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2006/02/21

犬が地べたを嗅ぎ回る

 小生、鼻の通じが悪い。だから、通常、口で呼吸している。
 大気中のも部屋の中でも埃の吸い放題である。
 たまに、試みで鼻から息を吸い込んでみる。そのフレッシュな感覚に驚く。何もかもが己(おのれ)を匂いの形で存在感を示している。不快な匂いさえも慕わしい。

 まず、鼻呼吸の役目は脳の冷却機能にあるというのを実感する。大して使っていない脳みそだが、それでも鼻から息を吸った瞬間は、火照り気味の脳がひんやりした風にホッとしているのを実感する。
 同時に、匂いを感じる。鼻で空気を吸い込むという営みを外で試みると、実に多様な匂いに満ちていることに驚く。ほとんど、感動せんばかりである。
 こうした体験(機能)を失って四十年。
 人肌とは人の体温と同時に、あるいはそれ以上に体臭のことなのではないか、そんな気さえ、息を吸ってみた瞬間にはつい思われてしまうのである。

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→ 二十日、表参道を通ったので、話題の表参道ヒルズをパチリ。設計は建築家(で版画家でもある)安藤忠雄氏。これじゃ様子がよく分からないから、リンク先に飛んでね。

 二週間余り前、ライアル・ワトソン著の『匂いの記憶―知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官』(旦 敬介訳、光文社)を読んでいたこともあり、「「匂い」のこと…原始への渇望」なる表題の記事を書いた。
 その中で、以下のように書いている:
 

 一番原始的な感覚(器官)である嗅覚。水中であれ地上(空中)であれ、植物・動物を問わず多くの生物が外界に接する触覚と似ているようでいて、根底的に違う嗅覚の不思議さ凄さを改めて見直してみてもいいのではなかろうか。
(言うまでもなく、触覚は、触れる感覚であり、嗅覚は直接身体に触れない遠隔の物体や状態、多くは食べ物かどうか、敵かどうか、安全かどうかの識別に関わる感覚機能である。当然ながら視覚ともまた異なる。視覚は目的とする物体や場所と当方との間に障害物があれば、それでもう役に立たなくなる。目をそちらに向けなければ、もう、意味を成さない機能でもある。匂いは空中などに飛散する、あるいはその辺りに痕跡が残っているなら、それらを探知することで意味を成す。いろんな意味で嗅覚というのは感覚機能として可能性がある。人の心情にも微妙に影響していると想いたくなるではないか!)

 上掲の記事の中で「匂い」あるいは嗅覚、香水に関係する本を幾つか紹介しているが(プルーストの『失われた時を求めて』を逸している。紅茶に浸したマドレーヌ!「匂いが記憶を呼び覚ます - プルースト効果とは何か」が面白い!)、今もまた、鈴木 隆氏著の『匂いの身体論―体臭と無臭志向』(八坂書房)を読み始めているところである。本書に付いて感想文を書くかどうかは分からないが、ちょっとだけ関連する話を少々メモしておきたい。
 感想文を書かない場合もありえるので、上掲のサイトから本書『匂いの身体論』に付いてのレビューだけ紹介しておくと、「身体が発する様々な匂いとはどんなものか。それらを悪臭とする感覚はどの様に成立したのか。現役パフューマーがフェロモン、セクシュアリティ、体臭を克明に説き、匂いという視点から現代人の姿を浮き彫りにする」とか。

 小生は以前、「「さわり」について」と題した雑文を書いたことがある。短文なので一瞥してもらいたいが、「障り」(「触り」と対比させつつ)に焦点を合わせている。
「耳障り」、「目障り」と、これら目や耳には「障り」が付くが、「肌、舌、歯、手」さわりには普通、敢えて漢字を宛がうなら「触り」である。
 何故なのだろうか、ということで、若干の考察を施している。いかにも小生らしく、半端な、極めて暫定的な結論(推察の域を出ない)を下して、そのまま放置している。
 ただ、ここで自分で半端だという意味の一端を示すと、枢要な感覚器官である嗅覚が考察の俎上に上がっていないことがある。
 小生は、「さて、「肌、舌、歯、手」群と、「目、耳」群とを対比させてみると、どちらが根源的な感覚だろうか。これは、恐らく考えてみるまでもなく答えが出てきそうだ。どう見ても、前者の群の感覚、接触する感覚が根源的、少なくとも進化の上で始原的・原始的(だからといって、機能が未だに古臭いという意味では決してない)であり、後者のほうが後発的な感覚だと判断されるだろう。」と書いているが、さて嗅覚は触りの部類だろうか、障りの部類だろうか。
 まあ、鼻障りという言葉はないが、身体から離れた場所の物体(動植物、土、河、海…)に淵源する匂いは、鼻を塞いだりしない限りは、とりあえずは選択の余地なく鼻(嗅覚器官)に届くことからして、相当に原始的な感覚器官なのだろうとは推察して構わないのではないか。
 しかし、ま、もっと丁寧に観察・分析を施すべきだろう。
 関心のある方は、小生の雑考を踏み台に(但し、潰れやすい踏み台なので気を付けて!)感覚に付いて瞑想的(迷走的)考察に戯れてみるのもいいのではないか。

「匂い」のこと…原始への渇望」からの引用文を上で示した中に、「匂いは空中などに飛散する、あるいはその辺りに痕跡が残っているなら、それらを探知することで意味を成す。いろんな意味で嗅覚というのは感覚機能として可能性がある。人の心情にも微妙に影響していると想いたくなるではないか!」というくだりがある。

 匂いの可能性は想像以上にありそうである。
 犬の嗅覚は人間に比べ百万倍から1億倍の識別能力があると言われる。
花王 ペットサイト 犬を知る 犬の不思議サイエンス 犬の優れた嗅覚の秘密とは?」なるサイトが犬の嗅覚能力について(小生にも)分かりやすく説明してくれていて助かる。
 詳しくはこの頁を覗いて欲しいが、ここでは「犬の臭いの嗅ぎ方には2タイプある」という項に注目しておく。つまり、以下の通りなのである:
「シェパードやビーグルは、それこそ地面をなめるように嗅いで、しつこく犯人や獲物を追及していきます。これは、地面に残った臭いの跡をかぐ「間接タイプ」です。
 一方、ポインターやセッターなどは、下を向かず、空気中に浮遊する「臭い分子」そのものを嗅いで、獲物を追いかける「直接タイプ」です。」

 小生は以前、季語随筆日記「冬薔薇(ふゆさうび)」にて、次のように書いている(話の脈絡は略す):
「犬の記憶力がいいのかどうか、分からない。あるいは劣るのかもしれない。が、少なくとも匂いについては、一度嗅いだ匂いのことはずっと忘れないのではなかろうか。会った人、犬、猫、食べ物などはクンクン嗅いで、嗅覚の中枢にしっかり収められるのではなかろうか。
 数分子の匂い成分でも残っていたら、嗅ぎ分けることができる。単なる視覚だけだと、人間にはあるいは敵わないのかもしれないが、嗅覚という能力で見られた世界の広がりという点では、人間は犬から見たら全くの鈍感野郎に過ぎないのだろう。視覚的には視角となる角を曲がった先の人や動物、一昨日、この道を通り過ぎた猫、何処かの家に勝手に入り込んだ奴の匂いの痕跡。
 誰かが浮気でもしようものなら、ああ、この人、あの人と出来てる! なんて一発で分かる。町中の人の愛憎相関図など、犬は全てお見通し(嗅ぎ通し)で、肌の触れ合いの相関図をお犬様の意見を参考に描くと、複雑すぎて解きほぐしえないほどになるのかもしれない。」

 ここでようやく「匂いの可能性は想像以上にありそうである」という話題に戻るが、例えば、犯罪捜査では、目撃者の証言、遺留品や指紋、足痕(こん)等の物的資料、最近威力を発揮し始めているというDNA鑑定など遺伝子解析と、あらゆる可能性を尽くして行われている(らしい)。
 その中の一つに、警察犬も力を発揮するケースがあるわけである。
 部屋(犯罪現場)は何らかの形で犯人が侵入乃至接近したわけで、当然、遺留品の発見が期待されるが、仮にあった場合でも犯人に結びつくかどうかはケースbyケースのようだ。臭い(匂い)の話題に絡めると、犯行があって数日間は、匂いの分子の残滓が地面(壁面、窓、ドア)にか、それとも空気中に浮遊しているはずである。
 他のどのような物的証拠が見つからない場合でも、極微量なのだとしても、匂いの分子が部屋(現場)に残留していることは間違いないだろう。
 よって、今、指紋の採取その他の捜索がされるのが当たり前であるように、部屋(乃至現場)の中(乃至近辺)の空気(大気)を可及的速やかに採取しておいて、あるいは壁面(床面)の極微量の匂い分子をまとめて採取しておいて、その分析により、指紋ならぬ匂い紋を割り出しておくのも常識になるのだろうと考える。
 のちに容疑者が浮かんだ際に容疑者の発する体臭と合致すれば、指紋同様の決定的な証拠になりえるのではなかろうか。
 このように書くというのも(まず、今は数分子を識別する技術が確立されていないこともあって、分子分析識別の技術開発が望まれるのは別儀として)、どうやら人の発する体臭というのは、個人差があるらしく、場合によっては指紋ほどの確度は難しいとしても、匂いの痕跡(分子)から男女差は勿論、年齢、体質、その日に食べたもの、体調、あるいはさらに細かな情報も得られる可能性があるからなのである。

 ネット検索していたら、興味深いサイト(項)が見つかった。「風のfragments/3■匂いについて」である。
 冒頭に「嗅覚に歪みや欠陥があったり、あるいは嗅覚を失った人々がいるように、嗅覚のスペクトルのもう一端には鼻の天才とでも呼ぶべき人々がいる。おそらくヘレン・ケラーがもっとも有名だろう」とあるが、小生は、昔、読んだ『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(新潮文庫)の内容をすっかり忘れている。本でもドラマでも幾度となく彼女についての奇跡の物語を見聞きしたはずなのに。
「風のfragments」には、「彼女はこう書いている」として、「嵐が来ることは徴候が目に見えるようになる何時間も前から嗅覚でわかる。まず、予測の鼓動が、かすかな振動が鼻孔に濃縮されてくることに気づく。嵐が迫るにつれ、鼻孔が広がる。量を増し、広がってくる大地の香りが洪水のように受けとめられ、ついに雨の飛沫が頬にあたり始める。嵐が遠ざかっていくと、香りも薄れ、次第にかすかになり、空のかなたへと去っていく。」といった引用が示されている。

「ヘレン・ケラーの感覚は、閉ざされているがゆえに、生き生きと輝いている」のであって、音楽の鑑賞さえできたという。つまり、「ケラーは音楽に本当のたのしみを見つけました―彼女はそのリズムを、演奏中の楽器や歌手の唇やラジオのスピーカーの上に指を置いて感知する」というのだ(「私は視覚障害者(全盲)で、普段は点字を使って情報を入手し、また仕事もしています」という「小原二三夫の部屋」参照)。

 ということで、近い将来(?)犯罪現場では、現場が荒らされないようテープが張り巡らされ警察官が部外者の立ち入りを禁止するように、可能な限り速やかに現場を密封し、現場の中の空気を採取する、それとも、嗅覚機能に特化したロボット犬が現場をクンクン嗅ぎ回る、なんて光景が当たり前になる…かもしれない。
 
 このほか、「匂い」については様々なことが想像されるのである。想像が膨らむのは匂いだけに限らず、凡そ感覚というのは、もっと言うと身体というのは、さらに言うと心身というのは、想像の余地に際限がないのだ。
「匂い」を嗅げるというだけでも、実に豊穣なる世界を体験できるということ、そのことを<実感>できる。きっと健常なる人たち以上に。実感じゃなく、期待に過ぎないのかもしれないけれど。
 犬が地べたを嗅ぎ回る。一体、犬たちにはどんな人間には到底、想像の付かない世界が恵まれているのだろう。

 感覚を哲学してみたい気もするが、脳と身体感覚との関係などについて、馴染みやすい著作というと、オリバー・サックスの諸著作が面白かった。久しぶりに読み直そうかな。

 ちょっとだけ犬の嗅覚の話題の出てくる掌編に「月 光 欲」がある。読んでみてもいいよ!

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コメント

韓国の木浦というところには“ホン・オ・フエ”という料理がありまして。エイを生のままぶつ切りにして、カメに入れて一週間置きます。開封した途端、アンモニアの臭気で涙が止まらなくなりますが、それに耐えることができればとても美味いそうです。食べるとアンモニアが唾液の水分に溶けて水酸化アンモニウムになるので、その溶解熱で口が熱くなります。さて、ここで口で息をしてはいけない。アンモニア中毒で死んだ人がたくさんいるらしいので、国見さん、その際にはご注意を。

臭いといえば・・・。
スウェーデンの“シュールストレンミング”という缶詰は、ニシンとかイワシとか薄い塩水に漬けて缶に詰め、殺菌せずに缶詰の中で発酵させます。3割くらいは爆発してだめになります(〃^∇^〃)。
残った7割も缶が膨れて爆発寸前(〃^∇^〃)。さて、缶を開けた途端、ぶしゅっと噴出する臭気、これはこの世のものでないほど臭いらしいです。
どちらもかぐわしい豊穣な世界、どうかご体験くださいませ。

投稿: 青梗菜 | 2006/02/23 01:38

韓国の“ホン・オ・フエ”は初耳。臭いに堪えられたら美味しい…って、でも、「ここで口で息をしてはいけない」となると、小生には手が出ないってことになりそう。

スウェーデンの“シュールストレンミング”という缶詰の話題は最近、テレビでも扱われた。スタジオでゲストが囲む中で、囲いの中の食材を司会者(お笑いタレント)とかが中に入って臭いを嗅いで、その仕草で笑いを取っていたっけ。

世界三大珍味のキャビア、フォアグラ、トリュフだけど、フォアグラは「ガチョウやカモに人工的に大量の餌を与えて肝臓を肥大させたもの」だし、キャビアは「チョウザメの卵を塩漬けにしたもの」だから論外として、トリュフは匂いの話題に採り上げたい題材。
なんたって、豚(の嗅覚)を使って探すというんだし。
いずれも小生には高嶺の花で無縁の食材だけどさ。

日本で臭い食べ物というと、「くさや」などが有名ですね。「外国でくさやを焼いた所「死体を焼いている臭いがする」と警察に通報され大騒ぎになったという話もある」とか。
納豆も人によっては不快な臭いを発すると思われているようだけど。

それより小生としては、ラーメンや焼き鳥、たこ焼きやヤキソバやたい焼きの匂いが好き。店の前を通ると、わざと匂いを歩道のほうに流してくる。ダイエットしている小生にはありがた迷惑なことです。

投稿: やいっち | 2006/02/23 14:06

はい。香ばしくこげたにおいは僕も大好き。蒲焼き食いて~。甘辛いタレと山椒のにおい。
日本の発酵食品は、カビてるんですよね。コウジ菌なんかを使った湿気た食文化。乾燥地帯でパンを焼く、ウエットな日本は米を蒸す、って具合で。で、ちょっと焼いてみたくなる。
焼きおにぎり食いて~。

投稿: 青梗菜 | 2006/02/24 01:35

香ばしい匂い、芳しい食品は一杯。
確かに、パンのことも忘れちゃいけないね。卒業した中学校のすぐ裏手にパン工場があって、いい香りがぷーんと。コッペパンが美味しかった。学校の帰りには総菜屋さんでコロッケの買い食い。
小生、お酒は飲まないけど(ただ酒は一杯くらいは飲んでもいいけど)、テイスティングは好き。見るのも好きだし。
甘党なのでウイスキーボンボンが大好きです…って、話が違うか。
香水もピンからキリがあるね。バスローブにしみこんだ芳しき薔薇の香り! ギャ!

>焼きおにぎり食いて~。
 
五平餅、思い出した! ツーリングの途中で食べるのが楽しみだった。

投稿: やいっち | 2006/02/24 02:29

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受信: 2006/02/26 21:08

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