稲毛海岸駅はどこにありますか?
過日のことである。
その日は小生に限らず営業的には概して暇だった。こんな日は、とにかくコツコツと仕事するのが一番。
でも、回数を重ねても売り上げが飛躍的に増大するってことはない。どうやっても、基本料金の660円の倍数に留まる。
ただ、仕事が終わって営業所に戻り、売り上げを計算すると、近場のお客さんをこまめに拾ったことが結果的に大きな差になってくる。たとえ日に一回か二回でもそうしたお客さんを見逃さずに乗せておくと、月に12回の営業として、一万円の営収(営業収入=ここから会社の徴収分が4割ほど引かれていく…)の上乗せがなり、足きり金額を越えるかどうかの瀬戸際の時に大きな意味合いを持ってくる。
→ 1月23日、内堀通りの交差点。信号待ちを利用して。車内から撮っている。窓ガラスに腕もデジカメも映っている。快晴だ。が、寒い。前日の雪が日光にも溶けない。
足きり金額というのは、会社としてタクシードライバーに課す最低限の売り上げで、これを越えると営収の6割が運転手の取り分となるのだが、下回ると5割が会社へ。
足きり金額を越えるかどうかは、1割の差であり、大きい!
月の締めが近付き、特に最後の日ともなると、越える見込みがあるか、既に越えているか、あるいはまるで見込みがないかで気分が相当に違う。
余裕で越えているか、全く越える見込みがないなら、いずれにしろ月12回の営業の最後の日は、まあ、通常通りのペースで営業するが、問題は月の12回目の営業が足きり金額達成ギリギリの日である。
もう、プレッシャーである。具体的には足きり金額は48万円である。11回で45万まで売り上げていたら、最後の日は3万円でいいわけだから、余程、サボったり、トラブルに巻き込まれたりしない限りは、幾らなんでも越えるだろうと判断できる。
← Charlie K. さんの手になるリベルダージ新年会(G.R.E.S. LIBERDADE "FELIZ ANO NOVO 2006" )画像の一つ!
これが11回目までで44万だったらどうか。
好況の折だと、一日で4万円の売り上げなど軽がると達成できるのだが、依然として構造不況(規制緩和でタクシーの台数が飛躍的に増えてしまった。世の中の景気に敏感に反応してタクシー業界も好調となるという過去にあったかもしれない図式は壊れてしまった。ある元通産省の役人で作家となった、団塊の世代などの流行語を流行らせたことでも有名な人の託宣だと、タクシーは今や年金生活者の小遣い稼ぎの業界となったとか!)の最中にあるタクシー業界にあっては、4万円というのは油断ならない数字なのである。
そんな日は4万円が高い高いハードルに感じられる。そんな日に限って流しでのお客さんに出会わない。走っても走っても街頭にお客さんの姿はなく、あっても、他のタクシーに先を越され涙を呑む。
仕方なく駅などに付けて順番待ちとなるが、その空車の行列の長いこと。
確かに順番待ちしたら確実にお客さんは得られるが、待機している間の時間は、つまりは空白の時間となる。営業時間でありながら、ひたすら待つだけの営業していないかのような時間帯となってしまうのである。
つまり、みすみす貴重な時間を捨て去っているようなものだ。
とはいっても、不況の延長にあっては、流しでダメなら仕方がないのだ。
ああ、こんなことなら、さっき見逃したお客さんを乗せておけばよかった。そういえば、先日も乗せそこなった。前のタクシーが空車だから、あーあ、また先を越されたかと思い、どうせその前のタクシーが路肩のほうへ車を寄せるだろう、右後方などの安全確認をして、さっさと前へ行ってしまおうと、若干アクセルを強め前へ…。
すると、なんだ、前のタクシー、客を無視しやがった。お客さん、手を上げてるじゃないか、なのに、なんだよ。だったら、オイラが乗せたのに。悔しい。
路肩で手を上げているお客さんからしたら、2台(あるいはそれ以上)の空車のタクシーが乗車拒否をして走り去ったふうに見えるだろう。またタクシーの印象が悪くなる。
違うんだ。オイラは乗せたかったんだ。でも、先行している空車があったから避けていっただけなんだ。戻れるならバックして戻りたいけど、もうバックミラーには、数十メートルも後方にお客さんがポツンと映っている。
そうして午前中から営業を開始して夜半近くになっても目標の金額がはるか彼方だったりする。あーあ、今月もダメか。帰省しちゃったしな。12回全部頑張っても足きりがやっとなのに、1回でも休んだら無理なのは火を見るより明らかなんだけどな。でも、今月は今日、4万行ったら、足きりを越えるんだ…。悔しいな。
流してもお客さんが見つからず、駅で長い空車の列の最後尾に付く。食事をする時間が惜しくて、コンビニで買ったおにぎりを食べながら、待機する時間を潰している。持ち込んだ本を読んだりもする。余裕に見えるかもしれないが、待っているだけじゃ、ラジオを聴いているだけじゃ能がないし。
さてさて、やっとオイラの順番がやってきたよ。バックミラーでは二人組みがふらふらと。お、お酒が入ってるな。この時間だと銀座や新橋には遅すぎる。風体(ふうてい)からして六本木じゃなさそうだし。帰宅だろうな。
でも、この駅だと近場に決まっている。ま、いいや。このお客さんを何処か近くの目的地にお届けしたら、何処か繁華街近辺を回ってみよう。
と、乗り込んできたのは一人。相方とさよならしてしまった。そりゃそうだ。帰宅となったら、方角が違うという可能性のほうが大だし。
すると、そのお客さん「千葉へ行ってくれるか」という。
「(ち、ち、ち)千葉!ですね」と冷静に(正確に言うと冷静を装いつつも嬉しさに飛び上がらんばかり。でも、車内で飛び上がったら頭、ぶつし)応えるオイラ。千葉方面は久しぶりじゃ。そもそもロングが久しぶりだ。
「稲毛海岸だ。分かるか」
分かるかと訊かれて分かりませんとはプロのドライバーとして言えない。
「大丈夫ですよ」(いいのか、そんなこと言って。)
「えっと、高速を使って。」
「ああ、湾岸でな」
「降りるのは…」(分からないのです。教えて、という意味もあるが、念には念を入れておく。お客さんの都合で通常降りるだろうと思われる出口を使うとは限らないのだ。そもそもロングだからって高速を使うかどうか頭から決めてかかれない。但し、聴くのはいいが、あくまで言外にこっちは分かっちゃいるんだけど、念のため聴くんですよ、という雰囲気を醸し出すのが大切。でないと、知らない新米のドライバーだと思われ、降りられてしまう可能性がある。いずれにしても、分からない場所であろうと、地図を見ながら行っていいですか、という姿勢が肝要なのだ。)
「習志野で頼む。」
「習志野ですね。」
ここまではよかった。そのあとの一言が不安の念を掻き立てた。
「稲毛海岸駅だ。自転車が置いてあるんでな。自転車で帰るんだよ。駅に着いたら、起こしてくれ。」
「はい、分かりました。」と答える。
答えたはいいが。稲毛はイメージできても、稲毛海岸駅なんて行ったことない。分かんない。
ラジオをオフにする。運転に集中するためとお客さんがお休みするのを邪魔しないためである。
習志野インターで降りたことは何回かある。一日に二度、流しで習志野インターへ向かった事だってある。
ただ、久々なのが不安。下手すると数年ぶりだ。橋本(竜太郎)不況に97年8月に突入して以来、さらにタクシーの規制緩和(つまりタクシーの車両数増大)がタクシーの構造不況を加速して以来、ロングは週に一回あるかどうかになってしまった。
習志野出口の風景も思い浮かばない(通常、運転手は、お客さんに目的地を告げられると、そのルートを瞬時に絵に描く。交差点の光景、曲がり角のコンビニ、ガソリンスタンド、ビル等等。
逆にあまりなじみのない目的地だと脳裏に何も描けず不安である。緊張する。まして、習志野出口で降りるのはともかくとして、稲毛海岸駅が降りてからどの方角にあるか分からないのだ。大概、高速の出口を出ると幹線道路につながっているのだが、右方向と左方向に枝分かれしている。そのどちらかを選んで走る。
習志野出口の光景はどうだったっけ。ダメだ。全然、光景が浮かんでこない。数年も前のことじゃ、無理だよな、オイラには。
道は空いている。渋滞には全く嵌らなかった。正直なところ、渋滞したら、地図などを見ることもできるのだが、幸か不幸かスイスイと走ったので、呆気ないほど早く習志野出口に至ってしまった。以前なら料金所で清算する際に料金所の小父さんに尋ねることもできたが、今は文明の利器ETC装置がある。無人の料金所ボックスの脇を二十キロ程度のスピードでさっさと通り抜けていくだけである。
ETC装置ができて便利になった反面、不便あるいは危険になったこと点が幾つかあるが(特にオートバイに関して)、料金の支払いの際、小父さんにちょっと道を尋ねるなんてことができなくなったのは痛い。
習志野出口を出た。
出たのは当然である。出ないことには先に進めない。が、オイラ、稲毛海岸駅が分からないのだ。幸いなことに出口を出て幹線道路に合流しても、道が枝分かれしていないので、右と左のどっちの道を選ぶかという悩みに直面する事態は避けられた。
が、それも一時しのぎに過ぎない。案の定だ。前方を見ると、幹線道路が立体交差になっている。このまま直進すべきか。立体交差する上の道へ上がるべきか。あるいは可能性として稲毛海岸駅が実は習志野出口を一旦、出てから所定の交差点でUターンしないと行けないということだって考えられる。
どうする。さあ、どうする。さあ、さあ。
そんなせかさないでよ。
お客さんは寝入っている。起こすのはまずい。
こんな時は、過去の経験からして交差点の手前で車を止め、地図を見る。それしかない。都内の地図なら詳しく記載されているが、他県だと大まかな地図しか載っていない。都内の地図と同じほど詳しい地図を千葉、埼玉、神奈川と所載しておくのも困難である。
こんな時はカーナビが欲しくなるね。
老眼鏡を取り出し、地図を見る。車を止めている間も時間料金が嵩む恐れがあるので、できれば数十秒のうちに道を割り出し、さっさと走らせないといけない。
稲毛海岸駅はと…。
なるほど、位置は分かった。でも、大まかな地図なので交差点の名前が分からない。どうやら浅間神社交差点があるらしい。交差点のしるしである信号機のマークがないが、きっと信号機のある交差点なのだろうと推察する。
心臓はドキドキ。おおよその方向は分かったが、曲がる交差点に確信が持てない。あ、信号機のある交差点だ。どうする、曲がるか曲がらないで、もう一つ先の交差点がいいのか。
でも、数十メートル先の交差点の看板を見ると、浅間神社何とかと書いてあるようだし(近場はともかく遠目は自信がある)、曲がることに決断。
ああ、でも、この交差点でいいのかと、右折のレーンに入って対向車の行き過ぎるのを待ちながら不安の念で一杯。一箇所でも交差点を間違えると、馴染みのない町だと、住宅街などに迷い込んで北も南も分からなくなる恐れがある。そんな苦い経験がないわけではない。
あれ、警察署がある。地図には載ってなかったぞ。まずい、不明だと感じたらすぐに車を止める。地図を見る。やはりだ、地図には警察署なんて載ってない。というか、大まかな地図だから、余程大きな建物でないと載せるはずもない(警察署が小さいかどうかは分からないが)。
と、やや前方にコンビニが見えるではないか。困った時のコンビニである。開いてて良かった、のコンビニではないか。
車を止めて、コンビニに駆け込んで稲毛海岸駅への道を尋ねる。「二つ目の信号を左へ」と教わり、復唱する。
二つ目だな、二つ目を左に、と、なんだよ、二つ目の信号はT字路で、右折しか出来ないジャン。
ああ、右折と左折を聞き間違えた。そんなはずない。じゃ、店員さんが言い間違えた。それは大いにありえる。実際、お客さんを乗せて住宅街を走る際、最後はお客さんの指示を仰ぐことになる。なんたって住宅街のお客さんの家まではいくらなんでも分かるはずもないし。
そんな時のお客さんの「そこを右へ」という指図はうっかり鵜呑みにすると危ない。右という言葉と実際の右方向が合致しているとは限らないのだ。右と左の言い間違えは経験上からして実に多いのだ。
だから、小生はお客さんが右と言ったら、かならず「右ですね」と復唱すると同時に手で右を指す。言い間違えがあれば、小生の手の向きを見て、「ああ違う、左でした」となるのだ。
さて、右を曲がるべきか。でも、小生はコンビニの中で信号を左へと復唱して確認している。それと地図を見た際の方向感覚からして左が正しいと告げている。
もう、真っ暗闇の中、ヘッドライトが小生の不安さを示すようにやっとのことで道を照らし出している。
走る。でも、駅が見えない。ああ、やっぱり間違いか…、と思った瞬間だった。スーパーの看板が淡くライトアップされている。某大手スーパーの店舗が見えたってことだ。スーパーがあるってことは駅があるってことだ。
でも、油断は禁物である。駅を一つ間違えているってことだってありえる。それに目的地はJRの稲毛海岸駅だが、京成の稲毛駅だって事だって最悪、ないわけじゃない。
車は次第に駅に近付いていく。駅前だってことは間違いないようだ。それまでの団地群の風景とは明らかに違うし。
問題は駅の名前だ。老眼の目を凝らして(つまり遠目を利かせて)駅名を探すが、改札口はビルの陰になって今いる交差点からは窺い知ることができない。分かるのはまっすぐ進むと駅の裏手の駐輪場の辺りになる。大きなロータリーに行くには右折しないといけないということ。
右か左かの分岐点。そんな時は無闇に突き進まないこと。
えーい、あとはお客さんが頼りだ。
車を路肩に寄せる。
「お客さん、大丈夫ですか。駅ですよ。」
「ん? んん?」
「駅ですよ。えっと、どっちに曲がりましょうか。」
オイラ、不安である。お客さんがちゃんと起きてくれるかどうかも不安だが、さて、目覚めてくれたとして、ここは何処だとか、駅が違うぞ、などと言われる可能性が未だ残っている。
「ああ、そっちだ。まっすぐやってくれ。」
おおーである。快哉を叫びたい気持ちだ。間違いなく来たんだ。ここでいいんだ。しかも、どうやらお客さんの自転車が止めてある駐輪場の真ん前に来ることができたではないか!
カードで支払いを済ませる。
あとは一路、東京へ。運転手がホッと息を抜ける僅かな貴重な時。お客さんを目的地に無事に下ろし、東京へ戻る回送での走行の時間は、休憩時を除けば、リラックスできる唯一の時間じゃなかろうか。
それに、この売り上げで、4万円を越える、つまり足きり達成も確実となったし。
ということで、せっかくなので稲毛海岸関連のサイトを幾つか載せておく:
「観光ガイド 稲毛海岸」
ここでは、「稲毛と稲毛海岸 両者は町の区割りとしては隣接していますが、中心地はかなり離れています。稲毛海岸はその名前通り昔は海岸でしたが、現在は埋め立てが進み海岸はずっと先になります。一般に稲毛海岸というと、いなげの浜や海浜公園周辺を指します。」と基本的な大掴みの知識のほか、「いなげの浜」「稲毛民間航空記念館」「千葉市花の美術館」「千葉市稲毛ヨットハーバー」などが紹介されている。
「稲毛海岸 ぶらり街さんぽ ホームガイド YOMIURI ONLINE(読売新聞)」
ここでは、井上理江 (いのうえ・りえ)さんの案内で、「海を望む眺望抜群の穴場スポット 地元マダムご用達の「カフェ・ガッシュ」」(「近所の奥様らしき女性たちが数組、おしゃべりを楽しんでいた」というけど、さぞかし素敵な奥方さまたちがたむろされているんだろう)や、「「神谷バー」創始者の別荘で大正時代の稲毛の浜に思いを馳せる」などを紹介してくれている。
「「神谷バー」創始者の別荘」とは、「旧神谷伝兵衛 稲毛別荘」で、「神谷伝兵衛とは、デンキブランで有名な浅草の神谷バー創始者」だというが、小生、さっぱり分からん。
神谷伝兵衛も知らないが、デンキブランとは何じゃらほい。電気ブラシのことか?
幸いネット検索という強い武器がある。「神谷バー デンキブランとは」という小生のためのサイトが浮かび上がってきた。
冒頭に「神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ百年の歳月が流れています」とある。カクテルの名前だって!
「電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです」というのだ。
ある程度、年輩の人なら知っているのかもしれない。
稲毛海岸については、さらに(既に上でリンクを貼っておいたが)、「京成稲毛~稲毛海岸のウォーキング」が覗いて楽しい。
「千葉市民ギャラリーいなげ・旧神谷伝兵衛別荘」のほか「愛新覚羅溥傑仮寓」などがあるようだが、今となっては「中国の清朝最後の皇帝・溥儀の実弟にあたる愛新覚羅溥傑」と聞いても、ピンと来る人は少ないのかもしれない。
いつか、「稲岸公園」や「稲毛海浜公園」を散歩してみたいものである。
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コメント
何はともあれ、5万円ほど違うのですか。大きいですね。タクシーの運転手と話した時にナヴィの話をしました。新車にする時につけて欲しかったと。
車を止めるまでに業務無線でオペレーターに指示を仰ぐなどはしないでしょうか?私もナヴィをつけていても目的地の住所が分からない事も多く、時間に追われて道を尋ねる事は多いです。その時に町の構造とか一般的な風景の予測は参考になりますね。勿論、隣町と間違っていたりというケースや例外はよくありますが。
投稿: pfaelzerwein | 2006/01/24 20:32
さすがです、pfaelzerwein さん、足きりを越えるかどうかでドライバーの月収に5万円の違いが一気に出てくるのです。
小生など、不器用ですし、不勉強だし、事情があって平均すると月に一度は帰省のため仕事を休むので、結構、足きりがきついノルマとなってます。情けない。
今は分からないのですが、入社当時は無線は配車のために使う、道を尋ねるのに使うのはダメだと言われてました。
それと車内で喋ればお客さんを起こすことになるし。
カーナビ、会社で導入を検討したけど、導入してもその投資した分に見合う増収が他社では得られていないというトップの判断で昨年、見送ったとか。
ま、経営者に現場の実情は見えないのでしょうね。
小生、入社した当時は(新人の頃、また、カーナビが珍しく持て囃されていた頃)早速、カーナビを購入し、使いました。当時は性能が悪く、曲がり角を曲がっても画面がなかなか実際の走行に追いついてくれなかったこと、渋滞情報にタイムラグが大きかったこと、それと高速道路が一般道の上を走っている場合、画面の渋滞の表示が高速道路か、下の一般道か判別が難しかったこと、幹線道路の渋滞情報は一応は表示してくれるけど、裏道・小路の小さな工事による渋滞は教えてくれないこと、住宅街の道が一方通行なのかどうかを表示してくれないこと、などにより使い勝手が悪く、お役御免となり、今では自宅でのテレビとして鎮座しております。
投稿: やいっち | 2006/01/24 23:20
なるほど「ルートを瞬時に絵に描く」これがプロなのですね、交番やコンビニはいい目印なのですね。
ところで僕は川崎から世田谷にタクシーを頼んだとき、運転手が不機嫌になりました。
要は別の県に行ってそこでお客さんを乗せることを禁じられているのですね、帰りは乗車拒否じゃないけど都内では客を拾ってはいけないーそれで不機嫌になったことが判明。
こういう運転手はプロといえるのですか?
投稿: oki | 2006/01/24 23:35
oki さんは結構、タクシーを利用されるのですね。
「ルートを瞬時に絵に描く」のは、行く先をお客さんに聴いても(復唱はするのだけど)お客さんとお喋りしたり、何か聴かれたりするうちに、ふと忘れたりすることがあるのです(めったにないけど、あった!)。
走るべき道を脳裏に描き、あとはその画像(イメージ映像)通りに走る。交差点は右折可能か、渋滞はどうか、時間的に他のルートをはっ知ったほうがいいのかどうか、あれこれ考えることがたくさん運転手にはあるのです。
コンビニやガソリンスタンドはいい目印なんだけど、開店や休業が多くて困るのも事実。
営業区域以外では基本的にお客さんを乗せてはいけない(営業してはいけない)のは原則です。そうでないと他府県の車がドンドン東京に参入するかも。
でも他府県(他の営業区域)へ走るからって不機嫌になるって不思議。それなりの距離も走るんだし。
いずれにしたって、お客さんに不機嫌な顔を見せるのは論外です。今の時代、乗ってもらえるだけでありがたいと思わなきゃ!
投稿: やいっち | 2006/01/25 01:53
こんにちは~緊迫した場面、ダーっと読みました(笑)
車に乗らない私は、道案内は非常に苦手。歩いてる時に車から道を聞かれても(あれ?あの道は車通れたっけ?)と思い出せない。自転車の道なら判るんだけど(^_^;)
やいっちさん、折角御投稿頂きましたが、子供も見る事があるので見送らせて頂きます。すいません~~m(__)m
投稿: ちゃり | 2006/01/25 13:31
ちゃりさん、お急ぎですね。風景を眺める余裕はないよね。
というか、道は難しいです。地図を眺めると分かるだろうけど、人間で言えば大動脈からさらに毛細血管まで縦横に血管が廻っているように、道路も人がいるところへは何処へも入り込んでいるのです。
投稿、没、了解です。
投稿: やいっち | 2006/01/26 08:36