竜の玉探し
もうすぐ一月も終わりである。早い! ついこの間、新年を迎えたばかりのような気がするのに。一体、小生、この一ヶ月、何をやっていたんだろう。
一月の季語表を眺めるのも、僅か。改めて、「季題【季語】紹介 【1月の季題(季語)一例」を一覧してみると、昨年の一月、この一月と、結構、採り上げたつもりだけど、それでも本年も触れずに年越しとなりそうな季語・季題がまだまだ溢れている。
← 紫苑さんにいただいたこの画像は、29日、最後の新春パーティ会場のあったホテルニューオータニの2階ロビーに活けられたカサブランカだとのこと。
ただ、自分の狭く貧しい生活圏の中では、日常、いつの日か馴染みになりそうにないような季語も多い。一頃までなら、ちょっと近所の風景を眺めたら、あちこちに見られたものも、今では廃れてしまった風習も多いようである。
自分が一人暮らしで、一人、怠惰を決め込んだら、何もせずに日々が過ぎ去っていく…。だからかと思っていたら、気が付いたら、それより早く世の中の変化が進んでいて、自分のほうこそが浦島太郎宜しく、昔ながらの風習・慣習に未練がましく拘っているばかりで、あるいは自分の季語随筆も、時代遅れの頓珍漢な仕儀に過ぎないのかと思えたり。
それでいて、近頃、コンビニなどでは恵方巻きなどに人気が集まったり、節分にちなむ商品やイベントが目白押しだったりする。マスコミの影響か、それともメーカーサイドの宣伝効果なのか、正月らしいものであっても、特定の風習・慣習にばかり焦点が合わさったりする。
商品化や商売につながるかどうかが、眼目であるようで、その古来よりの意味合いなど、度外視されているようだ。
→ Charlie K. さんの手になるリベルダージ新年会(G.R.E.S. LIBERDADE "FELIZ ANO NOVO 2006" )の一場面!(例によって本文と画像とは関係ありません。一連の新年会の画像を観て頂いているものです。)
さて、今日は「竜の玉」を採り上げる。小生、この季語のことは全く知らない。
竜の玉って、何? 目玉のことをメタファーしている? まさか竜の大事な玉ちゃんのことじゃなかろうし。
「竜の玉(りゅうのたま)」とは、「[冬-植物] 別名⇒竜の髯の実(りゅうのひげのみ)、蛇の髯の実(じゃのひげのみ)、弾み玉(はずみだま)」で、「ユリ科の蛇の髭(じゃのひげ)の実のことで、花後の緑の玉は、冬にはコバルト色に変身し、硬くて良く弾むことから「はずみ玉」ともいわれる。」という。
要するに、竜(蛇)の髯の実ということで、ある植物の玉のような外見を持つ実のことなのだ。
「東京大仏TV:WebLog(東京大仏テレビ:ウェブログ) ひねもす俳句:早春へむかう」という頁を覗いたら、その色鮮やかに青い実の画像を見ることが出来た。
「日日光進 1月20日 大寒」によると、「葉を竜の髯というので実を「竜の玉」と呼ぶのだが、この実はそのまま種子」なのだとか。
ここでは「竜の玉」の画像も載っているし、高浜虚子に「龍の玉深く蔵すといふことを」という句、大石悦子氏に「龍の玉地に喝采のあるごとし」という句のあることも教えてくれた。
大石悦子氏については、同上のサイト(頁)の紹介されている。
「竜の玉」に別名として「弾み玉(はずみだま)」という語のあることは上で示してある。が、何ゆえなのか。
この点についてのみならず、「名誉院長の季節の小咄 第45号」(「慈啓会病院のホームページ」参照)があれこれ詳しい。
「ジャノヒゲ(蛇の髭、麦門冬(ばくもんとう))」と題されたこの頁には、「果実は、早く果皮を失って、球形の6㎜位の種子を裸出し、濃青紫色に熟す。弾力があり、子供がはじき飛ばして遊ぶので、はずみ玉ともいう。」などと書いてある。
薬効について縷々教えてくれているが、ここでは「蛇の髭は、竜の髭、はずみ玉、麦門冬の名とともに、夏の季語であるが、実は、一名「竜の玉」とも云われ、冬の季語である」という末尾の一文を転記するにとどめておく。
さて、「竜の玉」にちなむ句を探してみよう。
「インターネット俳句大賞・八木健選・1月の結果」には「竜の玉」の織り込まれた句が幾つも載っている。
「e船団ホームページ」の「日刊:この一句 バックナンバー 2005年12月28日」には、「先輩にひょいとわたさる竜の玉 藪ノ内君代」が載っている。
坪内稔典氏の鑑賞を読むと、「この句を評した池田澄子は、「ひょいと」渡されたときの動揺の些細さが主役になれるのは「俳句ならでは」、と述べている。同感だ」とあったりする。
「弾力があり、子供がはじき飛ばして遊ぶので、はずみ玉ともいう」らしいが、女の子だと細い紐を通して首飾りにする、なんて遊びもあったのだろうか。
同じく「日刊:この一句 バックナンバー 2001年1月25日」には、「故郷はいつも夕暮れ竜の玉 今城知子」という句が載っている。
坪内稔典氏は、「故郷はいつも「夕暮れ」という発想に、おやっと思う意外性を感じたのである。この作者は故郷を思うとき、いつも夕暮れの情景として故郷が思い出されるのであろう。その夕暮れの故郷に素朴な竜の玉がよく合っている気がする」と鑑賞されている。
句の形式について物まね風に小生が句をちょっとひねると、「ふるさとはいつも夕焼け川向こう」となる。
故郷の家から十数分ほどのところに神通川があり、その土手から対岸に沈む夕陽を見ながら、小生は感傷に耽ったり、散歩したりしたものだが、17歳の夏8月1日にはやはり夕焼けなど眺めつつ、自分にとっては一大事でもあったある決心を固めたのだった。
(余談だが、同じ頁に載っている、「冬座敷ときどき阿蘇へ向ふ汽車 中村汀女」なる句を以前、採り上げたことがあったっけ(「冬座敷に隙間風が吹く」参照)。)
他にも「病院図書室研究会 Japan Hospital Library Association」内の「草木花 歳時記」を覗いたら、既に上で紹介した「龍の玉深く蔵すといふことを 高濱虚子」 や、「龍の髭に深々とある龍の玉 皿井旭川」「蛇のひげをかくさう庭の雪古りぬ 吉岡禅寺洞」「陸はもと海なり青き龍の玉 中村苑子」などが載っていた。
緑濃い葉っぱに隠れがちな、瑠璃色とも言えそうな竜の玉の青さの鮮烈さが句を作る衝動を掻き立てるようである。
「明日は臘梅探し」で、「明日は都内を車で流しつつ、臘梅探しと洒落ようか」と書いたにも関わらず実現していないのだが、こうなったら、竜の玉探しも楽しみの一つに加えておこう!
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コメント
> 一体、小生、この一ヶ月、何をやっていたんだろう。
・・・激しく同感。年賀状を書いて、確定申告書を書いたら、ひと月が終わってしまいました。
でも、国見さんは、ブログも、そして、メルマガも書いていたではないですか~、前半だけ(〃^∇^♪)。
投稿: 青梗菜 | 2006/01/30 22:53
青梗菜 さん、いずこも同じ感懐を持たれているのでしょうか。
小生、まだ一件、年賀状の返事を出していない。
なかなか微妙な問題があって、返事の内容を考えているうちに一月も終わりだ。
ブログは日記だから、やったうちに入らないな。掌編をあと一つか二つは今月中に書きたかった。
メルマガ、やはり時間的に厳しい。今週末には久しぶりに出せると思うのだけど。
投稿: やいっち | 2006/01/31 02:01
リュウノヒゲ・・・弾み玉・・・を拝見して、ふと、子供の頃に
兄が祖父に作ってもらった竹鉄砲を思い出しました。
女の子だった私はで作ってもらえなかったので、
とても羨ましく、妬ましかったのが懐かしいです。
そういえば、数日前に出かけた先の駅で、
「百草園の蝋梅開花」というポスターが貼ってありました。
今年はやはり寒いからでしょうか、かなり遅かったのですね。
投稿: 縷紅 | 2006/02/02 17:13
縷紅さん、こんにちは。
男の子と女の子は遊びも違う、違うべきって、そんな<常識>は鬱陶しいものでしょうね。男の子でもママゴトとか編み物の好きな奴がいるし、女の子だって格闘技や勇ましい遊びの好きな人は多い。
そのねじれが想像力を育てた?
月華水影十一回アップしたとか:
http://mmoon.sblo.jp/article/311319.html
小生も、そろそろ掌編じゃなく長編に挑戦したくなっている。
蝋梅、場所によっては咲いてあの香りを恵んでくれているのですね。小生、未だ、恵まれていない。
投稿: やいっち | 2006/02/02 19:44