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2005/11/19

木の葉髪…梳くいようなし?

 例によって「俳句ステーション」サイトの「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」表を眺めていたら、表題に示した「木の葉髪」が気になった。

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← 11月19日、東京某所の公園にて 眼福だ!

(実を言うと、ボージョレ・ヌーボーの発売日でもあるし、ワイン関連の季語は見当たらない代わりに、今日は「熱燗」という乙な季語を採り上げようかと一瞬、思った…けれど、酒が飲めないし、ワインを買うゆとりも、呑めないまでも部屋に飾ってみる…なんて遊び心もないので、まあ、「熱燗」は12月にこそふさわしい季語のようでもあるので、小生らしく「木の葉髪」に決めたのだった…。
「普通50度前後がうまいとされるが、寒さ凌ぎに特に燗を熱くして飲む」というが、ワインを熱燗にするわけにもいかないってことも、「熱燗」をとりあえずは取り下げた理由ではある。)

 前日の季語随筆「枯葉の季節は詩人を生む」で示したように、季語である「木の葉」の意味合いは、「落葉も枯葉もいう、緑を失った朽ち葉全体をいう」らしいのだが、そのことの(つまり、なぜ「木の葉」とあるだけで冬の葉っぱの状態を指してしまうのかということの)若干の不可解さもともかくとして、「木の葉」が冬の寂しげな葉っぱの在り様を含意するとしたら、「木の葉髪」って、きっと…と思って調べてみた。
 案の定である。「木の葉髪(このはがみ)」とは、「初冬木の葉が落ちる頃になると人間の頭髪も脱け易くなる」の意だという。

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2005/11/18

枯葉の季節は詩人を生む

 この数日間、読書拾遺関連の記事が続いたので、今日は、本筋に戻って(?)季語随筆を。
季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」の一覧表を眺めていて、「枯葉」が気になった。
 先月だったか、あまりに暖かな秋の日が続くので、今年も紅葉は遅いのかな、年末になっても街路樹の葉っぱは落ちきらないのかな、と思っていたら、この数日間は、晩秋というより冬の到来を思わせる寒さが都心をも見舞っている。

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← 蓮華草さんに戴いた談山神社・十三重の塔の画像です


 といっても、さすがに一気に紅葉したわけではなく、緑の葉と茶褐色や黄色の葉っぱとが混在している。日当たりのいいところの樹木と、ビルの陰になりがちな並木たちとは、葉っぱの色の変わり方も歴然と違うのが面白い。木々というか自然は正直に気温の変化や寒暖の差に敏感に反応するのだ。
 季語としての「枯葉(かれは)」を念のため語義などを確認しておくと、「枯れた木の葉、草の葉をいい、地に落ちたもの枝に残ったもの全て」なのだとか。
 関連する季語をざっと見渡しておくと、まず「落葉」があって、「落葉時 落葉山 落葉箒 落葉籠」といった傍題があり、「木枯が吹き始める頃、褐色になった梢の枯葉もぱらぱらと散る」という。
「柿落葉」なる季語があるのは、さすがに俳句の世界なのかなと思ったりする。「柿の葉散る」という関連語があり、「オレンジ色や黄色に色づいた大きな葉、艶めきと切なさが漂う」…。

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2005/11/17

読書拾遺(ウォード)

 先週末の読書でちょっとした収穫があった。ジャクリーン・ウォード著の『夜にめざめて』(河野槇訳、青弓社)である。副題が、「ある娼婦の告白」。
 出版社の謳い文句によると、「色とりどりのネオン、人々でにぎわうピカディリーの夜のもう一つの顔。運命に翻弄され、思いがけない職業についた女性。ロンドンの元娼婦がみずからの苛烈な体験を赤裸々につづった衝撃のノンフィクション。──私は二度とあの世界に戻らない!」とある。
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 平成5年の刊行。『まだ見ぬ書き手へ』(朝日新聞社=紹介済み)は、平成6年の刊行なので、『夜にめざめて』が出たのは、小生がそろそろ首切りという事態に見舞われる前年ということになる。

→ 紫苑さんにいただいた薔薇の画像です。

 当時、徹底して精神的に落ち込んでいた小生は、会社と自宅を機械的に往復するだけで、自宅に帰ったら即座にベッドに倒れ込み潜り込んで、ひたすら横臥しているだけで、次の朝、目覚ましが鳴ったら同じく機械的に起き上がって会社へ向かうという日々が続いていた。
 必要最小限の買い物以外は一切、外出するはずもない。部屋のベランダに向けた窓もカーテンも、快晴だろうと週末だろうと締め切ったままだった。
 だからだろうか、ベランダの外壁に据え付けられているエアコンの室外機の取り付け金具にハトが営巣し、ついには卵を産み落とす、という一幕もあった。
 つまり、外界への関心を抱くことのなかった小生の部屋の窓もカーテンも微動もしない…、それほどにハトからしたら人の気配のない安心できる場所だったわけである。

 93年当時、一切、体を動かすことをせず、また、いろいろな重圧や懸念に打ちひしがれていた小生は、体にも変な症状が出ていた。たとえば、別に医者に体を見てもらって診断を受けたわけではないが(病院に行く気力もなかったし)、メニエル症かメニエル症候群と思われるような症状に苦しんでいた(11月16日未明にNHKラジオでメニエル症やメニエル症候群の話をされていたっけ)。
 ベッドからうっかり起き上がると意識が、それとも部屋の中の光景が脳裏で、あるいは脳裏の一点を中心にグルグルと回転し始めてしまうのである。止まらない高速回転のメリーゴーランドに縛り付けられているようで、仕舞いには嘔吐感に襲われた。
 回転が止まるまでは身動きもならなかった。
 ベッドから起き上がる際には、意識(景色)が体から遊離して勝手に動き回らないよう、ゆっくりそうっと、という要領で体を動かさないといけないのだった。

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2005/11/16

読書拾遺(ダーウィン、ミミズ、カメ)

副題:「動物生態学者の中村方子氏とミミズの研究」

 金曜日はタクシーの営業の日。まだお盆気分が抜けないのか、仕事のほうは今一つ、パッとしない。となると、楽しみなのはラジオと読書である。
 車中に持ち込む本は、読みやすい本、活字の大き目の本、本としては嵩張らないものという選択基準があって、金曜日は前日に図書館で借りてきた、池田 晶子著の『オン!―埴谷雄高との形而上対話』(講談社刊)である。

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 念のため、出版社側のレビューだけ転記しておくと、「埴谷を興奮させた50歳下の若き女性哲学者ハニヤユタカ、イケダアキコ、それぞれの固有名で扮装した「よく似た意識」が遭遇して9年。思想史上のエポックともいうべき86年と92年の対話、流浪の処女論考「埴谷論」の決定稿、ほか、この1冊が、埴谷雄高を「難解」から解き放つ。
いざ、スイッチ・オン!」だとか。

← 明け方、目にはやたらとでっかいオレンジ色の月影。でも、撮ると得体の知れない画像に…。

 本書『オン!―埴谷雄高との形而上対話』については後日、採り上げることがあるかもしれない

 ラジオでは音楽とニュース番組を主に聴いている(勿論、お客様が乗られている間は、ボリュームを下げるかオフにする)。
 金曜日もあれこれ音楽を聴いたり、話を聴くことができたが、そんな中、小生には初耳の名前だが、動物生態学者である中村方子氏の話を聴けたので、せっかくなのでメモ書きしておきたい。
 話は、NHK関西発ラジオ深夜便[インタビューシリーズ「私の戦後60年」アンコール(5)]でのこと。アンコール(5)とあるが、小生が聞いたのは、昨夜が最初で今のところ最後である。

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2005/11/15

読書拾遺(白鳥と芥川)

 相変わらず正宗白鳥の短編集をちびちびと読んでいる。一週間で短編を二つほど。
 今日は、「生まれざりしならば」(1923年)という短編を一個、読んだ。もう、これだけで本日の読書は足れり、という充実した読後感があった。
 今日、正宗白鳥という作家の存在は文学や読書界ではどういう位置付けとなっているのだろうか。世の読書家たちは、彼をどう評価しているのだろう。
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 それとも、もう、忘れられた存在?
 あるいは、せいぜい小林秀雄の巻き起こした数々の文学論争の一幕として時に省みられるだけ?

← 東京に怪獣出現?!

 小生はもう、小林秀雄が「作家の顔」という小論の中で正宗白鳥をどう批判していたか、覚えていない(小林秀雄に対しての興味もとっくに薄れているし)。
 確か、白鳥がトルストイについて書いた評論に対する論難だったはずだが。
 所謂、「思想と実生活論争」という奴である。
正宗白鳥『文壇五十年』より」なるサイトを開くと、扱うテーマは違うが、正宗白鳥の面目躍如といった評論を読むことが出来る。
「正宗白鳥は現實主義者で、常識人であつたから、理想主義者トルストイの死を卑俗な觀點から解釋して小林秀雄と論爭をしてゐる。さう云ふ白鳥にしてみれば、將來の世界統一、世界平和なるものが馬鹿馬鹿しい妄想にしか思はれなかつたのも當然であらう」とある。
 まだ十個ほどの短編を読みかじっただけだが、白鳥の人間や世間で生きる人間の生活を見る怜悧とも思えそうなリアルな目を実感させられている。

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2005/11/14

大根…おでんだね

 例によって、「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」を眺めて、あれもいまいち、これも興が湧かない、こんなのは宗教的行事で馴染みがない、などと迷った挙句、今日は、「大根」で決まり。
「大根」が冬の季語なのは、そろそろ雪でも降ろうかという気配の漂う畑に真っ白すぎて青褪めているような、立派な大根が育っていて、その大根を引っこ抜き、手が痺れるような冷たい水で洗い、幾許かは朝の食卓にそのまま上がるが、大部分は干し、やがて沢庵などの形で食される、そんな冬の典型的な風物詩だからなのだろう。
 そう、「大根」のみならず、「大根引、大根洗ふ、大根干す、切干、 浅漬、沢庵漬く」全てが冬の季語なのである。
 面白いのは、「蒟蒻掘る、蓮根掘る、泥鰌掘る」とは言うが、「大根掘る」とは言わないこと。大根は掘り出すのではなく、引っ張り出すからなのだろうか。
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← 青梗菜さんに戴いた「昼間の月」なる画像です。「11月12日、旧暦10月11日、月齢10.1。夜になるのが楽しみな月です」とコメントにあった。どんな月を愛でることができたのだろうか。

 と、行き過ぎようとしたら、「酢茎(すぐき)」も大根関連の冬の季語の一つなのに、漏らしてしまっている。
 小生、「酢茎(すぐき)」が何なのか、分かっていないのである。
茎屋」さんのHPを覗かせてもらう。そこには、「すぐきとは三大京漬物の一つです。塩だけで乳酸発酵させ。ラブレ菌を含んでおりとっても身体にやさしいお漬物です」と説明されている。
 が、漬物だとは分かるが、原材料が何なのか、書いてない。
京漬物 京都祇園藤村屋 千枚漬 壬生菜 すぐき しば漬」によると、「葉の部分は刻みで、株の部分は厚切りスライスにして、すぐ召し上がって貰えるようになっております」とある。原材料はというと、「すぐき」とあるだけで(塩もあるけど)、どうやら「すぐき」菜らしい。大根の一種なのだろうか。誰かご教授願いたい。

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ネット復帰!

日曜日の夜、SEの方に来てもらい、修復してもらいました。
何が悪かったのか小生には良く分からなかったのですが、ま、一安心です。
今日からまた(心を入れ替えて?)季語随筆など、綴っていきます。
ただ、辛いのは、ネットとの接続がならなかった間に書いたエッセイや掌編が行方不明になったこと。誰か、迷子の小文たち、知りませんか?!
ま、でも、これからまたあれこれ書いていくから、いっか?!

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2005/11/13

パソコントラブル変わらず

木曜日深夜から引き続き、今日も依然としてネットの蚊帳の外のままです。補修は今日も予定付かず。読書と執筆三昧の土日になってます。「読書拾遺」や掌編などを書きました。今夜も読書の合間に何か書くつもりです。夕方、買い物に出かけましたが、春ならおぼろ月と呼びそうな霞んだ月で、昨夜のようなクッキリとした輪郭鮮やかな半月を見ることは叶わなかった。

  秋の夜網から漏れて蚊帳の外 

 尚、小生は携帯で掲示板は閲覧(書き込みも)できるのでメッセージがあれば掲示板へお願いします。

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