« 今日も冷たい雨が降る(索引) | トップページ | 「匂い」のこと…原始への渇望 »

2006/02/02

今日は何の日

今日は何の日2月2日」というサイトを覗いてみた。
 未明に、NHKラジオ(の「今日は何の日」というコーナー)で横井庄一さんが帰国したという話を漏れ聞いたので、今日がその日なのか、改めて確かめたかったのである。テレビでは横目で見ている限りは、この話題がまるで扱われていないようだ(小生が気づかないだけかもしれないが)。
 すると、「「恥ずかしながら……」横井庄一さん帰国(1972)」として、「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」――グアム島のジャングルに潜んでいた元陸軍軍曹横井庄一さんが、1972年2月2日午後2時15分、羽田着日航特別機 948便で帰国した。第2次世界大戦終了後、28年間に及んだたったひとりの戦争が終わった日。」とあった。

 そうか、やっぱり1972年の今日、横井さんが帰国されたのだ。

 そう、当時、「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」という横井さんの言葉は随分と話題になった、そのことは覚えているが、小生が高校三年の終わり頃、そろそろ受験の時期が迫っていたとは、今にして思い出した。
 この話題に興味を覚えつつも、受験で必死で心ここにあらずだったようである。
事件史探求」の「横井さん発見(事件史探求)」という頁を覗くと、「羽田空港に着いた横井さん」、そして「横井さんから二年後に帰国した小野田さん」の画像が載っている。
「帰国を果たした横井さんは、記者会見で「終戦は、米軍が落とした宣伝びらで知っていたこと、もし出て行ったら軍法会議で処刑されることを恐れていた」ことなどを話した」というのは、テレビでそう語る横井さんの様子を見ながら、戦中の生きて捕虜の辱めを受けずという教育の徹底振りを痛感させられたものだった。

(グアムについては、「グアムの戦後補償問題」を参照のこと。)

 ついでなので、同じく、2月2日の出来事を見ておきたい。
「東大寺大仏造営の僧行基没(749)」や「大日本婦人会誕生(1942)」「「徹子の部屋」放映開始(1976)」などのことは別の機会に触れることがあると期待する。

「戦後、日本航空の初の国際定期便、東京~ホノルル~サンフランシスコ線が就航(1954)」については、もう少し注釈が必要だろう。これは、「戦後禁止されていた国際航空業務が再開された」という意義を持つのである。


「日本初のバスガール(1920)」も個人的には懐かしい。いつ頃、バスというよりも乗合自動車(それもボンネットバス!)へのバスガールの添乗が廃止されたのか、覚えていないが、小生が子供の頃などには制服姿の若いバスガールが乗っていて、見知らぬ若い女性の働く姿を見るのは、どことなくドキドキするものがあったような。
「1920年(大正9)のこの日、東京の乗合自動車に初めてバスガール(車掌さん)がお目見えした。年齢18歳以上で初任給35円という当時としては高給待遇が話題に。小学校教員の初任給が40~55円の時代である。」というから、花形の職業だったに違いない。戦後一時期の航空機におけるスチュワーデスほどのものだったのかもしれない。
 その面影は、「TOMYTEC NewHobby THEバスコレクション バスガールフィギュア2」に見ることができる?!
 それにしても、どうして若い女性の制服姿というのは、看護婦(今では死語? 女性の看護師と呼ぶべきか)、バスガール、スチュワーデス、オフィス(キャリア)ガール、女医…、その何れも、想うだに心ときめくのだろうか。

 ほかに、「頭痛の日」でもある。「慢性頭痛に悩む人たちで結成した「頭痛撲滅委員会」が2001(平成13)年に制定」したという。
 容易に想像が付くように、「「ず(2)つう(2)」(頭痛)の語呂合せ」で、「慢性頭痛に悩む「頭痛持ち」の存在をアピールし、社会に理解の輪を広げる日」なのだとか。

交番設置記念日」でもあるとか。つい、先日、小生、お世話になったばかりである。
 当初は、「交番所」という呼び名だったらしいが、その後、「1888(明治21)年10月に全国で「派出所」「駐在所」という名称に統一された」こともあったが、知られているように、「「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているということから、1994(平成6)年11月1日に「交番」を正式名称とすることになった」という。

「夫婦の日」でもある。これも、「夫(2)婦(2)の語呂合せ」だという。夫婦については、「よい夫婦の日 4月22日」「いい夫婦の日 11月22日」「いい夫妻の日 11月23日」「夫婦の日 毎月22日」と、夫婦円満を期そうといった悲願があるのだろうか、年に何日も夫婦の日がある。
 みんな、ふーふー言っているんだね。

本日の誕生日」ということで、「J・ジョイス(作家『ユリシーズ』(1882)」が示されていた。

 ジェイムズ・ジョイスというと、「若き芸術家の肖像」だけは三度ばかり読んだし、「フィネガンズ・ウェイク」も柳瀬尚紀氏訳で読んだが、「ダブリン市民」も「ユリシーズ」も未読。
「フィネガンズ・ウェイク」については、「ふろく 「フィネガンズ・ウェイク」を読む」が面白かった。
 まあ、意味もなくアニメーションを楽しむだけなのだが。

 今朝、未明のNHKラジオの「今日は何の日」というコーナーでも触れられていたが、「1959年 人種差別の激しかったアメリカ・バージニア州で黒人と白人の共学が実現」という。南北戦争から百年以上を経過しても、そういった現実が厳然とあったわけだ。現在の実情はどうなのだろう。あの洪水の際の惨状を見ると、実態は旧態依然なのか…。

 1998年に「郵便番号が3桁・5桁から7桁に」となったが、実態はどうだろう。大手の企業やテレビ局への郵便物は宛名としての住所の記入はかなり簡略化されているようだが、一般の郵便物は、従前通り住所はフルに明記、且つ、郵便番号も7桁を記入と、以前にも増して多くの利用者には実質的に手間が掛かっているのではなかろうか。
 実際、郵便配達される人だって、住所を頼りに郵便配達しているのではなかろうか。
 この辺り、工夫の余地は大いにありそうに思われる。

 今回は特に言及しないが、1946年 の「宗教法人令」改正。神道を宗教として扱うことになり、神社が国家管理から宗教法人に」という項目も持つ意味合いは大きい。

 国内外の政治の喧騒や思惑に巻き込まないよう、せめて国会議員、特にたるもの靖国神社参拝は自粛して、近代の歴史の一齣(ひとこま)を象徴する一つの民間の宗教施設として、そっとしておけばいいのではないかと小生は考える。
 首相も靖国参拝は心の問題なのだというのなら、国会議員を、せめて首相という役職を辞めて市井の人となってから改めて参拝すればいい。
 小泉首相は、首相に就任する前、「知覧特攻平和会館」に赴き、戦争の悲惨さを痛感し、靖国神社参拝を決意されたとか(それまでは参拝されていなかったのだが)。

 その発想の飛躍が理解できない。
 こんな悲惨な戦争(空襲・原爆…、しかも、侵略と植民地支配)への反省があったなら、少なくとも国家のリーダーとしては靖国神社参拝という選択肢はありえないと小生は考えるのだが。

 ここには戦争に駆り出す側と、実際に戦地に赴かねばならない一般市民との間の認識の差が歴然とあるようだ。

 過去の尊い犠牲となられた方のことを思うからこそ、小生は心ならずも戦争において加害者になったものと被害者になったもの、その両者が互いに同じ過ちを犯さないという決意を同じくする施設があってしかるべきと考える。
 その点は、「どのような施設を作ろうとも、それがたとえ、靖国のような国家の手による顕彰施設ではなくて、たとえば「平和の礎」のように市民の手による平和のメッセージを込めた施設であっても、いつのまにか国家の政治によって「靖国化」することがありうると警告を発する」高橋哲哉氏(『靖国問題』ちくま新書)とは見解を異にする。
 こういった論理を展開する限り、理由はどうであれ、現存の靖国神社以外に国の内外を問わない市民の手による平和のメッセージを込めた施設の建設はありえなくなり、結果として国家指導層による靖国神社参拝の継続を容認することにつながるのではないか。
 高橋哲哉氏はもって回った言い方をして、現にある靖国神社への指導層(特に首相)による参拝を仕方のないものとするロジックを展開しているだけではなかろうか。

|

« 今日も冷たい雨が降る(索引) | トップページ | 「匂い」のこと…原始への渇望 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/8467257

この記事へのトラックバック一覧です: 今日は何の日:

« 今日も冷たい雨が降る(索引) | トップページ | 「匂い」のこと…原始への渇望 »