白魚から歌舞伎に…
「今日も冷たい雨が降る(索引)」を書いたのは、今月の1日だった。
今、外を覗いたら東京は雪模様。日中は幸い曇天だったので小生は免許証の更新に行ってきた。
さて、その<索引>の中で、「昨年の二月に採り上げた季語・季題・題目などを列挙してお」いた。
「季題【季語】紹介 【2月の季題(季語)一例】」表を眺めると分かるように、「2月は季語が少ない」。
とはいっても、2月の後半についてはまだまだ採り上げていない季語がそれなりに残っている。特に、「公魚(わかさぎ)」は既に扱ったのに、「白魚」は未だである。
→ 紫苑さんに戴いた「窓辺の球根ベコニア」の画像です。「アンデス山脈原産の球根性のベゴニアから改良されたものを総称して球根ベゴニアと呼」ぶ。普通、ベゴニアだと初夏の季語だが、球根ベゴニアだとどうなのだろうか。今は寒さの真っ只中。だからこそ春が待ち望まれる。
冴返り白さ眩しき吐息かな
「しらうお ―うを 0 2 【白魚】 - goo 辞書」によると、「(1)サケ目の魚。全長約10センチメートル。体形は細長く、頭部が扁平する。無色半透明で、死ぬと白色不透明になる。食用にして美味。春先、河口をさかのぼって産卵する。サハリンから日本・朝鮮半島にかけての沿岸・汽水湖に分布。シロウオとは別種。[季]春。《明ぼのや―白きこと一寸/芭蕉》(2)女性の白く細い指にたとえていう語。「―のような指」」とある。
白魚のごとき麗しき指の持ち主の小生としては、卓上に…じゃない、俎上に載せないわけにはいかない。
まずは、「白魚」というと、上掲の辞書にも載っているように、芭蕉の句「明けぼのや白魚しろきこと一寸」をまずは誰しも思い浮かべるだろう。
この句の初案は、「雪薄し白魚しろきこと一寸」だったことは知る人も多いだろう。
ところで、上掲の辞書の説明に関してだが、ネットで気になる記述を見つけた。
「『新版 俳句歳時記 春の部』(角川書店)に白魚はある。とすると白魚の季語は春となる。さて、この白魚がスズキ目ハゼ亜目ハゼ科、これはちと面倒くさい表現だが、ハゼの仲間のシロウオならすんなり春だがサケ目シラウオ科のシラウオならばそうはいかない。この見極めが難しい」というのである(「ぼうずコンニャクのお魚三昧日記」の「ぼうずコンニャクのお魚三昧日記 走りの白魚は冬の季語」より)。
つまり、「現在の市場で見る限り走りのシロウオでも入荷は2月から。旧暦でも1月である。すなわち季語は当然春となる。反してシラウオの入荷は年末から盛んとなっていて、これは春にもあるが「走り」を冠にして季語は冬だろう」、よって、「長年混同されてきたシロウオ(素魚)とシラウオ(白魚)はしっかり分けるべきである」というのだ。
小生、慌てて、「しろうお ―うを 0 2 【▽素魚-白魚】 - goo 辞書」を検索。
なるほど、「スズキ目の海魚。全長約5センチメートル。小形のハゼで、体は淡黄色で半透明。産卵期には群れになって川をのぼり、小石の下面に産卵する。食用。青森県以南の沿岸に分布。シラウオとは別種。イサザ。」と説明されているではないか。
(他にも「白魚」と表記して「はくぎょ」と読ませる場合もあるが、明らかに意味合いが異なるので、ここでは無視しておく。)
では、「2月の季題(季語)」に載る「白魚」は、どう読むか。2月(旧暦でも1月)からして、「シロウオ(素魚)」なのだろう。芭蕉の句は、冬の盛りでこそ生きてくる句であることを鑑みると、正しくは(実際に目にした初物の白魚は)、シラウオ(白魚)だが、読みは「シロウオ(素魚)」にしていたということなのだろうか。
うーん、芭蕉は、実際にはどんな白い魚を見て句をひねったのか。それとも思案投げ首して首を捻ったのだろうか。
もっとも、俳句の世界では、「白魚」と表記すると、早春の季語と相場は決まっている。
(芭蕉のこの句については、「ゆきゆき亭ホームページ」の中の「『野ざらし紀行』─異界への旅─4、桑名から名古屋風吟、そして年の暮れ」、その「2、白魚一寸」なる項を参照。)
「しらうお、 しろうお、 しらす」の別は簡単なような難しいような。遠い昔、「明けぼのや白魚しろきこと一寸」なる句を詠んで、白々明け染めてくる中で外光が少し魚に当たり、魚がちょっと白っぽく見えた…」といった風に鑑賞していた、そんな小生の頭では混乱必至。
こうなったら、お白洲(しらす)で白黒決めてもらおうか?!
さて、「白魚」については、いろいろ話題もある。
例えば、「波間にかがり火揺れる江戸の白魚漁。 実は幕府の隠密か!?」という記事が面白い(「dancyu Online」中にある)。
「築地市場すぐ近くの中央区郷土資料館に残る御膳白魚箱。黒漆に葵の御紋のそれは、江戸時代、佃から徳川幕府へ白魚献上のおりに使われた御用箱。いやいや、ふたをあけたら佃の漁師隠密説まで飛び出すびっくり箱だ」という話の詳細は、リンク先でどうぞじっくり読んで頂きたい。
そんな由緒ある白魚漁であり、「白魚をはじめとする小魚を、佃で煮つけたのが元祖とされる」佃煮なのだが、「東京名物の浅草海苔は廃絶。佃島の白魚漁が復活する見込みはゼロである」という(「RandDマネジメント ドットコム」中の一頁である)。小生の大好物なのだが…。
この「しらうおの話(20050318)」には、興味深いエッセイと共に、「白魚」の織り込まれた幾つかの句を載せてくれている。
ふるい寄せて白魚崩れん許りなり 漱石
白魚に値あるこそうらみなれ 芭蕉
白魚やなんじらの食うものならず 嵐雪
「白魚のおどり食い」は、小生、未だ経験したことがない(「浅虫水族館」の中の「今 が 旬」より)。
ネット検索すると、「白魚」の詠み込まれた句が見つかる。
「町空のくらき氷雨や白魚売 芝不器男」もいいが、「白魚を潟(かた)に啜(すす)りて嘆かんや 西東三鬼」が語調も含め印象的だ。坪内稔典氏の鑑賞は一読しておいたほうがいい。
両句は共に、「俳句グループ「船団の会」(代表:坪内稔典)のホームページで」ある「e船団ホームページ」からのもの。
俳句からは離れるが、「白魚」というと、「月も朧に白魚の 篝もかすむ春の空」という歌舞伎の名科白を思い浮かべる人も少なからずいるのではないか。
「歌舞伎のおはなし」の「第119話 白魚」によると、「「三人吉三廓初買」大川端庚申塚の場で、お嬢吉三の名せりふ」が、まさにこの「月も朧に白魚の…」だとか。
歌舞伎に詳しくない小生も、この場面だけはテレビで幾度となく見たことがある。
恐らく、歌舞伎のこの場を全編通して見たのではなく、歌舞伎を紹介するとなると、「こいつァ春から縁起がいいわえ」を含んだこの名場面を引き合いに出すことが多いということも記憶の形成に預かっているのだろう。
せっかくなので、以下、この「聞かせぜりふ」をもう少し、聴いておきたい:
月も朧に白魚の 篝もかすむ春の空 冷てえ風も微酔いに 心持ちよくうかうかと 浮かれ烏のただ一羽 塒へ帰る川端で 棹の雫か濡手で粟 思いがけなく手に入る百両 ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落し 豆沢山に一文の 銭と違って金包み こいつァ春から縁起がいいわえ どれ、道の用心に持って行こう
黙阿弥と歌舞伎については、関心のある向きは、「三井寺>連載>21世紀の図書館>黙阿弥と歌舞伎 前編」なる頁などを覗いてみるのもいいだろう。これを契機に歌舞伎に傾(かぶ)く?
白魚も知らずに知ったかぶりかな
白魚の指の白さは誰のせい?
踊り食いお腹の中で魚まで
しらす食うこれが白魚と言い聞かせ
初春や白魚食いたし一寸でも
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