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2006/01/02

歌留多よりも読初

 今日の季語随筆の表題は1月の季語である「歌留多」にするつもりだった。
 ネットで検索すると、「猫がいて歌留多遊びの邪魔が好き   城山千夏」「恋歌に手の重なりし歌留多取り    析積」「座布団の下に逃げ込む歌留多かな    眠兎」「歌留多札人に取られてゆくばかり   草野玉葱」「歌留多していつしか日が傾きぬ   川原妙子」(以上、いずれも「インターネット俳句大賞・八木健選・12月の結果」より)とか、「歌留多の灯一途に老いし母のため   みづえ」(「游氣風信 No97「めでたい俳句」 三島治療室便り'98,1,1」より)などの句が見つかる。

sion-nenga

← 紫苑さんに戴いた年賀の画像です。今年もこの薔薇の花のように咲き誇りそう!

 最近ではトランプなどに押されてカードゲームとしても一つの風景として遠ざかってしまったように思えるけれど、それでも、ファミコンなどが流行る現代だからこそ、敢えて楽しむ方も一方では増えているのかもしれない。
 似たような正月ならではの遊びとしては、他に花札や双六などがある。ほんの数年前までは郷里の家でもお正月には欠かせぬ遊びとしてやったものだったが、両親が札遊びどころではなくなって、すっかり遠のいてしまった。
 こうなると、一層、「歌留多」を俎上に採り上げるべきだと思った矢先、「歌留多」を扱うこの上ないサイトが見つかってしまった。
 それは、「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET  季節のことば  新年 其の一 歌留多」である。

 ここには、「お正月には人が集まることが多く、冬季でもあることから、羽子板などは例外として、室内での遊戯がさかんである。カルタ遊びは双六遊びとともに、お正月の室内遊戯の代表といってよいだろう。」から始まって、「歌カルタの中では小倉百人一首が最も広く用いられ、現在にも続いているが、それ以外にもいろはカルタをはじめとして、種々の歌カルタがあった。源氏物語や伊勢物語の歌をもとにしたもの、漢詩や俳句をもとにしたもの、あるいは格言、諺、教訓をもとにしたものなど、実に多様な歌カルタの世界が花開いていたのである。」まで、「歌留多」について調べたいと思いつくだろうおおよそのことが網羅されている。
 しかも、「歌留多」のある光景を織り込んだ句が列挙されている。
 小生としては困惑するばかりだが、この上付け足すことも思い浮かぶはずもなく、こうなったら潔く、このサイトを紹介することですごすごと撤退するしかない。

 では、何を今日のテーマとして採り上げるか。「書初」は習字なるものがガキの頃から苦手の小生(幾許かは達筆な父へのコンプレックスもあるような)、つい、敬遠してしまう。
 元旦に「兄ちゃんの姫始め」なる掌編作品をこしらえたことで、書初めの代わりだと嘯くしかない(表題に「姫始め」が思い浮かんだのも、書初めからの連想だった!)。
 物色を続けてみたら、「読初」という季語が見つかった。もしかして読書初め、ということか。
 調べてみると、「読初(よみぞめ) [新年-生活] 別名⇒読書始(どくしょはじめ)」とあるではないか(「YS2001のホームページ」より)。
 問題は何を読むかが限定されているかどうかである。本だったら何でもいいのか。ネット検索してみると、「ある本の海賊版や読初    山口青邨」や「読初に鯨の旅路たどりけり   林敬子」などが見つかり、何も古典や漢文、草紙の類でないとダメということではないらしい。
 さらに探すと、「読初や漫画といへど三国志   有馬朗人」(「ikkubak 2005年1月6日」より)や、「読初〈よみぞめ〉の突如大海原へ出づ   鷹羽狩行」(「日国.NET:よもやま句歌栞草 vol.24 海」より)などが見つかった。
 この季語「読初〈よみぞめ〉」が生まれた頃の経緯(いきさつ)はともかく、今では読む本は詠み手の裁量に任されているらしい。
 ただ、「読初〈よみぞめ〉の突如大海原へ出づ   鷹羽狩行」に付せられた評釈の末尾に、「読初は、現在でこそ、新年に入って初めて書物をひもとくことと意味が単純化されているが,昔はかなり儀式がかった行事だったようだ」という件(くだり)が見つかる。
 確かに、季語なのかどうかは分からないが、「講書初」という儀式があって、「御講書初ともいい、新年に宮中で、天皇が学者から進講を聞く儀式。今日では皇太子以下後続や首相、最高裁判所長官などが陪聴する。」のだから、あるいは「読初」も、これに準ずるものだったのかもしれない。
 いずれにしても、庶民たる小生、年初の一番最初にやったことというと、ロッキングチェアーでの居眠りか執筆か読書なのである。
 確認してみると、「年頭に当たって…あいも変わらず」は元日の昼前に書き上げている。「物語…虚構…世界…意味」は、大晦日の夜九時前は書き上げていた。
 年越しとなる夜半に何をやっていたか。残るは読書か居眠りか。微妙だ。大晦日にはダン・ブラウン著の『ダ・ヴィンチ・コード』の下巻を読了し、夜半前後に帰省からの帰京直後に読了した村上春樹の『海辺のカフカ(上)』の続きとして下巻に取り掛かったところまでは覚えているが、うーん、居眠りで年越ししたのか、読書でだったのかは、どう思い返してみても微妙としかいいようがない。
 小生らしいといえば、実に、らしい。
 そう、「歌留多」遊びという親しい仲間との遊びに興じるのではなく、居眠りにしろ読書にしろ(あるいは執筆にしろ)、いずれにしても一人きりの時を彷徨っていたことに違いはない。
 その一人きりで年越しをしたというのが小生らしいのである。
 今年も、きっと小生らしい年を送るのだろう、淡々と。


 花札に興じる声の今はなき
 歌留多して決まって最後は口げんか
 歌留多より花札よりも餅がいい
 読初と居眠りだけが生活だ
 読初のはずが気が付きゃはっと覚め

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コメント

明けましておめでとうございます。
歌留多ですか。
高校時代に小倉百人一首を覚えさせられ、歌留多とりをやっていらい、とんとご無沙汰です。
上の句を詠みあげる先生の癖のある調子が記憶に残っています。
さかのぼれば、子供のころ、親と歌留多とりをしていました。
ニュースを見ると、今の子供たちも、ゲームをするかたわら、学校教育の一環として歌留多とりをやっているようです。
アナクロな歌留多とりが今の子供たちには、かえって新鮮なのかもしれないですね。

投稿: 滝野 | 2006/01/02 06:33

滝野さん、こんにちは。
高校時代に小倉百人一首をさせられた。義務でもいい経験になったのでは。
小生はかすかにやったことがあるような気がするけど、不確か。古典の授業は嫌いだったし。
古典を好きで読むようになったのは社会人になってから。今になって無理にでも若いときに百人一首くらいは覚えておけばよかったなと思います。少しは教養人になれた(?)かもね。
デジタルのゲームも進化していて複数でやるものが出ているけど、やっぱり仲間(家族)が集まってワイワイやるのが一番ですね。せめて正月くらいは。
数年前までは家族で花札などやったものだったけど、今じゃ、無理みたい。悲しいね。

投稿: やいっち | 2006/01/03 07:50

明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します

田舎へお帰りかな~と思ってたら、毎日更新されてますね♪
歌留多とり。。子供が3人とも宿題です(^_^;)3学期にはテストがありますからねぇ。多少はやってもらわないと。でも皆で取ると、私が勝ってしまうので「お母さん、取らないで」と言われます。もうちょっと勉強して欲しい~!(負けるのは悔しいけど。笑)

投稿: ちゃり | 2006/01/03 19:01

ちゃりさん、来訪ありがとう。
あけましておめでとうございます。ことしも、勝手ながらお邪魔させてもらいますね。よろしくおねがいします。
といいつつ、ちゃりさんサイトは日参してますよ。等身大の句の世界が身近で暖かい。

帰郷はしていましたが、東京で使っていたパソコンを持参していったのです。荷物、重かった!
歌留多取り、小生は苦手です。小生がちゃりさんのお子さんを交えた形でゲームしても、断然、小生が負けます。きっと一枚も取れない。
「もうちょっと勉強して欲しい~!」って、小生には耳が痛い!

投稿: やいっち | 2006/01/03 22:07

弥一さん、明けましておめでとうございます。
昨年は、いろいろとお世話になりました。

妻籠へ行きましたら、「島崎藤村の歌留多」というのが有りました。
「蝋燭は静かに燃え」「玩具は野にも畠にも」「草も餅になる」「誠はのこる」「笑顔はひかる」など、なかなか味がありました。
画は岡本太郎さんのお父様の岡本一平氏だそうで、絵の方も面白かったです。
文豪の作った歌留多、というのもあるんだな~と思いました。

今年も、また、興味深い「無精庵徒然草」、楽しみに読ませていただきます。
よろしくお願いします~


今年もよろしくお願いします!

投稿: hironon | 2006/01/04 19:07

hironon さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく!

島崎藤村ゆかりの地はいずれも訪れてみたいと思いつつ腰の重い小生です。今頃は雪深いのでしょうね。
島崎藤村(文)と岡本一平(絵)が組んでの歌留多ってのは初耳。藤村がそんなことしてたんだ。自分たちの楽しみのためにやったのか、仕事でか、それとも子供のためなのか。興味津々。


投稿: やいっち | 2006/01/05 08:06

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