« 掌編、書きました! | トップページ | お知らせ »

2006/03/19

ブレスダン…版画と素描と

 ネット散策していたら、懐かしい名前や題名の本に出会った。いずれも版画(銅版画)に関係する名前。それは、ロドルフ・ブレスダン(ブレダン)であり、駒井哲郎であり、『銅版画のマチエール』である。
 出会ったのは、小生が折々覗かせてもらっている「artshore 芸術海岸」というサイトにおいてであり、その記事は、「ロドルフ・ブレスダン 1:魔術的」と「ロドルフ・ブレスダン 2:希望」である。
 ロドルフ・ブレスダンというと、多くはオディロン・ルドンの師として言及されることが多い。まるで傍流扱いである。それだけに、彼に焦点を合わせて向き合ってくれるとなると、ちょっと嬉しくなるのだ。

 別頁に、数年前に書いた関連の雑文「版画からあれこれ想う」を掲げておく(既にメルマガやホームページで公表済み。ついでなので、関連もあるし、「素描からあれこれ連想する」も載せておく)。再掲するのは、当時は有効だったリンク(URL)が今も閲覧可能か確かめる意味もある。
 その上で、若干の追記、主に新規のリンク(閲覧)先の紹介を行っておきたい。
 実際、ネットの世界(も、なのか)ほんの数年前には閲覧・参照できたサイトや頁も削除されてしまう。逆に、この変幻自在・融通無碍(?)なところこそがネットの長所でもあるのだろうけれど。

版画からあれこれ想う/素描からあれこれ連想する(04/08/19 ホームページup)

 1.版画からあれこれ想う  
 2.素描からあれこれ連想する  


1.版画からあれこれ想う


 手元に『ルドン 私自身に』(池辺一郎訳、みすず書房刊)がある。83年に入手したものだが、引越しなどにも関わらず残しておいたものである。
 小生の愛惜するルドンが、たとえばアルブレヒト・デューラーの銅版画をどう評価しているか、本書の中から拾ってみる。
 念のため、最初に改めて、デューラーの「メランコリア I」を見ておきたい: http://www.pref.kumamoto.jp/institution/museum/honkan/hj_17.html(残念ながらこの頁は閲覧不能になっている。代わりに、「アルブレヒト・デューラー 傑作銅版画3点について」を覗かせてもらう。06/03/19記)

 レンブラントの「自然には経験界からは決して発見されない無限の理(ことわり)がある」という言葉を紹介した上で、ルドンは次のように書いている。

「天から授かったものに従うことも、自然の命ずることです。私の授かったものは、夢にふけることでした。私は想像の跳梁に苦しめられ、それが鉛筆の下に描き出すものに驚かされました。けれどもはじめ驚かされたものを、逆に私の学んだ、また私の感じる芸術の生理に従わせて、見る人の眼に突然魅力のあるものとし、思想の極限にある、言葉ではいい得ないものをそっくり呼び起こすように持って行ったのです。」(p.27-8)
 このように書いた上でルドンは続ける。
「ここで私のいったことは、すべてアルブレヒト・デューラーが版画「メランコリー」ではっきり示していることの範囲を出ません。あの絵は、わけがわからないように見えるかもしれませんが、実ははっきりした言葉で書かれているのです。線だけで、強い線の力で書かれているのです。厳粛な深い精神が、きびしいフーガのこみ入った、急調子のように我々をゆすぶるのです。あの絵の後で我々にできることは、数小節の短いモチーフを歌うことだけです。」

  本書では、デューラーの「メランコリー」のエレミール・ブルジェの口頭解釈が示されている(p.136-7):

 

 「メランコリア」という言葉のあとに、Iという文字が見えるだろう。この見落とされる記号が、この絵の鍵なのだ。これはラテン語の「行け」という意味だ。飛び立って行く怪しいものは、悲しみという名を、我れ知らず持ち去って行くのだ。朝日の昇るあたりを、解放の虹の下を飛び去る、これさえわかればあとは科学というものの寓意として解ける。仕事と研究の道具が描かれている。この翼のある存在は、コンパスを手にしている。つまり確実性のイメージではないか。愛のキューピッドも、板の上に新たな知識を書き込んでいる。レオナルドは「知が増せば、愛することも多くなる」といった。

 このようにブルジェの口頭解釈を示した上で、ルドンは続ける:

 

 この解釈は色々な仮説解釈、支離滅裂などという非難に止めを刺す。そこで私は微笑みをもって思い出すが、私もデューラーと同じように、確実性の天使を描いたことがある。私の天使は、年老いて、黒く蔽われた空の光の輪の中で微笑を浮かべて、問いかけるような表情をしているものとして描いた。私はデューラーより意識的でなかった。
 この見事なメランコリーは、私にとって今も昔も、深く、広大な方位をあらわす。すばらしい抽象的な線が、豊かに流れ出す絶えざる水源である。これ以上に充実した組み立てと面が、精神に働きかける枠組みを私は知らない。全体のおごそかな動きに従う、変化に満ちた緊密な線。バッハの音楽の喜びを引き合いに出すのはどうかと思うが、私は似たようなところがあると感じる。中年期以後私はこのような線のフーガを常に眼に感じていた。

 小生は、「メランコリア I」の「I]を単純に作品の順番を示すものと思っていた。絵画に詳しい人には常識に属することなのかもしれないが、「ラテン語の「行け」」を意味するとは知らなかった。メランコリー(憂鬱)と「行け」。
「行け」を意味するとしても、一体、何処へ行けばいいのか分からずに居るのだろうか。何処かへ向ったとして、決して果てなど無いことが分かっているということなのだろうか。
 悪魔的(天使的)な才能を持つ人は、感じる世界の過剰なまでの豊穣さと、実際に自らが達成し絵画などの形に定着し得るその乏しさとの、彼我のあまりの懸隔に絶望しているのだろうか。課題のあまりの重さに押し潰されるのを感じているのだろうか。凡人には到底、想像は叶わないのだろう。
 それはともかく、この絵はいつ眺めても、果てることの無い瞑想に誘う。今は、その瞑想に浸っていればいいのだろう。

 本書の中で、ルドンはロドルフ・ブレダンを称揚している。ルドンが賛美し、デューラーの神秘主義の系譜を継ぐとも語る画家ブレダンとは:
ブレダン BRESDIN
ブレズダン「善きサマリア人」Le Bon Samaritan 「荷を積んだロバのいる、エジプト逃避行上の休息」Bresdin 'Le Repos en Egypte a l'Ane Bate'

 ルドンは、「よきサマリア人」というブレダンの作品に絡み、次のように語っている(p.206-7):

 

 不思議な絵である。ここで芸術家は我々が日常窓から眺めるような風景をあらわしているわけではない。そういう見方からすれば、この風景は欠点だらけであろう。現代画家で彼のように、現実描写の外に題材を得ている人はない。彼の企てること、求めるものは、夢の中に我々を引き入れることである。神秘的な、不思議な夢、不安な不可解な夢である。それでいいではないか。理想とは明快なものであろうか。いや、芸術は、その強調する言葉の力を、その輝きを、その大きさを想像の決するままにまかせるものではないか。
 我々の想像力をかき立て、形を作り、心を打ち、心を奪うものをさがす心が、彼の作品を貫く理論であろう。自由な幻想に理論があり得るとすれば――。この見地に立てば、彼の作品は現実に目的に達している。我々の心にこれほど強く残り、独創性の生き生きした痕を残すものは稀だからである。


 ロドルフ・ブレダンというと、小生に清宮質文の世界に触れる契機をくれた駒井哲郎を思い出す。そう、彼はブレダンを激賞していた。
 その駒井氏も、ブレダンを知ったのは、ルドンによってだという。ルドンの師として必ずブレダンの名前が出ていたというのである。手元にある駒井哲郎(てつろう)氏著の『銅版画のマチエール』(美術出版社刊、但し、最初、昭和51年に駒井氏の死の直後に刊行された。小生は、92年増補新版刊行の本を94年に練馬区立美術館で開催された「「駒井哲郎」・「清宮質文」二人展」の会場で購入した)の「ロドルフ・ブレダン――神秘な線のアラベスク」という項の冒頭に、そのように書いてある。
 本書を文芸作品として高く評価しつつ、大岡信氏が駒井哲郎のことを語っているサイトがあったので、紹介しておく:
大岡信フォーラム/月例フォーラム/平成14年10月  調理室-駒井哲郎に 追悼 日野啓三

 この『銅版画のマチエール』には駒井氏が購入した作品も含め、ブレダン(本書では、ブレスダンと表記してある。駒井氏は、日頃、ブレスダンと言っていたそうな。)の作品が幾つも載っている。駒井氏によると、ブレダンは、「一枚本当に自分の気に入った刷りが完成すると、それをたくさん刷り増しするようなことには考えが及ばず、もう次の作品にとりかかったという」。
 ネットではあまりブレダンの作品が見つからなかった。是非、駒井氏の本書で御覧になっていただきたい。本書の中では、当然のことながら、オディロン・ルドンをはじめ、ペーテル・ブリューゲル、ジャック・カロ、メリヨン、長谷川潔らも採り上げられている。
 本書の前半には、銅版画の基本なども書かれている。無論、本書の冒頭には、駒井氏自身の作品が23点も口絵として載せられている。
 駒井氏は、1920年生まれで、1976年に亡くなられている。あまりに早い死である。小生が駒井氏の世界に触れたのは、言うまでもなく埴谷雄高氏著の特装本・『闇の中の黒い馬』(河出書房新社刊)の挿画(銅版画)を担当されていたからである。
 購入したのは、72年だったか73年だったか。
 しかも、迂闊な小生は、駒井氏が76年に亡くなられたことに当時、気づいていない(恐らく)。下手すると、「「駒井哲郎」・「清宮質文」二人展」が清宮質文氏の回顧展で、その清宮氏の親しい友人ということで駒井哲郎氏も二人展という形で採り上げられたのだが、その際にやっと氏のずっと以前の死を知ったような気がする。
 あまりに迂闊。いかに不勉強且つ、情報摂取の感性に欠けるかが分かろうというもの。
 清宮氏のことは、全く知らなかった。駒井氏の作品を見るついでに見るかなという程度だった。が、駒井氏の作品世界以上に惹かれてしまったことは、以前に書いた(→「清宮質文の周辺」参照)。
 とにかく銅版画、木版画などの世界は大好きだ。特に彩色されていないものが好きだ。誤魔化しが効かないからだろうか。それとも、何かのモノを抉ったり削ったり傷つけたりする感覚に何か痺れるものを感じているからなのか。その辺りのことは、簡単以上には触れることができないのがもどかしい。
                            (03/08/20 記)


2.素描からあれこれ連想する

 前稿を書きながら、改めて<素描>に関心を持った。
 念のため事典にはどのように書いてあるのか確かめたが、この一項だけでなかなかの長文で、要約するのにも骨が折れる。とにかく、英語でdrawingとあるように、元々は「線を引く、線描する」の意だとか。「発生的には、人間の芸術的活動の始まった氷河時代の洞窟絵画に見られる。岩であれ、石や土の壁であれ、あるいは地面であれ、そこに描きあるいは線刻する手段さえあれば素描は可能なはずであり、実際にそのようにして生まれ、消えていった素描が無数にあったはずである」という一文が、そうだ、素描はそうだったのだと改めて思い起こさせてくれた:
一万年前の洞窟絵画
ラスコー洞窟

 昔、学校などでは机(や椅子)が木製だったので、授業中にナイフで傷つけたり、鉛筆で悪戯書きをしたものだった。また、入学した時点で既に机には先輩諸氏の苦労の跡がありありと刻み込まれていたものだった。自分も最初はしおらしく振る舞うものの、やがて、その仲間の輪に自然、加わっていったのだった。

 そう、昔、学校は、机も椅子も壁も廊下も木製だった。黒板だって。授業中は、机の上には刻めないので、机の中に手を突っ込んで、何かを描くというつもりもなく、ただ退屈と先生への反発心の賜物としての成果を残したものだった。
 ただ、真新しい傷だと自分の物だと察知される恐れがあるので、その傷の上に鉛筆でササッと上書きし、手の平で鉛筆の黒い墨を自分の手垢や脂を交えつつ、刻みに磨り込んで、古いかのように装ったりした。

 小生は音楽も他の学科も全て出来が悪かったのだが、美術もその例外ではなかった(自宅で漫画を書くのは好きだった)。当然、一度だって教室の後ろに作品が展示される栄誉など経験するはずもない。
 それが、中学に入って、銅板画を美術の授業で経験した時、初めて、教室の後ろで展示されるという嬉しい出来事に遭遇した。
 いや、その前に、銅板に刻むという行為自体が、とても楽しかった。鉛筆も水彩も、消したり上書きしたりできるが、銅板には一旦、刻んだら、その刻まれた線を消すことは許されない。その失敗を許されない緊張感が、自分の性分に合っているのではと、密かに感じたほどだった。
 無論、それは幻想に過ぎず、その後、銅板画を体験する機会が授業では高校も含めてなく、また、自分で勝手に試みるほどに積極性があるはずもなく、その刻む感覚は次第に遠い過去の懐かしい感覚として萎んでいくのみだった。そもそも、小生にそんな厳しい世界に耐えられるはずもなかったのだと思う。
 それでも、それから二十年ほどしてから、900枚ほどの小説を書いたときに、小説の主人公は画家、それも銅板画家に設定することで、ガキの頃の刻む快感を新たにする。伏流水のように、一旦は地の底深くに沈んでいた情熱(感覚)の火の燻りが、命を再び得た、そんな感覚が自分にあった。
 その刻むという行為が、主人公の心性の心を更には人(女)を心身共に傷つけることに繋がったかどうかは、小説の世界のこととして、ここではこれ以上、触れない。

 ただ、中学の時の銅版画を刻む営為の孤独な快感、一旦、何かの線を世界に刻み込んだなら、決して消すことも拭い去ることもできず、その印された線の描く世界を生きるしかない、その厳しさに妙な現実感を覚えた、その体験がいかに大きかったかは、述べておいてもいいかもしれない。
 描かれ刻まれた線は、森か林に立つ白樺の木々のように孤独に立っている。その周囲に仲間の木があるにも関わらず、それぞれが勝手に、しかも、他人(他の木)に無関心を装って立っている。
 銅版の上の刻みは、ちょうどそのようにそれぞれが孤独なのだ。他人になど目をくれないのだ。でも、孤独など、ただの甘ったれの愚痴に過ぎず、横目では他人(他の線ども)の動きや眼差しが気になってならない。おい! もう少し、オレに関心を持ったらどうだ! と言わんばかりなのである。なのに、言えない。そんな内気な、つまりは甘えん坊なガキには、やはり厳しすぎる世界だったのだと、今にして思う。

 銅版画とか、線刻というと、小生は、好きなヴォルスのことを真っ先に思い浮かべる。しかし、ヴォルスのことは、他でも書いたので、ここでは自重しておく(「物質の復権は叶わないとしても」ほか、参照)。
 次に小生が思うのは、なんといってもアルブレヒト・デューラーであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの素描の数々だ。そしてルドンにムンクに…:
オディロン・ルドン
 アルブレヒト・デューラーの銅版画については、これまた他の機会に譲る:
アルブレヒト・デューラー 傑作銅版画3点について
 ダ・ヴィンチの天才振りなど、小生がここで敢えて語る必要はないだろう。彼の素描へのこだわりは、尋常をはるかに超えるものだし、狂気という言葉を安易と思いつつ、つい使いたくなるほどだ:
レオナルド・ダ・ヴィンチ素描集

 そんなダ・ヴィンチの素描に潜む彼の肉体の秘密を、かのフロイトが彼一流のペンというメスで、遠慮会釈なく腑分けしてみせてくれたのが、「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出」だ。どのようにダ・ヴィンチを解体しているかは、その稿を読んでもらうとして、一枚の素描、一枚の絵から、そこまで洞察されるのかと、凄みを感じたものだった。

 さて、ここらで気分一新。
 前にも紹介したが、小生の好きな作家に清宮質文(せいみやなおぶみ)がいる。彼は銅版画ではなく、木版画やガラス絵の作家なのだが、彼の世界が小生が好きなのだ。たまたま小生が彼のことを知ってからちょうど今年で10年になることもあるので、改めて見てみたい:
 http://www.logix-press.com/artaccess/artpage99/seimiya/seimi.htm(残念ながら無効になった頁のようだ。代わりに、「ギャラリーときの忘れもの通販ショップ 「内省する魂の版画家 b style=colorblack;background-color#ffff66清宮質文-b展」図録」で雰囲気だけでも。)
 清宮というと、次は田中恭吉や長谷川潔(きよし)へと連想の輪が広まっていく。田中恭吉については、萩原朔太郎がコメントしているので、小生が下手な紹介をせずに済む:
萩原朔太郎詩集 月に吠える-故田中恭吉氏の芸術に就いて
 
 長谷川潔のことも、今更、説明など不要だろう:
 http://www.oida-art.com/hasegawa/(この頁も無効となっていた! 「概要:長谷川潔展 作品のひみつ」で彼の世界に少しは触れられるかも。)

 素描から話がちょっと飛んでしまったけど、ネットでいろんな作家の世界を改めて堪能できて、書きながら楽しい時間を過ごすことが出来た。これらの作家は、銅板や木の板に刻み込んでいく時、どんな気持ちを味わっていたのだろう。先端を行く現代の作家にも、氷河時代の素朴な<アーティスト>の気分と共通する何かがあるのだろうか。
 いずれにしても小生が試みどころか思いも寄らなかった世界にまで分け入ってくれた作家たちに、ただただ感謝である。
                              (03/08/20 記)

|

« 掌編、書きました! | トップページ | お知らせ »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

ご紹介いただきありがとうございます。
とろこで『闇の中の黒い馬』の挿絵は
駒井哲郎だったんですね。
印象的で、絵は覚えていますが、だれの作だったのか
知らずにいました。たしか家にあったと思って探して
みましたが、本はどこにいったのかわかりません。
残念。

投稿: artshore | 2006/03/20 00:37

artshore さん、こんにちは。
TBだけして失礼しました。いつもながら貴サイトの記事には刺激を受けます。
埴谷雄高氏著の特装本・『闇の中の黒い馬』は駒井哲郎の銅版画と相俟って詩画集という趣です。今となっては秘蔵の書かも。

投稿: やいっち | 2006/03/20 01:39

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ブレスダン…版画と素描と:

» ロドルフ・ブレスダン 1:魔術的 [artshore 芸術海岸]
 19世紀フランスの文豪ユーゴーや詩人ボードレールを魅了した版画家に、ロドルフ・ブレスダン(Rodolphe Bresdin,1822-85)がいます。彼の重要なモチーフは空想の風景です。 それは聖書に書かれた物語の一部であったりするのですが、農家の内部や薄暗い森のなかを描いたその銅版画は、魔術的ともいえる濃密な気配をもった風景として見る者に迫ってきます。あるいは悪夢のような風景として。  ブレスダンが残した版画は160点ほどです。けっして多いとはいえません。しかし、その多くが細部まで異... [続きを読む]

受信: 2006/03/20 00:24

« 掌編、書きました! | トップページ | お知らせ »