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2005/10/15

たきび…山茶花

 過日、営業中ではあったが、暇の徒然にラジオから聞こえて来る話に耳を傾けていたら、今年は「たきび」を作詞した巽聖歌(たつみせいか 本名 野村七蔵、1905~1973)の生誕百周年に当たるという話が耳に。
s-nazuna-harowin
← なずなさん画の「ハロウィン」です。ここの記事には関係ないけど、嬉しくてすぐに載せたくて。ちゃんとした画像を見たい方は、リンク先を覗いてね。

 巽聖歌(たつみせいか)については、以前も採り上げたことがあるはずだが、小文の行方が不明。自分の書いた文章は(Web上を除いては)一切、保存していないので、いざ過去に書いた文章を参照しようにも、探しようがない。
 なので、新たな気分で若干のことをメモしておきたい。
 予め断っておくが、「山茶花(さざんか)」は季語であるが、11月の季語例に載っている。季節的に今、採り上げるには、やや早い。なんといっても、冬の季語なのである。いくらせっかちな小生でも、先走りすぎる。
「たきび」…「山茶花」…「落ち葉」といった言葉が歌詞の中に織り込まれている。冬の光景そのものなのだ。

 それでも、表題の一部に使ったのは、童謡「たきび」というと、「山茶花」を採り上げざるを得ないからである。文句を言うなら、10月も中旬になったばかりの時に、童謡「たきび」の話題を採り上げたNHKさんに言って欲しい(もち、冗談です。世の中には真に受ける人もいるから、うっかり冗談も書けない)。
 但し、今回は、季語としての「山茶花」に深入りはしない。

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2005/10/14

渡り鳥…遥か彼方へ

季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」表を眺めていて、今日も迷う。水曜日は東京(関東)では久しぶりに晴れ渡った。快晴。秋晴れと呼びたくなる空。その夜には、これまた久々の月影を拝むことも出来た。
 夕方の6時半近くだったろうか、都内某所を走っていて、どうした拍子か、いきなり夜空に半月が。
 その時はお客さんを乗せていたので、じっくり眺めるわけにもいかず、月影を追うわけにはいかなかった。
 しばらくして目的地に着き、下りていかれたので、急いで近くの観月ポイントへ急ぐ。運河脇で、小さな公園が傍にある静かな場所。並木道があり、運河を眺めつつ語り合えるようにと、長椅子や小さなテーブルなどが設置してある。昼間ならサラリーマンや近所の方がのんびりされる姿も多い。
 夜は夜で、運河に月の光が映ってたり、対岸のビル群の明かりが水面に揺らいでいたりする。
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 小生、人影の少ないことをいいことに、小生の腕前では撮れもしないと分かっているのに、お月さん、久しぶりだね、とばかりに敢えて撮影。

← ぼやけていて半月か満月か分からない画像。ま、お月さんが写っていただけでも小生は満足だ。 月よ月幻なれど影嬉し
 
 ということで、「石榴と鬼子母神」の冒頭で嘆いていた空ではなくなり、「秋の日、秋晴、秋高し、馬肥ゆる、秋の空、秋の雲」などのどの季語も採り上げて構わないような秋の日になってくれたのだった。
 が、今日は、表題にある如く、季語例の中の「渡り鳥」に目が止まった。
 小生自身は、渡り鳥の群生地、居留地での渡り鳥の群れを眺めたことはない。多分、否、間違いなく自分には語るべき材料は何もないはずである。
 なのに、何故、敢えて「渡り鳥」か。
 実は、たまたまだが、樋口広芳著の『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』(NHKブックス)を読み始めている。本の題名が「鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡」となっているように、正に絶好の本なのである。
「内容説明」によると、「コハクチョウ、マナヅル、サシバ、ハチクマ…。何千キロ、何万キロという旅を毎年決まって行う渡り鳥たち。渡り鳥の衛星追跡を長年行ってきた著者が、渡り鳥にまつわる興味深いエピソードの数々を語る、珠玉の科学エッセイ」となっている。
 この本に書いてあることを手がかりに何か書けるかもしれない…。
 そんな思惑はあったものの、なにせ、読み始めたばかり。
 だったら、本書を読むためにネット上で知りえることを幾分か集めてみることにしたら、ということで、「渡り鳥」を糸口に、本日の季語随筆を綴ることにする。

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2005/10/13

読書雑記(続)

[所用があって慌てていたので、中途の文章をアップしてしまった。しばしばパソコンがフリーズしたり文書が消え去ったりするので、保存しようとしたはずがアップしてしまったようだ。気を取り直して続きを若干だけ。]

 前稿では、「むしろ定まらない自分の中の掴み切れない妄念なのだろう」といったところで終えている。
 典型的なお茶を濁すといった切り上げ方。
 時間切れということもあり、半端な形になっているが、自然ということについては、もう少し触れておく余地がある。
 ソローの時代はともかく、地峡上に60億を越す人間がひしめき合う現在にあって、ソローの生活が夢であり理想であっても、夢の実現・実行となると、実際的にはどうだろうか。
 狭い料簡しかない小生には、何か皮肉な見方をしたくなる。現代にあって、自然の景勝に恵まれた地にあり、ほどほどの土地を耕し、地の実りを収穫し、木の実りのお零れを戴き、魚や貝など河の恵みを採り、そうした自然の贈与を戴くだけで自足し得る生活を送れるのは、一体、どれほどの数の人だろうか。
 しかも、万が一、そうした人里を離れた生活に倦んだなら、その気になれば里に降り、あるいは都の空気を吸いに気分転換をかねてでも舞い戻る事だってできなくはない。いや、多分、呆気ないほど簡単に元の黙阿弥に戻れる。
 所詮は、都会人なのであり、村や村外れにあっても、交通・交流の手段に事欠くことはないし、場合によっては役所関係の人が見回りに来ることだってありえる。きっと、見放したりはしないだろう(何も税金の徴収が目的だというわけじゃないが)。
 ある意味、西欧や欧米カブレした先進諸国の人間には自然の中の生活というのは贅沢の極みなのである。
 都会の飽食に飽き、贅沢三昧に倦み、そんな奴に限って、オレはお茶漬けが好きなんだよとか、御飯にお新香があれば十分、旬の素材を旬な時に味わえれば最高だなとと、要するに時間とカネに余裕のある人の言いそうなセリフなのである。
 自然といっても、蚊は見つけ次第に殺すか殺すような薬剤が部屋の隅にあり、そもそも窓や玄関の外から虫などが入ってこないように完全に締め切られ、緑が好きと言い条、雑草は片っ端から毟り取り、選ばれた嗜好に合った季節の花や木々が愛でられ、秋の風を風流だといいつつ、しっかり空調設備が整っている。
 自然といっても、小生の言葉を使えば、刈り込まれた自然、人為的な自然に過ぎないのである。
(過ぎないと言っても、小生だって、そのほうが快適だと思うし、かくありたいと思う。)

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読書雑記

 ソロー著の『森の生活』の新訳が出たという情報は書評か何かで知っていた。が、生憎、その新訳本が出た頃には小生、本の購入は断念し始めた頃で、書店に足を運ぶこともやめている(止めて一年半となる)。
 いつしか、ソローの本のことも忘れてしまっていたのだが、先週、図書館で次に読む本を物色しつつ書架を巡っていたら、件(くだん)の本が鎮座しているではないか。
 その本とは、ヘンリー・D. ソロー著『ウォールデン 森の生活』(今泉 吉晴訳、小学館)である。
 実は本書については文庫本を既に持っている。しかも、二度三度と読み始めたこともあったのだが、いつも、数十頁も読み進めないうちに、他の本を読み始め、その間だけだと、脇に置かれ、いつしか忘れ去られ、チラシや小冊子などの堆積の中に埋もれていき、ある日、何か探しものをした際に、ほろっと顔を覗かせる。
 ああ、読み止しだったっけ…でも…今、読んでいる本が他に何冊もあるし…またの機会にしよう…そして、書棚に突っ込まれてしまう。
 新しい訳を出された今泉吉晴氏は、本書(原書)に魅入られ、幾つも出ている日本語訳に目を通し、こんな訳ではダメだと、ついに自ら翻訳に取り組み、こうして立派な本の形で刊行と相成ったわけである。
 読みやすい親しみやすい日本語の本の形でソローの『森の生活』を出すという悲願が成ったのだ。
 新訳の評判も地味ではあるがよかったはずだ。
 さて、では、ようやくこの手にした新訳でのソローの『森の生活』を自分は今度こそは堪能できるのか。今まで本を読み出して中途で投げ出すことなどまずない小生、今度こそはその世界に没入できるのか。
 どうにもソローの世界に浸り切れなかったのは訳に難があったからなのか。
 今泉吉晴氏翻訳による本書『ウォールデン 森の生活』を読んでみて、小生、またも中断しそうである。まだ四百頁ある本書の百頁にも達していないのに。
 訳はいい。本書の装丁もいい。本書が書かれたウォールデン池の素敵な写真も載っている。N・C・ワイエスの筆になる「釣りを楽しむソロー」という、ソローのありし日の生活を髣髴とさせてくれる感じのいい画も冒頭に載っている。親切丁寧な注も本文の直近に載っていて、助かる。

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2005/10/12

石榴と鬼子母神

 秋10月も中旬となっている。が、東京はこの一週間の間で晴れ間は、数時間だという。秋10月の季語例を眺めていても、「秋の日、秋晴、秋高し、馬肥ゆる、秋の空、秋の雲」などは採り上げ辛い。「秋の日」は構わないようなものの、曇天の空なら、何も秋でなくてもいいような。
「秋の山、秋の野、秋風、秋の声、 秋の暮」なども、もう少し、秋の風が吹き渡ってからのほうが気分よく綴れそう。

「木の実、桃、林檎、石榴、梨、柿、吊し柿、 無花果、葡萄、通草、椿の実、山梔子、杉の実、山椒の実」と眺めているうち、なぜか、「石榴」に目が止まった。
 実際には、「柿、吊し柿」がお気に入りの題材なのだけど、これは(特に後者は)晩秋がいい。抜けるような秋特有の青空を背景に、朱色も鮮やかな柿か吊し柿という光景は、小生には胸を掻き毟るような原風景の一つである。
「桃、林檎、梨」もそれぞれに魅力的だし食べ物としても好物なのだけど、でも、「石榴」に引っ掛かってしまったのだから、今日はこれで決まり。

「石榴」は「ざくろ」と読むが、表記としては、小生の好みとして、「柘榴」のほうが断然、好き。俳句の上では、「石榴」という表記にすべきなのだろうか。
 平安時代に中国を経て日本に伝わったと推定されている。花としての石榴、熟して割れてるその独特な、何処か生々しくもある果実の様が珍重されてもきたようである。
 ちなみに、「石榴」は秋の季語だが、「石榴の花、花石榴」となると、夏の季語であり、「夏、鮮やかな赤い花が咲く」とか。

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2005/10/11

更新のお知らせ

s-DSCF0332
 無精庵越中節を本日、更新。
 昨日付けの季語随筆でも書いたように9日の日曜日、サンバパレードに行ってきたので、そのレポートと画像集です:
ところざわまつりパレード(1)」から「ところざわまつりパレード(12)」です。
 朝の10時から午後の5時まで、途中、食事中断を1時間ほど挟みつつも、一気に仕上げました。
 ということで、本日の季語随筆は、パス。
 サンバを皆さんは、どのように評価されているのだろう。
 もっと、もっと、正面から向き合ってサンバやサンバパレードを体験してほしい!
 我がチーム・リベルダージの公式サイト:
G.R.E.S.LIBERDADE

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2005/10/10

秋祭…後の祭り

 もう既に日付の上では昨日となるが、「ところざわまつり」へ行ってきた。「“所沢の秋の風物詩”「ところざわまつり」毎年30万人前後の人手でにぎわいます」というが、実際、時折、小ぬか雨など降る中だったことを思うと、想像を絶する盛況ぶりだった。
 そうはいっても、「所沢駅西口駅前から、金山町交差点までを、午前9時30分から午後9時まで全面車両通行止めとし、各町内から10基の山車をはじめ、神輿やパレード民謡流し踊り、ストリートパフォーマンス、ライブステージ、そして、お祭の最後にエネルギッシュに祭を盛り上げるサンバカーニバル。艶やかな衣装と情熱的なダンスやパフォーマンスでフィナーレを飾ります」といったこの祭りの中で、辛うじて観たものは、最後のサンバカーニバルだけである。
「まつり」を観に行ったというのなら、「10基の山車をはじめ、神輿やパレード民謡流し踊り」くらいは観ておかないと、ちょっと看板に偽りありである。動いていない山車は何台か観たことは観たが…。中で法被姿の人たちが酒盛りをしている…。それはそれは楽しそうに。
 ということで(と半ば強引に)、今日の表題は「秋祭」を選んだ。一応、秋10月の季語の一つなのである。

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2005/10/09

秋の雨…涙雨

 今日も東京は雨である。やや小降りになってきたが、まだシトシト降っているような。それとも、小糠雨と表すべき、微細な雨の粒が空中に漂っていて傘を差しても意味をなさないような雨になりかかっている、ような。
 雨についてはどれほど書き綴ってきたか知れない。それを秋の雨に限定しても、相当な分量になってしまう。
 季語随筆の場を得てからだけでも、昨年の秋に、「秋湿り(あきじめり)」という表題で書いている。そこでは、「雨冷え」をはじめ、「秋霖(しゅうりん)、秋微雨(あきこさめ)、秋さづい(あきさづい)、秋時雨(あきしぐれ)、秋驟雨(あきしゅうう)」といった秋の雨に関連した言葉(季語)を紹介している。
 ついでながら、「秋さづい」だけ、平仮名表記だったことに今、気が付いた。が、どうやら、「秋さづい」の「さづい」には漢字表記がないようだ(誰か知っている人がいたら、教えて欲しい)。
 さらに、「秋黴雨(あきついり)」といった言葉もあるようだ。
秋霖(しゅうりん)」も昨年、焦点を合わせて多少のことを書いている。これには、「「秋霖」追記と冬の雷のこと」という後追いの記事も書いている。
 どうやら、「夏から秋の変わり目の長雨を表現する言葉」としては、「秋霖(しゅうりん)」が最適のようである。

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更新のお知らせ

 無精庵万葉記では、書評風エッセイを幾つか:

 無精庵方丈記では、浪曲を一つ:

 いずれも、メルマガで配信したもの、乃至は既に公表済みのものですが、ま、更新は更新なので、お知らせします。

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