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2006/02/13

菠薐草(ほうれんそう)…野菜なれど植物だ!

今日も冷たい雨が降る(索引)」」を見ていただければ分かるように、今月になって採り上げたものも含めると、「季題【季語】紹介 【2月の季題(季語)一例】」のうち、半分ほどは季語随筆で採り上げたことになる。
 2月の季語例がそれほど少ないというわけだが、それでも幾つか扱っていない季語がある。いずれも苦手だったり、話の発展性が見込めそうにない(という先入観)感があって、やや敬遠気味な言葉たちである。
 本日、俎上に載せる季語「菠薐草(ほうれんそう)」も、根拠のない推測に過ぎないが、あまり季語として人気を呼びそうにない季語だと思っていた。
 実際、「菠薐草 季語」で検索しても浮上する事例が極めて少ない。
 と思ったら、なんのことはない、「ほうれんそう 季語で検索したら、他の季語群と同等程度に検索結果が得られるではないか。
 やはり、馴染みのない表記など(身の程知らずにも気取って)使うものではないと痛感。
 せっかくなので、「菠薐草 季語」での検索結果から幾つか事例を挙げておく。

「槻木珠美の 俳句を読む」には、「居酒屋に菠薐草の届きけり   知久芳子」という句が載っている。
 小料理屋っぽい店に「根元は朱く、新鮮なみずみずしい葉が箱に収まって、(菠薐草が)仕入れ先から届いたのです。感嘆の声が常連の客の間でも上がるくらい、電燈の下に緑が映えています」云々という鑑賞がいい。
 常々書いていることだが、俳句には簡潔な鑑賞文が不可欠なような気がする。句単独で味わえるに越したことはないのだが、それでも切れ味のこざっぱりした鑑賞文や興味を引くエピソードなどが句に添えられていると、句の味わいが深まるのも否めない事実と思えるのだ。

Masume」なるサイト(表紙のワンちゃんのつぶらな瞳!)の「俳句を読む」という頁では、「古舘曹人/『繍線菊』」からとして、「道筋の菠薐草に落葉かな」という句が紹介されている。
「「菠薐草」も季語(春)ですが、掲句の季語は「落葉」で良いのだと思います」とした上で、「俳句は声高に何かを言い募る文学とは思いません。むしろ本筋は、呟きなのではないでしょうか。しかも、まったく他愛もないことの」とのメッセージが添えられている。
 一つの見識なのだろう。

 ホウレン草というと、おひたしというイメージがある。
(ホウレン草というとポパイという漫画を思い出す。テレビで漫然とだが、しかし欠かさず見ていた。が、今日はこの話題に深入りしない。ただ、ここでは、「“ほうれん草”といえば“ポパイ”でお馴染みだが、“ポパイ”はアメリカ菜食協会が野菜PRのために漫画を書かせ、映画化したものだそうで、元々はキャベツ丸ごと1個だったが、その映画はあたらず、ほうれん草に代えた映画が大ヒットした。」という豆知識だけメモしておく。)
 と、書いたところで思い出した。何故、小生には地味に思えるホウレン草を今日は採り上げる気になったのか。
 実は、昨夕、図書館の帰りにコンビニに寄ったのだが、その際、惣菜をいろいろ買い込んだ中に、まさにホウレン草のおひたしがあったのだ。
 しかも、昨晩は食べ損ねて、今日のお昼に食べたのだった。
 なんという安直な動機でテーマを選んでいるのだろう。しかも、つい先ほどホウレン草のおひたしを食べたってことをおひたしという言葉が画面に表示されるまで自覚していない!

 そこで、ホウレン草の「おひたし」をネット検索してみたら、「野菜図鑑「ほうれんそう」」という頁が浮上してきた。
 文中、【貧血気味の人の強い味方】という項目がある。小生は若い頃から一人暮らしをしてきたが、立ちくらみすることが随分とあった。原因は不明だが、恐らくは野菜嫌い(しかも果物購入が面倒。まして林檎などの皮を剥くのが面倒くさい)という性癖に原因の一端はあるのだろうと思われる(断言はしかねる。お医者さんで診察を受けたわけではないし)。
 それが年齢を重ねるごとに食べるものの傾向が変わってきて、若い頃のラーメン・ライス(しかも、ラーメンのシナチクやネギは必ず残していた!)からスーパーで惣菜を買ってきてご飯と食べるようになった。
 当然、惣菜には調理された野菜類も含まれる(レバ野菜などなど)。体力は運動不足(というより皆無)が祟ってか、覿面に落ちてしまったが、立ちくらみはめったにしなくなった。
 まあ、動作が緩慢になり、急に立ち上がるってこともなくなったのだが。

 同じ頁に、「おひたしとバターいため」という項目がある。
「ほうれんそうといえば、おひたし」という冒頭の一文はともかく、次に続く「元禄時代の西鶴の小説にも登場します」という一文が目を惹く。
 せっかくなので、調べてみると、井原西鶴の『好色一代男』の中に登場するのだとか。小生は、西鶴というと、失業保険で食いつないでいた94年に幾つかの作品を纏めて読んだ。その中に、前々から気になっていて読みたいと思いつつも、気恥ずかしさが先に立って手が出ないでいた『好色一代男』という作品もあった。
 が、その中に「おひたし」が登場したかどうかはまるで覚えていない。そもそもおひたしなど好物ではないので(その頃はまだ、ラーメン・ライスの延長に毛が生えた段階だったし)、我が節穴を綺麗に素通りしたものと思われる。
 調べてみると、井原西鶴の『好色一代男』に出てくるのは「ほうれんそうのひたし物」だとか。

何か為になることあるかなぁ~?」なるサイトの「ポパイも食べた ホウレンソウ!」という頁によると、「何処から来たの?」という項目に「原産地はトルコからイランの周辺です。イスラム教徒の聖地巡礼を通じて、東西に広がったと言われています。東へは、ネパールを通って中国に渡り、7世紀ごろから栽培が始まりました。「ほうれん(菠薐)」は、ネパールの地名です」とあったり、「いつごろ来たの?」なる項目に「日本へは16世紀に中国から東洋種が、19世紀にフランスから西洋種が伝わってきました」とか「明治時代までは高級野菜でしたが、大正時代に普及し、昭和40年代から栽培量が大きく増えました」などと書いてある。

 なるほど、「ほうれん(菠薐)」は、ネパールの地名なのだ!
 また、日本へは16世紀に伝わり、大正の世までは高級な(珍しい)野菜で、和歌には馴染みようのなかった野菜(植物)だと分かる。まさに、俳句のためにあるような植物であり食べ物であり、言葉、風景等であるわけだ。
(何か為になることあるかなぁ~?って、役に立ちましたよ~。でも、ホントに役立ったのかは微妙か…。)

 植物としての菠薐草の姿形を見たいので、久しぶりに「北信州の道草図鑑」を覗いてみる。その「ホウレンソウ」という頁が目当て。
「家庭菜園でもおなじみのホウレンソウにとうが立って花が咲きました。」という画像が載っている。
 「法蓮草」「鳳蓮草」とも書くというホウレン草。旬の素材のゆえにか、初春の季語となっているが、植物であり、「花言葉は「活力」「健康」」というくらいだし、花も咲くのだろうか?
 緑黄色野菜と持て囃されるホウレン草。女である前に男である前に人間であるという言い方があるなら、我輩は野菜である前に植物である、などと若葉のうち早々に刈り取られてしまうと嘆きとも付かない呟きを天に向かって、それとも研ぎ澄まされた草刈鎌を目にしてひそやかに放っているのだろうか。


我輩は植物なのよとホウレン草
緑濃き葉の眩しさやホウレン草
刈るべきかホウレン草と睨めっこ
小皿にはホウレン草を食べ残す

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