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2005/02/05

春菊徒然

 今日の表題に「春菊」を選んだのは、単純明快。今年に入って、久しく我慢していた外食をほんの少し解禁し、タクシーでの営業の日の夜中過ぎ、時にはそろそろ明けようかという刻限に、何処かの蕎麦屋さんに入っている。
 というか、それが楽しみで営業しているようなもの。7年続く不況に、一昨年から外食は一切、控えてきた。昨年春からは書店に立ち寄ることも止め、本は全く買っていない。今年に入ってからは新聞の購読も止めた。美術館巡りも数年前から止めている。ひたすら耐乏生活である。ここまで来ると、自虐的な気分になり、もっと自分を虐めてやれ、なんて思ってみたり。
 が、そこはそれ辛抱のならない小生なので、一月の半ば頃だったか、夜半過ぎ、あまりにお客さんの姿が見つからなくて、懐具合が淋しく、せめてお腹だけでも温めてやろうと、久々に蕎麦屋さんに入ったのである。大好きなラーメン屋さんは、まだ、厳禁である。悲しい!
 蕎麦屋さんとはいいながら、小生は、ソバよりウドンを注文することが多い。なんとなく腹持ちがいいような気がするからだ。ウドンは、たぬき。そこに玉子やらコロッケなどを載せる。
 が、健康のこと、消化のよさを考えて、ソバを選ぶことも多くなっている。ただ、ソバを注文した場合でも、たぬきであり、卵とコロッケを載せる(卵と玉子とは、同じ? 違う?)。
 ところが、である。一月は、たぬき一筋だったのだけれど、今月に入ってからは春菊ソバを頼むようになった。

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2005/02/04

いぬふぐり

 昨日が「猫の恋」だったので、今日は流れから言って「いぬふぐり」以外には考えられなかった。「猫の恋」が季語として選ばれるのだから、犬の恋も季語として選ばれてもいいはず…、でも、よりによって何故、「いぬふぐり」なのだろう。
「いぬ」は分かるとして「ふぐり」というと、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」の「ふぐり」の項を参照させてもらうとして、「(1)睾丸(こうがん)。きんたま。いんのう。 (2)松かさ。まつふぐり。」という二つの意味のうちの前者だろう。
 いざ鎌倉という際には、必要不可欠な逸物だとはいうけれど、いくらなんでもあからさまじゃない。
 なんてのは、冗談で、「いぬふぐり」(いぬのふぐり)とは、別名、「ひょうたんぐさ」(ごまのはぐさ科Veronica属)であり、「代表的な路傍の花で、直径数ミリの小さな淡紅色の花である
 但し、「日本の在来種であるが、現在は下記の二種類の帰化種に圧倒されて殆ど見ることが出来ない」という(「いぬのふぐり  ―奇蹟のベロニカ―」より。「下記の二種類」についてはこのサイトを覗いて確認して欲しい) 。
 上掲のサイトによると、「和名のいぬのふぐりは、さらにユーモラスで、日本人の想像力の豊かさを示す、優れた名前である。路傍の花の持つ逞しさ、豊かな生命力に通じるものであろう」というのだが、確かに名前はユーモラスではあるが、花のどの部分やイメージを元に、こうした名前が付けられたのだろうか。

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2005/02/03

猫の恋

 2月の季語例を眺めていて、今月もやはり奇妙な言葉が見つかる。
 奇妙と感じるのは、小生の教養が足りないからだと言えばそれまでだが、「いぬふぐり」とか、「磯竈」、「獺の祭」と、風習や歴史的背景を知れば、納得できるのかもしれないけれど、それにしても、すぐには到底、ピンと来ない。「雪しろ」も、雪に関係するのだろうが、小生は初耳の言葉のはずだ。
 さて、今日の表題に選んだのは「猫の恋」。これは分かるような分からないような。
 まあ、猫だって恋するのだし、となると、きっと猫のあの恋しい相手を呼び求める声もあって、「猫の恋」が俎上に登るのだろうけれど、分からないのは、何故に季語として選ばれたのか、また、選ばれること自体はそういうこともありかなと思っても、何故に2月の季語なのか、ということ。

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2005/02/02

春の風邪

 今、列島にはかなりの寒気団が襲っている。が、俳句の上では春がやってきたことになっている。
 今日の表題を「春の風邪」にした理由は単純明快で、自身が風邪を引いてしまったこと、そして2月の季語に「春の風邪」があるのを見つけたからである。
 なんだか、今の自分には誂え向きの季語である。あてつけがましいほどだ。
 もう、今日はこれしかない。
 実は他に試みたい課題があったのだが、体調を崩していて試みるだけの気力が湧かず、断念してしまった。
 さて、「春の風邪」が2月の季題(季語)の一例にあるというのは、何故なのだろう。
「春の風邪」については、「命にかかわる風邪ではないが、何となく艶っぽい」とか、「余寒や寒気のぶり返しから、春になるとひいてしまうのが春風邪です」などと説明してある(ここには、「病にも色あらば黄や春の風邪」(高浜虚子)や「布団着て手紙書くなり春の風邪」(正岡子規)が載っている)。
 「週刊:新季語拾遺 最近のバックナンバー 2002年3月31日」によると、「春先は寒さが不意にぶり返す。季語ではそれを「冴(さ)え返る」とか「寒戻る」と言う。また、立春以後の寒さを「余寒」とか「春寒(はるさむ)」と呼ぶ。寒さがぶり返しながら、季節は確実に本格的な春へ向かっている。」という。
(そのうちに、集中の「余寒」とか「春寒(はるさむ)」などは表題に採り、こうした言葉の周辺を探ってみたい。)
 その上で、同上サイトでは、「気候が不安定なだけに、うっかりすると風邪を引く。「魔女といふ綽名(あだな)のひとの春の風邪」(内田美紗)。こんな句があるが、魔女と呼ばれる人でも引いてしまうのが春の風邪。しかもぐずぐずと長引く。」と続いている。

[以下、今日は、ただの日記になっています。]

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2005/02/01

絵踏(えぶみ)

 今日の表題に選んだ「絵踏(えぶみ)」は、2月の季語である。
 江戸の世になりキリスト教の禁教令が徹底され、隠れキリシタン(切支丹)ではないかどうかを確かめるため、キリストの絵姿などを踏めるかを検分するという、幕府による取調べ方法の一つである。
(参考に、「キリシタン関係史」年表をリンクさせておく)
 我々に馴染みの言葉では、「踏み絵」がある。この踏み絵と絵踏とは、どう違うのか、同じなのか。
 踏み絵(踏絵)とは、踏ませるキリストの似姿(あるいはマリア像)などを指し、絵踏とは、踏む(踏ませる)行為を指すと言う。
今村カトリック教会」というサイトで踏み絵の事例などを見ることができる。
 では何故、この「絵踏」が二月の季語となったのか。
 それは、江戸時代、長崎において、(旧暦の)正月の四日から八日までの間、この絵踏を行事としていたからである。「長崎の町やその周辺での宗門改めは徹底したものでございましたから、長崎抜きに語ることの出来ない季語ではありますものの、切支丹と縁のない大方の地の人々にとっては丸山遊女の絵踏の錦絵を見るなどして、華やかなものとして存外捉えていたのかも知れない」という(「多聞庵」中の「長崎歳時記」「長崎の季語を探す」の項より)。
「丸山遊女の絵踏の錦絵を見るなどして、華やかなもの」として捉えていたのはなぜかというと、「江戸初期に始まり、一八五七年の廃止まで長崎奉行の下では、毎年正月四日から行われ、とりわけ八日の丸山町の絵踏みは、着飾った遊女らがこれを行い、久米の仙人ならずとも、遊女の素足の脛が拝めるとあまた見物が押し寄せたとい」うのだから、無理もない。

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2005/01/31

淑気と春隣と

 早いもので一月も今日で終わりである。一体、何をしていたのだろうと思い返す間もなく、今年に入っての最初の一ヶ月が過ぎ去ろうとしている。
 といって、今日になって慌てて何かやろうと思っても、何ができるものでもない。せいぜいが繰り言を愚痴っぽくなく呟いてみせるのみである。
 今日の表題は、「淑気(しゅくき)と春隣(はるどなり)」とを選んだ。どちらも、いい意味合いや雰囲気を持った言葉であり、個々に表題に掲げていいくらいの季語である。そう、どちらも、1月(新年)の季語なのである(なぜか、この表の事例には「淑気」が載っていないようだが…)。
 最初にそれぞれの意味を確認しておこう。

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2005/01/30

春着

 1月の季語に「春着(はるぎ)」がある。
「春着」、時には「春著」と表記することもあるようだ。
 前から気になっていたのだが、小生には縁遠い着物に関係しそうなので、表題としては勿論、話題としても触れる気にはなれなかった。
「着物」というと、和服であり和装である。「着物」という名称は、決して洋装の衣装は意味しない。ドレスでもジャケットでもスカートでもない。浴衣か袷(あわせ)かは別にして、とにかく古来よりの(といっても遡っても室町時代のようだけど)日本人に馴染みの衣装を意味するのである。
 ところで、「春着縫う」となると、「新年に新しく着せるために着物を縫うこと」であり、初冬の季語となるようである。
 尚、春着には、類題・傍題として、「正月小袖 春小袖 春襲 春衣装」があるという(「近代季語についての報告(二)秋季・新年編  文学研究科 国文学専攻   博士後期課程  橋本 直」より)。あるいは、「春箸 春衣 春服 初重ね 初衣裳」など。
 着物など、小生には、テレビでは時代劇で見るか、料亭や旅館の女将(おかみ)、芸者という連想くらいしか働かない。夏になると、この数年の現象なのか、街中でも花火などの際に浴衣姿の若い女性の姿を見かけるようになった。恐らくは着物業界の懸命の努力があるのだろう。
 もっと気安く気軽に着物に接してもらいたいという意図もあるとか。
 ところで、日本では近年、ブランド店の開店ラッシュである。その中のある有名ブランドは、日本の着物とも浅からぬ縁があるという。

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