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2006/02/25

春になると…spring has come!

 春になると気が緩みがちになるのは、小生だけのことじゃないだろう。体に付いてもだが、神経というか心持のもうも、たださえ緊張感に欠けているのに一層、だらけてしまう。
 未だ、春じゃない、気が早いって声が聞こえてきそうだけど、せっかちな小生、時代を先取りするのが好きな小生、弥生の声を聞く前に春の話題を一発二発。

 二年前の春先に書いた駄文「寄る年波に」の中で、「歩くと、小生、何故かいつも以上に駄洒落が浮かぶ。別に殊更、駄洒落を考えているわけではなく、看板の文字や店の名前とか、何かの活字や数字を読んだりすると、勝手に頭が動いて何かしら駄洒落を捻り出す」が、「困るのは、たまに傑作が出来たりすると、つい、ほくそえんだりする」、「何処かのケッタイなおじさんが、歩きながら、不意に、ににやにやする…。あまり、見られた光景ではない。自分でも見たくない。下手すると変人だし、不気味と思われるかもしれない。用心しないと。最悪、警察に通報されることだって、ありえないわけじゃない」などと書いている。

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→ 24日正午過ぎ、都内三田台公園にて。「すぐ近くの伊皿子貝塚遺跡より発掘された貝層断面や縄文時代の竪穴式住居などが復元展示されてい」る。撮影後、間もなく雨が降り出してきた。冷たい雨、だけど春を予感させ、冬の終わりを告げるような寂しい雨。曇天に負けずに鮮やかな梅の花が咲いていた。

 挙句の果ての結論(?)が、以下の通りでは情けない限りである:

「若い頃は、自制心もあり、顔の神経も筋肉もしっかりしているから、傑作な駄洒落が浮かんで、笑みが零れそうになっても、世間体を考えて、その笑みを辛うじて瀬戸際で自制することができていたのだと推察される。
 それが、寄る年波で、筋肉がすっかり緩んでしまい、笑みが浮かび始めると、気が付いたら既ににやにやしている、というわけである。尿意を覚えたら、その時にはパンツが濡れていたり、屁がしたくなったら、我慢も何のその、即、スカーとやってしまっているようなものなのであろうか。」

 相前後して、仕事中に、「春が来た」という曲から何故か「雪やコンコン♪あられやコンコン♪」という曲が浮かんできて、「雪やコンコン あられやコンコン 降っても 降っても まだ降り止まぬ ネコは喜び 庭 駆け回り……」っていう部分は飛んでしまって、コンコンだけが頭の中で反響し、次のような歌詞が浮かんだりした

 雪や コンコン
 あられや コンコン
 キツネや コンコン
 風邪引いて コンコン
 ドア叩いて コンコン
 だーれも コンコン
 香港は ホンコン
 箪笥に ゴンゴン
 ついでに頭も ゴンゴンだ

 こんな歌を客待ちするタクシーの中で運転手が歌っているとなると、誰も乗ってこないだろうから、このことは他聞は無用に願いたい。
 そんな他愛もない由無し言など、わざわざエッセイに書かなくていいのに、あろうことか車内で、「春が来た」の歌詞をパクッて、「春が来た、春が来た、何処に来た♪」の後の、「山に来た、里に来た、野にも来た♪」を替えて、「娑婆に来た、頭に来た、ノミも来た♪」と唄っていたことまで書いている。
 ホント、春はイタズラ好きなのだ。
(言うまでもないが、「春が来た」といっても、松任谷由実さんの曲ではない。彼女のは「春よ、来い」で命令形なのだ! 唱歌以外の「春が来た」というと、演歌界の天童よしみさんの歌った曲名である。)

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← 芽吹き始めたぞ! 同じく24日正午過ぎ、都内三田台公園にて。大きな公園ではないのだが、ハナミズキ、キンモクセイ、アオキ、ヤツデ、ジンチョウゲ、ツツジ、バラ、シュロ、カエデと十数種類の木々に会える。近隣の亀塚公園は華頂宮邸跡のようだが、元はというと、三田台公園と共に上野沼田藩・土岐美濃守の屋敷跡だったようだ。

 そういえば、いつだったか、春爛漫を今時の若い子は春爛々と勘違いすることがあるという話を仄聞したことがあった。で、小生、関連のエッセイ(駄文)を綴ったのだが(題名を忘れた!)、調子に乗って、「春爛爛の巻」というネコモノの掌編を書いたりもした。

 風雅を友とした古(いにしえ)の世ならいざ知らず、現代において春といえば断固、花粉症である。
 なので、昨年の春先、ある季語随筆の中で、花粉症の話を実(まこと)しやかに書いた勢いに乗って、以下のような雅句駄句落句の数々を披露した:

 春朧(はるおぼろ)霞のせいと思いたい
 春霞(はるがすみ)花粉がなけりゃ遥か澄み?
 山笑う…同情それとも憐憫か
 砂塵舞い潮の花舞いてんてこ舞い
 泣き濡れてオレを見る目のうらめしそう
 鼻水が目から流れる齢(よわい)かな
 マスクするあなたは彼女か強盗か
 化粧するマスクで隠してメガネまで
 マスクして美人を装うそこの人
 春の風マスク越しでは興醒めだ
 マスクして花粉蹴散らし煙草吸


 はずしたいはずしてみたいあなたなの

 かっふんだ!


 ちなみに、ある季語随筆の中へ寄せてくれた方のコメントによると、花粉症は既に立派に季語の仲間入りを果たしている。
 さすがの天才・芭蕉も、花粉(症)が季語入りするとは想像だにしなかっただろう。
 ところで、では、花粉という言葉が季語なのかどうか、小生は知らない。江戸時代には花粉という言葉乃至は用語はあったのだろうか。
 花粉の粒子は極めて小さいものだし、観察しても、あるいは手に触れても、粉っぽいものがあるという程度の認識だったのだろうか(あくまで疑問)。
 春になると大気に透明度が減ってくる。月影も朧になってくる。その原因は湿度であり、大気の動きが活発になることであり、湿度が高いこと風が吹くことに相関して大気中の埃や塵、花粉、微生物が舞い上がり、舞ったまま漂ってしまいやすいことにあるのだろう(素人考え)。

 仮に昔の人が春先の大気の霞(かすみ)の原因の(大きな?)一端が花粉だということを知ったら、風雅なことだと思うのだろうか。月影に花粉の紗が掛かって艶冶(エンヤ)だと、しみじみ黄昏(たそが)れるのだろうか。
 鼻水が垂れ目が痒くて苦沙弥が出て止まらなかったりして、風流を気取るところじゃないのだろうか。

 分からんことばかりである。分からんことはそのままにしといちゃいけないって誰かが言っていたようだけど、分からんことを調べると、さらに厄介な疑問に突き当たる。で、八方塞(はっぽうふさがり)になる。
 だったら、最初から調べないほうが賢明だ、とは思うのだけど、そのうち、あれこれまた調べだすんだろうな、小生のことだから。
 さて、今夜中に「アンナ・カレーニナ」を読了するぞ!

 あんな華麗にな
 あんなカレーにな
 あんな鰈にな
 アンナ彼にな
 安中霊にな
 アン泣かれんな

[ 25日、夜半過ぎ、「アンナ・カレーニナ」本文、読了。一時過ぎ、解説も読んだ。一ヵ月半の充実した読書体験だった! (26日朝、追記)]

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コメント

インド料理の本の題名で「あんなカレー煮な」ってのを発見。負けた!

投稿: やいっち | 2006/03/02 15:03

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