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2006/02/03

「匂い」のこと…原始への渇望

 表題をかくのごとくにしたからといって、小生、人一倍、匂いに敏感、というわけではない。
 むしろ、全く逆である。鈍感以下といっていい。
 実のところ、鼻呼吸ができないのだから、匂いを嗅ぐ云々以前なのである。

 そうそう、数年前、匂いでの失敗談として、「ガス中毒事故余聞」を書いたものだった。
 この中では、「学生時代にもガス事故事件があった。それは締め切った部屋で石油ストーブが不完全燃焼していたことによるものだった。その時は、たまたま哲学科の先輩が小生がゼミに出ないことを心配して小生のアパートを訪問してくれた御蔭で未遂に終わったのだが」とあるが、先輩は、小生がドアを開けた瞬間、ガス臭い匂いにびっくりしたと開口一番、言った。先輩も驚いただろうが、小生だって、そんな事態にまるで気づいていなかったことに驚いたものだ。

 ある意味、そんな自分の肉体的事情があるからこそ、匂いに一方(ひとかた)ならぬ関心があるのかもしれない。口呼吸で匂いを嗅ぐわけにもいかず、一体、健常者として鼻呼吸をされている方というのは、つまり、世の大概の方というのは、どんな正常な感覚生活を送っておられるのか、気になってならないのだが、殊更に訊くわけにも行かないし、また、敢えて尋ねるようなことでもないのだろう。
 健常であるということは、それが当たり前のこととしてその健常さを生きているわけで、その健常さを自覚する必要も何もない。
 目が見える人に、見えることに自覚的であれ、というと教訓的、説教がましい感があるように、匂いに敏感かどうかは別にして常識程度に(どの程度が常識的なのか、さっぱり分からないものの)鼻呼吸を日常的に行っていて、恐らくは必要な程度には匂いを嗅ぐことが出来ている人は、自覚的たる必要など毛頭ないのだろう。

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 が、十歳の頃より突然、嗅覚に不自由さを託(かこ)つ身となってしまうと、そうもいかない。
 根源的な感覚器官である嗅覚に障害がある…。
 自分は根底的なところで人とは違う、常識に欠けている、人間である以前に動物であり生き物であり、雄か雌かのこだわりにおいて埒外に自分は置き去りにされてしまっている…、そういった焦燥感にも似た危惧の念を抱き続けて…。

 季語随筆などを書き綴っていて、季語や俳句に纏わる様々な植物を扱うと、素敵な香りを放つという話に往々にしてなる。街中を散歩していて、ふと、金木犀の香りが漂ってきたので…とか、沈丁花の香りがする、一体、何処から香ってくるのか、香りを辿っていくと、そこに沈丁花が咲いていた、なんて記述に出会ったりすると、そうなのか、羨ましいな、そんなことがあるのかと感動してしまう。
 健常な人は、そうなのか、自分にはそんな経験はまず、ない。友人と歩いていて、不意に鼻をピク付かせて、おい、いい匂いするな、近くに美味いもんの店がありそうだ、なんて言われると賛同も同意も如何ともしがたい。
 全くの嘘であっても、そんな匂い、しないよ、なんて言いようがない。

 というわけで(もないけれど)、「匂い」に関わる本はつい、目が向いてしまう。そんな本に対しては嗅覚が働くのである(無論、比ゆ的表現である)。
 この数年を見ても、「日本語の「匂い」の表現は多様多彩である。万葉集、古今集、芥川や漱石にあらわれた「匂い」を綴ったエッセイと、現代における匂いをテーマにした対談を収録。香りの専門誌『パルファム』連載をまとめる。」とレビューにある吉本隆明著の『匂いを読む』(光芒社)を読んだし(題名の「読む」の「読」は旧字体である)、今だってライアル・ワトソン著の『匂いの記憶―知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官』(旦 敬介訳、光文社)を読んでいる最中である。

 後者は、「嗅覚を考えることは、ふだんとは別の面からヒトを考えることである。」とか、「その機能において嗅覚は、人間の五感で最も劣るとされてきた。今その事実を覆す重要な鍵となるのは、知られざる小さな器官「ヤコブソン器官」の存在である。新自然学の旗手が、謎に満ちた「匂い」の世界に迫る。」とレビューにある。

 前者は、今はその感想を書かない。「KIKIHOUSE」の「吉本隆明『匂いを読む』」という項を参照願いたい。

 後者は、小生が比較的読んできたライアル・ワトソンの本である。「 スーパーネイチュア 」(蒼樹書房)、「生命潮流―来たるべきものの予感」、「ネオフィリア―新しもの好きの生態学」(ちくま文庫)、「シークレット・ライフ―物たちの秘められた生活」(筑摩書房)、中でも「風の博物誌」(河出書房新社)は繰り返し読んだものだった。

 ライアル・ワトソンは本書『匂いの記憶』の中で、(人間の)ヤコブソン器官に非常に拘っている。解剖学的に未だ解明されていない謎の器官だからでもあろうか、想像を膨らます余地があるのか、それとも、嗅覚というある意味一番原始的な感覚器官であるにも関わらず人間は視覚という感覚に過度に(?)依存することで聴力も嗅覚もその発達を、あるいは本来は持っていた能力を後方に追いやってしまったかのようである…。
 が、空中に際限もなく散在し飛散しているのだろう匂いの元の情報をヤコブソン器官を通じて嗅覚中枢に集約しているのだが、視覚に依存しすぎてしまった結果、匂いは感じてはいるのだが、認識できない、分析し分類し解釈する、つまり識別ができないだけであって、実は匂いからあれこれ脳は感じ取っているのであり、そのことが心の揺らめきや心情に微妙に(もしかしたら時には苛烈に)左右している、そんなこともありえるのかもしれない。

 本書にもあるが、植物学者で『自然の体系』など有名なカール・フォン・リンネによるニオイの分類が古典的ではある。未だに匂いに関し基本的な分類となっているようだ。彼は、『薬物の臭気』において匂いを以下のように分類した(「ニオイの原因について考える…ニオイを分類する」参照):

(1)芳香臭――月桂樹や熟した果実などのにおい
(2)積紺臭――百合やバラ、沈丁花などの香りのよい花などのにおい
(3)ジャコウ臭――ジャコウに代表される高貴な香り
(4)ニラ臭――ネギ、ニラ、ニンニクなどの鼻をつくにおい
(5)尿臭――尿のにおいや山羊、狐、狸などのにおい
(6)悪臭――誰にも不快感を与えるにおい
(7)腐臭――腐った肉のように、吐き気をもよおすようなにおい

 尤も、現代では、小生は未読だが、「自己の体臭を「生活臭」として受け入れ、他人の体臭とも共有し合える関係。この本がそのような「静かな革命」によって、生活臭の感じられる豊かな人間関係を築くための一助となることを願ってやみません。」という、五味常明著の『デオドラント革命…新版 体臭多汗の正しい治し方』(ハート出版)によると、「ニオイの種類は40万」とされているようだが。

 他にも、「十八世紀のパリ、次々と少女を殺してはその芳香をわがものとし、あらゆる人を陶然とさせる香水を創り出した匂いの魔術師の冒険譚」といった内容のパトリック・ジュースキント著の『香水―ある人殺しの物語』(池内 紀訳、文藝春秋)やアマール・アブダルハミード著『』(日向るみ子訳、アーティストハウス・角川書店)などの読後感は今も印象深い。
(さすが、前者後者も松岡正剛氏は読んでいる。)

 哺乳類で嗅覚の鈍さで同等なのは人類とクジラだとか。
 それはさておき、一番原始的な感覚(器官)である嗅覚。水中であれ地上(空中)であれ、植物・動物を問わず多くの生物が外界に接する触覚と似ているようでいて、根底的に違う嗅覚の不思議さ凄さを改めて見直してみてもいいのではなかろうか。
(言うまでもなく、触覚は、触れる感覚であり、嗅覚は直接身体に触れない遠隔の物体や状態、多くは食べ物かどうか、敵かどうか、安全かどうかの識別に関わる感覚機能である。当然ながら視覚ともまた異なる。視覚は目的とする物体や場所と当方との間に障害物があれば、それでもう役に立たなくなる。目をそちらに向けなければ、もう、意味を成さない機能でもある。匂いは空中などに飛散する、あるいはその辺りに痕跡が残っているなら、それらを探知することで意味を成す。いろんな意味で嗅覚というのは感覚機能として可能性がある。人の心情にも微妙に影響していると想いたくなるではないか!)

嗅覚グループのホームページ 東原 和成 研究グループのホームページ 匂いとフェロモンの受容機構を探る嗅覚グループ」によると、「嗅覚は、脳神経の発生および回路形成の対象モデルとして注目されているだけでなく、原始から変化していない感覚系として行動、生態、進化との関わり、そして、アロマテラピーなどに代表される内分泌系、免疫系との関連を考慮すると、極めて学際的学問領域であるところにも魅力があります。また、数十万といった匂い物質の認識といった究極の分子認識として薬理学的にも情報の宝庫です。フェロモンによる個体間コミュニケーションは、生殖隔離および種の保存にとって大切な現象で、フェロモンの研究は、性の進化を理解するうえで大変重要な視点です。」とか。

「匂い」については香水のことも含め、まだまだ書きたいことがいろいろあるが、今日は疲れた。
 最後に、匂いに無縁ではない掌編を幾つか挙げておく:

沈 丁 花
沈 丁 花
天 花 粉
金木犀の頃
 
 これは季語随筆の一文だが、「冬薔薇(ふゆさうび)」では、テーマが薔薇ということもあって、犬の嗅覚や匂いのことを話題にしている。

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