はだかの起原、海の惨劇
今、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読み続けているが、合間には気分転換もかねて車中であるいは寝床でいろんな本を読んでいる。リービ英雄著の『英語でよむ万葉集』(岩波書店)のほか、島泰三著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)もその一冊。
ダーウィンの進化論の、いかにも実地の観察に基づいて論を組み立てていそうで、実は机上の論であるかをこれでもかと痛快に批判してくれていて、とても面白い(読み終えたら感想を書くかもしれない)。「ダーウインの適者生存・優勝劣敗という学説を真っ向から否定する」その自説は、賛否があろうが、とにかく一読の価値は十分にある。
小生など、エレイン・モーガン著の『人は海辺で進化した―人類進化の新理論』(望月 弘子訳、どうぶつ社)、『人類の起源論争―アクア説はなぜ異端なのか?』(同上)、『進化の傷あと―身体が語る人類の起源』(同上)、『子宮の中のエイリアン―母と子の関係はどう進化してきたか』(同上)、『女の由来―もう1つの人類進化論』(同上)と、エレイン・モーガンの諸著を読み漁ってきただけに、アクア説教、モーガン教になりかけたほどだった。
そのアクア説については、「永井俊哉ドットコム」の「ヒトは海辺で進化したのか」が詳しく丁寧に説明してくれているので興味のある方は参照願いたい。
本書『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)において島泰三氏は、この説に痛棒を加えている。
が、今回は本書に深入りしない。
[ 本書に付いての書評としては、「知のWebマガジンen 評:佐藤真(アルシーヴ社)」が良かった(「◆◇◆ 財団法人 塩事業センター ◆◇◆」内の「知のWebマガジンen」、その「2004年12月号(通巻第26号) 2004年12月1日発行」所載)]
実は本書の中で「海の惨劇」という項がある。モーガンの説の<七転八倒ぶり>を示した直後の項である。つまり、「人類の海中発生説への反論の締めくくりとして、海に投げ出された人間を待つ運命について、ある惨劇を紹介したい」として、「海の惨劇」の記述が始まるのである。
この記述をここで紹介するのは、(言うまでもなく?)奇しくも一昨日発生した「エジプト東部沖の紅海上で、乗客乗員約1370人を乗せた同国のフェリー「サラーム98」が沈没した事故」が念頭にあるからである。
この事故に付いては、「当時、フェリー下部の車両デッキには乗用車やトラックなど40台以上が積載されており、何らかの原因で急激に傾いたために浸水した可能性もある。エジプト政府当局者は4日、トラックの積み荷から出火したとの見方を示した」(読売新聞社)とか、「紅海のフェリー沈没事故で、36時間も漂流した末に、エジプト人の男児ムハンマド・マハムード君(6っ)が4日午後、無事救出され、無事を祈っていた親族や関係者らに喜びと驚きの声が上がっている」(共同通信社)といった続報が入っているが、本稿は、特に後者の「36時間も漂流した末に(中略)無事救出」という事実に関連するかもしれない。
本書の本項で、ダグ・スタントン著の『巡洋艦インディアナポリス号の惨劇』(平賀 秀明訳、朝日新聞社)からの引用の形で、「海の惨劇」のあらましが語られている。
ネットでは、「海にまつわる恐ろしい話」というサイトの「生死のはざま ~米海軍乗組員の体験した身の毛のよだつ恐怖~」が非常に参考になる。
(参考のために付記しておくと、「ディスカバリークラブ/地獄の漂流4日間 インディアナポリス号の最期」というDVDも出ている。)
インディアナポリス号は、太平洋戦争末期(昭和20年、7月)、広島に落とす原爆をアメリカ軍基地に送り届けた後、日本軍潜水艦の魚雷を受けて沈んだ米巡洋艦である(太平洋戦争で沈んだ最後の大型艦と記録された!)。
(インディアナポリス号は、沈没寸前にSOSを発信していた。だが海軍は救助隊を派遣しなかった。日本軍の罠だと考え、信号を無視したのだ。)
日本軍潜水艦の魚雷を受け「直径12メートル前後の大穴が2つ開けられたインディアナポリス号は、艦首部分が爆発してポッカリと跡形もなく消え去った。続いて、燃料タンクが誘爆し、隔壁や鋼鉄製のドアが、木っ端みじんにふっ飛び、あらゆるものを焼き尽くしていった。艦首部分にいた三百人ほどの乗員は、直撃の爆風で何十メートルも彼方に吹き飛ばされ、ことごとく即死した。煙突は、さながら噴火した火山のようになり、火の粉や燃え盛る破片をバラバラと空中に噴き上げた。」
(以下、サメの攻撃その他に本書では焦点が合っているが、詳細は是非、紹介したサイトや本、DVDなどで読み実感して欲しい。)
「ちょうどその頃(第一日目が明け、太陽は、勢いよく真上まで上がった頃)、水面下、海の深いところで恐ろしい惨劇の始まりが準備されようとしていた。それは、負傷者や死体から漏れ出る血の臭いに誘われてやって来た。海の死神とも言うべきサメの群れは、暗い海の底から次第に、海面に忍び寄っていたのである。」
「サメのザラザラした背びれに少し触れるだけでも、皮膚が切れて血が出た。
そのわずかな傷跡にも無数の小魚が集まって来ては赤向け状態になった肉をついばんだ。死神は、サメだけではなかったのである。まるで、周囲にいるすべての生き物が、彼らの死を待ち望んでいるようであった。 」
「海水に長時間浸かっていると、様々な症状が体中にあらわれる。まず、ふやけた腕や足に痛みをともなう赤い腫れ物が多数出来る。いわゆる海水腫瘍という症状である。それは、次第に大きくなり、バスケットボールほどにもなる。そのうち、体毛が溶かされてゆく。腎臓は機能が低下し、心臓は、わけもなく脈打ち、口で息をしなくてはならなくなる。体温は、低下して、昏睡状態の一歩手前になる。多くの者があえぐように呼吸をして、様々な集団幻想に悩まされていた。」(体温の低下で、低体温障害を起こす。海水に浸かることは、弱酸性のお湯に浸かるのと変わりない。)
「脱水症状、高ナトリウム血病などに加えて飢餓による苛立ちも追い打ちをかけていた。希望が尽き、絶望だけが支配し始めると、人はとんでもない行動に出る。ある集団は、突然、「ジャップがオレたちを狙っている!」とわめいて手当りしだいに、殺し合いを始めた。ある者は、ナイフで、また、ある者は、手で相手の目をえぐり出し、また体をメッタ刺しにして壮絶な殺し合いが海上で行われた。こうして、ほんの十分足らずの間に50人前後の人間がやみくもに殺されていった。」(「脱水症状から肉体はゴムのように重かった」)
「のどの乾きに、堪えきれなくなった者は、海水を飲もうとした。しかし、海水を飲むことは死を意味していた。海水は、人体が安全に摂取出来る水準の2倍以上の塩分を含んでいたからだ。いったん、海水を飲み始めた者の血中には、大量のナトリュウムがドッと放出されることとなる。この量は、もはや腎臓の浄化能力を越えた数値なのである。」
「やがて、くちびるが、青く変色し呼吸が不規則になる。両目がグルッとひっくり返って白くなり、神経組織まで犯されるのである。その成れの果ては、身体をけいれんさせて死を迎えるのである。これに対する有効な対策は、真水を大量に採ることしかない。だが、この大海原のどこに真水があるというのだろう。」
以下は本書・島泰三著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)からの引用である:
海は広い。海は美しい。海にはあらゆる可能性が秘められている。そのように、書斎で考えつく海と海辺の様相がどれほど甘美であろうと、海の真ん中に放り出された人間には、生き残る可能性はほとんどない。それが現実である。
海中起原説をアクア仮説と呼んで、海中から海岸へと微妙に主張の軸をずらし、仮説の整合性をなんとか維持しようとする人々、人間の裸の起原を海に求める書斎の夢想家たちに海の現実を教えるのに、このインディアナポリス号の惨劇ほど適切な忠告はないだろう。
人間には高速で海中を進むために必要なヒレも水掻きもなく、海水温度による低体温障害を防ぐ機能もない(人間の皮下脂肪の無力さは見たとおりである)。そのうえ、飲んだ海水を微量でも処理する能力もなく、海水が脂を取り去らないように皮膚を守るわずかな手だてもないのだから、その裸の皮膚の起原を海中生活が証明するはずもない。
人が裸になったこと、体毛を一部を除いてほぼ失ったことの意味は大きい。だからこそ、火の意味、家を作る意味、着物を作る意味が大きかったし、クロマニヨン人がネアンデルタール人(島泰三氏は、ネアンデルタール人は未だ毛もの=獣だったと考えているようだ)を長年の戦いの末、打ち破り、生きる世界を広げ、現代につながって行ったのだ…、という説が本書では展開されるのだが、それはまた別の機会に。
(余談だが、小生には文字通りの拙稿として、「『ヒトはいかにして人となったか』(蛇足篇/及び補足)」がある。駄文である。暇を託つ人は、死にたいほど退屈するためにもご一読を薦める?!)
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