たばこの日 たばこの火
昨夜、滑稽な、でもどこか哀れでもある場面を仕事中に見た。
時間は夜中である。とある場末に近い駅前。
ある酔漢が自動販売機で煙草を買おうとしている。ところが、よろつきながらも、彼なりに気合を入れ神経を集中させて千円札を入れ口に押し入れようとするのだが、機械は一向に受け入れてくれない。
酔っ払いは手にしている札をすぐ近くのコンビニの明かりで照らして間違いなく千円札であることを確認。また、販売機へも顔を間近に寄せて札の投入口であることを確認。
そして千円札を入れようとするが、やはり弾かれる。
仕方なく、その札を仕舞い、他の千円札を取り出し再チャレンジ。
昨日は幾分、寒気が緩んだとはいえ、真冬である。その酔漢は背広姿でコートを羽織っていない。他人事ながら寒そうだ。
本人は酔っ払っていて寒さに鈍感になっているのかもしれないが。
言っておくが、缶ジュースなどの自動販売ではない。ちゃんと煙草の自動販売機なのである。
ただ、上記したように深夜11時どころか夜中の2時頃だったのだ。
そう、夜中は煙草の自動販売機は使えないようになっているのだ。
そもそも自動販売機の明かりも消えている。それは顔を寄せてみなくたって遠目にも分かる。
夜中だってことが酔漢には分からないのか。あるいは時間の感覚が飛んでしまったのか。
大体、自動販売機はコンビニの脇にある。そのコンビニは煙草も酒も売っている。
小生、余程、車を降りて教えてやろうかと思ったが、困っているといっても、酔漢である。煙草を買う手伝いをするのも心苦しい。
ただただ、背広を着た男の懸命な後姿を見て、ああ、煙草を吸いたい人は、何が何でも煙草が欲しいんだろうな、と思っていた。
車中でラジオを聴いていて教えられたのだが、今日、1月13日は「たばこの日」だそうな。
なんでも、「1946(昭和21)年、高級たばこ「ピース」が発売された。当時、10本入りで7円で、日曜・祝日に1人1箱だけに限られていた。」とのこと(「1月13日 今日は何の日~毎日が記念日~」より)。
なので、別名「ピース記念日」。
「ピース記念日」とあるのを読むと、平和(ピース)を祈念する日であるかのようだけど、あくまで煙草の「ピース」が発売された日を記念しているわけである。
小生がガキの頃は父が吸っている煙草は、その時期によって決まっていて、 「しんせい」だったり「わかば」だったりしたようだけど、「ピース」の時期もあったように記憶する(小生のガキの頃のことで、断定はしかねる)。
多分、一箱に10本入りの「ショートピース」を愛用していたような。ただ、50本入りの缶入りのピースも奥の座敷の座卓の周辺にあったような記憶(これも曖昧)もある。
たばこにいつからフィルター装着が当たり前となったのかは分からないが、少なくとも数十年の昔は、たばこというと「両切」で、吸っていると、煙草の葉っぱが口中や唇に零れだして来る。
誰の吸う様子を眺めたのか、これも定かではないのだが、箱や缶から煙草を取り出すと、まずは煙草をテーブルや煙草の箱に向かってトントンとやって、煙草を吸う前に(口に持っていく前に)こぼれそうな煙草の葉っぱを予め落としてしまっていた、そのようすが別に恰好がいいわけではないのだが、妙に気になる仕草であり、いつかは自分でもやってみたいとガキながら思っていた。
煙草はドンドンと新製品が出されていったが、小生が高校生の頃はハイライトが目立っていた。
実を言うと、小生が初めて吸ったのもハイライトだった(但し、ガキの頃に悪戯でこっそり吸う真似をしてみたが、そのあまりの苦さやきつさに辟易してしまった!)。大学に合格しホッとしてしまって、腕時計や万年筆などを入学祝に貰い、ちょっぴり大人の気分になってみた。
そうして、さすがに高校卒業直後の春休みには自宅では吸えなかったが、友人らと繁華街の喫茶店に集まった時など、珈琲を注文し、その際、煙草はなくてはならないものになった。
燻らす煙草の紫煙が目に痛かったり、口に苦かったりして、珈琲の味だって慣れない煙草の苦味で微妙に不快なものに成り代わったはずだけれど、その苦さと渋みとが相俟っていよいよ自分も大人の仲間入りだと生意気ながら感懐深く感じていたのだった。
吸い出した最初の頃はハイライトだったが、ちょっときつすぎて、すぐに当時、出始めていたマイルドセブンに切り替えた。
当時は、煙草の有害さもさほど知られていないし、そもそも研究も(海外は知らないが)日本ではそれほど盛んではなかった。まして肺ガンその他のガンとの関連、受胎した子供への影響、受動喫煙や、主流煙よりもむしろ副流煙のほうが有害だといった問題など話題にもならなかった。
それよりも、テレビにしろ映画にしろ、ヒーローが煙草を吸うのは当たり前だった。
(明治時代、その名も「ヒーロー」という煙草が売り出されたことも。)
というより、映画スターなどのヒーローになるには煙草をいかに格好良く吸うかに大きく関わっていたとさえ言えた。
煙草を小道具に使っていた(というイメージの濃さの点での)日本での典型はなんと言っても石原裕次郎だろう。
暗黒街にあって、敵と孤独な戦いをするのに煙草は不可欠だった。否、主役だけではなく、敵役、暗殺者だって、電柱の陰に潜んでターゲットの到来を待つ。その際、神経の苛立ちを押さえるためか、次々と煙草に火をつけ吸い半端に吸っては投げ捨て革靴で踏み潰す。
ヒーローにしろ悪漢にしろ、燻らしていた煙草を投げ捨てるのが行動開始の合図乃至は切っ掛けのようになっている。情や未練やしがらみを断ち切り、あるいは俗世間との離間を自らに踏み切らせるためにも、口に銜えていた煙草を路上へ無造作に投げ捨て、それだけではなく、靴の裏で踏み潰して紙で巻いた煙草の中身をも、つまりは腸(はらわた)すらもグジャグジャに崩してしまう。
そういえば、ガキの頃、好きで読んだり観たりしていた漫画の「エイトマン」は、なんと煙草を吸う!
但し、実際は、「エイトマンは電子頭脳のオーバーヒートを抑えるために、ベルトのバックルに収めてあるタバコ型強化剤を定期的に服用しなければならず、時には服用できずに危機に陥ることがあった」のであって、本当に煙草を吸っていたわけではないのだが、子供にしてみたら、大人が燻らす煙草も、つまりは電子頭脳ならぬ頭を沈静化させる特殊で有効な何かに映っていた、そのことと相関させざるをえない。
煙草と言うと、池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』も逸するわけにはいかない。毎回のドラマに必ず登場する長谷川平蔵の奥方の手料理などの「おしながき」、平蔵愛用の湯呑み茶碗、そして父の形見の銀煙管(キセル)!
平蔵は思案に暮れる時、寝床でさえも煙管を燻らす…。
煙草を気兼ねなく吸えた時代、一家の大黒柱だけが堂々と吸って周囲を文字通り煙に巻いていた時代。親父というと、ガキの頃、怖かった父の傍に何かの折に近づくと、着ている背広や和服には、それどころか手など体にさえ煙草の匂いが染み込んでいて、煙草イコール親父、だったりする、そんな時代。
ドラマのシーンを演出するには恰好の小道具である煙草。
そんな煙草を格好良く小道具に使うヒーロー像は様変わりした…と思いたいが、最近は格好良く煙草を手にするヒロインがドラマに登場する場面を目にすることが多くなってきたような。
女性進出の象徴として、男もすなる(吸うなる)煙草を女もすなる(吸うなる)ということか。ちょっと安易な女性像の描き方のような気がする。
小生は約6年間、喫煙していたが、一時、煙草の趣味が昂じて葉巻きに手を出してしまったりして、本代にも事欠くのにどうして煙草を買っちゃうんだろうと我ながら情けなく思ったりした。
といってもヘビースモーカーでもチェーンスモーカーでもなく、一日に吸う本数はせいぜい30本だったと思う。
その小生が煙草をやめたのは大学生活も最後の年の春。前年に虚構作品を卒論として提出して撥ねられ、留年し無理やり拵えた論文モドキの卒論がお情けで受理されて卒業見込みとなり、いよいよ仙台の地から東京へ出て行こうとしていた。
それには引越しのカネが要る。
恐らく一月の終わりか二月の初めだったろうか。時間も出来たので、長期のアルバイトに携わることにした。頭脳労働は苦手の小生、アルバイトというと必ず肉体労働である。ちょうど一ヶ月という期間のアルバイトを(学校で)見つけた。
ところが、アルバイト口が見つかったはいいが、体を壊してしまった。
風邪…。
しかし、それまでだってこの小生も風邪くらいは引いたことがあるが、あれほどひどい風邪は経験したことのない性質(たち)の悪いものだった。
学生時代の最後の数年は下宿ではなくアパート暮らしだったのだが、栄養が偏っていたのか、風邪が一向に治らないし、ちょっと快方に向かったかと、歩いて十数分の商店に行き、即席ラーメンなどを買うのだが、その往復の間に真冬ということもあってか、一気に風邪をこじらせてしまい、アパートに帰り着く頃には息も絶え絶えになっているのだった。
冷たい風がまるで障子紙に水の染み透るように体に染み込む。気持ちでは身構えていて寒さに立ち向かおうとするのだが、まるで抵抗力が失われていて、とうとう一ヶ月ほども寝込んだ。
寝込みつつも、上京する資金が要る。無理を押して建設現場でのネコ車を使っての坂道でのセメント運びなどをやったが、まるで体に力が入らない。
咳は止まらない。鼻水が出る。ひょろひょろの体でこしらえた即席ラーメンがまるでロウで作った見本みたいに不味い。
体力が空っぽだった。
そんな状態が一ヶ月ほど続いたのだ。
アルバイトを予定の期間、遣り通したかどうか覚えていない。
予定のカネが得られず、学生時代に買い集めた本をダンボールに二箱ほど古書店に売り払った。当時は、新しい本だったら低価の4割ほどで売れたので、なんとか軍資金は集められた。
さて、二月の終わりだったか三月の初めだったか、アルバイト(期間)も終わり、同時に(だったかどうか分からない)体も癒えて来て、いよいよ上京の期日が近づいた。
とはいっても、まだ昼間も養生していて用事を果たす時以外は寝床を離れられなかった。
小生はその臥す寝床で最後の一服を手にしていた。天井へ舞い上がる紫煙。手元の煙草の小さな火。
平蔵とはまるで違う状況ではあるが、寝床で煙草を燻らせながら、卒業そして上京の時を記念に煙草を止めようと決断したのだった。
そんな時でもないと煙草はなかなか止められなかったと思う。
(他にも煙草をやめた切っ掛けはあるが、ここでは略す。確か、何かのエッセイで書いたはずだし。)
幸いにして、それ以来、四半世紀以上は経過しているが、煙草と縁を切ってからは1本は覚えているが2本を吸ったかどうかは覚えていない(多分、吸っていない)。
尤も、受動喫煙や副流煙は、仕事柄、嫌というほど吸わされている! なかなか、煙草とはきっぱり絶縁とは行かないようだ。
(注)煙草の有害性については、「「煤払」…末期の一服」などを参照のこと。
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コメント
父が肺がんで死んでたばこは僕もおさらばです。
今は「たばこと塩の博物館」くらいかな。
で今日案内が届きました、企画展示は「明治のたばこ王 岩屋松平」とか、薩摩川内市歴史資料館というよく判らないところが協力とか。
夜中たばこ買えないようにしても、親父から頼まれたといって中高生も昼間かってためれば言い訳で意味ないようなー。
個人タクシーで「禁煙車」を掲げる車増えましたね、弥一さんどう思われますかね。
投稿: oki | 2006/01/14 23:47
なるほど、たばこの害は他人事じゃないのですね。小生も、一家の主の長年の喫煙が副流煙として連れ合いの母体に影響し、遺伝子が傷付き、身体的異常(障害)を抱えた子供が生まれてしまう、そのケースに一方ならぬ関心があります。
それはそれとして、煙草も長い歴史があるので文化の面であれこれ調べたり育成の経緯を辿るのは楽しそう。
個人タクシーに限らず、タクシーの禁煙車化の問題は本文にもリンクが張ってありますが、以下を参照願います:
「「煤払」…末期の一服」
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/12/post_0780.html
投稿: やいっち | 2006/01/15 06:45