初詣の代わりの巨石文化?
年末の帰省の列車中で、あるいは仕事始めの車中でジャン‐ピエール・モエン著の『巨石文化の謎』 (蔵持不三也/監修 後藤淳一/訳 南条郁子/訳 、創元社、「知の再発見」双書 91、2000年7月)を読んでいた。同時に文中の豊富な画像群を眺めていた。
出版社のレビューでは、「巨石建造物は大昔から伝説で彩られてきた。環状列席石で有名なストーンヘンジをはじめ、ヨーロッパ各地にはさまざまな巨石建造物が存在する。単なる謎解きにとどまらず、歴史に託されたメッセージを考察する。」とある。
「巨石建造物は大昔からさまざまな伝説で彩られてきた」…例えば、「とある地域の巨石建造物は荒地の真ん中で、踊る少女たちの行列がやってくると、身を起こして少女たちを通してやったという。」
著者のジャン‐ピエール・モエンは、「フランス博物館研究所の所長。アンドレ・ルロワ=グーランの指導の下で、先史学の国家博士を取得。グラン・パレで“ケルト王の宝物展”(1987年)など数々の展覧会を開いてきた。主な著作に「巨石建造物の世界」「先史時代の冶金」などがある。’92年まで、サン=ジェルマン=アン=レー国立先史学博物館館長」だった人。
→ 山田 英春著『巨石―イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)
巨石文化。古代において建造物を作るとするなら鉄や青銅などを精錬する技術が生まれる以前は、石(岩)を利用するか木を利用するかのどちらかとなる(そこに土を加えたかかぶせただろうけれど)。
巨石文化というと、ガキの頃に夢中になったムー大陸の話やアトランティスの話を想ってしまう。ギリシャ・ローマ文化からの連想か、そうした古代の(想像上の?)文明と言うと、石の柱であり屋根であり廊下であり壁というわえけで、石(岩)とは切っても切れない関係と(連想の上では)なっている。
小生は学生時代にカスパー・ダヴィッド・フリードリッヒというドイツ・ロマン主義の風景画家の存在を知った。書籍の中の小さな画像だったけれど、一目見てその世界に魅了された。
そのフリードリッヒに巨石の墓の前に佇む絵がある。
フリードリッヒの絵の幾つかをネットでも楽しむことが出来る。例えば、「TomoTomo World Museum」の中の「魂の風景画 Casper David Friedrich - A Lone Romantic」がいい。ここでは彼の絵の厳粛で静謐なるロマンの世界に浸るゆとりはないが、それでもしばし瞑目のときを過ごすのもいいだろう。
そのダヴィッド・フリードリッヒに巨石墓を前に首をうなだれ遠い過去に思いをめぐらす男の姿を描いた作品があるのだ。
小生はフリードリッヒの一連の作品群の一つとして学生の頃などは観ていただけだったが、この作品に関しては主人公というか焦点が自然の中に忘れ去られ風化さえし始めている巨石墓だったことに気づくには相当程度に時間が掛かったかもしれない。
学生の頃は、絵の中の巨大な石(岩)は、墓として使われて数百年ほどのものかと勝手に思っていた。
しかし、ジャン‐ピエール・モエン著の『巨石文化の謎』 を読めば分かるように、こうした巨石文化(墓)というのは、紀元前数千年の歴史がある。
同時に、有名なストーンヘンジでのドルイドの礼拝は現代でも厳かに行われている(観光化の波に呑まれている面もあるようだが)。
ところで、フリードリッヒの他にヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダールにも巨石墓を描いた作品がある。題名は、「冬の巨人塚(ドルメン)」という。
このドルメンとは何か。ジャン-ピエール・モエン「用語説明」『巨石文化の謎』によると、「このウェールズ語は、巨石建造物の墓室の中でも最も頻繁に見られる「石のテーブル」を表す。」という。
元は墳丘で覆われていて複数の遺体を収納していたが、歳月と共に土がなくなり巨石建造物が剥き出しになって、巨大な石のテーブルなどが残ったわけである。
これに対し、巨石文化にはメンヒル(Menhir)と呼ばれる形態もしばしば登場する。「メンヒルという名称(もともとは「長い石」(menhir)の意)は、18世紀末のケルト至上主義者たちが書いた文書によって知られるようになった。(pp.180)」もので(ジャン-ピエール・モエン「用語説明」『巨石文化の謎』 )、「メンヒルは1本だけ孤立して立っているか、まっすぐに1列に並んでいるか、あるいはストーンサークルを形作っている。」という。
また、「さまざまなメンヒルの中でも、ストーンヘンジの「ヒールストーン」は、夏至の日の日の出の方角を示す、特に重要な役割を持った意思である。」というわけで、ドルメンが墳墓の中の巨石部分の廃墟なのに対し、宗教的天文学的役割や意義を有するようである。
が、「メンヒルの中にも巨石墓と関係するものがある。立石の下に人骨が埋葬されていたことで、神聖視されるようになったメンヒルや、サン=ジュストのアリニュマンのように、崩れてしまった後、墓室の内壁として再利用されたメンヒルもある。(pp.68-69)」というから、ややこしい。
残った巨石を移動させたり倒したりして再活用することもあったわけである。
ところで、小生は見逃したのだが、昨年、「150以上の神殿跡、欧州最古の文明か…英紙報道 [YOMIURI ON-LINE]」といったニュース報道があったらしい。
つまり、「11日付の英紙インデペンデントは、ドイツ、オーストリア、スロバキアなどの欧州大陸中央部の広い地域で、紀元前4600年から4800年にかけて建てられた150以上の神殿跡が発掘されたと報じた。事実なら、巨石文化を示す英国のストーンヘンジよりも2500年以上も前になり、同紙は「欧州最古の文明の発見であり、欧州の先史時代研究を書き換える意義を持つ」としている。同紙によると、発掘を担当したのは、ドイツ・ザクセン州文化遺産部局。神殿は円形で土と木を材料にして建てられ、周囲にはヒツジ、ヤギ、ブタなどを家畜として飼っていた集落があったという。この文明は約200年間で消滅しており、その原因はわかっていない。」というのである。
英国のストーンヘンジについては、日本人女性(木村ジュリ氏)による比較的近年の撮影を付した紹介がいいかも。
英紙インデペンデントによる欧州最古の文明か、という報道については小生は続報情報を得ていない。ただ、巨石文化は有史以前数千年のものだとは理解してよさそうである。
さて、日本にも巨石文化がある、というと紛らわしい言い方になるが、古墳時代そのものは近年、卑弥呼の時代に遡ると考えられてきている。
つまり、「従来、上記の箸墓古墳の築造年代は3世紀末から4世紀初頭であり、卑弥呼の時代と合わないとする説が有力であった。しかし最近、年輪年代法による年代推定を反映して、古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となっており、上記の箸墓古墳の築造年代は卑弥呼の没年(248年 頃)と一致する3世紀中頃であるとする説も唱えられている。」のである(「卑弥呼 - Wikipedia」参照)。
その古墳の墓室部分は石造りの場合が多い。日本の場合は、多くは盛られた土が剥がされたりすることは少なかった(あるいは欧州の巨石文化に比して数千年、新しいということもある。神聖視されたり、日本の風土性から巨大な墳墓がそのまま神社の鎮守の森になったりすることも多かったのだろう)。
珍しく石室部分が剥き出しにされた事例が、被葬者が「古代にこの地で最大の勢力を誇っていた蘇我馬子というのが最も有力な説」の石舞台古墳である。
日本の巨石文化については小生も若干のことを書いたことがある:
「日本の巨石文化そして古代ロマン」
文学において巨石文化が登場するということはあまり考えられない。時代が違いすぎて、古代をテーマの小説でも既に巨石文化が欧州でも日本でも終わりを告げてしまっているわけだ。
ただ、フリードリッヒではないが、背景として、あるいは人の過去への思い入れとして登場することはありえる。
小生はすっかり忘れていたのだが、「Tagebuchliteratur」なるサイトの「Tagebuchliteratur 『夏の砦』」で、辻 邦生著の『夏の砦』(文春文庫)の中に、巨石文化への思い入れが背景として描かれていることを教えられた。
いつかしら生命に満ちた営みを無視し、芸術の根源である人間の生命との亀裂に苦しみ自殺まで図る主人公の冬子は、「芸術の理想、すなわち人間の生命、生活がそのまま結びついている」と冬子には思えるエルスに触れることで「芸術の根本を甦らせてゆく」。
そのエルスは、冬子には以下のように神秘的なまでに映っている:
たしかに私もこうしたエルスと一緒に暮らしているうち、自分がどんなにかこの健康な、生命にみちた営みを無視していたか、よくわかってくる。エルスの目のくらむような自然への陶酔こそ、あの巨石文化を残していった北方の先住民の生き方だったのかもしれない。走ったり、泳いだり、投げたり、木にのぼったり、高い梢を渡ったり、飛鳥のようにとびおりたりする動きそのもののなかに、私は、古代的な不思議な純血を感じる。エルスが露台に休んで放心しているときの、日焼けした背にかげを落としているあのような古代的な憂いは、おそらくこの純潔さと無関係ではないのだ。
わたしはエルスといると、自分がこの大自然の一部分に還元し、その中で甦り、新しい生命に目ざめでもしたように、裸足で地面や草を踏み、胸にじかに風を感じ、腕も脚も頭もこうした自然のなかに融けこんでゆくのだ。自分の身体の裏面がむきだしにされ、快楽が深い奥底から火のように激しくつきあげてくるのを感じる。
「巨石文化を残していった北方の先住民の生き方」がどのようなものだったのか、研究者の研鑽にも関わらず不明な点も多いという。自然を前にする感性など、もう想像の域を超えて遠くへ我々が来てしまったのかもしれない。
ただ確かに古墳や、それどころか数世代に渡る墓の並ぶ墓地に佇むだけでも、過去への思いに囚われ、過去には確固たる生き方と現実と生命の躍動があったように思えてくる、ものであることは間違いないようだ。
尤も、小生には、時の堆積を示す遺跡や廃墟を前にすると野暮な自分でさえ謙虚で厳粛な思いに駆られてしまうという心性が人間には(自分には)あると言えるだけなのであるが。
小生は今年は初詣には行かなかった。その代わりに有史以前においては墓の代わりでもあったという巨石(ドルメン)などへ思いを馳せてみた。
思えば、数十億を越える人の魂が地上世界に地中に空中にあの世に漂っていることだろう。何も墓地や神社に行かなくとも魂とはそこここで遭遇できるし、しているのかもしれない。
ただ、そうはいっても、思いを形にし、行動で表したいというのも人間の習い。その伝を踏めなかった小生は、やはりここで古今の人々の魂に形ばかりの祈りを捧げておきたいのである。
[山田 英春著『巨石―イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)が今年の六月に出ている:
「ブリテン島・アイルランド各地の50カ所以上の巨石遺跡をめぐり歩き、謎と威厳を湛える石たちを撮影。遺跡にまつわるケルトの伝説、民間伝承、古代の天文学なども紹介しつつ、古代人の営みを垣間見る美しい写文集」だって。手にとって読み眺めてみたい。
山田 英春氏には、「lithosの日記」というブログがある。(06/10/14 記)]
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コメント
素朴な疑問なのですが、「フリードリッヒに巨石の墓の前に佇む絵にある」ような足の付いた形状は至る所にあります。風化侵食が進んだ後に、雨の掛からない乾いたこの形状を何かに使うと言う事は当然なのですが、多くは余りに月並みすぎてアニミズムと言えるかどうか。現在の子供でもハイカーでも、獣でもその下に何かを隠すと言う事はしそうです。世界中至る所にあるクライミングの対象になっている郊外の地域には「テーブル」としてこれらの形状は多く存在します。「巨石は文化か?」、確かにフリークライミングはアニミズムの延長でしょうが。
投稿: pfaelzerwein | 2006/01/08 04:30
pfaelzerwein さん、こんにちは。
巨石はなるほど月並みなものがたくさんあるようですね。アニミズムや信仰の対象というより、もっと身近なそれこそ月並みなもの。それが文化か呼べるかどうか、疑問だというのは地元にあったら自然なのでしょうか。
ただアニミズムをもっと単純素朴に受け止めると、小生などのようなものは、「時の堆積を示す遺跡や廃墟を前にすると野暮な自分でさえ謙虚で厳粛な思いに駆られてしまうという心性」がちょっと顔を出すようです。
フリードリッヒの時代にも既に巨石の意味など(一般においては)忘れ去られていて、多くの人にはある意味、リクリエーションの場だったりしたのかもしれないですね。
そんな中、一部の思い入れの強い人間は、意味もなく(説明を他人にはきちんと与えることもできないままに)巨石の前でつい厳粛な気持ちになってしまう。
まあ、いろんな人がいるということです。
その多様性が文化と地続きとなっているように思うのです。
投稿: やいっち | 2006/01/08 09:40
山田 英春著『巨石―イギリス・アイルランドの古代を歩く』(早川書房)が今年の六月に出ている:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152087404
「ブリテン島・アイルランド各地の50カ所以上の巨石遺跡をめぐり歩き、謎と威厳を湛える石たちを撮影。遺跡にまつわるケルトの伝説、民間伝承、古代の天文学なども紹介しつつ、古代人の営みを垣間見る美しい写文集」だって。手にとって読み眺めてみたい。
投稿: やいっち | 2006/10/12 22:37