三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷
久世光彦(てるひこ)氏著の『怖い絵』(文藝春秋)を読んでいるのだが、中身に付いて感想もさることながら、それぞれの章で扱われる画家(絵画)や挿画につい関心が向かってしまう。先ほど、読んだ章には、小生が二十代の後半から三十代にかけての頃に、一番、好きだったギュスターヴ・モローの名や絵が話のモチーフになっていて、懐かしくなった。
小生はその前はムンクやエゴン・シーレ、ルドン、パウル・クレーなどが好きだったが(今も、勿論だ!)、次第にモローの世界に傾いていった。というより、官能的な世界に我が身が浸潤されたというべきか。
しかし、三十代の後半からは、下記の雑文で示すように、次第に抽象表現主義やアンフォルメルの絵画作品に圧倒されていく。三十代の半ば頃、残業続きの上、友人の仕事の手伝いなどで睡眠時間がただでさえ数時間もなかったのに、朝までの乏しい睡眠時間を削って、ジャクソン・ポロックやジャン・デュビュッフェ、ジャン・フォートリエらの作品(言うまでもないが、展覧会で見てきた印象や買い求めてきた画集の中のいずれかの作品)を前にして、掻き立てられるイメージのままに、まさに抽象表現的な文章、虚構は虚構だが、詩といえば詩であり、友人曰く、まるで文章になっていないものを書いていた。
→ 紫苑さんから画像掲示板にいただいた薔薇の画像です。アダモはコンサート40曲近くを歌いきったとか。紫苑さん、「コンサート終了後楽屋まで押しかけサインと握手とキッスをいただいてまいりました!」だって。小生もその情熱の欠片でも戴かないとね。
自分としては他人には支離滅裂なのは最初から承知の上だった。文章を無理につなげようなんて、まるで考えていなかった。なりふりなど構っていられなかった。
とにかく掻き立てられ、湧き上がるイメージ…、というより、例えば闇の宇宙をあてどなく漂っていて、時に心地よく浮遊していくのだが、時に方向感覚も上下の感覚も失われ、メニエル症という頑固な病に冒されたように(実際、92年から93年の頃は、振り返ってみると、明らかにメニエル症かメニエル症候群の渦中にあったとしか思えない苦しい症状に悩まされるようになった)吐き気と眩暈に苦しまされ、そのまま水平に意識を失うようなことになるのかと思いきや、闇の海の中に目には見えない岩盤か何かがあって、思わず頭から衝突してしまって、悶絶してしまう、その末期の瞬間のオレンジ色の閃光に射抜かれるようにして、言葉の断片を書き綴っていたのだった。
懸命だった。生きる証というと大袈裟かもしれないが、本人は必死だったのである。肉体的実在感、希薄な存在感からの脱出…。
フランシス・ベーコン、ルシアン・フロイド、ジャン・フォートリエ、ジャン・デュビュッフェ…。
けれど、彼らはもう確固たる現代の古典になってしまった。人の心も社会も世界も、遥かに遥かに荒んでいく。荒む心を権威や権力やブランドに寄り縋って生きる人もいる、宗教的岩塊に自らを埋めていく人もいる。我が身に傷をつけて、その一瞬の肉の痛みと滲み出る紅い血にこの世が決して記号と規則と思い出のみに埋め尽くされた世界ではない、息衝いているたった今も一寸先も見えない分からないどう転ぶか誰も知るはずのない世界、そう世界は生きているのだということを思い知る、そんな人もいる。一層珍しく濃く奇異な酒と薬と音と映像と味を捜し求めての彷徨に日々を蕩尽する人もいる。
世界は決してその足を止めない。絵画の世界にはアントニ・タピエスの世界が生まれ、ジャン=ミシェル・バスキアがその先を示す。
その先といったって、絵画や芸術が進化して、一層、技術的に洗練されたとか、芸術性が深化したとか、そんな戯言を言っているわけじゃない。ただ、世界が突端と末端に二極分化し、その両極が凄まじく離れ去ってしまったというだけのことだ。優しさと野獣と快楽と吐き気を催すほどの退屈とに引き裂かれ、しかも、それが常態になってしまっているというだけのことだ。
それにしても、タピエスやジャン=ミシェル・バスキアの示す世界の苦しいほどの詩情。干からび、宇宙線に刺し貫かれ、爪を剥ぐ痛みが薬物中毒の身には痒みにさえも感じられない、そんな詩情が詩情と言えるのならば、だが。
人の情は場末の町の地下道のコンクリート壁の擦り傷ほどにさえ痛々しいとは感じられない、そんな時代。
(以下の一文は、ホームページで既に掲載済みのものである。これらの雑文を書くに至った情けない事情もホームページには書いてあるが、そこまではここには転記しない。)
アウトサイダー・アートのその先に
今更、アウトサイダー・アートについての説明を小生などが行う必要もないだろう。少しでも関心のある人なら、相当程度に知っているだろうし、興味のない方には、一瞥もしないでその世界の前を通り過ぎていくだけだろうし。
念のため、アウトサイダー・アートを扱っているサイトを紹介しておく:
「アウトサイダーアートの世界」
その中で、まさに「アウトサイダーアートとは何か?」が説明されている。
一言で言うと、フランスの画家ジャン・デュビュッフェにより作られた「フランス語「アール・ブリュット(Art Brut)」を、イギリスの著述家ロジャー・カーディナルが英語に置き換えたもの」ということになろうか。
(1)背景:過去に芸術家としての訓練を受けていないこと。
(2)創作動機:芸術家としての名声を得ることでなく、あくまでも自発的であること。(他者への公開を目的としなければ、さらに望ましい)
(3)創作手法:創作の過程で、過去や現在における芸術のモードに影響を受けていないこと。
ところで、微妙なのは、同サイトでも触れられているように、背景には、知的障害者による<創造>の世界が深く関わっている。
但し、大急ぎで断っておかなければならないのは、アウトサイダーアート=アール・ブリュットは、決して知的障害者の創造した世界とイコールではないということだ。
そうではなく、多くの画家等がジャン・デュビュッフェ等により収集された知的障害者等の作品に驚倒されたのだが、それは、印象派であろうと何だろうと、既成の価値観からは外れた世界を生き生きと示されたからだ。
これまで数多くの芸術家等により、あるいは世界のさまざまな地域や伝統を背景にして、多様な芸術の世界が切り拓かれてきた。その全貌を知るのは無理なのだろうし、当然、その既成の作品の中にも専門家でも未知の作品が、美術館などに、あるいは私蔵(死蔵)の形で存在していることは否定できない。
が、そうした当たり前のことを考慮に入れて、尚、既成の芸術作品の世界の枠組みや型には到底、嵌りそうにない表現世界がありうることを、しかも、実際にあるのだということを、多くは知的障害者等が、一切の過去の知識などの柵(しがらみ)に左右されない形で、示してきたのだし、恐らくは現に今も示しつつあるのに違いないのである。
パウル・クレーもジョアン・ミロも、ジャン・フォートリエもジャン・デュビュッフェ も、フランシス・ベーコンもヴォルスも、ピカソさえも、想像しえなかった世界が<創造>されている。
世界はいかに豊穣なるものなのかと、彼ら知的障害者等の作品を見ると、つくづくと感じさせられる。逆に言うと、いかに狭苦しい価値観の中に閉じ篭っているかをまざまざと思い知らされるのだ。
知的障害者等らの描く絵画に底知れない可能性を感じると共に、幼い子どもの描く絵画の世界も、時に驚くものがあったりする。幼い子どもというのは、技術的に拙劣、だから、描かれるのも幼稚な世界に過ぎない…と、言い切っていいものなのか。
もしからした、幼児達は案外と彼等が現に見たり感じたりする、まさに彼等が生きている世界をリアルに描いているのかもしれない。
ただ、あまりにリアルなことと、その突飛もない表現に、既成の価値観や視点や教養や常識の虜になってしまっている大人には、その真の価値が分からないだけなのかもしれない。
あるいは、その想像を絶する現実世界の豊穣さと奥の深さにまともに立ち向かったりしたら、大人として常識を以って生きていけなくなるという懸念を結構、真剣に予感するが故に、臭いものに蓋(ふた)というわけではないだろうが、少なくとも危険なものを大慌てで覆い隠すのではないかと思われてくる。
しかし、そうはいっても、幼児が成長するとは、大人の社会への仲間入りを果たすということであり、人間社会のルールや決まりごとや杓子定規であっても、型通りの見方や伝統や教養などを身に付けていくことに他ならない。
強くなければ生きられない。が、優しくなければ生きている甲斐がない。という発想があるとして、それを援用するなら、常識豊かでなければ生きられない。が、常識の虜になったなら生きているとは呼べない、ということになるのか、どうか。
以前にも、ここで書いたことがあるが、近くの市役所跡地の工事現場で見た幼児の絵に、小生は心底、感動したことがあった。現場を覆うフェンスの表、通り沿いの壁面に、幼稚園(保育所)ほどの年代の子どもの絵(の複製)が展示されていた。それらの絵の素晴らしさに圧倒されたのだった。
どこかミロやシャガールのような、しかし、もっとフワフワした、半熟卵のようにブヨブヨの感性が、そのままに壁面に、あるいは四角い額の中という陋屋に、生の、形にならない未熟な、生傷から膿が滲み出すのも構わずに漂っているような気がしたのだ。
生きるためにはタフになる必要がある。感性を、理想を言えば柔軟にというか、鞭のように撓るように養い育てられているのが、好ましいが、実際には、麻痺させたりすり減らせたり、現実から目を背けてしまったりして、やっとのことで生きているのが大概である。
というか、感性を鈍らせていることに気づくことさえ、ない。
実際、世界は豊穣なのだというのは、構わないが、しかし、豊穣すぎて、消化し吸収するどころか、その前に際限のない、豊穣さというのは、生きるには危険すぎるのだろう。子どものままの感性があったりしたら、日常を生きることはできない。それが許されるのは芸術家など、ほんの一部の人間の特権なのだろう。
大人になって子どもの感性を持つとは、日々、傷付くということ、生傷が絶えないということ、傷口が開きっぱなしだというkとに他ならない。不可能に近い生き方だ。それでも、バカの壁ではないが、既成の価値と感性という壁をほんの一時くらいは、無理矢理にでも開いてみる必要があるのかもしれない。
胸の奥の価値の海を豊かにするためにも。
(03/10/15作)
アウトサイダー・アートのその先に(続)
小生が久しぶりにアウトサイダー・アートのことを話題に採り上げたのは、今、車中でだが、服部正著の『アウトサイダー・アート』(光文社新書刊)を読んでいるからである。
このアウトサイダー・アートへの関心は、93年だったか、世田谷美術館で開催された『パラレル・ヴィジョン展』を見て一気に深まった。この展覧会で見た作品の数々には衝撃を受けた。
その後、『芸術新潮1993年12月号特集現代美術をぶっ飛ばす!病める天才たち』(新潮社)を入手し、この世界の奥の深さを今更ながらに思い知ったのだった:
「日本語文献」(既出の「アウトサイダーアートの世界」サイトの中の頁)
抽象絵画などへの関心は、1985年に大岡信の著した『抽象絵画への招待』(岩波新書刊)が出て、それを読んで、その世界へ浸っていくようになった。
「ポロックなどの抽象表現主義に惹かれ始め、あるいはデ・クーニングやハンス・アルトゥングや、フォートリエ、デュヴュッフェ、A・タピエス、堂本尚郎、元永定正、麻生三郎、加納光於、難波田龍起らの世界に親しみ始めた」のだった。 そして、遅まきながらではあるが、『パラレル・ヴィジョン展』で、いわゆる芸術家の作品の背後には、多くは闇に息を潜めるようにして、とんでもなく深い世界のあることを知ったわけである。
(「『カラー版 20世紀の美術』(連載)「7 抽象表現主義からミニマル・アートへ」」というサイトが、アンフォルメルなど本稿に関する全般的な理解にとても参考になる。)
さて、服部正著の『アウトサイダー・アート』を読んでいて、懐かしい名前に出会った。それは、精神科医の式場隆三郎(しきばりゅうざぶろう、1898~1965)だった。
『パラレル・ヴィジョン展』の開催された93年に、相前後するようにして、式場隆三郎ら著の『定本 二笑亭綺譚=にしょうていきたん』(ちくま文庫)が刊行された(その前に単行本は出されていたのだが、小生は気が付いていない)。
この本は、奇妙奇天烈な本だった:
「二笑亭綺譚」
「式場隆三郎トップページ」
「式場隆三郎 他 『二笑亭綺譚』(ちくま文庫)」
というより、深川門前仲町の一角に狂人が造ったという屋敷が奇々怪々ななのである。昇れない梯子、使えない部屋、節穴にガラスを嵌めた覗き穴などなど。この屋敷・二笑亭主人の主人の名は渡辺金蔵。
この家のことは、建築の専門家でもない小生には、なんとも説明のしようがない。
この『二笑亭綺譚』を読んでいた93年の頃は、小生も会社で窓際族の典型の状態にあり、実際、翌年の春には首を切られるに至るのだが、精神的にかなり追い詰められていた。
アウトサイダー・アートに親近感を持ち、二笑亭にもしも住み込んだら、一体、自分はどうなるのだろうと思いを巡らしたりしていた。下手すると居着いてしまって、離れられなくなるのではと思ったりした。
一体、二笑亭は芸術作品なのだろうか。アウトサイダー・アートは? 路上の壁面にスプレーなどで悪戯書きされる変てこなオブジェは?
いずれにしても、一旦は、デ・クーニングやハンス・アルトゥングや、フォートリエ、デュヴュッフェ、A・タピエスらを知り、さらには、芸術の枠組みになど収まりきらないアウトサイダーたちの世界の深淵を覗き込んだ以上は、美術館(展覧会)で見るアート作品には、とても、満足などできない。
一時期は、彼の作品を糸口に変てこな作品を綴る日々を送らせてくれたポロックの作品でさえ、他愛無く感じられたりする。
この世界の中にあって、ひとりの人間がとことん何かの世界、自分の世界を追求し始めたなら、きっと<この世>へは戻れないのだろう。後戻りの利かない泥沼のような世界が、口をぱっくり開けて、そこにも、ここにも、ある。
しかし、理解不能な絵や記号を蜿蜒と描く行為にしろ、常人には窺い知れない動機によるだろう、飽くことのない何かの仕草にしろ、当人たちには、決して止められない営為なのだろう。その営為があるからこそ、他人には狂気の淵に陥ってしまったと思われつつも、しかし、その崖っ淵の何処かで片手で、あるいは指一本で、<この世>に繋がっていると感じているのに、違いない。
あるいは、単に、<そう>すること自体が快感なのか。快楽の営為なのか。絵画…、といっても、現実の画布に向ってなのか、それとも妄想の世界にしかない画面や壁面に我が身を削るようにして描いているのかは、別にして、それは生きることそのものを示す営為なのだ。
世界が抽象化していく。人間が記号化される。切れば血の出る我が身よりも、DNAのデータのほうこそが、リアリティを持つ世界。自分のなかの欲望が、あるいは本能が見えない世界。自分が欲する、だから、そうするのだと思いつつも、その欲動が実は、巨大なマーケットの手によって煽られた、怒涛の波に呑まれたなかでの足掻きに過ぎないのではないか。
自分が心底欲するものは何かが分かる人は幸いなのかもしれない。自分が欲することを行っている、行いえるし、そのことに満足もしている、そう感じている人は幸せなのかもしれない。
抽象化された世界。記号化された世界。生身の身体や揺れてやまない心よりも、バーチャルに映し出され演出された描像のほうが圧倒的な存在感を誇る。私とは、符号化された情報がディスクから読み取られただけの、仮初の夢。たまさかの幻。
日本では、精神の病を極端に恐れるし、根強い偏見を持つ人が多い。部落差別に精神の病への差別。では、どうあることがまともなのだろう。誰だって狂気への通路や落とし穴を抱えているのではないのか。
そうはいっても、ミラーボールのような超高層ビル群の谷間では、どんな声も掻き消されていくのだろうが。
(03/10/20作)
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