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2006/01/28

『知られざる日本 山村の語る歴史世界』感想

 昨日は営業の日だったので折を見てラジオに聴き入っていた。幾つか興味深いニュースがあったが、その中の一つに、「3万2000年前の木片出土」というのがあった。
中日新聞ホームページへようこそ」に拠ると、「東京都杉並区教育委員会は27日、同区の「高井戸東遺跡」から約3万2000年前の旧石器時代の炭化した大型木片(炭化材)を発掘した、と発表した。同教委は「人が生活した遺跡で見つかった木片としては日本最古。同じ地層から出土した磨製石斧(せきふ)などの石器群も同年代で最古級と分かる」としている」というもの。
 さらに、「区教委によると、調査区域では、地表から約2メートルの層に米粒大の炭化物が集中して見つかる場所が5カ所ほぼ直線上に並び、うち3カ所から炭化材を発見。最も大きい木片は土中に斜めに埋まり、長さ約20センチ、太さ約16センチで、外面が黒く焼けていた」とか。

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→ 27日の午後、都内港区の三田通りにて。市街地の中の市街地。別頁では全く対照的な山村の話題を扱っている。

 日本における旧石器時代の遺跡というと、小生に限らないだろうが、つい、アマチュア考古学研究家の藤村新一氏が引き起こした「旧石器捏造事件」を思い起こしてしまう。
 それは、「アマチュア考古学研究家の藤村新一が次々に発掘していた日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。日本の考古学界最大のスキャンダルとされる」もの。
「縄文時代以降では、明確な遺構が地下を掘削して造られているため、土の性格から直ちに真偽が判断可能なので、捏造は不可能である。火山灰層の年代にのみ頼りがちであったことなど日本の旧石器研究の未熟さが露呈された事件であった」という。
 まあ、今回のものは、「放射線炭素年代測定を行った結果、木材は約3万2000年前のものと判明」というから間違いないのだろう。
 日本のように木材の遺物の残りにくい土壌にあっては、貴重な発見だし、どのような研究がなされるのか興味深い。
 と同時にこの日本という列島の有史以前の長い時の積み重ねを改めて感じる。

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← Charlie K. さんの手になるリベルダージ新年会(G.R.E.S. LIBERDADE "FELIZ ANO NOVO 2006" )の一場面!(例によって本文と画像とは関係ありません。一連の新年会の画像を観て頂いているものです。)

 今、トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読んでいるが、寝床などでは白水智(しろうず・さとし)著の『知られざる日本 山村の語る歴史世界』(NHKブックス、日本放送出版協会)や藤本 由香里/白藤 花夜子著の『快楽電流―女の、欲望の、かたち』(河出書房新社) などを読んでいた(車中では、池内了著の『科学を読む愉しみ』(洋泉社)を読んでいる最中。3年前の本だが、数多くの科学関連の啓蒙書を知ることが出来て楽しいし嬉しい)。
 このうち、白水智著の『知られざる日本 山村の語る歴史世界』は読了したので、簡単な感想文をメモしておきたい。
(余談だが、今日、図書館へ行ったら、リサイクル本のコーナーに、故・源氏鶏太の本が一冊あった。他の著者の本も数冊あったが、それらは図書館の蔵書にある。けれど、肝心の我が郷里の作家である源氏鶏太の本は書架に見当たらない。取り寄せるのも癪だ。ちゃんと蔵書として備えていて欲しい…。ということで、持ち帰ってもいいということなので、ともあれようやく源氏鶏太の本が手に入ったことになる。)

 レビューに拠ると「日本の国土の大半を占めながら、生活文化水準の劣った後進地と見なされてきた"山"。歴史学から軽視されてきた山村の歴史を生業文化や生活文化の観点から積極的に捉え直す。狩猟、採集、焼畑、手工業生産など山村の「労働」に注目し、山の暮らしを支えてきた"循環"の思想に、右肩上がりの「発展」に疲れた現代社会への処方箋を見出す。気鋭の若手による渾身の力作」とある。
 このレビューのうち、前半はともかく、後半の「狩猟、採集、焼畑、手工業生産など山村の「労働」に注目し、山の暮らしを支えてきた"循環"の思想に、右肩上がりの「発展」に疲れた現代社会への処方箋を見出す」というくだりは、関連する記述が本書の末尾にあるだけなので、やや看板倒れかもしれない。
 ただ、著者の意図するものの一部は、そういった狙いなのだろうが。

 ネット検索したら、著者自身が本書の狙いを語ってくれているサイトが見つかった。
asahi.com:現場踏み地域の姿に光 白水智さん - マイタウン千葉
 その中で、以下のように語っておられる:

 

 海辺の村、山の村。平地の稲作・農村至上の見方にとらわれず、山野川海や、そこに暮らす人と「時代」を研究の場に求めれば、多様なもう一つの日本の姿が浮かび上がる――。
 大学院生時代から、昨年2月に亡くなった歴史家の網野善彦さんに長く指導を受けた。日本中世史が専門で、海辺の集落を歩き、山深い村を訪ねた。

 そう、かの網野善彦氏の指導を受けた方なのである。日本の姿を稲作(水田)中心に見るのではなく(それも一部としてあるとして)、もっと多様で豊かな、但し、ともすると埋もれがちな歴史があるという網野善彦氏らの仕事は小生はずっと注目してきた。
 世界の中でも逸早く近代国家として一定の成功を収めた日本だし、市街地に住んでいると開発に告ぐ開発で緑地など見るも無残なように思えてしまうのだが、それでも航空写真などで日本列島を見ると、依然として国土の3分の2は山であり緑に覆われている。では残りの3分の1は平坦地だから住宅街(工場用地その他)を覗いたら田んぼと畑か、というと、さにあらず。
 指摘するまでもなく日本は有史以前から海洋国(国家)だったのである。四囲を海に囲まれていて、海岸線に数知れない漁場をあるいは港(津)を見出す。昔も今も、である。
 稲作史観、みずほ史観というのか、青々と稲穂の実る水田こそが原風景というイメージがあったりするが、それが一つの典型だとは思うが、決して中心的な原型ではなく、実際には山村風景であり、漁村であり、畑などの地の連なる風景が圧倒的だったことをもっと思っていいのではないか。
 

「世間には『山は貧しい』という観念が抜きがたくある。歴史研究者の世界もそれは変わらない。『米を食べられない山村は貧しい』という書き方が行間に透けて見えるものが多い」

 小生にはそれほど山深くというわけではないが、平地とは言いかねる地に親戚の家がある。曲がりくねった山道を里の町から数分ほど走ったところにある地区。山を苦労して切り開いて平坦な地を得、水田を作り、畑を耕している。実りの時ともなると、トウモロコシにしてもサルに食べられたりすると苦笑する(半ば呆れ、半ば怒っていたような)。家は建て替えられ、当然ながら電気も水道もガスもある。テレビだってあるしエアコンもある。それでも四囲が森や林であり、小生は泊まったことがなく(幼い頃は分からない)、夜の雰囲気を味わったことがないのだが、深い闇の中に散在する家々の明かりがポツポツと灯るだけなのだろう。
 それだって、きっと早い就寝の時を迎え、(街灯があったかどうか覚えていない)山の闇に深く沈んでいくのだろう。

 それが、もっともっと山を深く分け入った先の村に住む人もいる。車でも山里の町から一時間以上も走ってようやく辿りつく地域(車で行けるなら御の字だが)。
 何が楽しみなのだろう。豊かな生活は望めるのだろうか。実るものとて限られているだろうし。
 本だって雑誌だって、コンビニで気軽に立ち読みできないし、買い食いもできないし、カラオケもないし。
 小生の想像力なんて、こんなものだ。
 何が楽しくて(きっと交通の便の悪い)山に住むのか?

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← 我が邸宅…じゃありません。丑三つ時も半時も回った刻限、都内某所の公衆便所。我が仕事にはトイレの在り処の知識が不可欠。真っ暗闇の都会の片隅…。森に囲まれた山村だと、漆黒の闇よりも深い静けさがあるだけ…なのか。それとも闇は意外とお喋り?

 一般世間の間のみならず歴史研究者の間でも、「米を食べられない山村は貧しい」という抜きがたい偏見がある。「山間の鄙びた村」という固定観念。
 が、実際には海辺には魚介類が恵まれてきたように、山には山の恵みがたっぷりとあった。木の実などの山の幸だけではなく、そもそも丹精込めて育てた木材そのものが貴重な資源であり、山で刈られた木材なくして民家も武士の家も建たないし、多くの有名な寺は良材の採れる村、あるいは良材を育てるノウハウを持つ人材を確保しておくことが重要な課題であり資産でもあった。

 鄙びたというイメージは、謙遜であったり(そのように平地の人は山村をイメージしているから、そのような風を装って歓待したりする)、税の徴収の重みを減らすには米が食べられず稗・粟などの雑穀が頼りという、貧しいイメージが恰好の道具立てだったりする(つまり村の人が自ら村は貧しいという建前の文書を作ったりした)。

 山間(やまあい)ということで交通が不便という平地の人の思い込みもあるが、当たっている反面、山には山の人のみが知る、山越えのルートがあり、どんな奥地にも村があって、その村のある道なき道を通らないと日本列島の西と東、南と北は人的・資源的交流・交易ができなかったわけで、となるとその要衝にある村というのは、想像を超えて重要な拠点であり、果たした役割に見合う見返りが蓄積されるのだった。

 山の村が不便であり、日々の食べ物に窮するほどに貧しく、文字が読めず、情報に疎く、というイメージは日本が近代国家に生まれ変わる過程で、人材を国家の意図する分野・地域へ集約するために人がドンドン駆り出され、結果として村の存立が危うくなっていったのだった。
 あるいは市街地の電力確保のためダムが作られ村が湖底(ダム湖の底)に次々と沈んでいった。
 その際、山村の人に有無を言わせぬため、そして市街地の人に山村の人への同情を抱かせないため、鄙びた村よりダムを作ったほうがましという考えに疑いを抱かせないためでもあった。
 この点について、本書は力を入れて記述している:

 

 山村の凋落が始まったのは近代になってからである。前章で見たように、意識として山村を見下す風潮はすでに古くからあった。しかし現実に山村の生活自体が成り立たなくなってきたのは、近代以降のことである。それは、あらゆる社会資本が平地、とくに都市部を中心に整備され、交通体系や流通・生産体系を初めとする、あらゆる政治経済の制度が平地中心にシフトしていったためと考えられる。とくに顕著にその変化が進んだ高度経済成長以後は、もはや山村はいずれ滅び去るしかないような状況となった。いわば時代から置き去りにされたのである。

 団塊の世代なら思い至るだろうが、集団就職の列車、上野駅…。

 日本の歴史を大切に思うなら、(漁業の位置付けの大きさ、また稲作も重要度が高いことは否定しないが)、国土の3分の2を占める山と森の有史以前からの重要性に目を見開く必要があるだろう。

 今はネット検索する余裕がないが、本書『知られざる日本 山村の語る歴史世界』を読んでいて、改めて鈴木牧之の果たした役割の大きさを感じさせられた。
 現代の研究者である白水智氏からすれば問題点は様々に指摘されるのだが、それでも江戸時代の山村で聞き取り調査をした実績は白水智氏も高く評価されている。本書では、鈴木牧之の『秋山記行』が随所で参照されているのだ。
 特に平家の落人伝説のある村についての話題は面白かった。

 レビューで、「狩猟、採集、焼畑、手工業生産など山村の「労働」に注目し、山の暮らしを支えてきた"循環"の思想に、右肩上がりの「発展」に疲れた現代社会への処方箋を見出す」という謳い文句があった。
 ここでは深入りできないが、ビジョンを示す一節を本書から抜書きしておく:

 

近現代に至る過程で、都市を中心とする平地は、伝統的な生活文化を捨て去りながら大きく変貌を遂げてきた。古くは平地にも共通に見られた生活文化のさまざまな要素が、現在では山村にしか残されていない場合も非常に多くなっている。このことは、かつては地勢間の対抗関係であった大と平地とが、現代では同時に時代間の対抗関係としての側面をも内包し、現出させていることを意味している。今や二重の意味で、山村はこれからさきの時代に向けて、過去の生活文化や自然との共存の知恵を見直す際の原点と考えるべきものとなった。マイペースで走っていたランナーが周回遅れで先頭に立ち、ハイペースで走りすぎて今や疲労しきった先進ランナーを引っ張っているような時代が訪れたといえるかもしれない。


 関連する拙稿を掲げておく:

黒曜石から古今東西を想う
栃と餅…スローライフ
はなにあらしの…春愁
横井清著『的と胞衣』

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