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2006/02/04

富山関連情報(第一弾?)

 小生、こう見えても富山出身なのである。富山で生まれて育って18年、仙台暮らしが6年、東京在住が早四半世紀以上。
 ま、東京に暮らしてのあれこれは随時、書いてきたことでもあるし、仙台でのことは折に触れてということで、今回は富山に関連する話題を順不同で触れておきたい。
 えっ、これがどうして富山に関係あるの? という話題もあるが、まあ、読めば分かるということで。


◎ まずは故・高峰譲吉博士の話題。
高峰譲吉の「アドレナリン」107年目“名誉回復” 科学 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」という記事(2006年1月4日9時0分 読売新聞)で、「化学者の高峰譲吉(1854~1922)らが発見した「アドレナリン」が4月から、医薬品の正式名称として使われることになった。」というもの。
「これまでは米国の学者が命名した「エピネフリン」を使用してきた。高峰の業績を正しく評価すべきだとの声が高まり、厚生労働省は医薬品の規格基準を定めた公定書「日本薬局方」を改正、1900年のアドレナリン発見以来107年目の“名誉回復”をはかる。」とか。

「厚労省によると、薬品の一般名として欧州ではアドレナリン、米国とメキシコは日本同様にエピネフリンを使っている。エピネフリンは、高峰より先に抽出したと主張した米国人学者が名づけた。後に、その学者の方法では抽出できないと判明したが、米国ではエピネフリンを使い続けた。

 日本も米国にならったのか、アドレナリンは日本薬局方では長い間、正式名称「エピネフリン」の別名扱い。96年の改正では別名からも消えた。高峰の業績に詳しい菅野富夫北海道大名誉教授らが「発見者の母国であり、正式名称にしてほしい」と厚労省に申し入れていた。」というのだ。

ケムステニュース~化学ニュースサイト~実験ノートを復刻し公開へ」によると、「高峰は1854年に富山県で生まれ、米国を舞台に化学・薬学で世界的業績を挙げた。消化酵素「タカジアスターゼ」の抽出や、助手の上中啓三とともに成功したアドレナリン研究で知られる。」
 そう、「高峰は1854年に富山県で生まれ」がポイントです。

◎ 全くの転記になるが、以下の記事は興味深い(太字は小生によるもの):
富山城の千歳御殿門 東大の赤門と相似 同じ「設計図」使用か 現存する唯一の富山城の遺構として知られ、富山市米田町2丁目に立つ赤祖父家表門(千歳御殿門)が、加賀藩江戸屋敷の正門だった国重要文化財の東大の赤門と同じ形式であることが、富山市教委の調査で分かった。同じ江戸期の設計図「木割書(きわりしょ)」を用いたためとみられる。市では、赤祖父家表門を近年中に富山城址(じょうし)公園に移築することにしており、貴重な郷土の財産を保護するとともに、広く紹介していきたい考えだ。 市教委の委託を受けて調査した富山国際職藝学院の上野幸夫教授によると、同じ「木割書」が使われたのは、表門を造った富山藩の大工が、赤門を造った加賀藩の大工と交流があったためとみられる。門扉の飾り金具や帯鉄も同じ形式だった。 表門は赤門より一回り小さいが、様式としては双方とも薬医門の中で最も格式の高い三間薬医門様式が採用されている。屋根が表側にずれて飛び出しているように見える点が特徴で、県内では、瑞龍寺(高岡市)の総門でも用いられている。 市教委によると、赤祖父家表門は、10代富山藩主前田利保が隠居後に過ごした富山城内の館「千歳御殿」の正門で、御殿と本丸をつないでいた。明治初期に払い下げにより、藩政期に現在の富山市米田町一帯のまとめ役だった赤祖父牛之助氏に売却された。子孫の牛晃氏が五年前、市に寄贈を申し出ていた。 上野教授は「赤祖父家表門が赤門と同じ形式だと分かった意義は大きく、移築される富山城址公園の価値を高めることになる」と話している。 〈03〉2005/09/10付富山新聞

 そういえば、小生の郷里の近くの墓地に赤祖父家代々の墓がある。十数代か。小生の家も赤祖父家の所有地の一部だったような。最近は子孫の方はお盆にも来られないような…。


◎ 上記の文中に「富山城址(じょうし)公園」が登場する。
 なので関連の話題を。

北日本新聞 記事バックナンバー 2005年 9月 16日」によると、「ヘドロ固化し浄化 富山城址公園のお堀改修」という情報が。
 すなはち、「富山市は年内に、富山城址公園のお堀の水質浄化に向けた全面改修に着手する。お堀は昭和29年の富山産業大博覧会に伴ってしゅんせつ工事が行われたが、それ以降は手付かずで、ヘドロが厚さ約2メートルにわたってたい積。工事ではヘドロを固める特殊工法を採用し、透明度の高い水をたたえた県都の憩いの場をよみがえらせる。」という。
 この記事には載っていないが、今年の2月から作業に取り組み、春にも完了し、きれいな水が張られる予定とか。
 なお、お堀の溝そうじを、お堀のエザライと称するらしいが詳細は不明。


◎ 北朝鮮に横田めぐみさん、地村保志さん夫妻らを拉致した実行犯として国際手配された元工作員、辛光沫(シングァンス)(76)は、戦時中、富山は高岡市にて少年期を過ごしていたとか。
 少年時代の彼を知る人は今も健在のよう。

◎ エンゼルマークの生みの親は誰か、皆さんはご存知だろうか。小生は知らなかった。
 信田香邨という方。富山は栴檀野地区出身の大正時代の画家で、先月13日、生誕118年を祝う仏事が某所で行われた。
 香邨(本名了平)は明治23年、栴檀野村増山に生まれ、高岡工芸学校、東京美術学校を卒業。
 以上は、冊子「富山県人 平成18年2月号」よりの情報。

ニッポンのエンゼル」なる頁を覗いても、「森永の開祖、森永太一郎が森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)の登録商標としてエンゼルマークを登録したのは明治三十八年のことである」として、縷々書いてあるが、エンゼルマークの作画者には全く言及されていない。
荒俣宏の「広告図像の伝説」(平凡社)という本で、ここにはエンゼルマークの由来が簡単に論じられている」というので、期待したが空しかった。
 森永製菓の「会社案内」を覗くと、「1905(明治38)年、太一郎は森永のマークをつくろうと考えました。彼は、当時よくつくっていたマシュマロが、欧米で「エンゼルフード」と呼ばれていることにヒントを得て、天使をモチーフしたマークを考え出しました。以来、エンゼルマークは形を変えながら、一貫して「おいしさ、たのしさ、すこやかさ」を届けたい森永の願いを象徴し続けています。」とあるだけである。
 これだと、天使をモチーフしたマークであるエンゼルマークは創業者の太一郎氏が考案したことにある。アイデアはともかく図案化は故・信田香邨氏であることは銘記すべきではなかろうか(少なくとも初期の図案については)。

 たばこの「敷島」の包装紙も信田香邨氏がデザイン(作画)したとか。
 残念ながら、「日本タバコカタログ」でも、たばこ「敷島」の画像を見つけることが出来なかった。

 それにしても、埴谷雄高がそのデザインを愛したというエアーシップって、どんななのか…。
 余談だが、小生が敬愛するかの寺田 寅彦には「喫煙四十年」というエッセイがあり、文中に「敷島」が登場する。軍艦の「敷島」じゃないよ。

 まだまだ情報がたくさんある。まずは第一弾ということで御寛恕願いたい。
◎ 最後に「滑川市ホームページ」を覗くと、表紙の右下に「壁紙ダウンロード」というバナーがある。
行田公園の菖蒲」「ほたるいか」「あづま公園イルミネーション」「ふるさと龍宮祭り花火大会」の4種類の画像が提供されている。
 どれもいいけど、やはり、ほたるいかが幻想的だ。


 尚、小生がこれまでに書いてきた富山関連の記事は、以下で読めます(一部、重複あり):

無精庵越中節 富山エッセイ
ホームページ 富山の部屋

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コメント

「最上部の棟木取り付け 富山城址公園、千歳御門で上棟式 今秋に移築完成へ」
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20070622204.htm
 現存する唯一の富山城の遺構として知られ、富山城址公園への移築工事が進められている千歳御門(赤祖父家表門)の上棟式は二十一日、同公園で行われた。出席者が力を合わせて門最上部の棟木を引き上げ、今後の工事の安全を願った。
 約五十人が出席し、門の寄贈者である赤祖父牛晃さん、吉川實富山市教育長、設計を担当した職藝学院の稲葉實理事長らが玉ぐしをささげた後、祝詞奏上が行われた。

 この後、関係者が棟木にくくりつけた紅白の綱を掛け声に合わせて引っ張り、高さ約七メートルの門の最上部へと上げた。くい打ちをした後、棟札も取り付けた。最後に上野幸夫職藝学院教授が門の特徴や文化財的価値について解説した。

 門の骨格はほぼ完成しており、今後は棟木周辺の瓦ふきや扉の取り付けを行い、工事は今年秋ごろまでに完了する見通しとなっている。
     (以上、転記)
この情報は、「さるさる日記 - めぐり逢うことばたち」のサイト主さんに教えていただきました:
http://www3.diary.ne.jp/user/325457/

投稿: やいっち | 2007/07/07 12:45

赤祖父家についての関連(?)情報。

赤祖父哲二氏には、『第四境界人宮沢賢治』(掲載誌:『さらば日本教 民族と言語をこえて』 夢譚書房 Jun-93)という論文があるらしい。
また、『宮沢賢治物語の原郷へ』という著書も。

この論文や書籍の著者・赤祖父哲二氏が赤祖父家とどのような関わりがあるのかは分からない。

投稿: やいっち | 2008/01/03 14:46

はじめまして。信田香邨で検索して訪れました。
私は写真を中心とした芸術家をしておりまして、信田香邨は私の大伯父にあたります。
最近信田香邨についていくらか資料が見つかりましたのでインターネット上に残そうと思っています。
ありがとうございました。

投稿: ナガタサトキ | 2016/01/07 02:35

ナガタサトキさん

信田香屯については、下記にも情報が:

http://kano-nya.no.coocan.jp/kano-todays.html

256)信田香屯図案43点 森永キャラメルなど着彩43点

投稿: やいっち | 2016/01/07 03:23

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