館で借りた本は題名だけにして、小冊子『富山県人』(富山県人社)が送られてきたこともあって、この冊子から本日は久しぶりに富山の話題を採り上げるつもりだったのだ。でも、前置きが長くなりすぎたというわけ。
 ま、話題のほうは逃げないから、またの機会に譲ろう。


[ 文中を綴る上で参照させてもらった「BLOGわん」さんから逆TBを早速していただいた。ネット上で高島野十郎の描いた絵の画像を探したが、なかなかこれというサイトが見つからなかったのだが、「BLOGわん没後30年 高島野十郎展」という頁には「没後三十年 高島野十郎」展の図録の画像が載っている。垂涎! また、同頁へのコメント欄で某人が、「asahi.com:【5】 月 - マイタウン福岡・北九州」なる頁に掲げられている制作年不詳の「月」を紹介してくれていた。
 決して大きな画像ではないのだが、実に見事だ!

 この頁には、「高島野十郎は、闇を描こうと試みた画家であった」で始まる高島野十郎を紹介する福岡県立美術館学芸課長の西本匡伸氏による記事が載っている。こうした記事は短期間で削除されるので、クレームを覚悟でここに転記させてもらう:
 

 彼は、若い頃から月夜の情景を描いていたが、月という主題を明確に意識し始めるのは、70歳を超えてからである。昭和36(1961)年に都心の青山から、千葉県柏市の人里離れた田園のなかに、電気も水道もない小さなアトリエと畑を作って、晴耕雨読ならぬ晴耕雨描ともいえる生活を送った。

 夜空のきれいな柏に移って月の美しさにあらためて気づいたのか、しだいに周囲の景観が省かれ、やがて本作のような月だけが描かれた作品に到達する。しかし月ではなく闇を描こうとしたのだという。晩年においても、写実でもって闇を描くという、いわば表現の臨界点に向かって、彼は制作を進めていたのであった。その探求は光と闇とが拮抗(きっこう)するだけの本作によって、ひとつの結論を得たと言えるだろう。それはまた写実を追求し続けた彼の全画業の最終地点でもあったのである。


 尚、福岡県立美術館で開催されていた「高島野十郎展」は既に会期を終了しているが、嬉しいことに、「三鷹市美術ギャラリー」へも、2006年6月10日~7月17日の会期の予定で巡回してくるとか。
 楽しみだ!
                                  (記事作成当日追記)]

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コメント

おお、三鷹市美術ギャラリーにもくるのですか。
ここは「ぐるっとパス」で無料入館できますからね。
四月には大岡信さんのコレクションの展覧会とかーいろいろやってますね。
美術館めぐりすればするほどわからない、知らないことの多さに愕然となる僕。
さてさて今日は日本橋高島屋のマリリンモンローに、東京駅から立川まで一直線ですし。

投稿: oki | 2006/03/06 13:27

あれ、まぁ~、お恥ずかしいほど、ご紹介して下さって、
ありがたいことでございます。
福岡県美では、日にちがあると思うと、
つい行きそびれて、
ぎりぎりになって見に行きました。
三鷹では是非ゆっくりと野十郎の精神世界を
堪能なさいますよう・・・
もう一度見に行きたいくらいです。

投稿: bali | 2006/03/06 14:41

okiさん、絵画の世界(も)広いねーー。
これからも折に触れ紹介するつもり。実物がいいのに決まってるけど、ネット探索していろんな画家・芸術家(書き手)に自分なりに脚光を浴びせたいね。生意気だけどさ。
高島野十郎もいいけど、土屋輝雄も素晴らしいよ!

投稿: やいっち | 2006/03/06 19:22

bali さん、とても参考になりました。
高島野十郎、bali さんの地元の出身なのですね。でも、彼はいまや日本の画家ですね。
かく言う小生も、郷土の作家・画家・音楽家そのほか様々な話題を提供していきたいと思っています。
高島野十郎の図録、よさそう!

投稿: やいっち | 2006/03/06 19:26

この記事へのアクセスが急増している。
これは何かあると調べたら、なるほど、「美の巨人たち 土屋輝雄 作「鶏舎」 番組情報 テレビ東京」が放映されていたのだ:
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_index.htm

以下、番組案内から一部を転記:
今日の一枚は、土屋輝雄の「鶏舎」。画家は子供のころ股関節を怪我してから歩くことが出来なくなりました。学校にも通えず、ただ庭に訪れる雀や鶏、昆虫、植物と対話し、それらを描き続けました。

両親の離婚により、母を失いました。母代わりに世話をしてくれたおばのちかは当時では珍しい写真館の女主人、輝雄の絵の才能を伸ばすため結婚もせず支え続けました。結婚後は、妻や子供が彼の足となり写生を手伝い輝雄を支えました。師匠である画家の徳田隣斎も輝雄の家まで出向き絵の手ほどきをしたといいます。

自由のきかない体でひたすら身近なものを観察し、写生してきた輝雄の絵は、写実に優れているだけでなく郷愁を誘う優しさに満ちています。

32歳でようやく1枚の絵が認められます。それが今日の一枚、「鶏舎」。大阪市美術展で入選したのです。そして、52歳で亡くなるまで描き続けました。

2002年、没後40周年の展覧会で輝雄の絵は再び脚光を浴びます。素朴な日本の風景、日本の暮らしを思い起こさせる作品として。
                      (転記終わり)

やや小さな画像ですが、同上の頁で見ることができます:
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_index.htm

もっと脚光を浴びてしかるべき画家なのです。

投稿: やいっち | 2007/07/14 22:53

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