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2005/10/22

ちょっと更新

無精庵明月記にて更新しました!

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2005/10/21

ちょっと更新

無精庵名月記にて更新しました!

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2005/10/20

木の実…林檎…楽園追放

 表題の「木の実」は、「きのみ」と読むのか「このみ」なのか。それともどちらでも良くて、好みに任されているのか。
 例によって分からない時のネット頼みで、「三省堂 「新歳時記」 虚子編から季語の資料として引用しています」を参照させていただく。
s-tingensai-tuki-1

← 青梗菜さんに戴いた大阪(数日前)の月! 見事!

 当該の項を見ると、「木の実(このみ)」とあり、「栗の実・樫の実・椋の実・椿の実・無患子、その他名のある木又名の無い木も大概な木の実は秋に成熟するので、それ等を総称したものである。「木の実落つ」別項。木の実(きのみ)。」といった説明が施されている。
 うーん、「きのみ」と「このみ」の両方が載っている。木の実ナナさんに聞いてみるしかないのか。
 ちなみに、その直下には、「林檎(りんご)」の項があり、「林檎は夏食べられる早稲種もあるが、普通秋熟する。 色彩が鮮美で、滋養に富み、生食する外蒸したり、 羊羹、酒等をも作る。北海道・青森等産額が多い。」という説明を見出すことができる。

「木の実 季語」でネット検索してみる。
 また、小生を思い出話に花を咲かせようとでもいうのか、「黛まどか「17文字の詩」98年11月の句」なる頁が上位に浮上し、「恋人を待たせて拾ふ木の実かな」という思わせぶりな句が目を惹いてしまう。s-tingensai-tuki-2

→ 同じく青梗菜さんに戴いた月の画像。「サッキオ前ガ見タ月ハ、コンナ月ダッタカえ?」だって…。

 小生も小生で、いけないと思いつつ、「女の子は、四つ葉のクローバーを探したり、木の実を拾ったりすることが大好きです。木の実拾いにすっかり夢中になり、彼を待たせたままの女の子。彼女はきっと、待っていてくれる恋人の優しさに、ちょっぴり甘えているのです。彼のほうも、無邪気に木の実を拾う彼女を見ながら、「愛しいな…」なんて思っているのかもしれません。木の実を拾う女の子と、待っている男の子。そこには、二人だけの信頼関係もあるのです」と、鑑賞文を転記してしまう。
 いいよな。そんな場面の中の二人、そのうちの一人があの子で、その相方がオイラだったら…。

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2005/10/19

「渡り鳥」余聞余分

「渡り鳥」余談」(October 17, 2005)にて、鳥インフルエンザについて若干のことを書いた。
 すると、タイムリーなことに、且つ、小生がかいたことだけは不十分過ぎる、というか、鳥インフルエンザについて世界的な規模で危機感を以って対処が迫られているその事情の説明を付け加えておくべきだとばかりに、昨日、NHKラジオで、関連の話題を聴くことができた。
 といっても、仕事中でもあり聞きかじりなので、ネットで入手した情報で補強して、大雑把なことを、それだけでは申し訳ないので、情報源(リンク先)を記しておきたい。
s-rengeso-nara
→ これは蓮華草さんに戴いた画像です。鏡池に、映える、東大寺の中門と大極殿とのこと。ここでもっともっと見ることができます

 現下の鳥インフルエンザが危機感を以って研究者のみならず政府機関その他が対処を急ぎ、あるいは危機感を煽るかのような情報が流れているのか。警告さえ発せられている。
 それは、人に感染し死亡例も出ている現下の鳥インフルエンザが「1918~19年に世界で大流行し、2000万~5000万人の死者を出したとされるインフルエンザ「スペイン風邪」」の再来(の可能性)が危惧されているからである(ちなみに、第一次世界大戦の戦死者数800万人とか。第一次世界大戦の終結はこのスペイン風邪の蔓延の故だったという説も)。
 鳥インフルエンザ(ウイルス)は、「鳥インフルエンザ:ギリシャで発見 EU加盟国では初」という状況に至っている。
インフルエンザ情報」を覗くと、関連情報が次々と集まっているのが分かる。

 尚、今日は、「1.鳥インフルエンザ」「2.ピロリ菌」「3.渡り鳥研究者の裏話」が主な項目である。

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2005/10/18

団栗の背比べ

 今日の表題には、「団栗」を選んだ。これといって、団栗について思い出があるわけでも、語るべき薀蓄があるわけでもない。
s-DSCF0340

← 16日の夜、休憩の時に撮ったもの。銀河鉄道のような光の帯は、モノレール。東京はこのところずっと雨。束の間の晴れ間の光景だったのである。

 単に、「団栗 季語」でネット検索してみたら、その検索結果のトップに黛まどか氏の、「片手は君に団栗はポケットに」が現れたからに過ぎない…のかもしれない(「黛まどか「17文字の詩」2000年10月の句」より)。
「恋人と二人で歩いている途中、ふっと目をやった足元に団栗(どんぐり)を見つけました。いくつになっても女性は木の実や貝殻といったかわいいものが大好き。しかも、大好きな彼と一緒に見つけ、一緒に拾った団栗は、それだけでもう大切な宝物のように思えるのです」だって。カー!! 妬けるねーって、一体、誰に妬いているんだろう。
 その次には、同じく黛まどか氏の、「団栗の拾はれたくて転がれり」なる句が浮かび上がっている。
「今、ちょうど木から落ちてきたのか、気が付かず蹴ってしまったのか、目の前の足元をどんぐりがコロコロと転がってゆきました。殻斗(かくと)と呼ばれるおわん型の殻をかぶったその姿が、なんだか人の顔のようにも見えるかわいいどんぐり。そんなどんぐりが転がってゆく様はまるで、「自分のことを拾ってよ! 一緒に遊んでよ」と言っているかのようです」などと自分で鑑賞(分析)されている。
 常々語っているけれど、俳句をひねる人は、自身の句であろうと、人様の句であろうと、その鑑賞に優れている必要があると思う。
 当たり前? そうかもしれない。とにかく、短い且つ読みやすい親しみやすい説明文を読むことを通じて、句の世界や境に馴染んでいく、その世界への理解が深まっていく、親しみが増していく、という寸法である。
 無論、句自体が素晴らしい必要があるのだけれど、また、句自体を詠むだけで句境が目に浮かぶように広がるようであってほしいけれど、それはそれとして、俳句はその鑑賞文を読む楽しみも少なからずあると思うのである。

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2005/10/17

秋の宴、秋のソナタ(某氏の練習日記 10/16の巻)

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ジョーンズの練習日記 10/02の巻

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本日、浅草後の初練習~!!!!!

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「渡り鳥」余談

渡り鳥…遥か彼方へ」にて季語との絡みで多少のことは触れた。
 同上の記事では、この記事を書く動機ともなった、樋口広芳著の『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』(NHKブックス)をたまたま読み始めていると書いている。
 本稿では、季語としての「渡り鳥」から離れ、本書などを中心に、「渡り鳥事情」などをあれこれ書いてみたい(まだ同上の本は読み止しのままである)。
 著者の樋口広芳氏の略歴などは、リンク先を覗いて見て欲しい。
 小生は同氏の仕事というと、同氏の訳になるジョナサン・ワイナー著『フィンチの嘴―ガラパゴスで起きている種の変貌』(樋口 広芳/黒沢 令子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を読み感想文を書いたことがあるが、著作などに触れるのは初めてである。
 上掲のサイトにもあるように、「研究内容」は、「生物多様性の仕組,意味,進化,保全に広く関心をもって研究している.とくに興味をもっているのは,島にすむ動物の生態と進化,托卵習性の進化,日本列島の生物相の起源と発達,動物の知的な行動の発達過程,希少種や渡り鳥の生態と保全,鳥獣害の発生機構と防止策などである.いろいろな生物に関心をもっているが,実際の研究対象は鳥類である」という。
「最近は,人工衛星を利用して渡り鳥を追跡し,渡り経路や渡りの経時移動パターンを明らかにする研究に励んでいる」というが、本書は特にこの研究の成果を著したものである。
 このサイトには、「ロシアでの調査風景」の模様が画像で示されているが、『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』の中にもカラーの口絵や白黒の写真、図版が豊富で、見ているだけでも楽しい。

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2005/10/16

孤悲…ギョエテとはおれのことかとゲーテいひ

 今日の表題(テーマ)は「葡萄」にするつもりだった。秋10月の季語例表を眺めていて、ふと、葡萄の房や一粒一粒の葡萄の粒の、いかにも果汁に満ちた感じが今の小生の心の栄養になりそうに感じたからである。
 そこで「葡萄 季語」でネット検索していると、「五線紙の栗や葡萄が唄奏で」という句を「右脳俳句パソコン句会 10月例会(3)」にて発見。楽しげな句で、葡萄に絡む句の事例として挙げようかと思っていた。すると、同じ頁にて、「万葉の恋は孤悲とも鳥渡る」なる句を発見した。
(正確に言うと、「鶏頭にしきりにお辞儀する烏」も気に入ったのだが、今更、「鶏頭」の項に入れるのも億劫だなと思っていたら、その直下に、「万葉の恋は孤悲とも鳥渡る」なる句があったわけである。)
 小生、この句で、「万葉集」では「恋」を「孤悲」と表記していたことを再認識した。

 この「孤悲」をさらに検索してみると、まさにこの表記に拘り、書道の題材に選んだ方のいることを知る。
岡久郁子~文字に孤悲(戀)した人たち~」を覗いてみて欲しい。
「万葉集では、「戀」に孤悲、古悲、故非、古比、故飛などを当てている。戀には、「孤悲」がよく似合う」という冒頭の一文は納得するしかない。
「複雑な感情の塊である「孤悲」。その深さ、重さを穂先の短い刷毛でどのように表現できるか挑戦した。背景に貼ったのは、大和から鎌倉時代までの、文字の変遷が分かる資料を臨模したものである」ということ。作品はひたすら鑑賞するしかあるまい。

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