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2005/12/31

物語…虚構…世界…意味

読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー)」「読書拾遺(シェイクスピア・ミステリー:承前)」と読書感想文を綴ったのが、つい昨日のように思えるけれど、早くも一週間が過ぎ去った。
 というか、今年という年自体があと数時間で終わってしまう。早い! 追いつかないほどに時の過ぎるのが早い。
 歳月の経つのが早いと感じるのは、年を取るごとに足の運びが遅いからなのか。
 それともやはり、自分の生きていく先に何が待ち受けているかよりも、今や明日のことで胸が一杯で、来年、あるいは数年先の試験や入学や入社や結婚や何がしかの成功への足がかりを得ることで懸命で、日々の経過にもどかしさを覚えていた、そんな若い頃とは違って、とにかく日々をつつがなく生きるだけでありがたいと思えてしまったからなのかもしれない。

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← 紫苑さんにいただいた画像です。これも見てね。ということで、皆さん、よいお年を!

 先を展望しようと思っても、考えれば考えるほど出口なしになってしまう。
 そうはいっても、35歳となってから書くことに生活の焦点を合わせるようになり、さらに40歳となって仕事自体、書くことから逆算して選んだ…。だから、この十数年は日々、必ず何かしら書くことを自分に課してきた。エッセイかコラムか読書感想文か、一番のターゲットである虚構作品を書くことで頭の中が一杯。
 実生活ではタクシー業務で自分の精力のほぼ全てを傾注し、家では疲労困憊と磨り減った神経のゆえに抜け殻のようになってしまって、乏しい残り滓の精力を創作に注ぐ毎日。

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2005/12/30

山崎方代の周辺…甲斐つながり

 昨日の日記(レポート)「丹沢湖・中川温泉へ行って来た」にあるように、恐らくは二年ぶりに温泉へ行って来た。この中川温泉は、武田信玄の隠し湯の一つと紹介されることが多い。
東京新聞 中川温泉(神奈川県) 丹沢に抱かれた“美人湯”」によると、(中川)「温泉の起源は古く、戦国時代、武田信玄が小田原城攻めや金山採掘の際、傷兵の治療に使ったと伝えられ、別名「信玄のかくし湯」とも呼ばれる。」という。
 信玄の隠し湯といっても、信玄自身が入ったかどうかは、定かではないのかもしれない。
 ただ、「中川温泉の湯はpH10」に近く、アルカリ湯のなせる業か、皮膚の分泌物を流したり、「戦国期の傷兵や山男たちを癒やし続けた」ようではある。
 小生らが泊まった宿も、「近代に入り、一九一〇(明治四十三)年、地元で農業を営んでいた、井上近次郎が自噴の源泉の横に、旅館(現・信玄館の前身)を建てたのが、温泉地としての始まりとされ」、「今も信玄館玄関前には、自噴源泉と、かつて使われていた露天風呂が残る」という。

 さて、温泉宿へ来たのは忘年会も兼ねていて、雑談に花が咲いたが、そんな中で友人の口から小生には未知の歌人の名前が出てきた。同じく歌人の吉野秀雄の薫陶を受けたという。吉野秀雄については、著書も読んで感想を綴ったこともあったが(『吉野秀雄著『良寛』』参照)、もしかしてその際にその歌人の名前も登場することがあったのかもしれないが、小生の記憶にはまるで残っていない。
[ あとで思い出したのだが、何処かで…吉野秀雄関連の記事の中だったろうか…山崎方代の名を目にしたことがあった。ただ、その時は山崎方代の「方代」をちゃんと読めなくて「かたよ」などと適当に読み、ああ、女性の弟子もいるのかな程度で流してしまったようだ。注意不足でもあり、探求不足だった。 (05/12/31 追記)]

 鎌倉ゆかりの歌人でもあり、地元(鎌倉)では彼を追慕し顕彰する会があったり、彼の歌への評価が高まりつつあるという。
 せっかくなので、その歌人・山崎方代(ほうだい)のことを調べてみた(実は、宿へ電子辞書を持ち込んでいて、検索してみたが、データが全く載っていなかった)。

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2005/12/29

丹沢湖・中川温泉へ行って来た

 丹沢湖の近くにある中川温泉の、とある宿へ友人らと旅行してきた。年の瀬も押し詰まった28日から29日にかけての一泊である。楽しみは温泉だが、24日から27日までの帰郷の旅の疲れもあって、小生など畳のある大部屋で寝転がるのがも楽しみ。
 宿の料理も、夕食も朝食も洗練されたわざと気遣いの感じられるすばらしいものだった。
 敢えて画像は載せないが、客室のお世話をしてくれた、青森は下北の出身だというお姐さんとの会話も楽しかった。ここは山北なので、下北から山北へ来たんだね、という小生の話も滑ってしまった。

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← 宿の部屋から丹沢の眺め。夜になったらオリオンなどの数え切れない星々や火星がくっきりと見えた。

 丹沢湖へは80年代の半ば頃、オートバイでやってきたことがある。246号線をひた走って、丹沢湖周辺を走り、何処かの岩場を見つけて、日溜まりのもと、休憩がてら読書。
 河原でのキャンプ、渓流釣り、温泉と楽しむアイテムはいろいろあるが、小生の旅はひたすら禁欲的というか、ワンパターンなのである。

 その頃は、読書が好きで本を読みたいが、オートバイも駆りたくてたまらず、両方を兼ねるということで、旅先へ本を持参することは忘れない。
 今回は友人たちとの旅なので、車だし、本を読む暇があるとは思えない…のだが、読み止しの山本健吉の文庫本をバッグの隅に潜ませておいた(やはり、触りもしなかった)。

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→ 夕食。板長をはじめ四人の料理人で作っているとか。どの料理も手が込んでいるし、丁寧な作り。とにかく、おいしかった。量もあったし。

 丹沢湖は、「旅と自然」の中の「2002年11月19日(火):丹沢湖の紅葉」で見ること出来る紅葉の画像でも分かるように秋も深まっておれば紅葉の名所となるように、景色がすばらしい。
「丹沢湖は、東に玄倉(くろくら)川、北に河内川、西に世附(よづく)川と、三つの川の合流点に作られた、三保ダムによる、人造湖」だとのこと。目的は、水流調節や、「神奈川県民の、のどをうるおすために造られた」とか。

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2005/12/28

国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた

 事情がありクリスマスイブの日から昨日まで帰省していた。田舎でのことはともかくとして、いつもながら感じるのは、列島の太平洋側と日本海側との気候風土のまるで違うこと。北海道と九州・沖縄と違うのは、緯度の違いもあって多少は想像が付くけれど。
 特に変化を強烈に感じるのは、なんといってもあの長い関越トンネルの前後において、である。
 今年の年末は例年になく雪が多かった。帰郷する時も寒いが雪のない関東側から上越側へ抜けた途端、雪国になっていて、ああ、日本海側が雪が多いって、テレビなどの報道の中の話だけじゃなく、本当だったんだ、なんて間抜けな感想というか感動のようなものを覚えてしまった。
 その雪のために列車のダイヤが乱れて、乗り換え・代行運転など面倒もあったけど、あとで振り返ってみると、それはそれで印象的な場面もあり、楽しい旅だったような気もする。
 当然ながら帰京(上京という表現は採りたくない)の折も関越トンネルを列車で通る。郷里も含め雪の降りやまない北陸。塩沢や越後湯沢の深い雪。駅のホームも雪がなぶるように降っている。まして、列車が走るとそれこそ叩きつけるような雪になる。
 そうして幾度となく潜るトンネル。最後に列車で走っても長く感じる関越トンネル。車内の明かりだけで外は当然ながら真っ暗である。
 それが、トンネルを抜けた途端、眩しいというか強烈な日差しが車内を光の洪水にしてしまう。時間にして三時ごろだったろうか。
 雪は? 何処かに雪は? あれほどの雪は何処へ消えた? 目を凝らして遠くを眺めると、山間に転々と雪があることはあるが、黒っぽい山肌に小さく点々と斑模様となっているだけである。開けた平野部には、雪などまるで他所の世界の話、さっきまでの深い雪が夢のようなのだ。

[別窓に移る前に、「折り句」の中の「短歌 二首  弥一&瑠奈」を見て欲しいのです。瑠奈さんが小生の寄せた歌などを使って素敵な絵柄を光の部屋に作ってくれました。瑠奈さんのサイトは、「雪月花」です。]

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2005/12/27

手袋は心の形に似ている

 今日の季語に「手袋」を選んだのは、昨日、分厚いビニールの手袋をはめて、ちょっとした作業をやったからである。
 郷里に居る小生、父に言われ、内庭に向かう屋根の雨樋に溜まった松葉を取ろうとしたのだ。内庭のそこそこの樹齢となる松の枝振りが立派過ぎて、先日来の雪の重みで撓んで屋根の上にまで掛かり、松葉が屋根瓦の上に大量に落ちる。
 雪のせいだろうか、常緑のはずの松葉も赤茶けた色になって、まだ枝にしがみついているものもあるが、雪を退けるとかなりの松葉が落ちている。雨樋にも溜まっていて、雪解けの水の排水を妨げる。
 そもそも日中の最高気温が零度前後だから雪解けもしないようなものだが、実際には日中に晴れることもあるわけで、直射日光を浴びると雪解けする。流れないと水が凍って氷柱になったり、松の枝や松葉やこびりついた雪などが、うまくすれば日光を浴びて屋根からとけ落ちるはずの雪の落ちるのを妨げるのである。
 アルミ製の梯子を屋根瓦に立てかけ、覚束ない足取りで梯子を上っていっての作業。怖くて下はあまり覗けなかったが、結構、高く感じる。

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← 富山の家を出る直前に撮ったもの。昨日の雪が解け始めていたのが、夜のうちに降り出して一層、深く積もってしまった。

 幾度となく梯子の位置を変えるため降りては場所を移動させ、梯子を上り、雨樋の松葉を取る。仕舞いには、止めの上まで伸びている庭の松の枝をノコギリで切り落としたりした。
 そんな作業をするのには、手袋が居る。それも夏場なら草むしりの際などは軍手だろうが、冬だと裏生地の施してあるゴムやビニールの手袋でないと雪掻きにしても庭仕事にしても困る。
 そうはいっても、帰省した折にほんの少し手伝うだけで、その日は雪掻きと松葉取りと食事の用意などで疲れ果てて、ダウンしてしまった。日頃、碌に体を使った労働などしていないのだ、雪掻きが好きだといっても、体が付いてこない。

 雪はひどく降るというわけではないが、それでも、夜が明けてみると、道路の両脇を除いては雪が掻き消されていたものが、一面の銀世界に成り果てている。人が疲れ果てていようと、もう、勘弁してくれよと思っても、容赦なく降る。
 そんな日々が豪雪が当たり前の頃は数ヶ月も続いたのだった。
 しかも、その頃は、雪掻きだけは楽しさ半分でやっていたけれど、そのほかの雪吊りを含めた庭仕事の一切をしないで育ってしまった。今でも、ほんの時折、帰るだけなので、申し訳程度の手伝いをするだけである。一家の大黒柱ともなったら、ずっしり重たい責任が圧し掛かるのだろうけど、今はただ、目先の簡単な作業を片付けるだけで精一杯。

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2005/12/26

連句を巻く?

 何人かの方が小生のブログサイトをブックマークしてくれている。それはとてもありがたいことである。無論、小生も何人どころではない方のサイトをお気に入りに入れさせてもらっている。ほとんどが片道というか一方的で、まあ要するに片思いのようなものだ。小生にお似合いのパターンである。
 さて、そんな奇特な方の中のブックマークのコメントに、連句を巻いてほしい、とあった。
 連句を巻く? そう、聞いたことはあるし、そんな文面も随所で見かけている。が、小生自身が連句を巻くなんてことはなかったし、関わったこともなければ、その場に臨席も見物すらしたことがない。
 そもそも、読書する本の中に俳句(や短歌、詩)関係の本もあるが、手遊びにすら、自分で俳句(あるいは川柳)を作ったこともない。

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← 雪の年の瀬を迎える郷里の家。 年の瀬や雪の布団で夢を見ん

 この季語随筆日記というブログサイトを運営し始めたのは昨年の秋口というには早すぎる夏の終わり頃だったが、ほんの気まぐれで俳句(か川柳か標語かその他かの区別も分からないまま)を作ってみたのは、その二ヶ月前、つまり昨年の七夕前日(時間的には七夕の日になっていたかも)だったのである。
 以後、この季語随筆を綴りつつ、少しずつ俳句に関連するあれこれを我が侭勝手に、気分次第で、徒然なるままに、勉強の真似事をしてきたのである。
 誰かについて学んでいるわけでもなければ、俳句の入門書を片手に、よちよちながらでも基礎から学んでいるわけでもない。
 このところの話題に事寄せて表現すると、基礎というか土台がなっていないのだ。柱もないし、壁すらないのかもしれない。壁紙で化粧する知恵もない。
 まあ、風流を気取るなら、吹き曝しの陋屋で我流の俳諧の道を夢見ているということになる…かどうか。

 一応、芭蕉の本を読んだりしているし、芭蕉と弟子のやり取りを仄聞するように読み齧ったこともあるが、さて、改めて「連句を巻く」って、どういうこと。似たような印象を受ける語に「歌仙」もあるし。連句と歌仙の異同は?

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炬燵や囲炉裏で見る夢は

 帰省している。新幹線を使った。本を読んでいて外の景色の変化に気が付かなかったのだが、越後湯沢を過ぎた頃だったろうか、列車内の誰かが「雪!」と言った。思わず外を眺めると、東京の景色とは打って変わってすっかり白銀の世界となっている。
 いろいろトラブルがあったが、とりあえずなんとか予定よりは二時間半ほど遅れて帰宅した。家に着いてみんなが集まる茶の間に入ると、まず目に付くのが(テレビと)炬燵である。東京の我が家は狭くて、その上ダンボールなどが山積みになっていて炬燵など設置する場所がない。電気ストーブが唯一の暖房である。

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← 紫苑さんにいただいたものです。「わが家のクリスマスツリー」だとのこと。皆さんは、どのようなイブでしたでしょうか。小生は…

 だから、冬、帰郷して嬉しいのは炬燵に当たれることだ。昔のような掘り炬燵ではなくなっていて、電気の炬燵だけれど、見た目は同じだし、毛布や薄手の布団をかぶせてあって、その上には四角いテーブルが載せられている。
 思えば、昨年の12月は炬燵を採り上げていなかったような。冬12月の季語だというのに。あるいは他の月に触れたことがあったかもしれない…。
 そう思って探してみたら、一昨年の11月に、季語としてではなく、あくまで炬燵の由来や囲炉裏との関連であれこれ詮索しているのだ。ホームページで載せてあるが、季語随筆に関連するということで、改めて別窓にその時の雑文をそのままの形で載せておく(張ってあるリンクだけ、多少、変更してある)。

 気づかれた方もいるだろうが、囲炉裏も冬12月の季語の季語(仲冬)である。
「囲炉裏」については、特に探求したことはないが、掌編「筍 の 家」では、囲炉裏のある部屋が物語の主な場になっている。同じく、掌編「銀箭(ぎんぜん)」も、物語は囲炉裏のある部屋を舞台に展開している。
 他の掌編の中でも囲炉裏のある部屋が登場しているかもしれない。小生は囲炉裏のある部屋に住んだことはない(記憶にある限りは)。ただ、親戚には囲炉裏のある家があって、その家には何度か泊まったことがあったようである。自分でも分からないのだが、囲炉裏は想像力を掻き立てるのだ。

 ネット上で「炬燵」の織り込まれている句を探すと、「よっちのホームページ」の中で以下の二つを見つけた(小生の拙句は末尾に載せる):

思う人の側へ割込む炬燵かな    一茶
耳遠く病もなくて火燵かな    虚子

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2005/12/25

鎌鼬(かまいたち)と真空と

季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を眺めていたら、今日はなぜか、表題にある「鎌鼬(かまいたち)」なる季語に惹かれた。
 子供の頃、意味もなく、わけも分からず、「かまいたち」という言葉を使っていた。誰かが聞き込んできたのだろう、その言葉は正体の知れない妖怪か何かの仕業を指すということで、原っぱなどで野球をしていて、別に何かにぶつかったとか擦ったというわけではないのに、切り傷のような怪我を負った時、「かまいたち」のせいだ、ということになった。

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← 雪の長岡にて。帰省の列車が架線事故で動かず、長岡からバスでの代行輸送となり、バスに乗り込んだのだった。向かうは直江津。そこから再び列車に乗り込んで、一路、富山へ。思えば昔は長岡乗換えが常だった。久しぶりに長岡で蕎麦を食べることが出来たのも、トラブルのお陰かもしれない。雪の中のバスの旅が風情があって楽しかった。村上春樹の『海辺のカフカ』を手に、ほとんど寝てすごしたけど…。

 野球とか缶蹴りなどをしている本人は夢中なので、いつどういった訳があって傷を負ったのか分からない。そんなとき、それは「かまいたち」のせいだと言って、騒いでみたりする。その騒ぎがまた楽しかったような。
 もしかしたら、水木しげる辺りの漫画か何かから仕入れた言葉だったのかもしれない。

「かまいたち」は、「鎌鼬」と表記することもあれば、「窮奇」と表記することもあることを、今回、ネット検索していて初めて気がついた。
 俳句の季語では、「鎌鼬(かまいたち)」という表記が使われることが多いようだ。
俳句歳時記 宝石」の「季語集・冬」では、「鎌風」という異名があり、「突然皮膚が裂けて刃物で切ったような傷ができること」と説明されている。
 ホームページが見当たらなかったが、「サンデー山口」の「札の辻・21 No.159 (2003年2月16日)」の中では、「冷たい寒風が手足に触れると皮フが裂け出血する。昔はイタチに似た妖獣の仕業とした。あかぎれとも。季は冬。」と説明されている。
 そうだった。「鼬(いたち)に似た妖獣の仕業」と言われていたのを思い出した。漫画でも幾度となく見たような。

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