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2006/01/16

三井の晩鐘…三橋節子の最後の手紙

「魔の雪」…雪国」にて若干、紹介を試みた立川昭二著の『病いの人間学』(筑摩書房)を過日、読了した。当初は車中での気軽な読み物、ということで待機中に読んでいたが、内容の濃さに薄暗い、しかも慌しい車中で読むには勿体無いと、冒頭の数十頁を覗いては自宅で読んだ。
 この本で扱われている各章、そして各々の作家たちをそれぞれに採り上げたい気もあるが、さすがに難しい。ここでは最後の章「おわりに*病いの創るもの」で扱われている故・三橋節子(みつはしせつこ)さんを彼女の作である「三井の晩鐘」(みいのばん しょう)を焦点に少々、触れておきたい。
 有名な作品だし、「三井の晩鐘」と聞くと、あるいは三橋節子さんという名前を聞けば、ああ、あれかと思い当たる方も多いだろう。

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→ 三橋節子/作『雷の落ちない村』(小学館)……今は入手が難しい、彼女の絵本。幸い、小生は、梅原 猛 著の『湖の伝説―画家・三橋節子の愛と死』(新潮文庫)を読むことが出来た。

 尤も、「三井の晩鐘」というと、まずは、広重(廣重)画の浮世絵「三井の晩鐘」(大津市歴史博物館収蔵)を思い浮かべられる方も少なからずいるかもしれない。
 ということは「三井の晩鐘」は風景として、あるいは名所として江戸の世から既に名高かったということであろう。
 まあ、近江八景の一つであり、「環境庁の「残したい日本の音風景100景」にも選ばれ」ているし、あるいは除夜の鐘ということでこの鐘を撞(つ)いた方もいるかもしれない。
「重厚な鐘の音色が琵琶湖一帯に響き渡る」というし、「琵琶湖を眼下に見下ろす長等山の静かで広大な境内」に立ち、「その音色のすばらしさは古くから知られ、形の平等院、銘の神護寺とともに、音の三井寺として日本三名鐘のひとつに数えられており、長い歴史が育んだ物語や伝説とともに、地域の人々に親しまれている」というのだから、実際に聞いてみたい、撞いてみたいものである。

近江八景のひとつとして有名な「三井の晩鐘」は、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)の金堂前の鐘楼につるされている」という。が、「この鐘は、慶長七年(1602)に、伝説で知られている「弁慶の引摺鐘」を摸して造られたものである」とか。

 さて、本題である。
 三橋節子さんの作品である「三井の晩鐘」については、本書『病いの人間学』での内容の凡そが「三井の晩鐘 - 三橋節子美術館を訪ねて」という頁に記してある(「近江の散策 歴史・史跡・風景・グルメなど」参照)。
(あるいは、「三井寺>連載>浪漫紀行・三井寺>三井の晩鐘」も参考になる。)
 画「三井の晩鐘」をまずは観ていただきたい。

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← 立川 昭二 著『病いの人間学』(筑摩書房)。「宮沢賢治から安部公房まで、病いや死をテーマにした作品をとりあげ、誰もが直面する自分や家族の病いから、私たちは何を学び得るかを探る」という内容だが、もちろん、三橋節子のことも扱っている。

 小生がどんな機会にだったか初めてこの画を一瞥した時、ちょっと暗い雰囲気が漂っていて、近寄りがたいものを感じた。
 が、彼女の生涯やこの作品を作る背景などを知ると、この薄暗さが実は極めて内省的であり、ひたすらに遺していかざるを得ない我が子へ愛情を注いでいる彼女の切なさが濃厚に篭っているのだと感じる。
 だから、作品が傑作なのか、あるいは背景事情に胸打たれていたのか、自分の中では久しく曖昧だったのも事実なのである。
 久しぶりに書籍の写真、あるいはネット上の画像を見る形で対面して、率直にいい作品だと感じた。遅まきながらではあるが。
 とにかく彼女の画業が奇蹟と称されるのは、多くの傑作が彼女が利き腕である右腕を失ってから亡くなるまでの二年間に描かれたものだという点にある。

 彼女の特に絵描きとしての人生とは、「三橋さんは二人の子供が幼い時期に右腕を失い、その後わずか2年で35歳の短い生涯を閉じました。三橋さんは右腕を失った後、左手で絵を描き続けました。左手で描いた絵は滋賀の民話にちなんだものです。「三井の晩鐘」は三橋さんが右腕を失った年(1973)に描かれています」というもの。
 読まれて分かるだろうが、右腕というのは彼女の利き腕だったのである。
 さらに本書にも載っているが、「その画題は、近江に伝わる昔話から」のものなのである。
 それは、「三井寺>連載>浪漫紀行・三井寺>三井の晩鐘」によると、以下のようなもの:

村の子どもらにイジメられる一匹の蛇を助けたことで、里の漁師は竜宮の王女をめとることになります。間もなく、二人の間には子どもが産まれますが、自分が竜女であることを知られた女は、琵琶湖底に呼び戻されてしまいます。残された子どもは母親を恋しがり、毎日、激しく泣き叫びます。でも母親にもらった目玉をなめると、不思議と、泣きやむのです。しかし、その目玉も、やがて小さくなり、ついに竜女の両方の目玉はなめ尽くされてしまいました。盲(めいし)になった竜女は、漁師に、三井寺の鐘をついて、二人が達者でいることを知らせてくれるように頼みます。鐘が湖に響くのを聴いて、竜女は心安らがせたといいます。
   上掲の「三井の晩鐘 - 三橋節子美術館を訪ねて」なる頁には、「近江むかし話(滋賀県老人クラブ連合会/滋賀県社会福祉協議会・編、洛樹出版社)からの原文が引用されている。 「近江むかし話」なる本は入手が可能かどうか不明だが、それだけに上記の原文は貴重だろう。

 これらを読んだ上で再度、三橋節子さんの作品「三井の晩鐘」を見直してみると、「絵の女も竜も目がない!」ことに気づくだろう。
 
 ここには詳しくは書かないが、三橋節子さんの作品「花折峠」 も「湖の伝説」シリーズの一環として作られたものである。「花折峠の邂逅」や「花折峠」という民話の原作者である「中野隆夫の世界」なるサイトを覗いてみてほしい。

「三橋節子は1975(昭和50)年、絶筆「余呉の天女」を描いて静かに35年の生涯を閉じた」…。それから既に30年が過ぎ去った(「思文閣美術館 三橋節子回顧展」参照)。
 彼女の作品や生涯については、初めて知ったのはいつ何処でだったのか覚えていない。ただ、梅原猛氏の著作にはこれまで随分とお世話になってきたので、あるいは氏の『湖の伝説 三橋節子の愛と死』(新潮社)によってだったかもしれない(この本は絶版?)。
 梅原猛氏の著を原作の公演「三井の晩鐘」もあったらしい。

 小生は未読だが、彼女の一周忌に出来た追悼文集『吾木香-三橋(鈴木)節子を偲ぶ』(三橋時雄編、あらくさ印刷共働作業所)があるらしい。

 本書『病いの人間学』によると、「「三橋節子美術館」の一隅に、二枚の小さな紙片が展示されている」という。
「それは節子が死の前日に二人の子どもに書き残した手紙である。三歳三ヶ月になる娘なずなと五歳になるくさまおあての手紙」なのである。
 一見するとたどたどしい文字の手紙。けれど(死の直前の)病床にあって左腕でやっとの思いで書いた手紙。
 その内容は、「るる☆女を語ってみました。 三橋節子(画家)」で読むことが出来る。
 敢えて転記はしない。
 是非、このサイトの中に載っている手紙を読んで欲しい。
 できるなら、手書きの手紙をここに掲げたいものである(ただ、息子であるくさまお君への手紙で「さようなら△またきてね□」とあるが、正しくは「さよなら△またきて□」であると老婆心ながら付記しておく。これが最後の手紙。子ども相手の悲しいユーモア…)。

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コメント

僕は三橋節子の絵は観たことないんですよ、梅原さんの「湖の伝説」はブックオフで105円で売っていまして、三岸節子と間違えて購入した、この2人名前が一字しか違わず紛らわしい/笑。
梅原さんといえば昨日「美と宗教の発見」を購入、「和辻精神史には大乗仏教を哲学の問題として問題にする問題意識が欠けている」と手厳しい/97ページ。
東大の哲学は宗教的無関心なのです、京都の哲学から見るとそこがものたりないのでしょう。

投稿: oki | 2006/01/17 00:22

和辻哲郎を批判している割には、梅原猛氏は和辻哲郎文化賞の選考員になったり、『和辻哲郎集』の解説したりしてますね。
和辻に限らず東大はエスタブリッシュ側ですから、尊皇思想。梅原氏はもっと幅広い観点から日本の思想や文化の伝統を見直そうとしている。
和辻はよく言えばピュア。梅原氏は混沌を厭わないところがあって、必ずしも論旨が明晰じゃないこともあるけど、逆にそれが魅力だったりする。
和辻というと、高校の教科書に『風土』の一部が載っていて気に入り、買って読んだものです。内容に妥当性があるかどうかは別にして文章として関心した記憶がある。
やっぱりクリアでピュア。
でも、『人間の学としての倫理学』や『古寺巡礼』は基本的に理解できなかった。
そもそも小生は仏像(広く彫刻と言ってもいい)に感動したことは一度も無いから、和辻の論が分かるはずもなかったんだね。

投稿: やいっち | 2006/01/17 02:18

お世話になります。
こちらの記事をTBさせていただいている者です。
一昨日大津市長等の三橋節子美術館を訪ねてきました。
現在は彼女がインド旅行後、ガン告知を受けるまでの人物画を中心に三井の晩鐘、雷の落ちない村、手紙、写真などが展示されていました。
7月4日頃から晩年の作品展示に代わるそうです。
『吾木香』ですが館内販売されており現在でも入手可能とのことです。
今回作品をじかに見て、彼女の絵は全体的に暗い配色を使われることが多いのですが晩年の作品にはどこか突き抜けた透明感のようなものを感じました。
また訪ねてみたいと思っています。

投稿: びり犬 | 2006/06/17 21:56

びり犬さん、コメント、リンク表示、ありがとう。
中身の濃い記事ですね:
http://blog.so-net.ne.jp/jeongmi/2006-05-29
『吾木香』のことなど、情報をありがとう。

見たい画を求めて旅に出る…。そんな旅は素晴らしいし、実行できるのは羨ましい。
思えば小生、北陸(富山)に生まれたのに、琵琶湖は見たことがない!
いつか、歴史や風景を求めての旅に出たいと思っています。

三橋節子さんは、晩年の二年が印象的のようですが、その前からを通して全貌を見てみたいものです。

投稿: やいっち | 2006/06/18 00:17

土曜日から何故かこの記事へのアクセスが急増している。
何かあったのだろうか。
調べてみたら、「テレビ東京-12月09日 2200-2230-美の巨人たち」で、「奇跡の絵▽がんで利き腕失っても…三橋節子“花折峠”」特集をやっていたのだ!

「EPSON~美の巨人たち~」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/index.html

見逃した!
ま、我が家のモニターで画像を見ても、よく見えないし、逆にストレスが高まってガッカリするだけだったろけどさ。

投稿: やいっち | 2006/12/10 13:43

今日、この記事へのアクセスが急増。
これは何かあったなと調べてみたら、案の定、NHK教育・新日曜美術館で「 永別の自画像 日本画家・三橋節子」という番組を放送していたのだ(午前と夜の2回)。

「Binten日記画家三橋節子について」
http://blog.so-net.ne.jp/jeongmi/2006-05-29
上記からのアクセスも多い。
やはり、彼女の画業は感動的だからだろう。

若干、宗教上の理由もあるのだろうが。

投稿: やいっち | 2007/02/04 21:05

今日、また、この記事へのアクセスが急増している。
何故。
何かまた、テレビで特集番組があったの?

投稿: やいっち | 2007/12/01 10:02

great site , i bookmared it ! thanks!


投稿: panico-na-tv | 2009/05/08 20:37

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大津の三橋節子美術館を訪ねる。(地図) 三橋節子についてはこちらとこちらの記事を参照いただきたい。 三橋節子については梅原猛氏の「湖の伝説―画家・三橋節子の愛と死」(新潮社)が出版された。 この他に梅原氏が「湖の~」執筆にあたり資料とされ引用された追悼文集「吾木香」は三版をかぞえ三橋節子美術館で有償頒布されている。 この他、父三橋時雄氏が節子逝去後10年の節目に出版した「岸辺に」(サンブライト出版)がある。   「余呉の天女」(絶筆、京都文化博物館所蔵) ... [続きを読む]

受信: 2008/08/12 12:06

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