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2006/01/14

嫁が君…招かれざる友

季題【季語】紹介 【1月の季題(季語)一例】」を眺めていて、前から気になっていた季語がある。表題の「嫁が君」である。「新年のねずみの事」というが、一体、なんのこっちゃやら。
「冬・新年の季語」の「嫁が君」なる項を参照させてもらうと(「こっとんの部屋」より)、「これは「新年」の季語です。いかにも初々しい嫁の様子などが浮かびますが、その実体は「ねずみ」です。いつもは追い回される存在が、正月の三が日に限っては新年を寿ぐところから、このように呼ばれるのだそうです」とあり、「あくる夜のほのかにうれし嫁が君   其角」なる句が添えてある。

 この句「あくる夜のほのかにうれし嫁が君」については、野暮ながら若干の鑑賞を紹介しておく。
 「続猿蓑下巻春の部脚注」によると、「正月に合わせて嫁に来た花嫁。改めて正月に披露され、嫁といわれる白々と明ける初夜のあかりのうれしさ、という艶っぽい意味も裏に隠されているらしい」とか。

[ 花鳥風月 ](「花鳥風月【日本の伝統ミュージアム】」参照)の冒頭にある「嫁が君(よめがきみ)【正月の季語】」によると、「新年には祝う心で、忌み言葉として使わないものがあり、呼び名を変えて使っていました。例えば、雨や雪を「御降(おさがり)」、寝るを「稲積む」としていました」ということで、さらに、「ネズミは、日常生活でもっとも身近な存在として、嫌われてもいたし、親しい動物でもあったのは、様々な民話にも表れています。大黒さまの使いとされ、正月にもてなす習慣がありました」という。
 ここには、「餅花やかざしにさせる嫁が君   松尾芭蕉」なる句を載せてくれている。

 大黒さまの使いとされるネズミについては、干支との関係で以下のサイトの「子(ねずみ)」の項が詳しい:
講演会「十二支と日本人」

 ネット検索してみると、小生には珍しいばかりの季語「嫁が君」であるが、それでも「ぬば玉の寝屋かいまみぬ嫁が君   芝不器男」や「嫁が君家中を緑が走る   堀之内長一」、「築三十年うぐいす張りと嫁が君   野分」などが見つかる。
 いずれの句も正月の句だからということもあるのだろうけれど、敢えて苦手な鑑賞などしないけれど、鼠をさしていう忌み詞である「嫁が君」なる言葉を使っているだけに、何かユーモラスだったり正月らしく華やいで浮き立つような雰囲気が漂っているような。

 金子兜太の「自由の語の頼もし恐ろし嫁が君」に寄せた田中空音氏の鑑賞も楽しい。

三省堂 「新歳時記」 虚子編から 季語の資料として引用しています。 1月の季語」(「よっちのページ」より)を覗かせてもらうと、「嫁が君出て貧厨のめでたさよ   孤峰」「内陣を御馬駆けして嫁が君   月尚」「連なりてがてんがてんや嫁が君   駒吉」「三寶に登りて追はれ嫁が君   虚子」「嫁の君天井裏でデートかな   よっち」などを見つけることができた。
 この季語は結構好まれ使われているようだ。

 小生がガキの頃、土間などの隅っこに小さな穴が開いていて、不審に思っていたら、父が「それはネズミの作った穴だ」などと教えてくれた。
 なるほど、そうだったのかとそれから注意して土壁の角などを見るようになった。
 すると、あるはあるは! である。
 もっとも、ある日、中にはヘビの作った穴もあると言われて、それからは穴が不気味に思えて目線に入りそうになると、慌てて目を逸らすようになった。

 思えば、我が家に昔いた愛犬も、ネズミ要らずを誤って食べて死んでしまったのだとか。小生が物心付いたかどうかの頃の事件だったようである。犬がいたのを小生は覚えているような覚えていないような。
 なんとなく秋田犬っぽかったという記憶というか印象があるが、後日、そんなふうな犬だったと誰かに説明されて、逆に脳裏にそうした<映像>が刻み込まれたような気もする。
 我が家はその事件に懲りて、犬も猫も飼わなくなった。
 ただ、ネズミを捕らえる金網を土間で幾度となく見たのだけは鮮明に覚えている。ネズミが捕まった様子は見ていないはずなのだけど、その網がやけにおどろおどろしいように思えたのだから、小生、余程の臆病者だったに違いない。


嫁が君見たはずなれど夜目が君
嫁が君かく呼ばれても君は君
嫁が君居れば邪魔だしなきゃ寂し
嫁が君招かれざるを知って出る?

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コメント

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何たって、今年はネズミ年。
「嫁が君」が「ネズミ」にちなむ季語だってことはあまり知られていないかも。
俳句でネズミ絡みの季語って他にあるのだろうか。

一般家庭にはネズミはあまり見られない?
でも、六本木とかを歩くと、夜陰に紛れてネズミがササーと駆け抜けていくのを見かけることがある。
大きなビルもネズミ対策は大変だけど、不可欠だって。ネット社会も、要は電線とケーブルで繋がっているからね、ネズミに線を齧られちゃ困る。
最先端の技術と通信の命であるケーブルもネズミにとっては、齧る恰好の玩具に過ぎないってことか。

ネズミは現代においても、人間と共に生きているってことなのだろうな。

投稿: やいっち | 2008/01/06 03:22

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