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2005/12/10

「狩の宿」から「冬の旅」へ?

 例によって、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」を徒然なるままに眺めている。このうちの二十個ほどの季語は採り上げている。
 それでも、相当数、扱っていない季語が残っている。
 ふと、表題にある「狩の宿」に目が留まった。
 記憶には定評のない小生だが、確か、ついでの折に言及することはあっても、未だ主題としては選んでいないはず…と思ったら、あった!
仮の宿」(December 10, 2004)
 が、よく見たら、「仮の宿」であって、「狩の宿」ではないのだ!
 実に紛らわしい。
 ただし、実際、その記事の中では、以下のように書いていて、簡単に「狩の宿」という冬12月の季語に触れている:

 

「仮の宿」は、季語でも何でもない。
 ただ、これが「狩の宿」なら、冬、それも12月の季語のようである。文字通り、狩りをするための宿で、昔なら、山間の粗末な(?)小屋だったりしたのだろうが、今なら、旅館かホテルか、とにかく立派な宿舎なのだろう。
 いずれにしても、「狩の宿」は、今の我々には馴染みが薄い。あるいは、全くない。

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2005/12/09

12月8日のこと

 今日は何の日、なんて改まった問いなど小生のサイトではあまり投げかけたことがない。
 でも、まあ、テレビ・ラジオでは、「元ビートルズのメンバー、故ジョン・レノンが凶弾に倒れてから8日でちょうど25年が経つ」といった話題が盛んに流れている。
 1980年に「40歳という短い年月で生涯を閉じたレノン」。そして彼を射殺した殺害犯のマーク・チャップマン受刑者(50)は、小生とほぼ同年代。つまり、同じ年頃の狂信的なファンがジョン・レノンを殺したことになる。
 小生は、高校時代からのビートルズのファンだった。が、実際にレコードやテープを買ったりしたのは大学生になってからのこと。
 けれど、大概はラジオが頼りだった。ラジオから流れる歌謡曲や演歌に耳を傾ける一方、アメリカの60年代のロックに傾倒していった。

 大学の帰り道、いつもならバスを利用するところ、なんとなく歩いて帰りたくなって、一時間半の道のりをただ淡々と歩く。
 声には出さないが歌を絶やすことはない。
 70年代は歌謡曲全盛の頃だったので、歌う歌に困ることはない。洋楽でも、ビートルズだったりミッシェル・ポルナレフだったり、ホセ・フェリシアーノだったり、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、まあ、思いつく限りの歌手の歌をサビの部分を中心に歌って歩く。
 感傷的な気分に深く深く浸っていく。友達と喫茶店などで語り合っていても、お気に入りの曲が流れ始めると、話などまるで聞こえなくなる。音楽の世界に飲み込まれていく。世界が曲の色に染まっていく。
 大学生になって三年目頃、下宿住まいを始め、中古のステレオを入手し、初めてレコードを何枚か買い始めた。もっとも、アルバイトで本代を稼ぐのがやっとだったので、買えたレコードの枚数は、大学を卒業する頃になってさえも、十数枚に過ぎなかったように思う。
 入学直後に、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に感激しクラシックに開眼。友人宅に行くと、主にクラシックのファンだった友人はベートーベンやモーツァルトの曲を掛けてくれるのだが、ポピュラーな曲以外は、耳に入ってこなくて、自分にはクラシックは縁遠いものと思っていただけに、メンデルスゾーンに聞き惚れたことは突破口みたいになり、ブラームス、シベリウス、ワーグナー、シュトックハウゼンなど、FMラジオから流れる曲を待ち焦がれるようになった。

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2005/12/08

後日談あれこれ

二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと」で、横綱朝青龍(25=高砂部屋)のこと(この記事の時点ではまだだった、関脇琴欧州の大関昇進もすでに決定した! おめでとう!)と、小惑星探査衛星「はやぶさ」のことに触れている。

 この記事を書いた時点では、「はやぶさ」は、11月26日のタッチダウンに成功し、プロジェクタイル(発射体)が発射され小惑星「イトカワ」の試料採取にも成功した、ただ、直後、姿勢制御を失ったりとか、通信事情が困難になったという懸念される情報があって、目下、軌道修正作業中と書いている。

 が、昨日の(ラジオでの)ニュースで、「11月26日のタッチダウン直後から姿勢制御を失っていた「はやぶさ」に対し、プロジェクトチームはいくつかの緊急避難的な手段を講じることで、地球との通信速度を徐々に回復させてき」たこと、さらには、「試料採取のためのプロジェクタイル(発射体)が発射されていなかった可能性も出てきてい」ることなどの情報を得てしまった。
 データ解析の結果、当初の成功の報は、ぬか喜びに終わった…らしいのである。
「プロジェクトチームは、軌道再設定も含めた地球帰還に向けた努力を続けてい」るとのことだが、是非とも、帰還の可能性を探って欲しいものだ。
 プロジェクタイル(発射体)の発射は、火薬の消費というデータが得られないことから、なかったとしても、タッチダウンの際に極微量の資料を得た可能性は残っている、というのだし、帰還という光景を数年後に見、その頃には終わっているかもしれない、何処かのプロジェクトXかYに特集として採り上げられたら、楽しいかなと思う。

枯木立からケルト音楽を想う」の中で、紅葉した果てに路上などに散った枯れ葉の行方や末路をやや感傷的に綴っている。

renge-kareichou

 都内の主要幹線道路などに散った枯れ葉は、路肩付近に吹き寄せられ、やがて清掃車に運び去られていく、とまでは書いたが、さて、ただのゴミとして処理されて終わってしまうのか。

← 蓮華草さんに戴いた黄葉し散り敷かれた「金色の道」です。

 あるいは、地域によっては堆肥などの形で生かされるのか。
 裏通りだと、民家の前に堆積すれば、地域の人が掃き集め、ゴミにされてしまうのだろうが、住宅の前でない場合、風に吹かれ、車に何度も踏み潰され粉々になり、その末路は追いきれない。徹底して最後の惨状を追えば、それはそれで一個の語られざる物語となることだろう。

 一方、並木道だったり、山や郊外の散歩道などの土の道だったりすると、イチョウにしても散り敷かれた落ち葉は、まさに枯葉の絨毯となって目を癒し、足取りを和らげ、やがては朽ちていくとしても、それが土壌の地味となって細菌などの餌という形を通じて、いつかは木々の滋養分に還元されていく。
 機会があったら、枯れ葉の行方を探求してみたいものである。きっと、一冊の本にするに値するほどの情報が得られるものと思う。

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2005/12/07

氷輪…冷たく輝く月

 あるサイト主によりTB(トラックバック)していただいた。TB元である「秋・冬の現代俳句十句。皆さんのお好みは?|サイン、コザイン、タンジェント」へ飛んで頁を覗いてみると、幾つかの句が載っている。
 その中に、「氷輪に白々照らされ松の影」という句があった。一瞥して「氷輪(ひょうりん)」という言葉に目が。
 小生、「氷輪」という言葉を知らない(あるいは忘れてしまった)。
 調べてみると、「冷たく輝く月」だとか。
 語感もいいが、意味合いがなんとも今からの時期の月を表現するに最適なような気がする。

 TBしていただいたお礼の意味も込め、逆TBすると共に、コメントを残してきた。その際、小生のこと、一句、付したことは言うまでもない:

mikaduki
 氷輪に孤影映して山の道

← 6日夕方の月。肉眼ではくっきり三日月だったのだけど…。

   目に冴えし三日月なれど澄まぬ恋

 今日も夕方、洗濯物を取り込もうと、カーテンを開けてみたら、いきなり右斜め上の空に近くのマンションや二階建ての屋根の上から我が茅屋を見下ろすように、明日8日には半月(上弦)となるはずの、昨夜よりはふくよかになった三日月が。
 位置からして霄壤の月というわけにはいかないが、空気が乾燥している分、澄み渡った空に月影が冴え冴えと照っている。
 正しい表現(方法)になるのかどうか、分からないが(例えば、三日月には使えないとか、時期が問題だとか、同じ月でも時間帯によって光輪を使えないってこともありえるかもしれない)、あれこそ「氷輪」なのかと、覚えたての言葉を口ずさんでみたり。
 大慌てでデジカメを取り出し、自分の腕前では三日月など画像に取り込めるはずもないと思いつつも、撮影を試みたことは言うまでもない(案の定、三日月が、黒い画用紙に落ちて滲んだ白点になっちゃった)。

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2005/12/06

落句拾遺アップのお知らせ

 小生の雅句駄句落句、11月の成果をアップしました。
 これまでは「雅句駄句拾遺」と銘打っておりましたが、このたび、堂々「落句拾遺」と謳うことにしました!

sion-minamiza

← 紫苑さんに戴いた京都南座の画像です。中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露とか。詳しくは画像掲示板の829を参照してください。

 落語なる芸事があるなら俳句ならぬ落句なる芸能があってもいいじゃないか、ということです。
 だからといって、別に、その、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露に対抗しようなどといった野心があるわけじゃありません。

落句拾遺11-1」へゴー!

(覗きに行ったら、素敵な画像に逢えるかも!)

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2005/12/05

山眠る…白き屏風

 11月に比べて12月の季語・季題例の多いこと。
 少ないのも困るが、多すぎるのも目移りしてしまって、選り取り見取りなんて言っていられなくなる。「12月は季題が豊富にあります」に示したように、すでに相当数、昨年の12月に扱っているという事情もある。
 それでも、表をぼんやり眺めていたら、なぜともなく「山眠る」に目が留まった。
 なんとなく、昨年末はともかく、すでに触れたような気もする、のだが。
 調べてみたら、「山笑ふ・花粉症・塵」(March 13, 2005)の中で、「山笑う」に連なるような季語・言葉ということで、「「山笑う」というと、「山眠る」(冬)「山粧う」 (秋)といった季語を思い浮かべる方も多いだろう」と書いている。
 以下のように「山眠る」「山笑う」)「山粧う」 といった一連の季語について典拠を示している:

西部医師通信 No.16」などによると、「北宋の画家・郭煕の 「林泉高致」 に 「真山水の烟嵐、 四時同じからず。 春山とう冶にして笑ふが如く、 夏山蒼翠にして滴る如く、 秋山明浄にして粧ふが如く、 冬山惨淡として睡るが如し。」 とあることから来ている」とか。

 但し、「さきわいみゅーじあむ」の「今月の季語」の当該項によると、「出典は「臥遊録」の「春山淡治にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」から」とあって、「春山とう冶」と「春山淡治」といったふうに、若干、表現が違う。
「春山澹冶(たんや」といった表記を示しているサイトもあったりする。

 意味合いとしては、「珈琲とリスニングのバッハ,リスニング,隠れ家,スローライフ」の「季節のことのは・冬」に見出されるように、「雪を冠った山は、すっかり木々の葉を落としした冬山の景は、まさに「山眠る」です」ということのようだ。

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2005/12/04

『人生は風車』(副題・ジョーンズの練習日記 12/04の巻)

[消去]
[ちょっとデータが古いけど、ここ「■ブラジル音楽情報サイト ~試聴室」でサンバの曲の数々を視聴できます:サイト管理者(=弥一だってば)注]

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「ケルト文化」補筆

 訂正乃至注釈を加えておくべきことがある。
 前日の季語随筆「枯木立からケルト音楽を想う」の中で、小生は、「木」の文化とギリシャ・ローマ文明(それらを源流とするヨーロッパの文明)が文字があり従って記録(文書)があるという点で「石」の文化であり、片や文字を持たないという意味で「ケルト文化は「木」の文化であって、今日、その痕跡を見出すのは困難である」などと書いている。
 参照した「ブルースマンのケルト考  陳五郎」なるサイトでは、ちゃんと以下のようにして異を唱えているというのに:

朽ちた文明、あるいは腐食する文明。研究者は、故にケルト文化を「木」の文化と定義づけようとする。石造りの巨大な建築物や、神々や人物像等さまざまなものを現在に残すギリシャ、ローマを「石」の文化と位置づけ、これと対比させるようにして。最初この説にであった時はなるほど巧く言い表すなと感心したが、だんだん「木の文化ケルト」という表現が的はずれなもののように感じられてきた。いまや定説となったこのたとえが、果たして言いえて妙なのかどうか。

 小生は、時間の制約もあってケルト文化に関する情報をネットから見つけられなかったので、少々、引きずる面はありつつも、気になっていた。
 その日の夕方、図書館へ行った。その際、ケルト関連の書籍を物色。中に出色の本があった。それは、『松本清張のケルト紀行 (フォト・ドキュメント歴史の旅人) 』(松本 清張/佐原 真著、NHK出版編、飯田 隆夫写真、日本放送出版協会)である。
「内容説明」には、「スコットランド北端の島から南仏カルナックに到るまでの、ヨーロッパに散在する巨石記念物と、巨石聖徒ケルトの文化をたどる苛酷な取材の日々の中で、旺盛な好奇心に満ちた巨匠・松本清張の素顔を追う」とある。
 どちらもすでに故人である松本 清張/佐原 真の両氏は、共に小生の好きな書き手(作家あるいは学者)で、こんな本があったことに今頃、気づくとは情けなく感じたものだった。
 本書には、ケルトに関連する遺跡の数々が、豊富な写真で示されている。まさに紀行文なのだ。
 今世紀に入ってからもケルト関連の遺跡・遺物が相当数、発見されているらしい。
 その遺跡が、石作りのものが多いのである。石の遺跡の数々を次々と見せられて、小生、自分の記述の浅薄さと迂闊さが指弾されるようで、気恥ずかしく感じられていた。
 念のために断っておくが、「ケルト人がイングランドに流入してきたのは紀元前5世紀頃と見られている」のであり、有名な巨石遺跡であるストーンヘンジは、彼らの流入以前からあったものである。

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