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2006/02/12

「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?

 昨日の日中は、東京に関しては、13度近かった。
 それが、今朝、未明頃から寒波が襲来し、冷たい風が吹きすさんだ。夕方、図書館に出かけたが、ジャケットは勿論だが、喉の弱い小生、外出はマスク着用である。
 こんな寒風吹く中、裸で出歩くとなると…。想像もしたくない。
 衣服のありがたさ、家の温みをつくづく思う。
 それにしても、人間は何故に体毛を、天然の毛皮を失ってしまったのだろう。
 間違っても、2002年4月頃に書いた駄文「『ヒトはいかにして人となったか』(蛇足篇/及び補足)」で示した想像が妥当するはずもない(いつかここ数年で得た知見を加味し、装いも新たな妄想的人類考察を試みてみたいものである)。

 今月6日の季語随筆「はだかの起原、海の惨劇」では、島泰三著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)を俎上に乗せつつも、その数日前に起きた海の惨劇との関連で、ダグ・スタントン著の『巡洋艦インディアナポリス号の惨劇』(平賀 秀明訳、朝日新聞社)や、「海にまつわる恐ろしい話」というサイトの「生死のはざま  ~米海軍乗組員の体験した身の毛のよだつ恐怖~」などの記事をメインに紹介するに留まっている。

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→ 真っ裸の桜の枝並み。よく見ると枝に苔(それとも茸)が。穏やかな陽気だった11日午後、都内某所にて。

 枝越しの空の高みや春寒し

 記事の末尾にあるように、「人が裸になったこと、体毛を一部を除いてほぼ失ったことの意味は大きい。だからこそ、火の意味、家を作る意味、着物を作る意味が大きかったし、クロマニヨン人がネアンデルタール人(島泰三氏は、ネアンデルタール人は未だ毛もの=獣だったと考えているようだ)を長年の戦いの末、打ち破り、生きる世界を広げ、現代につながって行ったのだ…、という説が本書では展開されるのだが、それはまた別の機会に」としているので、ここで若干の追記を施しておきたい。

 といっても、本書を批評する優れたサイトの紹介の形での追記となる。

2062.はだかの起原 不適者は生きのびる」を覗く(ホームページは不明)。
 著者は、どうして現生人類がはだかであることに疑問を抱いたのか。
 それは、「20年ほど前の台風の日、暴風雨の吹き荒れる房総半島の山林の中、観察していた野生ザルのこどもたちが、その日のねぐらとなる大木の枝が舟のように揺れている上で、いつもよりも楽しそうに飛び回って遊んでいた姿を見て、著者は衝撃を受ける。そして、毛皮があれば、台風の中でも平気で暮らすことができることを理解し、「どうして人間は毛皮を失ってしまったのか」という問いに目覚める」というわけである。
 野外での実地の観察をするものゆえの苦労、その中から目覚め生じた疑問。

「著者は、人間の裸化は、何種類かいる原人の中で、特定の一種だけが突然発生したと理解し、説明する。デバネズミもオヒキコウモリも、一種類だけの突然発生である。そのようにして突如発生した裸の初期人類の一種が、火と家と着物を持つことによって、体温を維持し、体の水分の調節を行えるようになり、どこでも暮らしていけるようになって世界へ広がった」という。
 しかし、そもそも裸化はどう考えても生存のためには不利である。
 
 けれど、だからこそ、他の類人猿や原人、ネアンデルタール人と違ってさえ、現生人類は今日の繁栄に至った、不利を、つまりは裸で生きねばならないという危機を逆転させることで、人間になったというわけである。

「人間は、裸になったことで、裸の不利な点を補う仕組みを作ることを覚えた。自らを環境に適合させて生きる野性生物であることをやめて、周囲の環境を自らの生存環境として改変していく文明的存在に変わった」という。

 ここには痛烈なダーウィン批判がある。
伝統的作業療法伝説 ~武炉具版~ 『はだかの起原』(木楽舎) 島泰三著」を覗かせてもらう。

 

「毛皮は完璧な衣類なのです。どうして人類はそうした完璧な衣類を失って、はだかになってしまったのか」
ダーウィンのいう自然淘汰説、つまり進化の過程で選別が働き、よりよい形質が残るという説が成り立たないのは明らかだ。はだかが毛皮に比べて、生存に有利な形質とはどうしても思えないからだ。
「ダーウィンは自然を実際に観察しておりません。机に座って頭の中で考えただけです。ビーグル号で五年間も航海したといってますが、あくまで航海をしていたのです」

 予想されるように、裸化だけが突然変異的に発生したわけではない。
 つまり、同上のブログ頁にあるように、

 

 島さんが提示するのは、突然変異で生存に不適な形質を獲得してしまったが、同時にもう一つ不利な突然変異が起こり、二つが重複して全体でプラスになるというもの。
「言葉の獲得です。音を分節化して発語する人類の喉の構造では、食物が気管に入ってしまう危険性があります」
チンパンジーにはないそうした不適格な器官が、大脳前頭葉の発達と結びついて言葉の獲得へと至る。その言語能力によって人間は文化を作り、具体的には家と衣類を作って、はだかの不利益を克服したというのだ。

 この家と衣類について興味深い記述が本書に見出される。
 つまり、「面白い報告があります。ケジラミからコロモジラミが別れたのが、DNA分析によると七万年前というのです。それよりも少し以前に人類は衣類を着るようになったのではないでしょうか」というのだ。

 この点については、本書によると、以下のようである:

 

 ドイツのマックスプランク研究所のキットラーたちはコロモジラミのDNAの突然変異を調べて、アタマジラミからコロモジラミが分かれて出現した年代を決定した。
 コロモジラミとアタマジラミとは、人間の着物と髪の毛に巣くって、それぞれ着物の垢と頭のふけというまったく別の物を食べる。コロモジラミがアタマジラミから分かれたことは知られていたが、その分岐した年代が分かったのは」これが初めてで、その年代が約七万年前と確定されたのである。つまり、七万年前には人間は衣類を発明していた。

(ちなみに、「人間につくシラミは二種類ある。一つはヒトジラミで、アタマジラミ(Pediculus humanus humanus)とコロモジラミ(Pediculus humanus corporis)の二亜種がある。もう一つはケジラミ(Pthirus pubis)である」。「アタマジラミからコロモジラミが分かれて出現した年代」が約七万年前だというニュースは、03年の夏に朝日新聞などが報じているようだ。
 さて、無論だが、本書の中で著者は、衣類が発明される前から人間が裸だったかもしれないが、この点の疑問に関し、実は、七万年前は暖かい時代が終わって、最終氷河期が始まる時でもある、などの時代背景なども考慮している。
 また、衣類の発明に次いで家の発明が考察されている。ここでは言及しないが、本書では、前頭葉の巨大化も俎上に上っている。これらのどれも単独で扱いたい話題だ。)

 書評では「李青堂  はだかの起原」というブログの頁も非常に参考になる。
 特に、小生は未読なのだが、「島さんの前著『親指はなぜ太いのか』(中公新書)は、私の2003年BEST 1 と断言できる素晴らしい本でした」となると、居ても立っても居られない気分だ。
「フィールドワークと丹念な調査に基づく検証の末、最後に人類の驚くべき主食が明かされるところは衝撃的でした。だんだん結末(真実)に近づいていく様は、ミステリー小説でもないのに胸がドキドキしてしまいました。(興味が湧いて『親指は…』をお読みになる方のために、その衝撃のラストは秘密にしておきますね!)」というが、こうなると、ダン・ブラウン著の『ダ・ヴィンチ・コード』 (越前 敏弥訳、角川書店)より余程、興味津々となろうというもの。

 このブログには、「著者は言います。想像される将来に備え、生態系が供給する以上の食物を探しまわり、蓄積する衝動は、人間にとって抑えがたいものであると。生態系の全体を見通した適正な消費に抑えることができず、わずかな利益に狂奔するのも、人間にとっては抑えられない衝動なのだと。死への恐怖も、憎悪も。すべては裸化とともに人類が得た特質…巨大化した大脳前頭葉が紡ぐ夢なのです。」とも書いてある。
 その上で、以下のような暗示的な(黙示録的な?)著者の言葉が引用されている:

 

 しかし、世界を破壊しつくす人間が、最後に現れるこの小さな物語は、人々を糾弾するためではない。人もまた、自分の破壊的な力に苦しんでいる。

 はだか関連の本については、「稀覯LOG はだかの起原」なるブログが本書の紹介も含め、あれこれ紹介してくれている。
 また、「キツネザルを知るための本」という頁には、島泰三氏の著書などが紹介されている。

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コメント

TBありがとうございました。
のみならず、当ブログ記事をこのようにご紹介くださいまして、嬉しい限りでございます。

島さんの本は、観察や証明を積み上げていく過程と、他説の矛盾を鮮やかに論破していくところが、大変面白いです。「学問ってこういうこと?」と感じさせてくれます。
機会があったら、是非『親指はなぜ太いのか』も手にとってみてください。

ところで、同内容のTBが2つありましたので、重複している分は削除させていただきました。

     李青堂 店主敬白

投稿: ありま | 2006/02/13 16:32

ありまさん、断りもなく勝手に参照、転記、TBなどして失礼しました。いろんな方の力を借りつつ、あれこれ綴っています。
島さんの本は実に痛快ですね。小生は図書館で偶然、見つけたのですが、発見だと思っています。
『親指はなぜ太いのか』も、勿論、次に読みたい本に入りました。
親指というと、スティーヴン・ジェイ・グールド著の『パンダの親指 進化論再考』も読みたい本です。


投稿: やいっち | 2006/02/13 19:44

>「ダーウィンは自然を実際に観察しておりません。机に座って頭の中で考えただけです。ビーグル号で五年間も航海したといってますが、あくまで航海をしていたのです」

ここまでの嘘はなかなか見ないなあ…

ダーウィンはビーグル号の航海中、多数の化石・生物の採集・観察を行っています。そもそも、学業をおざなりにしてまで採集に明け暮れていた男が、絶好のチャンスを逃したとは思えない。だいたい、ダーウィンは各地の生物相・地層を見るためにビーグル号に乗ったんですから。

航海後も、大量のフジツボの標本を観察して分類したり(なんと8年も!)、植物の送粉や運動に関するさまざまな実験を行ったり、ハトの育種をしたり、ミミズによる土壌の形成を調べたりと、生粋のナチュラリストであったダーウィンに対して「自然を観察してない」とは…

投稿: カクレクマノミ | 2006/07/16 17:36

カクレクマノミさん、コメント、ありがとう!

小生、思うに、ダーウィンの理論を理解するのは難しい。人間に限らず、時に生存に適さないような形質を突然変異で生物が身に付ける場合もある。そうした異色の生物はほとんどが淘汰される。毛を失ったサルがその典型の一つ。
でも、そうした不利な形質を持った生物の中で生き延びるものもある。
結果として毛のないサルが生まれるわけだ。
こうしたこともダーウィンの進化論は許容するのに、不適格な形質を持つと、即、<適者生存>の理論を唱えたはずのダーウィンの理論に当てはまらない現実があったじゃないか! と時にダーウィンの理論に痛棒を加えたかのように誤解してしまうんだね。
島さんも、ダーウィンの観察に基づいた理論に反論しているようで、実は、結果的にダーウィンの理論傍証を付していたのではないかと小生は理解しています。

例えばダーウィンのミミズの研究は有名で晩年、この研究に没頭したことは、小生も紹介を試みたことがあります:
 http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2004/12/post_2.html

投稿: やいっち | 2006/07/16 18:20

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