山崎覚太郎から金川欣二へ
ちょっとした偶然があった。
昨夜、テレビ「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら、山崎覚太郎という人物の漆作品が登場した。聞いたことのない人物。それでも、なんとなく見入っていたら、この方、富山出身だという。
富山県人というのは、富山出身だとか富山関係の人物だと俄然、関心を抱く傾向にある。島国根性というか、郷土愛が強いというか、視野が狭いというか、学籍でも、富山において問われたならば、たとえ有名な大学や大学院を出ていたとしても、問うた方が知りたいのは、県内での最終学籍である場合が多い。
小生、早速、山崎覚太郎という人物についてネット検索を試みた。
筆頭には、「思文閣 美術人名辞典---山崎覚太郎」なる頁が浮上する。
「漆芸家。富山県生。東美校漆工科卒業。蒔絵にこだわらず、多彩な色漆と簡潔で軽妙な図案、斬新な構図による絵画的表現を確立。漆芸を用の概念から解放し、現代的な表現の可能性を追求する指導者として活躍した。帝展特選受賞。東美校教授。日展理事長・日本芸術院会員。文化功労者。昭和59年(1984)歿、84才。」と簡潔なのはありがたいが、芸術家なのだし、作品の一つも見てみたい。
(文中の「東美校」とは、東京美術学校で、東京芸術大学の前身のようだ。)
あわよくばテレビで見た作品の説明を求めたいが、これはちと無理だろう。個人所蔵なのだし、テレビでの話しだと美術館(展覧会)に貸し出した様子も見受けられない以上は、公の資料が見つかる可能性は薄い。
→ オリンピックで睡眠不足の毎日だという紫苑さんに戴いたカトレアの画像です。カトレアは「冬の貴婦人」とも呼ばれたりするらしい。きっと紫苑さんもそのような方なのでしょう。
「忘れかけていたあの一生懸命に取り組む熱意わたしも取り戻したい」「もっともっと大切に生きたいと思います」とのことですが、小生、誰より耳が痛い。なんたって、自宅でも居眠り三昧の日々だし。でも、小生はロッキングチェアで本という霊験あらたかな睡眠導入財で眠気に誘われるままに寝入るのが何より好きな無精者、今更、どうなるもんじゃないと、開き直っている?!
ネット検索の2番目には「代表作品7」ということで、山崎覚太郎の「漆絵額 紅梅」の画像が現れてくれた。「大正3年本校卒業,芸術院会員,文化功労賞受賞」と説明されているが、ホームページへのリンクボタンがないので、本校とは何処の学校なのか分からない。
「漆絵額 紅梅」のURLから逆に辿ってみると、「青井記念館美術館」というサイトに行き着いた。表紙には青井記念館美術館と共に「高岡工芸高等学校」という名称が。
どうやら、本校とは高岡工芸高等学校のようである。
ネット検索では、「砺波地方に疎開した作家と戦後地元作家の動き」という頁も上位に現れる。
ここでは、「県内で戦前より、数少ない美術家養成所としての役割を担っていたのは、教育機関であったが、その最たるは明治27年創設の富山県工芸学校であろう。郷倉千靭、山崎覚太郎、佐々木大樹、松村外次郎らは同校を卒業して、東京美術学校に進み後年、美術家として名声を得た」という記述が見出される。
「博物館だより 第十四号 平成10年3月31日」という頁には、収蔵品紹介として「『蒔絵手筥(まきえてばこ)「花風(はなかぜ)」』 山崎覚太郎(やまざきかくたろう)作 昭和54年(1979)」の画像が載っている。
(この頁も表紙へのリンクが張ってなくて、一体、何処の博物館か分からない。郷土博物館だろうか。)
上でも「蒔絵にこだわらず、多彩な色漆と簡潔で軽妙な図案、斬新な構図による絵画的表現を確立。漆芸を用の概念から解放し、現代的な表現の可能性を追求する指導者として活躍した」といった説明があるが、この頁にも、「山崎氏は、漆に顔料を混ぜた様々な色の「色漆(いろうるし)」を用いて、鮮やかな色彩の作品を製作しました。またこの手筥の馬のように、猿・鶴・牛など動物の図柄が、作品に多く取り入れられています」と紹介されている。
実は、テレビ「開運!なんでも鑑定団」で見た作品も、森の木にぶら下がり、あるいは絡まる猿を大胆且つ斬新にデザイン化したような図柄を施された五枚セットの皿だった(注!)。
[ (注)読者からの指摘で小生が勘違いしていたことが分かった。「絡まる猿を大胆且つ斬新にデザイン化したような図柄」の作品というのは、山崎覚太郎の人物紹介をする中でそういった斬新なデザインの漆作品を作り関係者を驚かしたということだった。番組のホームページ「開運!なんでも鑑定団」によると、出品者の方が出した五枚セットの皿は「依頼品は、朱漆と黄土色の漆で朝日を表し、ブドウをシルエットにしたデザインのもので状態もいい。裏は漆黒の漆。覚太郎の作品は漆芸に絵画的な要素を織り込んだもので、大変貴重」なのだという。
ご指摘をして戴いた方には感謝あるのみである。と同時に小生の勘違いによる間違った記述をお詫びします。 (06/02/23am 補記)]
小生は、漆については「樹液のこと…琥珀」や特に「ジャパンのこと」において若干のことを書いたことがある。
しかし、文中にある「漆に顔料を混ぜた様々な色の「色漆(いろうるし)」」というのは、小生には初見の技術だった。
漆工芸品というと、番組の中でも解説が加えられていたが、誰しもが浮かべる朱色か黒か金色と相場が決まっているのだ。そうした常識を山崎覚太郎は打ち破っただけではなく、漆というと伝統的な工芸品という常識をも打ち破って、「現代的な表現の可能性を追求」したのだし、工芸品では採り入れられることのなかった馬や「猿・鶴・牛など動物の図柄」を、しかも、斬新なデザイン化を施して採り入れたというわけである。
それにしても分からないのは、それら動物の図柄をどのように地の漆部分から浮かび上がらせているのか、という点だった。堆朱(ついしゅ)の技法を使って漆を重ね塗りしているのか、それとも、地の木目に彫刻して立体化しているのか。
「堆朱(ついしゅ)」とは、「ついしゅ 0 【▼堆朱】 - goo 辞書」によると、「彫漆(ちようしつ)の一。朱漆を何回も厚く塗り重ねたものに花鳥・山水・人物などの文様を彫ったもの。中国では剔紅(てつこう)といわれ、宋代以降盛行。日本へは鎌倉時代に伝来。黒漆の場合は堆黒(ついこく)、黄漆の場合は堆黄(ついおう)。」というもの。
ネットでも「東北工芸 仙台堆朱」や「村上木彫堆朱 村上特産株式会社」なる頁で具体的な事例を見ることが出来る。
さて、である。冒頭に「ちょっとした偶然があった」と書いている。
実は、山崎覚太郎という人物についてもっと知りたい、できれば作品をもっと見たいとネット検索していたら、懐かしいサイトに再会した。
「笑説 越中語大辞典」で、ネット検索で浮上したのは、「笑説 越中語大辞典~や」の、当然ながら「山崎覚太郎」の項の「工芸家。富山市東岩瀬町に、父山崎政次郎・母チヨの長男として生まれる。富山県立高岡工芸学校漆工科卒業、東京美術学校漆工科助手になる日本芸術院会員となる。文化功労者に列せられる社団法人日展理事長、事務局長に就任。勲二等梯瑞宝賞を授与される。岩瀬公民館に胸像が建てられている」という説明である。
(工芸家という冒頭の言葉が気にかかるが…。)
小生、ホームページを開設したのは5年前の2月初頭だった。つまり、今年の2月初めは小生のホームページ開設五周年だったわけだ。自分でも今、気が付いた。
それはともかく、その頃はオープンしたはいいがコンテンツが何もなくて、とりあえず、富山県人なのだから、富山関係の人のサイトなどを探しまくったりした。
その中の一つが、金川 欣二氏の「金川 欣二☆言語学のお散歩(マックde記号論)☆ Rideo, ergo sum.」だった(もっといろいろな経緯があるが、ここでは略す。最初は、同氏の訳によるミラン・リューゲ作の『菊と蒲鉾』という小論をネットで発見したことが切っ掛けだった)。
さて、やっと「ちょっとした偶然があった」の説明に入れる。
金川 欣二氏のサイトである「金川 欣二☆言語学のお散歩(マックde記号論)☆ Rideo, ergo sum.」の表紙に『おいしい日本語』(出版芸術社)という本が紹介されている。
最初は、へえー、新しい本を出されたんだと思っていただけだが、「 『おいしい日本語』はどういう本か?~自著PR」にnew!のマークが付されていて、つい、その頁を覗いてみた。
その冒頭に「「世界とは言語が見る夢である」---ヴィトゲンシュタイン」というエピグラフが掲げられている。小生が卒論で扱った哲学者ヴィトゲンシュタイン!
英国系の哲学者という扱いでウィトゲンシュタインと濁らない表記をされる場合が多いので、小生としてはヴィトゲンシュタインと書いてあるだけでも嬉しくなる(理由は別の機会があったら書く)。
この自著PRをズラズラ読んでみて、面白そうな本だと思ったのだが、一番最後でちと驚いた。
【初掲:2006年2月20日発売日】とあるではないか。
偶然とはいえ、山崎覚太郎という人物についての情報をネット検索していて、懐かしい方の出たばかりの新著の自己PR文に遭遇したのだ。
ま、関心のない向きには、ばっかみたい、ということだろうが、小生にしてみたら、それだけのことでもなんとなく嬉しかったし、そうでもないと、きっと山崎覚太郎についても、調べるだけ調べて、結局はこのサイトに採り上げるのは断念した多くの事例の山に埋もれるはずだったのである。
それにしても、季語随筆日記と銘打っているのに、この数日、肝心の季語随筆が綴れないでいる。まあ、二月の季語事例が少なくて、多くは既に扱ってしまったということで、小生としても頭を抱えているということもある。
だから、今日の記事も、「漆(うるし)」に関係する季語はないかと探したが、夏の季語には漆関連の季語があるが、春には見つからなかったのだ。
さて、今日も「アンナ・カレーニナ」を読みながら寝入るとするか。それともやはりテレビでフィギュアスケートを見るのがいいかな。
(表題で山崎覚太郎及び金川欣二氏の両氏共に呼び捨てみたいな格好になっていることをここでお詫びしておく。決して不遜な気持ちでのことではない。但し、山崎覚太郎のことは、敬意を以て最後まで氏は付さないままで通した。関係者各位共に理解と寛恕を願うものだ。)
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コメント
ヴィトゲンシュタインの表記ですか。
僕は指揮者の表記を思い出しました。
セルという指揮者はジョージと表記されるのに、ショルティという指揮者はゲオルグと表記されますね。
二十日はレコード芸術という雑誌の発売日、本屋で立ち読みして今でもセルやショルティは売れているなと感じました。
投稿: oki | 2006/02/22 23:29
「英米分析哲学の文脈で語られがちなウィトゲンシュタインの哲学。しかしその思想的ルーツは故郷ウィーンの世紀末文化にあった」というS・トゥールミンとA・ジャニクの『ヴィトゲンシュタインのウィーン』(藤村龍雄訳、TBSブリタニカ)を78年だったかに読んで、決してヴィトゲンシュタインの哲学の理解に直接結びつくものではないけれど、語りえぬ彼の内実には豊穣な思想が脈打っていることを感じさせるには十分な本だと感じた。今は「平凡社ライブラリー」に入っていて、題名も『ウィトゲンシュタインのウィーン』と変えられている:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763863
所詮、英米など外国語の名前(単語)だから日本語に訳す場合も、もともと無理があるわけで、その表記は様々であっていいのだけれど、ただ、そこにはこだわりのようなものがあって、ヴィトゲンシュタインに夢中になっていた頃は、「ヴィトゲンシュタイン」という表記でないと、彼の思想的な重みに釣り合わないと思い込んでいたわけです。
若気の至り?!
投稿: やいっち | 2006/02/23 13:50
本文中の記述に誤りがあったので、補記を付しました。読者の方の指摘で気づいたものです。[]内の注に注意!
投稿: やいっち | 2006/02/23 14:08
今日講談社現代新書「ウィトゲンシュタインはこう考えた」を買ってきました、分厚いぞ!
ぱらぱら見ていたら「論考」に登場する「語りえないもの」は二種類に分類でき、永井均さんが始めて指摘したとかー研究者の間では常識なんですかね。
「新しいヘーゲル」が見当たらない、品切れか、アマゾンで注文します。
投稿: oki | 2006/02/25 22:57
永井均氏の『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)は昔、『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書)を読んで面白かったので、その流れで読んだけど中身、忘れた。
okiさんは既に読まれているでしょうけど、ウィトゲンシュタインの本というと、『論理哲学論考』は別格として、『反哲学的断章―文化と価値』(青土社)が抜群に面白かった。再読したし。
ウィトゲンシュタイン全集(大修館書店)の中の「倫理学講話」もなかなか。
人物紹介の本としては、上記した『ヴィトゲンシュタインのウィーン』(TBSブリタニカ)のほか、ノーマン・マルコム著の『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』(平凡社ライブラリー)、レイ・モンク著の『ウィトゲンシュタイン〈1〉〈2〉〉―天才の責務』(みすず書房)、藤本 隆志著の『ウィトゲンシュタイン』(講談社学術文庫)、『ウィトゲンシュタイン小事典』(山本 信/黒崎 宏編集、大修館書店)などが面白かった。
でも、やはり、『論理哲学論考』と『反哲学的断章―文化と価値』に尽きるね。
投稿: やいっち | 2006/02/26 01:50
はじめまして。
たまたまテレビでやっていたのを見たのですが、今日は、山崎さんが亡くなった日だそうです。
すごい方ですね。実物を観てみたいものです。
TBさせていただきました(^_^)
投稿: chobi | 2006/03/01 13:40
chobi さん、「漆芸家 山崎覚太郎」、読ませてもらいました。
3月1日が山崎覚太郎の亡くなった日なのですね。偶然とはいえ、直前にこうした記事を書けて幸運だったと思います。
小生も実物を見てみたい!
小生もTBさせてもらいました!
徹夜明けなので、睡眠をとってから改めてゆっくりお邪魔します。
投稿: やいっち | 2006/03/02 09:01
今日、何故かこの記事へのアクセスが多い。午後五時前で既に60回を超えている。
調べてみたら、以下の情報を発見:
「来年1月開館 国立新美術館の記念展
富山出身 漆工芸の第一人者
故山崎氏の『煙草具』展示」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tym/20060705/lcl_____tym_____000.shtml
念のため、当該の記事を転記しておく:
二〇〇七年一月に開館予定の「国立新美術館」(東京都港区)の開館記念展に、富山市出身の文化功労者で日本を代表する漆工芸作家の故・山崎覚太郎氏(一八九九-一九八四年)の漆工芸作品「煙草具」が展示されることが決まった。
山崎氏は、漆工芸作家の第一人者で、伝統的な制約を打ち破る新しい考えを根底に、現代的で自由な工芸を目指したことなどで知られている。
二十世紀の美術・美術家の変容を探る国立新美術館の開館記念展「20世紀美術探検-アーティストたちの三つの冒険物語」では、国内外の作家の作品が約五百点展示される。この中で、工芸が大きく変革した一九二〇-三〇年代の代表的な作品を展示するコーナーが設けられることから、山崎氏の煙草具を所蔵する富山県に出品の打診があり、県が了承した。
煙草具は一九二四(大正十三)年から二五年にかけて制作され、三つの器と盆で構成。直線と曲線、その色分けの簡素な要素を巧みに組み合わせたデザインなどが優れている。現在、富山県水墨美術館(富山市)で展示されており、県は「記念展に出品される作品をぜひ見に来てほしい」としている。
国立新美術館は国内五番目の国立美術館で、展示スペースは国内最大級の一万四千平方メートル。作品収集は行わず、多彩な展示会を開催する予定。
記念展の会期は、〇七年一月二十一日から三月十九日まで。 (富山支局・竹内章)
やまざき・かくたろう 富山県東岩瀬町(現富山市)出身。高岡工芸学校(現高岡工芸高校)を経て1919(大正8)年、東京美術学校漆工科に入学。36年から2年間、欧州で工芸美術研究を視察し、新鮮な造形感覚を吸収。絵画や彫刻と同じように、工芸も芸術として自立するべきだという考えを推進し、日本の工芸界に大きく貢献した。66(昭和41)年に文化功労者。69年日展理事長に就任。代表作に「大鵬」「飛翔」など。
この日の夜半にはアクセス回数が百回を超えたようだ。
投稿: やいっち | 2006/07/09 17:00