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2006/03/27

南極物語…それとも難局物語?

 過日、上田 一生 氏著の『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店)を借りてきた。図書館の新刊コーナーに立てかけてあって、その表紙が借りてくれ! とあったような気がしたのだ。
 出版社側の謳い文句に拠ると、「氷原の上をよちよち歩くタキシード姿、好奇心いっぱいの「かわいい」やつ。
遠く大航海時代以前から、ペンギンは「未知の海域」「白い大陸」のシンボルとしてさまざまな場面で大活躍してきた。だが、その一方で彼らには食料や燃料などとして大量に殺戮され、利用されてきた受難の歴史もある。二〇世紀以降は、ペンギンは数多の本に登場し、広告のキャラクターとしても絶大な人気を誇ってきた。しかし、ペンギン好きの日本人なればこそ、かわいさばかりでなく、彼らのたくましさ、そしてその生存の危機にも、もっと注目をして良いのではないだろうか。ペンギンから見た、貴重な図版満載の異色の文化史。 」とある。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「ベリーダンスは大人でもゼロから挑戦できる、芸術性の高い踊りだと思います。「シュミ」という腰やお腹をぶるぶると振動させる基本の動きも、何気なくやっているように見えて割れるほどの腹筋が必要ですし、指の動きひとつとっても自由に動かせるようになるには血の滲むような努力が必要」だとか。(例によって本文と画像とは関係ありません。以下同様)。

 まだ、読みかけなのだが、プロローグの部分を読んだだけでも、なかなか面白そう。特に欧米(ペンギンの逞しさ)と日本(縫いぐるみなど、愛らしいキャラクター)などではペンギンに対するイメージ、思い入れが随分と違うようだ。
 後日、感想文を書くかもしれない。

 このペンギンの本に関心を持ったのは、ご他聞に漏れず(という表現が相応しいのかどうか分からないが)ペンギンの愛らしさに堅物の小生たりとも惹かれるからだが、どうやら、遠因として、過日、ラジオで映画「南極物語」のことが話題に上っていたことが大きいような気がする。

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンスのサイトは美麗な作りのものが多い。「Dance Arabesque ベリーダンスグループ・ダンスアラベスクへようこそ」も、その一つ。

 つまり、『キタキツネ物語』の蔵原惟繕監督がドキュメンタリー・タッチで描いた動物映画、空前の大ヒット作だった83年の邦画である『南極物語』(書籍では、藤原 一生氏著の『タロ・ジロは生きていた―南極・カラフト犬物語』)のディズニー版『南極物語』が今、劇場公開されているが、そのディズニー版(リメイク版?)とオリジナルの映画との対比がラジオで話題になっていたのだ。

 小生は少なくともディズニー版『南極物語』は観ていないし、オリジナル版のも、テレビで随分前に放映されたのを断片的に観た程度なので、今、ここで映画の感想も含め、何も語ることはない。
(今、台所で吐いてきた。風邪だろうか。昨夜から下痢がひどい。この稿を書いている最中にも下痢便が出た。それで大概は収まるのに、依然、モヤモヤする。しかも、何か吐き気がする。胃がムカムカするのだ。そのうち誰しも一度や二度は経験があるだろうが、ムカーとする感じがあって、一気に逆流する予感。で、慌てて台所に急ぎ、流しに顔を向けたら、程なく吐いた。しかも、吐き気の波が二度、三度とやってきて、その度に吐く、吐く! いい加減、吐くものがなくなったら、やっと嘔吐感が緩和してくれた。ちょっとした、原因のはっきりしているものは別にして、原因不明でこんなに吐いたのは93年以来じゃなかろうか。やはり、風邪なのか、それとも食中り…?
 上での「今」というのは、このブログを書いている最中だった26日の夜半過ぎ、つまり27日の恐らく午前一時ごろか。実
 は、27日の夕方近くにも吐いてしまった。午後の四時過ぎ、何か食べないと体が持たないと、無理してお茶漬けなどを食べたのだが、ロッキングチェアーでうとうとしているうち、吐き気を催し、やはり流し台で吐いてしまった。もう、吐くものは何もない! 何が原因か分からない。病院へ行くのも嫌だし。)

[ 後で思い出したのだが、上で「こんなに吐いたのは93年以来じゃなかろうか」と書いているが、93年頃よりひどい嘔吐に見舞われたことが、つい四年前にあったことを忘れていた。
 あまりに辛くて思い出したくなかったのだろうか。
 その時は、黄疸(?)の症状があって、顔も体も黄色というか土気色になったっけ。夜、食後に急に吐き気と熱に魘され、吐くだけ吐いて、ベッドで休もうとしたのだけれど、全身噴出す汗と嘔吐感は止まず、熱も相当にあり、とうとう身動きが取れなくなった。ベッドの横には本棚があって、その上に電話があるのだけど、体を起こすことも侭ならず、電話することもできなかった。とうとう生まれて初めて救急車を呼ぶ羽目になるのかと思っていても体が言うことを利かなかったのだ。もう、ぶっ倒れてしまったのだ。昏倒状態といって良かった。意識だけはかろうじてあるというだけ。
 ほとんど徹夜で一晩を過ごした。
 翌朝、なんとか起き上がれるようにはなっていて、這うようにしてトイレへ。ちょろちょろと出たオシッコがやたらと紅かった! 辛いのを押してふらふらになりながらも赤十字病院へ。検査して数値を見たら、その時点でも死んでいてもおかしくはない数字だとお医者さんが驚いていた。
 顔が土気色だと気が付いたのは、実はその<事件>があって、数日後、会社で乗務員章の切り替えがあり、事務所の別室で全員が事務員の手により写真を撮ってもらったのだが(確か、タクシー会社のランク制度導入があって、その対策の為、会社が分社化されたことがあり、乗務員章も作り直す必要があったのだ)、その写真を見て顔色があまりにひどいことに我ながら驚いたのだった。
 自宅にも鏡くらいはあるが、部屋の中は暗いので、見ても普段と変わらないように思えた、異変には気づかなかったのだろう。病気で倒れて数日後でさえ、顔色が土色だったのだ、容態がひどかったときの顔色はどんなだったか!
 そういえば、乗務員章の写真の顔色がひどいことに驚き、帰宅してから部屋の明かりを目一杯明るくして、改めて顔を覗き込んだら、顔色もだが、目の白いはずの部分が濁っていたことに気づいたものだった(あるいは、その当時、同僚か誰かに指摘されたのかもしれない)。
 原因は不明だが、その頃、急激に太り始めたことが背景にあるとは思う(素人判断に過ぎないが)。タクシーという仕事柄、座っている。座ると太ったお腹の肉が腰の辺りに溜まる。腰はベルトをしているし、シートベルトも掛かっている。急に太ったためベルトのサイズが足りなくなり、腰を締め付けるような状態で長く仕事をする羽目になっていたのだ。そのため、下腹部がおかしくなる。つまり、内臓や特にベルトが当たる腸が縄で括りつけられるような状態になり、「胆汁の流れが障害」され(?)、ついに或る日の夜、一気に病変してしまったのではないかと思っている(本当のところは分からないままだが)。 (06/03/28 追記)]

 参考に、ネットで見つけた感想を紹介しておく:
『南極物語』ディズニー版2006・3・18に観ました|映画と秋葉原とネット小遣いと日記
『南極物語』(邦画・1983年版)|映画と秋葉原とネット小遣いと日記

 映画「南極物語」に時期が符合して『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店)が図書館の新刊本のコーナーに並ぶ…。
 単なる偶然? それとも、映画「南極物語」が公開されていることを前提にしての図書館の配慮? あるいはそもそもこの映画の上映にあわせて『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』の刊行が目論まれた?
 ま、そうした詮索はともかく、今は、この本を楽しめそうなのが嬉しい。小池真理子氏の『肉体のファンタジア』共々、メルヴィルの『白鯨』を読む合間の息抜きには恰好の本が見つかったということ。

 ところで、図書館でぶらぶらしていたら、地震学関係の本(生憎、題名も筆者名も忘れた)が目に付いて、パラパラ捲っていたら、南極の話が出ていた。その主旨(の一部)は、南極が観光で随分と汚されている、という話だった。
 文字通り、南極が難局にあるわけだ!

 南極というと、「南極は文明圏から遠く離れていて環境汚染が最も少ないため、地球環境の基礎データを最も正確に計測できる場所です。また、地球が生まれてからの情報を、最も純粋な状態で保っているタイムカプセルでもあります」というのに。

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→ 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。ベリーダンスのサイトは美麗な作りのものが多い。「アルカマラーニ・オリエンタル・ダンスカンパニー」も、その一つ。

南極の風景とペンギンたち」というペンギンたちの生態、南極の様子を伺うに相応しいサイトがあった(ホームは、「動物と風景の写真のページ(ペンギン・シロクマ・野生動物)」である)。
 数々の写真を見ているだけでも、ホーと溜め息が出るようだ。
 が、最後に、<環境汚染に関して>という項目があったので、その一文を転記させてもらう(太字は小生による):
 

 陸でのゴミは見かけなかったが、波打ち際でビニールテープの束(ちょうどチアガールがもつポンポンみたいなみの)が落ちていたのを見た。 また、自分達の乗っている船からは残飯等を海にそのまま流しているのを見た。
 確かに私達は、自分の力で南極へ行くことは出来ないから、乗り物という手段に頼らなければならないし、またそこにはそれを事業としている人間が介在する。そうやって初めて観光が成り立つ訳だが、その一方で自然を脅かす汚染が懸念される。自然の美しさや素晴らしさは、実際に見て感じてこそ価値があるのだが、人間がその中に入り込むことで既に出来上がっていたバランスが崩れる原因になりかねない。実際私達がこの海域にいた同時期に日本からの調査隊が入り、新年早々に今後南極観光を制限する事を検討する旨の記事が新聞にでたようだ。 この話は観光と汚染問題は、切っても切れない関係にあるということを改めて感じさせられた。そしていずれまたこの地に行けること、そして変わらない風景に会えることを心から願わずにはいられなかった。

 紹介した頁は、「このページは、1996/7/25~28北海道釧路市「生涯学習センター」,1997/1/18,19東京都多摩市「パルテノン多摩・市民ギャラリー」にて開催した、 写真展”南極の夏~空と海とペンギンと”において展示した写真です」とのことなので、あるいは事態はその後、改善に向かっているのか、どうか??

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← 画像は、「Charlie K's Photo & Text」の「Hichi's Arabic Belly Dance - WomenFest 2006 -」から。「~ラクスポリマダンススクール~ベリーダンストップページ」で、改めてベリーダンスとは、を示してもらうと、「ベリーダンスは、腰や、腹部の複雑で細かい動きや、波打つようなしなりが特徴で、原型は、エネルギーの象徴、神の使い手、夢の中の予言と深長されていたガラガラ蛇のムーブメントだとも言われています。内なる女性の神聖な喜び、エネルギーを、振動(シュミ)と共に開放していきながら、神秘的に、妖艶、優雅に、美しく、喜びを身体で奏でる様に舞い踊ります☆*:・°∞」とか。といっても、観るのが先決だけどね。

南極の環境問題」という頁も、日付が「2002年4月 23日」と、決して新しい頁ではないが、文中、「2.南極の環境問題 人間の活動が環境に及ぼす悪影響」という項目に「使い捨てられた廃棄物」という画像が載っているので、こういった惨状にあることを知るにはいいかも。
 そもそも(今は分からないが)南極はマドリッド議定書など一定の取り決めはあるのだろうが、治外法権の側面もあって、各国の目も行き届かず、ゴミの投棄も勝手放題だったりし勝ちなわけである。
(今日は文中に書いた事情もあり、体調が優れないので、いつも以上に中途半端な記述になった。後日、追記などで不備を補いたい。どうも、人間が素直に出来ているもので、南極→難局→ついには自分も難局、という流れだったような気がする?!)


[ 「南極観測の元隊員が「南極物語」で知られるカラフト犬・タロとジロの秘蔵映像を収めた8ミリフィルム保管していたことが分かった。フィルムは白黒とカラーがあり、計3時間20分の中に昭和基地の映像などが収められ、わずかながらタロとジロが歩き回る様子も収められているという」ニュースをこの記事を書いた翌日、ラジオやテレビなどで知ったが、ネットでは関連の記事を見つけることが(3月31日までは)できなかった。実際、テレビでは8ミリの中から、タロやジロなどのワンちゃんたちの雄姿や隊員たちがキャッチボールする姿を放映していた。 (06/04/01 追記)]

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コメント

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
アルカマラーニもとりあげました。
もし、よかったら寄ってみてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

投稿: kemukemu | 2006/11/13 21:21

kemukemu さん、来訪、ありがとう。
何度かお邪魔させてもらいました。
いい表情や動きを捉えていますね。

大道芸やストリートパフォーマンスをする人たちは凄いと思う。自分にはできないことだから、尊敬する。

アルカマラーニ・オリエンタル・ダンスカンパニー:
http://www.alcamarani.com/
このサイトのギャラリー画像は美しい!

投稿: やいっち | 2006/11/13 22:26

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