蕗の薹が立つ?
立春を過ぎているから初春の季語ということになるが、「蕗の薹(ふきのとう)」を今日は採り上げる。
が、実は、昨年の2月13日に既に採り上げている。
ただ、チラッと覗かれてみると分かるが、肝心の「蕗の薹」のことにはあまり触れていない。ほとんどが当時、よく見かけた老いた白猫殿の話題に終始している(最近、全く姿を見かけないのだが…)。
なので、改めてもっと「蕗の薹」に焦点を合わせて若干のことを綴ってみる。
「フキ - Wikipedia」なるサイトを参照する。
キク科フキ属の多年草というフキ(蕗)だが、野菜嫌いの小生、蕗(ふき)も嫌いだった。食べず嫌いだったが、幾度かは無理して口にしたことがある。とりあえずは飲み込めた。椎茸(松茸)のように食感が嫌いでどうにも飲み込めないというほど嫌いだったわけではないようだ。
むしろ、子供の頃は肉類とかハンバーグとかカレーとかラーメンとかコロッケ…、まあ、そういった脂っこいというか味の濃い食べ物が好きな我が侭な子供だったということだ。
学生時代の最初の二年は朝晩二食の賄い付きの下宿生活だったので、負けず嫌いというか面子を大事にするというか、意地で野菜の類も食べたので、その二年が過ぎてアパートでの一人暮らしを始める頃には、椎茸(松茸)以外は食べられるようになった。
それどころか最初は見るのも嫌だった八宝菜までが好物になっていた。
ただ、やはり一人暮らしを始めてしまうと、水は低きに流れる、弥一は安易と惰性に堕すというわけで、ラーメン・ライスの世界に逆戻りしてしまったのだが。
「フキ - Wikipedia」によると、「茎は地上で伸びるのではなく地下茎となっている。早春、葉よりまえに花茎がでる。これを蕗の薹(フキノトウ)とよんでいる」という。
年のせいなのか、天麩羅でも野菜のものを殊更選ぶことが多くなっている(もっとも、最近は先立つものがなくて外食はしないし、スーパーで敢えて天麩羅を買うということもなくなっている。脂っこいものが胃には負担になるので億劫なのか…)。
蕗の薹やフキの葉の天麩羅も美味しそう!
また、余談になっている。
「フキ - Wikipedia」によると、「蕗の薹や蕗の芽・蕗の花は春、旬の蕗・蕗の葉・伽羅蕗・秋田蕗は夏の季語」だという。
「よっちのホームページ」の「2月の季語 三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。」という頁を覗くと、「蕗の薹(ふきのたう)」の画像や説明と共に、幾つかの句を掲げてくれている:
蕗のとうほうけて人の詠かな 嵐雪
蕗の薹や垣結う縄のひとまろげ 鬼城
蕗の薹案内もなき庭あるき 躑躅
蕗の薹ふみてゆききや善き隣 久女
わが庵は蕗の薹さへ眺めかな 閑子
凪くくれし志やな蕗の薹 虚子
上で話が脱線して蕗の薹やフキの葉の天麩羅…なんて話になりかけたが、しかし食材としての蕗は捨てがたいものがある。
ネット検索していて、「フキ / 旬マガ 旬の食材図鑑」という頁に出遭ったので、せっかくなのでリンクさせておく(ホームページは「旬の食材図鑑 / 兵庫のふるさと特産品ショップ「旬マガ市場」」である)。
「日本の季を感じさせる伝統野菜」や「フキの薬効成分と栄養素と風味」といった項目も興味深いが、「フキ(蕗)の来歴ヤマノイモ(薯預)の来歴」という項に今は注目しておく。
「フキはキク科フキ属の多年草で、起源は中国、朝鮮半島、日本とされ、国内ではサハリンから琉球諸島にかけて広く自生してい」るとか、「フキは日本原産で、本草和名(918)に布布岐と、また和名抄(923)に布由岐と、延喜式(927)に秋田フキとトウフキ(款冬)と呼んで、栽培に関する記載があ」るといった記述が個人的には興味深いからである。
特に、「約5500年前の縄文前期遺蹟調査で見られたゴボウなどと共に、フキも最も古い野菜であると考えられ」るという話となると、小生の目線が遠くなる。
何処かの畑から採れた蕗。土からの恵み。その土だって、幾度となく野菜を生み、恵み、食され、また肥やしとなって土に還り、やがてまた蕗などの野菜となって…。そうした繰り返しが数千年は続けられてきたのだ。
ついでながら食に拘っておくと、上で転記した一文の中に「布布岐」とか「布由岐」という古名が出てくる。
「季楽 花食譜 蕗の薹を食す」という頁に「雪をもたげて咲くので、春の使者とも呼ばれているこの蕗の薹を、北陸地方では、お正月の雑煮に入れる習慣があるのだそうです」と記されている。
お雑煮に蕗の薹が入っていたかどうか、小生は覚えていない。あるいは小生が野菜嫌いだったために記憶から削除(抹殺)されているのかもしれない。食卓に折々上ったことは覚えているのだが。
さて、このサイトに、「蕗の語源の一つに、昔は大きな葉をちり紙がわりにして拭いたから「フ キ」、との説があります。生活の知恵ですね。葉茎を折ると、皮が糸状の筋を引くので、古名を「布布岐」また、雄株の蕗の薹が冬に黄味を帯びた白花を咲かせる(雌株の花は白)ところから「冬黄」ともいったそうです。現在の呼称「蕗」 は、これらの古名が転化、あるいは略称化されたとの説も有力です」という記述がある(太字は小生による)。
また、「蕗の薹(款欸冬花)には「しゅうとめ」 という別名があることをご存知でしょうか。名の由来は俗に「麦と姑は踏むがよい」 という諺から生まれたものです」なんてのは、昔のことで良かったと胸を撫で下ろす嫁さんも多いのでは。
さらに、「もともと秋田蕗の祖先は、樺太や北海道に自生していた大蕗だといわれています。アイヌの倭人伝説の神ともいわれ、アイヌの先住民族である「コロポック ル」は、アイヌ語で「蕗の下に住む人」の意味だそうですから、この説は正しいのかもしれません。」という記述も興味深い。
が、この一文に続く「私たち日本人が蕗を食用としたのは、平安朝の時代らしく、『和名抄』 の飲食物の項に、(はこべ)、菫菜などとともに記載された「蕗」の名を見ることができます。人手をかけた本格的な蕗栽培もこの時代から始まり」云々という記述が気になる。
上で、「約5500年前の縄文前期遺蹟調査で見られたゴボウなどと共に、フキも最も古い野菜であると考えられ」とあったのとは、やや話が合わないからである。
まあ、縄文前期に食べていたものは栽培したものではなく、また、調理法も違っていたのかもしれないということなのか…。
これは前年の随筆でも転記させてもらったが、「デジカメ歳時記 陽 美保子(最新更新日:2004年2月1日)」でも、「フキはフユキ(冬黄)の略、冬に黄色の花が咲くからという説もあるが、フフキからとする説の方が有力なようだ。フフキとは、ハヒロクキ(葉広茎)、ヒロハグキ(広葉茎)、ハオホキ(葉大草)などから派生しているようだ。いずれも葉が大きいところから来ているらしい」といった、フキの語源について興味深い記述があることは見逃せない。
この頁では、「アイヌの人々は狩猟で野宿するときに、コルクチャ(フキの葉の屋根)というフキの葉で屋根を葺いた小屋を作る。また、山中で雨にあったときに、フキの葉を五、六枚重ねてヒモをつけ、雨具にしたという。これをコルウル(フキの葉・衣)という」という話も紹介されていて興味が掻き立てられる。
説明の末尾付近に、「蕗の薹は、平安時代から食用、薬用になっていたが、和歌や連歌では詠まれておらず、近世の俳諧歳時記で初めて取り上げられている「俳句的」な植物(食物)である。ほうけたのを「蕗の姑」というのも、俳句的だと思う」とある。
小生は未だ和歌などに蕗の薹が詠み込まれていないのかどうか、確認していないが、あるいは蕗の薹は俳句的な植物なのかもしれない。
さらに、宮澤賢治の「林と思想」という詩と共に、幾つかの句が紹介されている:
蕗の薹傾く南部富士もまた 山口青邨
飛騨暮るゝ雪解湿りに蕗の薹 前田普羅
蕗の薹食べる空気を汚さずに 細見綾子
ほろ苦き恋の味なり蕗の薹 杉田久女
水ぐるまひかりやまずよ蕗の薹 木下夕爾
昨年の季語随筆「蕗の薹(ふきのとう)」では末尾辺りで、「薹が立つ」という言葉を説明している。
つまり、一つは、「野菜などの花茎が伸びて硬くなり食べ頃を過ぎる」であり、さらには、「若い盛りの時期が過ぎる。年頃が過ぎる」だという。以下、我が身に事寄せて愚痴っぽいことを書いているが、一年を経た今も同じような感懐を書きそうなのが情けない。
やはり感性も何も薹が立っているという自覚があるからなのか。
蕗の薹忘れた頃の恋の味
蕗の薹久しく口にしていない
蕗の薹凍みる土にも負けず萌え
蕗の薹目に眩しきは命なり
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