1月17日のこと
11年前の1月17日という今日、阪神・淡路大震災が発生した。
「震災の直接の原因となった地震を、気象庁は「平成7年(1995年)兵庫県南部地震(The South Hyogo prefecture Earthquake in 1995)」と命名した」のだった。
ここに改めて当時の震災の詳細を書くことはしない。
「1995年(平成7年)1月17日(火) 午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生した(大都市)直下型の大地震による災害である」など詳細は「阪神・淡路大震災 - Wikipedia」などを参照願いたい。
午前5時46分52秒の発生。当時、小生は前年の2月末、一ヶ月の入院から会社に戻った直後に首切りを宣告され、94年3月に13年勤めた会社を退社、次の仕事、つまりは今のタクシー稼業に携わることができたのは95年の9月だった(内定は数ヶ月前に得ていたが、健康問題で保留状態が続いていた)。
要するに小生は当時、失業保険で食いつないでいたが、それも、既に95年の1月頃には切れる寸前だった。
日に10枚の執筆作業を続け、週に二度プールへ通って壊れていた体をリハビリし、89年頃から書き溜めていた原稿の一部を纏め退職金を全額使って出版し、本など買える筈もないので、方々の図書館へ運動を兼ねて歩いて通い(一年半で300冊弱を借り出して、ほぼ全ての本を読了した)、とにかく長年のサラリーマン生活で心身に蓄積していた垢を流しストレスを懸命に発散させようとしていた。
そして地震のあった朝、小生は明け方になって、ようやく寝入ろうとしていた。その矢先、揺れを感じた。あ! 地震だ。結構、揺れたから震度は2か3か。関東の何処の辺りだろうと、テレビのスイッチを入れた。
すると驚くべき報道が。
地震は阪神地方というではないか!
小生は寝るのも忘れテレビに食い入るように見入っていた。
95年の3月にはオウム(真理教)事件が発生(発覚)する。
小生は、実はタクシードライバーになるかどうか、94年の後半から考え出していたが、迷いもあった。
が、迷いを断ち切ったのが阪神・淡路大震災であり、さらに止めを刺したというか追い討ちを掛けられたというか、背中を押されたような気分にさせられたのがオウム事件だった。
世の中には何でも起こりえる。人間の想像力など圧倒する出来事がありえる。
決めた! オレは書くことに生活の焦点を置く。生活費はタクシードライバーという仕事で得る。
人生は一度限りなのだ。何がどうなろうと構わない。好きなことに徹底するのだ。
連日の震災報道、さらにオウム報道。日本の社会がバブル崩壊後、一変してしまったという直感があった。根拠を示せと言われても困っただろうから、まさに直感に過ぎなかった。戦後50年。戦争を直接は知らない世代の子どもたちが大人になりつつある時代。戦争を知らない人口が経験した人口に勝ってしまった時代。日本がアメリカと戦争したことも知らない世代が街中を闊歩する時代。日本が中国や朝鮮や東南アジアに侵略し住民を蹂躙したことを嘘だと思っている若者が増えてしまった時代。アメリカが日本に原爆を投下したことを夢物語と思っている連中がいる時代。
日本が日本でありつつ社会や文化の根底から変質しつつあることが露見し始めた時代。
自分に何が出来るものではないけれど、書くということで自分の生を表現することだけは断固、続けるのだと決心した。
そして95年の3月末にはタクシードライバーになることを決断し、某タクシー会社に出向いたのだった。
一年以上もリハビリに励んだのに、失業保険が切れて、プール通いも出来ず、食べるものも節約していたら、体がまた若干の異常を来たし、会社での健康チェックで入社が保留になったのは想定外だった。上記したように、実際に会社に正式採用になったのは4月に動き始めてから約半年後の9月となったのだった。
小生は、これまで地震関連の記事を幾つか書いてきた:
「「地震」は「なゐ」という」
(2004年11月23日に新潟は中越地方を中心に大地震が発生したことに関連する記事)
「飛越地震があったとか」
(2002/11/09に書いたもので、1858年(安政5年)に北陸地方で起きた典型的な内陸直下型の地震で、その規模はM7.0~7.1と推定される大地震に関連する小文)
「仮の宿」
(「地震が多い国である日本。だから、家やマンションなどが地震に堪える構造になっているか、というと、現実はさにあらずということは、誰もが知っている。過去からの地震に学んできた知恵が多く伝えられてきたはずなのに、マンションも木造の家屋も、少なくとも戦後に建てられたものの多くは、呆気なく壊れてしまう」…さらに、「日本人は、過去に学べない、よほどの馬鹿なのか」とも書いている。2004/12/10に書いたもの。)
阪神・淡路大震災では、倒壊したマンションやビル、高速道路などで多くの欠陥工事(手抜き工事)があったとも言われている。が、あまりに疑惑の物件が多かったことと、大急ぎでの復旧・復興が求められ、多くの問題点が見逃されてしまった。
それどころか、復旧・復興を急ぐため、マンションの建築を促進させる必要もあり、「平成10年の第9次改正は、平成7年の阪神淡路大震災を契機に抜本的に構造規定を見直すとともに、性能規定の導入、建築手続きの合理化等を盛り込んだ改正がおこなわれた」のだった。
さらに詳しくは、「平成7年1月17日5時46分に淡路島北部を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生しました。阪神淡路大震災です。それを契機に各規定の見直しが進み、建築物の安全性の一層の確保と合理的利用の推進、民間機関による建築確認・検査制度の創設、建築基準の性能規定の導入を始めとする単体規定の見直し、建築規制の適用の合理化等の措置を構ずる事を内容とした建築基準法の改正が行われ」たのだった。
見直しや合理化の美名のもと、結果的には欠陥マンション・ビル群の建設につながってしまったわけだ(実際にはその以前からあったことのようだが)。
耐震データ偽造問題などに発展していく端緒が実は、阪神淡路大震災だった…。
阪神淡路大震災時の建物の被害状況をその気になって見直してみれば、いろんなことが分かったはずなのに。
けれど、専門家を含め多くの人が目を背けてきた。
その怠慢のツケが今、来ている。
耐震データ偽造問題に関連して、ヒューザー社長の証人喚問が1月17日、つまり阪神・淡路大震災があった今日に予定されているのは、暗黙の計算があってのことか、ただの偶然か。
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コメント
「週刊ポスト」にありましたが、阪神淡路大震災で倒壊して建て直された物件の多くが手抜き工事なんですってね、それだけ人手が足りなかったともいえます。
事件というのは重なりますね。
日航の逆噴射の翌日がオウムの事件でしたっけ。
今回も堀江さんの騒動といい、宮崎被告の最高裁判決といいどんどん事件が起こる。
一つ一つの事件に立ち止まって考えることがあるのに事件が続けて起こるから立ち止まれないー困ったことですね。
投稿: oki | 2006/01/18 23:07
そうなんですね。言及したい、そうでなくても関心のある事件が連続してますね。
ライブドアの事件も、直接は関係ないとしても関心事ではある。小生は佐川急便事件を連想する。エスタブリッシュメントの世界に割り込む新参者はあの手この手を使う。時に過激な手も。そして叩かれて、成長が頓挫するかエスタブリッシュに吸収されていく。
宮崎被告に死刑判決が出ましたね。やったことのおぞましさを思うと、死刑でも飽き足らないのだけど、ただ、安易に死刑にしてしまうと、つまりは真相が分からないままに臭いものに蓋の結果となってしまう。
時代が性急になっていると小生は感じる。結果を急ぎすぎる。面倒な事件はさっさと片付けて次に移ってしまいたいという心理が社会に蔓延しているよう。
宮崎勤裁判については「復讐するは我にあり 」などで有名な佐木隆三氏がずっと追求している。
今度の最終的な判決を受けてどのような見解を持たれ、これからどのような探求をされるのか関心があります。
投稿: やいっち | 2006/01/18 23:47