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2006/03/22

羽根、あるいは栄光と悲惨の歴史

 別窓で掲げる記事は、昨年の夏にサンバパレードの画像を掲載するために(!)書き下ろしたレポート(の一部)である。基本的に書いた当時のまま、ここに記事のみ掲載する。画像を御覧になりたい方は、それぞれの項目の頭をクリックすれば、覗きにいける。
 わがサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のただの追っかけに過ぎない小生だが、一ファンとしては(質・内容はともかく)書いた文章の量はなかなかのものがあるのではと自負している(誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めておきます)。

YASMEEN-1

→ 「Charlie K's Photo & Text」の「YASMEEN's Belly Dance  - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンス! 例によって本文と画像とは関係ありません。

 サンバは眺めるより自分で体験するものなのは言うまでもないが、ま、理屈を言えば小生は文章で踊っているつもりなのである。文章は体どころか頭の中まで曝け出してしまうものなのは、日々実感しているところだ。
 書くとは、恥を掻くことなのである。
 さて、なかなかサンバについては調べる時間を取れない。ブログ(ネット)を見ても、当然ながら自ら踊っているか、でなかったら、小生のようにギャラリーし、遠巻きに眺めているだけというケースが多い。サンバの音楽も、思いっきり専門的だったりして、初心者が知りたいこと、素朴なことが書いてなくて、隔靴掻痒の感を否めない。
 かくなる上は自分で調べるしかない。
 浅草サンバカーニバルに向けてのテーマを自分なりに考えたいが、本場を見ないうちに語るのもおこがましく、ちょっと表向きは手が出せない(そのうち、恥を忍んで書くことがあるだろう。但し、一般論として)。

YASMEEN-2

← 「Charlie K's Photo & Text」の「YASMEEN's Belly Dance  - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンス! イナバウアーじゃないってば!

 サンバというと、音楽とダンス。今回はダンス、特に羽根に焦点を合わせる。
 サンバを知らないものとしては、紋切り型とはいえ、人が身に纏う羽根というと、インディアンの羽根をまず思い浮かべてしまう。
 別頁ではサンバのタンガでの羽根について若干、書くので、その前置きとして、ほんの少しだけ、北米の先住民族であるインディアン(と呼称される)の栄光と悲惨の歴史を少々。

インディアン─迫害の歴史」をまず、参照する。
「コロンブスが新大陸を「発見」した当時、現在のアメリカ合衆国部分には200万人以上のインディアンが存在したと考えられている」という。
 それが、「19世紀末に25万人にすぎなかったインディアン人口」だったが、今「は、現在142万人(1980年)にまで回復している」という。
 アメリカ合衆国の歴史は、裏面から見ると、インディアン虐殺と土地の収奪の歴史でもあった。フランスの自由・平等・博愛に外国からの移住者もフランスの貧困層も含まれないように、「1776年の合衆国独立宣言には、「すべての人は平等につくられ……」とうたわれているが、インディアンがこの「すべての人」に含まれないのは明らかだった」わけである。
 アメリカのブッシュ現大統領が何かというと、正義を振りかざすように、「「正義の騎兵隊vs野蛮で残忍なインディアン」という図式が、「明白な運命」的な発想に固執した白人の身勝手な虚構であることはいうまでもない」のである。
 アメリカが合衆国となった地で行ったことをアフガニスタンで、そしてイラクで行っている。
 インディアンの羽根は戦士の勇気の象徴であり勲章だという。「この平原インディアンにとって、羽冠は、単なる装飾品ではなかった。羽の一枚一枚が戦場での命懸けの手柄を表していたからである。だから羽冠は、例えてみると勲章をズラリと並べた様なモノなのである」という意味での栄光と、やがて白人に追い払われ虐殺されていく悲惨。結果として、羽根に篭められた「インディアンを意味する記号と化していく悲しい歴史」も記されていくわけである。

参考文献:
ウィリアム・T. ヘーガン著『アメリカ・インディアン史』(西村 頼男/島川 雅史/野田 研一訳、北海道大学図書刊行会)
藤永 茂著『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書 21)
ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史』(星川 淳訳、翔泳社)
(際物と一部では思われているみたいだけど、文字がない時代は伝承・口承しか先祖の知恵は伝えようがなかったことをもっと思うべきだろう。『古事記』だって口承ではなかったのか。)
ブライアン・M. フェイガン著『アメリカの起源―人類の遥かな旅路』(河合 信和訳、どうぶつ社)
(「コロンブスの「発見」より遥か以前から、新大陸には多くの民族が住んでいた。彼らはいつ、どのようにしてアメリカ大陸に渡ったのか?」だって。先住民にもいろいろ歴史がある。93年に図書館から借り出して読んだっけ。)
 未読だが、ジェームズ・W・ローウェン・著『アメリカの歴史教科書問題〈先生が教えた嘘〉』(明石ライブラリー60( 他)○明石書店●版元ドットコム)は面白そう。「先住民や白人以外の移民の歴史・社会・文化の無視、白人西洋文明中心の嘘を、代表的な教科書の記述を取り上げながらえぐり出す」のだとか。歴史教科書問題はアメリカのほうがはるかに深刻みたいだね。

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→ 「Charlie K's Photo & Text」の「YASMEEN's Belly Dance  - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンスは「1983年、(中略)女性の美しさ、神秘性を最も表現できる踊りとして絶賛を浴び、空前のベリーダンスブームとなっていった」とか。


羽根のこと(1) [2005年08月08日(月)]

 サンバというと独特のリズムの音楽を思い浮かべる人もいるだろうし、サンバからボサノバ、サルサ、タンゴなどと関連する中南米、南米系(発祥)の音楽を連想する人もいるだろう。
 同時に、踊り方もサンバは独特の腰の振り方やステップワークがあるようで、小生はただただ見事と呆れて見ているだけである。
 とてもじゃないが体力もだが、とにかく体が付いて行かない。ま、我輩の事情など、どうでもいい。
 サンバパレードというと、やはり素敵な女性たちの華麗な衣裳を身に纏っての踊りを連想する人が大半なのではなかろうか。バテリア(打楽器隊)陣の演奏を耳にしていても、最初は映像的にダンサーらの格好にまず、圧倒される。
 小生自身、サンバダンサーやサンバチームの存在を知るまでは、サンバというと、夏八月の終わり、年に一度の浅草サンバカーニバルの模様をテレビのニュースでチラッと見たり、春先というか冬の終わり頃というべきか、二月に行われるリオのカーニバルの模様などをごくたまに映像で見たりしたことがあったくらいである。
 最近は、マツケンサンバなるものが(一昨年辺りから?)流行っていたりして、サンバという名前だけは、あるいはサンバモドキに過ぎないとしても、とにかく耳に親しく聴いているようではあるが、この件は、前にも触れたし、また、別の機会に再度、触れることがあるかもしれない。
 さて、今回は、サンバの衣裳というべきか、サンバダンサーを強烈に印象付けているタンガ(背負い子)、特に羽根に焦点を合わせてみたい。
 最近は図書館に行く機会が多いので、サンバ関連の資料を求めたりするのだが、音楽のコーナー、踊りのコーナーなどを巡っても、凡そ、サンバ絡みの図書が皆無に近い(というより皆無だ!)。
 非常に残念である。
 こうなったら、サンバについての定評のある本などを随時、図書館に借り出しを求めていくつもりでいる。
 調べたかったことはいろいろあるが、中でも上記したように、どうして羽根が素材として使われることが多いか、なのである。


羽根のこと(2) [2005年08月08日(月)]

 さて、サンバダンサーの衣裳に羽根が使われる、その理由だが、あるいは常識に属することなのであり、ことさら小生が調べるのも、小生が無知に過ぎないことを露呈するに終わるかもしれない。
 しかし、知らないし、分からないのだから、聴く人、教えてくれる人もいないし、通り一遍のことに終わろうと自分なりに調べてみるしかない。
 リオのカーニバルなどのサンバに限らず、宝塚の歌姫たちの衣裳にも羽根はよく使われる。時には、生け花にも素材の一種として使われるとか。 
 その羽根というのは、ダチョウの羽根である。クジャクでも白鳥でもツルでもトンビでもタカでもツバメやスズメでもカラスでもハトでもニワトリでもウでもなく、ダチョウと相場は決まっているようである。
 何故、ダチョウの羽根なのだろうか。カラスはあんまりだとしても、クジャクや白鳥やツルだって見栄えがしそうじゃないか?!
 確かに、ダチョウの羽根は見た目がゴージャスである。
 噂で聴いたことであり、確認は取れないのだが、ダチョウの羽根は静電気を呼ばないので、ハタキに使われることもあるとか(←この辺りのことは、「ダチョウ王国「ダチョウの卵・羽・革」」を参照。オストリッチの革製品やダチョウの卵のことなども書いてある)。
 静電気無用なのは、ダチョウの羽根だけなのか、それとも鳥の羽根一般に云えることなのか、小生は疑問に思っている。機会があったら、このことも調べてみたい。
 いずれにしろ、静電気を生みにくい質をダチョウの羽根が持っているというのなら、衣裳の素材などに使われる理由も、相当程度に理解が進むことになる。
 つまり、汚れにくい、埃をかぶっても、すぐに払い落とすことができるわけなのだから。
 さて、いきなり余談になるが、サンバの羽根のことに直接、関係があるわけじゃないが、「■コロニア ニッケイ社会 ニュース」の「■カルナヴァルと日系人(終)=ヴァイ・ヴァイ=移民90年忍者と芸者とラジオ体操=日本民族文化からブラジル民俗へ」なる記事は非常に面白かった。
(ちなみに、ニッケイとは、日経の意ではなく、日系と理解すべきだろう。略さずに丁寧に表記すると、「コロニア-ブラジル日系社会-ニュース」というサイトなのである。)

「★天皇とビキニ★」という項目の記事に、まず圧倒される。
 ついで、「★サンバと禅★」という項目など、こうした項目を立てること自体、発想が飛びぬけている。


羽根のこと(3) [2005年08月08日(月)]

「■カルナヴァルと日系人(終)=ヴァイ・ヴァイ=移民90年忍者と芸者とラジオ体操=日本民族文化からブラジル民俗へ」なる記事をもう少し。
「★サンバと禅★」の冒頭に、「一つ一つのイメージの奥に、隠された意味を読み取りがちな日本人にとっては特に、強烈なインパクトを与えるに違いない」とある。
 そう、確かに日本人は何事も深読みしがちなような気がする。小生など、狛犬の向きのことで誤解をして笑われる聖海上人(「徒然草」第236段)のことを連想してしまう。
 つまり、「本殿の前の獅子と狛犬が反対に向いて背中合わせになっているのを見てしきりに感心」するのだが、実は其れは、いたずら坊主の仕業とあとで分かって恥を掻くという話である(「『徒然草』 もの狂おしくない新訳」の第236段を、是非、読んでみて。読みやすいし分かりやすいから)。
 さて、冒頭の一文に続いて、「このパレードを手がけたカルナヴァレスコ、シッコ・スピノーザはTV中継で「これは日本文化への旅と黒人の夢の融合だ」と語っている。そう旅の主人公は同エスコーラが誇る天才黒人ダンサー、クリオレで、彼が見た夢をたどる形式でパレードが進んでいく。黒人文化に吸収された日本のイメージは、解体され、再解釈されて、グロテスクで耽美なスペクタクルとして表現される」とあったりする。
 うーん、「日本文化への旅と黒人の夢の融合」とは。
 さらに、話は続く:

八〇年代にヴァイ・ヴァイでカルナヴァレスコをしていた成戸稔さんはいう。「黒人文化の基層をなすカンドンブレにはもともと〃今とここ〃という概念しかない。過去と未来はすべて〃今〃に集約されて時差がない。〃ここ〃には遠近の区別がなく、全ての距離感を含んでいる。まるで禅みたいでしょ――」。

「〃今とここ〃という概念しかない」!
 今にしてサンバの何処に魅了されているか、その理由の一端が垣間見えたような気がする。
 そう、民族とか宗教とか出自(生まれ)とか男女とか、美醜とか、年齢とか、社会的地位とか、誰もがそれぞれに抱えている日々の重荷とか、もっと言うと、誰が誰のものであるといった(夫婦や恋人、親子、恋人にしても女と女、男と男なども容認する)日常的社会的男女関係をも度外視し、ただ、今、ここにあって、生きていることの喜びを、歌や踊りや演奏や喝采や奇声や興奮で、それとも本能で、感じ表現する、している、だからこその感激がサンバパレードにはあるのだと思うのだ。


羽根のこと(4) [2005年08月08日(月)]

 アフリカもそうだが、ブラジルや、嘗てはインディアンと呼称されていた北米の先住民族たちも多くは羽根で頭や身を飾っていた。
 ここには何か意味があるのだろうか。小生自身、「徒然草」の聖海上人となるのを覚悟の上で、考えてみたい。
 ところでインディアンたちの使った羽根は、何の鳥の羽根なのか。
羽根冠~ウォーボンネット」というサイトを覗いてみる。表題には「平原インディアンの特色~羽根冠ウォーボンネット
  インディアンの象徴」とある。
「一般にインディアンといえば、羽冠が思い浮かべられる。英訳するとウォーボンネット」だとか。続いて、「「戦(いくさ)の帽子」と呼ばれるこの羽冠は、まさにインディアンを象徴するアイテムの一つである」とも。
 が、以下が大事で、「しかし、実際は、この羽冠も、ティピー(テント)と同じく元来はインディアンの中でも、これから紹介していくスー族や、シャイアン族、クロウ族、オマハ族など、大平原に住む限られた部族の習慣だった」という。
 つまり、「この平原インディアンにとって、羽冠は、単なる装飾品ではなかった。羽の一枚一枚が戦場での命懸けの手柄を表していたからである。だから羽冠は、例えてみると勲章をズラリと並べた様なモノなのである」というのである。
 これがやがて、インディアンを意味する記号と化していく悲しい歴史がさらに綴られている。興味深いというか、悲惨というか、哀れでもある。
 さて、インディアンが使う勲章としての羽冠だが、「インディアンは、鳥の中で最も強く勇猛で、しかも空高く舞い上がって飛翔するイヌワシを神聖な鳥と考えたようである」ということで、イヌワシの羽が使われているとか。
 但し、現代では「希少動物の為、本物のイヌワシの羽は入手しづらく大体は七面鳥の羽を代用しているらしい」。
 以下、上掲のサイトには、羽冠に「使われている材料」が列挙されている。

 改めて、かねてよりの小生の疑問だが、北米大陸のインディアンの羽と、サンバで使われる羽根との間に相関関係があるのかどうか。
 これはまだ探究すべき課題として残ったままである。特に、北米大陸の平原インディアンが羽根を使うのであって、森林に住むチェロキー族や、インディアンジュエリーで有名な平和を愛するホピ族やズニ族は使わないとあっては、南米の(アマゾンの)森林の中の原住民が羽根を使ったとは考えにくくなる。
 アマゾン河流域の森林や密林では、確かに豪華な羽根は、そもそも移動にも邪魔かもしれない。
(言うまでもなく、ブラジルでのサンバは北米大陸の文化に淵源するものもあるだろうけど、スペイン人などの白人にアフリカ大陸から連れてこられた奴隷のもたらした文化・伝統のほうが、音楽や踊りを含めて、影響が大きい。ダンサーの衣装であるタンガについても、北米のインディアンの羽根と結びつける必要はない、という考え方(推測あるいは仮説)もありえる。)


羽根のこと(5) [2005年08月08日(月)]

 ところでサンバのタンガ(背負い子)などに使われる羽根は、ダチョウの羽根だという。その羽根、ブラジルでは不足気味でアフリカから輸入しているとか。
ニッケイ新聞 はばたけ!ダチョウ飼育(下)=夢追う日系飼育者==高まる伯国での需要」によると、「ダチョウの羽はカルナヴァル時期には二十トンが消費されるが、そのほとんどが現在、輸入品であるため高価だ。ダチョウの羽は静電気を起こさない性質を持っているため、電子部品などの製造工場にも大きなニーズがあるという」。
 ただ、「現在、南アフリカ、アメリカ、スペイン、イスラエルが世界の主なダチョウ生産国だが、「牧草なども豊富で土地環境の面でも最適といえるブラジルでダチョウ飼育の将来は明るい」と話す佐久間会長」なる記述が続く(佐久間会長は、「Acab(ブラジルダチョウ飼育協会」の会長である)。

 サンバの生みの親の祖先がアフリカから連れてこられたアフリカ奴隷だったことを思うと、羽根をアフリカから輸入しているというのは、何か感懐を誘うようでもある。
 ここから、さらに強引に話を展開させてもらう。
 アフリカというとエジプトである。
エジプトの神話」というサイトを覗かせてもらう。
 エジプトの神話とサンバに関係がある? 実は、エジプトの神話と関係するのは、ダチョウの羽根なのである。
 上掲のサイトの「●太陽神ラーの舟 …昼と夜の旅」の項に注目すると、「神々の父の太陽神ラーは聖舟ウイアに乗り、太陽と共に毎日天と地を廻ります。昼はマァジェト(マンデト)、夜はメセケテト(メクセト)と呼ばれる舟が天と地を流れる川を漂って行きます。朝(あした)の舟マァジェトには眩しく輝く太陽神ラーとラーの記録係のウェネブ、正義の女神マアト、叡智の神ジェフティ(トト)、舟の舵をとるヘル(ホルス)が乗っています。夕べになると舟はメセケテトと名を変え、夜の死者の国を通過していくのです。」という記述を見出す。
 文中の、「正義の女神マアト」が、我々の関心の対象である。
「●死者の書」に移ろう。「冥界の書ともいわれ、再生復活を願う古代エジプト人の死生観を表した物語」で、「死者の書」という名称くらいは目に耳にしたことのある方も多いのでは。
「遺宝や棺に刻まれている来世ドゥアトへの旅立ちと来世での暮しの手引書で、その際に起こる困難を乗り越える呪文が刻まれ、ミイラ作りやマアトの最後の審判の様子が描かれています。」という。
 次に続く、「死後、その肉体をウイ(ミイラ)として保存措置がなされた王や被葬者は、現世での言業を審判にかけられます。真理のマアトの羽根と王や被葬者の心臓とを天秤メカアトで量るのですが、この時に王や被葬者に「罪の否定告白」をさせるのです。」という記述が重要である。
「真理のマアトの羽根」というキーワードが出ている。
 再度、「エジプトの神話」というサイトの末尾を読んでみると、「●マアト …正義・真実・秩序」という項が出てくる。
 其処には、「ダチョウの羽根で顕わされる。宇宙世界が本来持つ秩序とその安定や回復・維持を象徴する。太陽神ラーの娘として女王で表されることもあるが、「死者の書」の最期の審判で、死者の言行をその心臓とマアトで測る話が有名。」と書いてあるのだ!
 やっと、ダチョウの羽根が登場した。やれやれ。

 ここで再度、ダチョウの羽根について考える。ダチョウの羽根は見た目も派手で華麗だったりするし、静電気との関係も前に触れたが、仄聞するところによると、豪奢ではあるが、非常に軽いのだという。
 まあ、ダチョウとはいえ、本来は空を飛ぶはずの鳥の一種なのだから、羽根だって軽くなくては困るだろう。
(他にも、ダチョウの羽根は左右対称だというメタファーもあるらしいが、鳥の羽根ってみんな、左右対称なのじゃないだろうか。ここにも調べる余地がありそう。)
 その軽い「真理のマアトの羽根と王や被葬者の心臓とを天秤メカアトで量る」というのだが、審判の際の王らの告白が虚偽だと、量り(天秤メカアト)が傾く訳だが、心臓は明らかに(真理のマアトの)羽根より重いわけで、一体、どちらに傾くと拙いのか、非常に気になるところではある。
マアトの羽根で天国への道は開かれる!?」なるサイトによると、「その神々の前で「生前、悪いことはしていない」とのべ、ミイラづくりの神アヌビスがマアト女神の羽根と、死者の心臓を天秤にのせつりあえば声正しき者として天国に行くことが許されます。(マアトの羽根よりも重ければ、生き返ることも、天国へ行くこともできません。)」というから、困ったものだ!
 こうなったら、ダチョウの羽根を集められるだけ集めて、救いを祈願して踊りまくり歌いまくり演奏しつづけるしかない、という次第で、サンバのパレードは大切だという結論に至ったのだった?!

*タンガ全般に渡って知りたいなら、そして購入をお考えなら、「Fantasia de Samba」へどうぞ。

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