« 蕗の薹が立つ? | トップページ | 春望…英語でよむ万葉集 »

2006/02/10

富山関連記事:猫又ダムで雪崩

 今朝未明、暇の徒然にラジオ(NHK)に耳を傾けていたら、「今日は何の日」というコーナーで「猫又ダムで雪崩」という文言が。しかし、生憎というか、ありがたいことにお客さんが乗ってこられたこともあり、ラジオに神経を集めるわけにはいかなくなった。
 が、不謹慎とは思いつつも、富山は黒部に関係するらしい話題ということもあり、頭の中で「猫又ダム 雪崩 黒四 作業小屋 生き埋め」という単語が浮かんできてならない(「猫又」と漢字で表記しているが、これは帰宅して調べてみて表記が分かったもの。当初は「ネコマタ」だった)。
 立山はともかく(これも一度限りかも)、立山黒部アルペンルートには一度、家族でバス旅行の形で行った事があるだけ。両親共に足腰が健在だった頃の話だが。

2006_02100602090030

→ 10日未明の都内某所。窓を開け後方に現れつつある朝焼けをパチリ。そろそろ仕事も引き上げ時。街灯もお役御免だね。お疲れさん!

 朝焼けの日を背に負って家帰る

 そういえば、帰りのバスの中で疲れていてボンヤリテレビを見ていたら、「ちびまる子ちゃん」が放映されていて、その日の話の中で、「大きな古時計」という歌が流れてきた。元気ぶりを発揮した両親。でも、こうしてみんなで旅行できるのもあと何年だろうかとしんみりしてしまったものだ。
(思えば、この頃までは小生の自宅のテレビも健在だった。「ちびまる子ちゃん」や「忍たま乱太郎」も欠かさず見ていたっけ…。)
[「大きな古時計」という歌は、どうやら劇場版(92年)の「私の好きな歌」の中で歌われていたようだ。はまじ(浜崎 のりたか)の好きな歌という設定になっているみたい。(当日、追記)]

 旅行の何年後だったか、「大きな古時計」は、平井堅の歌唱でヒットした。
 となると、今から5年前の夏に立山黒部アルペンルートのバス旅行に出かけたことになる(??)。

 さて、富山県人でありながら富山の歴史に(も)疎い小生、せっかくなので調べてみることにした。
 念のため断っておくと、「雪崩」は初春の季語である。

 以下、富山を流れる黒部川に掛かるダムの話なので、「黒部川 - Wikipedia」で一般的な知識をザッと眺めておくのもいい。
「富山県と長野県の境、北アルプスの鷲羽岳(わしばだけ)に源を発し、おおむね北へと流れる。川全体の8割は深い山地を縫うように流れ、黒部峡谷と呼ばれる」ということで、この峡谷の絶景は素晴らしい。

 さて、検索してみると、「誰か昭和を想わざる」の中の、「昭和ラプソディ(昭和31年・上)」に「猫又ダムで雪崩」という目的の記事が短くだが載っていた。
 転記させてもらう:
「昭和31年2/10午前10時10分、富山の下新川郡宇奈月町の黒部峡谷の猫又谷落合の、関西電力黒部第2発電所で、猫又ダム工事の鹿島建設の飯場(60坪)が雪崩で埋まり、除雪作業をしに表にいた11人を除く28人が生き埋めとなった。21人が死去、現場は3メートルの積雪で、ダム上流300メートル、黒部川左岸の竹原谷で起きた雪崩が、川を埋めて右岸の飯場まで及んだものであった。」
 余談だが、「昭和ラプソディ(昭和31年・上)」を眺めているだけでも、この年だけでもこんなにいろいろなことがあったのかと感懐深くなる。

 ところで、「誰か昭和を想わざる」の表紙にある時代背景の説明文が事故が発生した頃の世相を知る上でも参考になるかもしれない。一部だけ転記する:
「「もはや戦後ではない」。高度成長時代への突入である。それはまた、日本が敗戦の疲弊からの完全復興を意味するばかりでなく、戦前の生活水準を上回る事も意味していた。ここに現実の生活苦から来る戦前懐古の気分は霧消する事となった。神武景気、なべ底不況、岩戸景気、いざなぎ景気とほぼコンスタントに日本は経済成長を遂げ、開発こそ善の思想が一般国民の間では当然と思われた。原子力は希望の灯であり、工場の煙突は明日の生活の豊かさの象徴でもあった。国連への加盟により国際復帰を果たした日本は、その総決算である昭和39年の東京オリンピックへ向けて邁進する。海外からの観光客を迎えるための国内インフラの整備によって東京の街並みは完全にかつての姿を失い、国民の生活感覚もつましいものから、次第に消費優先のものへとシフトしていく。昨今、昭和ブームなどで描かれる「三丁目の夕日」然とした漠然とした懐かしい生活のイメージはこの頃のものである。」

 まさに事故は「高度成長時代への突入」の頃に発生したわけだ。電力需要の急拡大。
 そういえば、戦前にも電力の確保が喫緊の課題になり、戦争に向けて電力の国家管理がなされたことがあった。
財団法人 日本ダム協会」の中の「ダムの書誌あれこれ(23)~黒部川のダム(仙人谷・黒四・宇奈月)~4」を覗いてみる。
「仙人谷ダムの建設」の頁の冒頭に、「昭和15年仙人谷ダムが竣工し、黒三発電所が運転を開始した。この時代の背景をみてみると、まさしく戦争の時代であった。昭和11年2・26事件がおこり、12年日中戦争が始まった。そして13年電力国家管理法が制定され、14年電力国家管理法に基づき日本発送電(株)が設立され、電力が国家の管理のもとにおかれるようになった 」とある。

仙人谷ダム」とは、「黒部川第三発電所、通称「黒三」のために戦前に建設されたダム。このあと戦後になって、さらに上流に黒部川第四発電所と黒部ダムが建設されることになる。」

「電力国家管理について、橘川武郎東大教授は、その著『松永安左エ門 生きているうち鬼といわれても』(ミネルヴァ書房・平成16年)で、その非合理を次のように指摘する」とあるが、今回はこの点には深入りしない。

 ダム建設の厳しさと事故に関連する以下の記事を読む:
「仙人谷ダムをつくるには、さらに専用敷道を欅平から6km先の仙人谷ダム地点まで延長する必要があった。そのために欅平の山の中に 200mの堅穴を堀り、トロッコの乗るエレベーターをつくり、資材運搬ルートをつなぎ、堅穴で一気に 200m上昇、その上部地点から仙人谷ダムサイトまで上部軌道を結ぶ。いくつかの横坑は 160mのうち60m掘り進んだところで摂氏75度、さらに85度まであがった。黒部川の冷水を汲みあげ、それを切羽で作業中の人夫にホースで身体を冷やしてやる。ついに使用制限温度の3倍 120度まであがった。そこでダイナマイトを断熱材(エボナイト)の円筒にくるんで装填することで行われた。不可能を可能へと導いた。高熱隧道作業は1日1時間とりわけ切羽20分で交替、1日3回まで行われ、破格の賃金であった。人夫たちは熱射病、胃腸病の障害で悩まされ、カルシゥム注射、栄養補給には、その当時では貴重な鶏卵、牛乳が摂られたという。」

「この高熱トンネル工事を小説化にした吉村昭の『高熱隧道』(新潮文庫・昭和50年)」があるという。

 また、「高熱隧道に携わった朝鮮人の足跡を探究し、このとき雪崩事故に遇った朝鮮人遺族を尋ねて著した、内田すえの、此川純子、堀江節子著『黒部・底方(そこい)の声-黒三ダムと朝鮮人』(桂書房・平成4年)の書がある」とか。
 後者は、「当時の富山の新聞を隅々まで渉猟し、一章 黒部川第三発電所の建設(此川純子)、二章 朝鮮人遺族たちの半世紀-黒三志合谷雪崩事故(堀江節子)、三章 富山県における朝鮮人労働者-「強制連行」前史(内田すえの)の構成となっている」という。

 そう、「黒部川 - Wikipedia」にあるように、黒部川第三発電所を建設するに当たっては、「劣悪な労働環境、地熱によるダイナマイトの自然発火事故、物資輸送中の峡谷での転落事故、泡雪崩による宿舎の全壊事故などの被害が重なり、全工区で朝鮮人労働者を含む300人以上の犠牲者を出している(ちなみに黒部ダム建設の殉職者は171人)」なのである。
 この黒三ダム建設が、やがて黒四ダム建設につながるのである。「環境保護のためということもありこの発電施設は山の地下に作られている」とか。

 映画:「石原プロモーション-石原裕次郎-映画-黒部の太陽
(そろそろ「黒部の太陽」もビデオ化やDVD化を検討してもいいのではなかろうか…。渡哲也さん、どうですか?)
 本:「黒部の太陽

 この苦闘の末に建設された黒四ダムも、今は無人化されているという。
無人化によって十四人の所員は山を下り、発電所の“監視役”はロボットや固定カメラに代わった」とも。
 尤も、「黒部ダム完成から約三十年たち、黒部川水系の発電所で唯一有人だった黒四発電所に合理化の波がやってきた」ということなのだが、関係者にすれば感慨も一入だろう。

 それにしても、小生、黒三ダムがあることを初めて認識した。何処かで目にしているはずなのに…。

|

« 蕗の薹が立つ? | トップページ | 春望…英語でよむ万葉集 »

富山情報」カテゴリの記事

富山散歩」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

近代・現代史」カテゴリの記事

コメント

やいっちさん♪
「大きな古時計」といえば、幼い頃から共に過ごしたボーン、ボーンと時を打つ振り子時計を思い出しました。
ボーン、ボーンという音にK君がキャーキャー騒いで泣いたのも思い出しました。確か2歳の頃だったでしょうか。

我が傍にデジタル時計音もなく

投稿: さくらえび | 2006/02/10 18:28

さくらえびさん、まさしくその通り。本文の中にも歌へとリンクさせておきました:
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/furudokei.html
昔は何処の家にも大きな柱時計が居間(茶の間)にデーンとあったものでしたね。大黒柱のように。
小生の家には今も我が家の何代目かの柱時計が茶の間にあります。ボーン、ボーンという音、テレビを消してしまうと、結構、響く。感受性が強いとびっくりするかも。

> 我が傍にデジタル時計音もなく   (さ)

今も尚昔のごとくと時計鳴る


投稿: やいっち | 2006/02/10 20:02

映画「黒部の太陽」完全ノーカット版 黒部にて上映決定
http://www.kurobe-machikyo.jp/kurobe-taiyo/?gclid=CKTRoc_z4JgCFc8vpAodX1fNdg

今年(09年)の四月!

投稿: やいっち | 2009/02/16 20:11

初めまして。削除に応じて頂ければと思いコメントさせて頂きます。以下の部分がこのブログを見た日本人に誤解を与えてしまうのではないかと思います。

「高熱隧道に携わった朝鮮人の足跡を探究し、このとき雪崩事故に遇った朝鮮人遺族を尋ねて著した、内田すえの、此川純子、堀江節子著(桂書房・平成4年)の書がある」

この文章なのですが、資料を調べてみましたが、黒三ダム建設に於ける朝鮮人強制連行の公式記録は見つかりませんでした。『黒部・底方(そこい)の声-黒三ダムと朝鮮人』に関してですが、本人の証言でさえ確たる証拠と言えない上に遺族の証言と来ています。強制連行としばしば混同される徴用にしても1944年から開始されており、黒三ダムは1930年代の着工という点から見ても強制連行ではなく出稼ぎ労働者の可能性が高いと思います。危険な作業に日本人より安く雇用できたという点で差別があったとは思いますが、朝鮮本国とは比べ物にならない賃金でしたし、朝鮮人達もそれを承知で働いていたはずですので差別とは言えないとも思いますが。在日朝鮮人は金欲しさに捏造も平気で行ってきました。この事例についても少し保留にして削除して頂けないでしょうか?桂書房の本に関しては部数限定出版でしたのでそれほど影響力も無かったと信じていますが、ブログとなると些か不安です。老若男女がしっかり読まずに「強制連行」「朝鮮人」等というワードだけに注目していたとしたら・・・。何とかして頂けないでしょか?本当に宜しくお願いします。

投稿: 竜桜 | 2009/06/15 22:03

竜桜さん

古い記事に関心を抱いていただき、ありがとうございます。
久しぶりに読み返す機会を持つことが出来ました。

本文の一部を削除しろとの話ですが、貴兄のコメントを含め、両方を示しておくことにします。
本文とコメントとを広く読んでいただき、読者それぞれの方の判断を仰ぎたいと思います。

これを契機に、この記事が再度、注目を集められたら、ありがたく思うものです。

投稿: やいっち | 2009/06/15 23:44

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/8593405

この記事へのトラックバック一覧です: 富山関連記事:猫又ダムで雪崩:

« 蕗の薹が立つ? | トップページ | 春望…英語でよむ万葉集 »