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2006/02/05

富山関連情報(第二弾:角川春樹の巻)

 富山関連情報ということで、今回は角川春樹氏を採り上げる。
 といっても、小生に特別なネタがあるわけではない。ネットと小冊子「富山県人」(富山県人社発行)が頼りである。

 最近(?)の話題というと、何と言っても昨年末に封切られ興行的には上々の部類だという映画「男たちの大和/YAMATO」のプロデュースだろうか。
ZAKZAK コカイン、胃がん…リベンジ!角川春樹の手腕証明」によると、「先週17日に封切られた映画「男たちの大和/YAMATO」=写真下=が好調な出足で、プロデューサーの角川春樹氏(63)=同右=の手腕が再評価されている。コカイン事件で長く沈黙していた春樹氏の、“リベンジ”が達成された格好だ。」とか。
 そう、角川春樹氏は、既に忘れた方も多い(あるいは、最初から知らない人も多い)かもしれないが、コカイン密輸事件で懲役4年の実刑判決(麻薬取締法違反)を受けた角川春樹氏が2年5ヶ月に及ぶ刑務所生活の挙句、活動を再開されていたのだ。
 出所は16年4月。

「角川家の一族」のお家騒動については、テレビのコメンテーターとしても活躍している岩上安身氏のレポートが詳しい。
 事件の全貌に興味のある方は、「WEB IWAKAMI」の「前後編企画・誰も書かなかった「角川家の一族」」を参照願いたい。何処まで真に受けるかは読み手次第として、読み物としてなかなか面白い。
 中でも、「角川春樹・実母の手記(1994.3)  我が息子、春樹への「遺言」 鈴木冨美子」は、「これは私の遺言でもあります――  幼い春樹や歴彦を奪われた実の母が今、初めてすべてを明かす!」ということで、角川春樹氏を理解する意味だけでなく、一読の価値がある。

 映画「男たちの大和/YAMATO」(監督:佐藤純彌)の原作は辺見じゅん氏で(『男たちの大和 上・下』ハルキ文庫)、角川春樹氏が富山市(水橋市)出身なら、作家・歌人の辺見 じゅん氏も富山県に生まれた方。『男たちの大和』では新田次郎文学賞受賞、昭和63年『闇の祝祭』で現代短歌女流賞受賞という方。
 そして二人とも父が角川源義!
 つまり、角川春樹・角川歴彦兄弟の姉なのである。

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 余談だが、クスリ繋がり(?)というか、角川春樹・辺見 じゅん両氏に影響を与えた父・角川源義はかの「折口信夫っていう学者の弟子だった」。かつ、折口先生は角川春樹以上にコカイン中毒だったとか(折口信夫については「花散らしの雨…言の葉」など参照)。

 角川春樹氏は晴れて出所の身となって、獄中俳句集『海鼠の日』(文学の森)を既に出されているし、「男たちの大和/YAMATO」に次いで、出所2作目としてチンギス・ハーンを描いた「蒼き狼」を来年3月公開を目途に動き出しているとか。
(「海鼠」とは「かいそ」とも読めるが、本はナマコと読ませている。つまり、『海鼠の日』は「なまこのひ」と読む。「人間に尾の残りたる万愚節」など361句が載っている。)
 大和より制作費が大きいという話。建国800年のモンゴル政府が協力するというが、朝青龍はどうするのだろう。

『海鼠の日』で山本健吉文学賞を受賞しているが、角川春樹氏は歴(「れき」あるいは「れっき」)とした俳人なのだ。
 俳人の角川春樹氏が力を注いでいるのが「魂の一行詩運動」だとか(情報は、小冊子「富山県人」より)。
 つまり、「芭蕉の発句から300年、正岡子規の俳句から100年。季語にとらわれず、日本文化の根底にある"いのち"と"たましひ"を詠う現代抒情詩を提唱する」と、子規以来の俳句革新の動きなのだとか。
 俳句結社「」(創設は父源義氏=角川書店創業者)や、自ら創刊した月刊誌『ランティエ』でこの運動を呼びかけていて、今ではホームページのアクセスが月1万5千件にも上るとか。

 やはり、小冊子「富山県人」からの情報だと、生家を買い戻す7年計画も立てていて「70歳になったら水橋を拠点に文芸運動をしていきたい」と考えているとか。

 最後に、角川春樹氏の俳句(近作)を以下に紹介する(「河」の「「魂の一行詩」批評」なる頁より。但し、最後の二句も同頁からだが、処女句集『カエサルの地』からのもののようだ):

一行の詩にいのちや吾亦紅
縄文のかけらを耳に冬田打つ
稲滓火(いなしび)の関東平野雪もよひ
ぶらさがる貌のをかしき九月かな
ろんろんと獄に光陰つもる雪
秋風や時計は二時で止りをり
にんげんの生くる限りは流さるる
寒桜わが青春の修羅がゐる
晩夏光ナイフとなりて家を出づ

 小生は今、リービ英雄著の『英語でよむ万葉集』(岩波書店)を読んでいる。
 リービ英雄氏は、本書において「ホメロスや杜甫に匹敵する大きなスケールをもった、「新しい世界文学」としての万葉集」を再認識させてくれている。「外国人が日本語で書いた万葉集案内」だが、「「世界文学」としての万葉集という点から、万葉集の「雄大な想像力」、「映像」に近い「イメージの醍醐味」に注目、額田王、柿本人麻呂、山上億良などの歌人の天才ぶり、万葉集独特の枕詞の翻訳、といった主題を取り上げ解説する。解説というような冷ややかな論調ではなく、瞠目に値する日本語を駆使し、古代の日本語が表す古代日本人の感情を、日本からは遠い異国の現代語で表すことに感性を研ぎ澄ましている。今述べたことが本書の核心なのだ。すなわち、古代の日本語を、異国の現代語に置き換え、そのことによって万葉集が「世界文学」であることを証明」してくれているのだ。
 
「万葉集」の世界が角川春樹氏の「魂の一行詩」運動の精神と直接結びつくわけではなかろうが、「万葉集」のその雄勁な世界は小生が句作を試みる際のベースとして常にあるので(薫陶を受けれるほどの能はないけれど)、「魂の一行詩とは、日本文化の根底にある「いのち」と「たましひ」を詠う現代の抒情詩であると定義」に何処か通じるところがあると思いたいのである。

冱て返し繰り返しての明けぬ空
暮れていく空の彼方の届かざる
目覚めれば夢より憂きか浅き春
句をひねる頭をひねって筋ひねる
言の葉のひらひら舞って手に溢る


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コメント

僕は映画をまったく観ませんが「男たちのヤマト」は評判高いですね。
で、この映画は反戦映画なのでしょうか?
雑誌の映画批評をあちこち見ますとまったく正反対の評価がこの映画になされていて驚くのです。

投稿: oki | 2006/02/05 12:34

映画を観るとしたらTさんくらいかな。
そもそも原作もまだ読んでいない。
「大鑑巨砲主義時代の末期に計画され、完成時には航空戦力の発達で時代遅れの長物になってしまった大和」…といったレビューがありましたが、必要性のない巨大公共事業に奔走した挙句、その愚弄さに翻弄された悲劇を感じる。軍部官僚の机上の空論と狂信的で狭隘な発想法。でも、末端の兵隊はもとより将校も、そういった愚かな指導者のもとにあっても懸命にやるしかない。
現場は戦いの場であり、懸命な場。問題は指導層の愚昧さを描ききれているか、です。
いつか読んでみたい。

小生としては故・角川源義氏が折口信夫の弟子だったという事実を知ったほうが今の時点では収穫だった。
まあ、経歴を見てみると國學院大學文学部国文科卒業だから時代からしてさもありなんだけど。


投稿: やいっち | 2006/02/05 19:42

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