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2006/01/18

雑煮…ぜんざいの話

 昨夜、仕事中、というかお客さんを求めての待機中、暇の徒然というわけではないが、ラジオに耳を傾けていたら、「ぜんざい」の話が聞こえてきた。
 もっとも、「ぜんざい」の話題はほんの一部で、松江(市)の正月などにちなむ風俗・習慣・風習をあれこれと語っておられたようである。
 さすがに仕事中なので待機中だと神経は常に左のバックミラーなどに集中している。お客さんが車のドアサイドに立って、万が一、ドライバーたる小生が気が付かなかったら、ドアをトントンと叩いたりするのだけれど、できるならばお客さんがドアに近付いたら、お客さんにドアを指などでコツコツされる前に、サッと開けたいのである。
 だから、本を読んだりしてもラジオ(大概が音楽、天気・交通情報)に聞き入っていても、神経は左サイドにあるわけだ。
 だから、ラジオではインタビュー番組は最初から選ばない。どうせ、聞きかじりに終わるのが目に見えているからだ。話を聞いていてつまらなければ困るし、さりとて面白いと感じて聞き入っても、そんな時に限ってお客さんがいらっしゃる。
 当然、ラジオはオフにするか、音楽などの無難な番組(局)に切り替えることになり、話が途切れてしまうことになる。だったら、初めから聞かないほうがましだ、となるわけだ。
 
 それに車中では他にやることがいろいろある。前のお客さんが煙草を吸われる方だったら、窓を半開にして空気を入れ替え、灰皿の吸殻を持参したビニール袋に移し変え、さらにコンソールボックスに仕舞って、とにかく匂いの元を消し去る。
 あるいは短距離のお客さんをコツコツ拾うタイプの営業をしている小生なので、手元の小銭入れ(容器)に10円玉、50円玉、100円玉と分類して収めてあるのだが、それらがドンドン減っていってしまうので、別の場所に準備してある小銭を取り出し、手元の容器に小銭の種類ごとに分け収める。
 時にはお八つを食べることもある、云々。
 結構、あれこれ忙しいわけである。仮眠まではいかなくとも、目を半開にして、視覚神経を休めることも時には必要だし、待機中に体をリラックスさせておくことも大切な車中での要件だ。

 さて、やっと本題だ。

 ネットで調べてみると、番組はNHKラジオの「深夜便」、さらにその中の「日本列島くらしのたより」であり、語り手(インタビューされている人)は、「お城とまちづくりを考える会」の石原幸雄氏(島根県松江市)、アンカー(インタビュアー)は須磨佳津江さんだった。
 テーマ名は何か分からない(聞き逃した)。まあ、上記したように松江(市)の正月などにちなむ風俗・習慣・風習のあれこれである。
 いろいろ興味深い話もあったが、ここでは「ぜんざい」に絡む部分だけ、ネットで情報を補強しつつメモしておく。

「ぜんざい」は、実は本来は松江辺りが発祥の地であり、しかも、本来は「神在」と表記するのだ、という話に少々驚いたのだった。
市報松江1月号」の「レポーターコラム 八百万の神集うお忌祭りとぜんざい発祥の地」を覗かせてもらう。
 この頁の冒頭に「出雲地方では、旧暦の10月を神在月(かみありづき)と呼び全国各地から八百万の神々がお集まりになるという事は皆さんご存知かと思いますが」云々とある。これはさすがに小生も知らないではない。
 以下、恐縮ながら中村安都子さんのレポートの途中は省略させていただく。せっかくのレポートなので全文を転記したいがそうもいかないだろう。長くは無いので、是非、サイトを覗いてみてほしい。レポーターの方も含めて、「神在祭の様子」などの画像もあるし。
 ここからが本題に関わる記述で、「私の住む鹿島町の佐陀宮内にある佐太神社では、古来より神等去出(からさで)の日にお供えされた小豆と雑煮餅を作り再び神前に供えていました。それを「神在餅(じんざいもち)」と云いこれが転化して「ぜんざい」になったと言われています」とある。
 さらに、「このことは江戸時代の松江藩の書物「雲陽誌(うんようし)」や「祇園(ぎおん)物語」などその他いくつかの古文献に記述があることから「佐太神社はぜんざい発祥の地である」ともいわれています」とも。

 あるいは、「MSN-Mainichi INTERACTIVE 毎日小学生新聞」など参照。

 但し、念のために書き添えておくと、「とてもおいしい善き哉餅だから善哉と書いて「ぜんざい」と言う説もあるよう」だが、こちらの説は小生も知っていた。そのように理解されている方も少なからずおられるだろう。また、そんなものかなと思って、鵜呑みにするばかりだった…。

 上で「松江藩の書物「雲陽誌(うんようし)」や「祇園(ぎおん)物語」」などの古文献が出てくる。
 これについては「彩・祭・歳時記の「神在祭とぜんざい!」」が詳しい。

 但し、「山陰中央新報 - (6)お雑煮」を覗くと、その末尾に、「ぜんざい」は「「神在」が関係か」という項目があって、「寛永年間(1624-1643)の「祇園物語」に「出雲国に神在もちひと申事あり」と書かれています。「赤豆をにて-餠(もち)を入まいらせ」との記述も。また、1717年の「雲陽誌」の佐太神社(島根県鹿島町)に関する記述にも「神在餠」が出てきます。」とした上で、「ただ、品川さんはくぎをさします。「正月というハレの日に『ぜんざい』という可能性はありますが、決定的なものではありません」。謎は深まるばかりです。」とされている(品川さんとは、品川知彦島根県古代文化センター主任研究員のこと)。
 まだまだ探求の余地はありそうである。

 ところで、昨夜の石原幸雄氏の話にもあったが、松江の「お雑煮」は通常、われわれが思い浮かべる雑煮とは、やや(随分?)違うもののようだ。
 同じく、「山陰中央新報 - (6)お雑煮」によると、正月に食べる雑煮「中で、主流を占めているのは、岩ノリ(かもじノリ)を入れた「澄まし雑煮」。そして「小豆雑煮」。いわゆる「ぜんざい」ですね。」というのだ。
 「ぜんざい」が雑煮?!

 というか小豆を赤に、御餅を白に見立てた紅白で正月らしく目出度いということ、その雑煮を正月に食べるのだが、松江は他の地域が神無月の時には神在月となるという特殊な地。
 なので、「雑煮」を「神在」と称し、当初は「じんざい」だったものが「ぜんざい」に転訛した、という理解が穏当のようだが、まあ、必ずしも論旨が流暢ではない。
 頭の中はすっきりしないのだとしても、ま、ぜんざいとしか思えない雑煮を食べて、お腹のほうを満たしておくのがいいようだ。

 最後に「雑煮」は、「季題【季語】紹介 【1月の季題(季語)一例】」のうちにある。

 ところで、「さきわいみゅーじあむ」の「今月の季語 雑煮(ぞうに)」に気になる記述を見つけた。
「「貞丈雑記」によると、雑煮の本名!は「ほうぞう」というらしい。臓腑(内臓のことですね)を保養するという意味だそうです」というのだ。本当だろうか。疑うわけじゃないが、今はもう疲れたので、この点については探求しない。将来の課題に残しておこう(誰か、調べてみてほしい)。
 ただ、しばしばお世話になっている「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています。 1月の季語 雑煮(ぞうに)
」なる頁(項目)を覗くと、「「貞丈雑記」に雑煮の本名をほうぞうといふとある。臓腑を保養する意である。三ヶ日毎朝餅を羹にして神佛に供へ、一家挙つてこれを食うべて年を祝う。海山さまざまのものを投じて食べるので雑煮といふ。」とある。
 ここには、「長病の今年も参る雑煮かな  子規」「一学系を率いて食う雑煮かな  虚子」などの句も載せてくれていて、ありがたい。


これからはぜんざい食って雑煮かな
年取って餅の数減るお椀かな

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