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2005/09/24

夜長…深き淵見る

 さすがに今の時期、残暑という言葉は誰も使わない。先週などは使っていた向きもあったような気がするが、喉もと過ぎればなのか、そんな酷暑の夏があったことも、遠い夢のようだ。
 仕事柄、外を走り回っているので、時間の経過と共に渋滞する道路状況はもとより、空の様子、明るさ、暗くなっていく変化の様子をじっくり体験することが出来る。
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 ←夜明け。9月上旬、都内某所にて。

 午後の4時とは言わないが、5時を回ると、対抗する車のヘッドライトが眩しくなってくる。ウインカーも、先週などは日中の明るさに押され気味だったのが、まさに光がウインクしている。点滅している。明滅する光が宵闇に際立つのを目に鮮やかに感じてしまう。

 秋の到来を、それとも夏の過ぎ去ってしまったことを実感するのは、小生などの場合、多くはこんな時なのである。
 外にあっては街灯やネオン、室内にあっては蛍光灯、あるいはビルやマンションの窓から漏れ出す白々しいような光り。あるいは、休憩している最中に都心のビル街で宵闇に浮かぶ高層ビルの窓明かりを見ると、ああ、みんな未だ働いているんだな、頼もしいな、励まされるな、などと殊勝なことを思ったりもする。
 非番の日、夕方など買い物に出かけ、住宅街を歩いていると、窓明かりは目に、心に眩しすぎる。終日、一人で過ごす日々。一言も言葉を誰とも交わさない日が続く。そんな身には、あの二階の明るい部屋には生活があるんだろうなと、訳もなく、意味もなく胸がつぶれるようでもあったり。

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2005/09/23

ちょっと更新…今朝は集会

無精庵風土記 - キムタクといえば」をアップしました。やや駄文に近いのですが、楽しみつつ書いた雑文です。このたび、ホームページの掲示板に情報を戴いたので、追記したものです。

 今朝は会社で集会があった。毎月ではないものの、前日午前からの仕事が今朝、7時前に終わって、休憩所で仮眠を取り、8時半過ぎから開始ということで、夜勤明けの小生にはとても堪えるもの。
 車載カメラで撮った事故の映像を幾つか見させてもらった。いずれも、自社の車での事故。こちら側に責任のある事故のみの映写なので、見ていて、ドキッとする映像。この数ヶ月の間の事故なので、生々しくもある。
 町中を走ると、事故現場を通り過ぎることが日に何度か。仕事柄、救急車やパトカーの赤色灯の点滅を見る機会も、大方の人よりは多いはず。
 壊れた車やオートバイ、自転車などを見ると、明日は我が身と思う。それも、自分が犠牲者になる可能性というのではなく、自分が加害者の立場になる恐れを思うのである。
 まして、事故の様子を車載カメラの映像で、我が社のドライバーの事故の形で見ると、生々しいどころではない。

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2005/09/22

読書三昧?

音楽三昧?」(September 06, 2005)で、マルティン・シュタットフェルト(Martin Stadtfeld)というピアニストの演奏のこと、千住真理子さんのヴァイオリン演奏を聴いたこと、ガムランという言葉の意味合いについてなど、あれこれ書き散らした。
 また紙面が尽きて(タイムアップで)書くことは出来なかったが、同じ営業日にパブロ・カザルスのチェロ演奏を聴いたのだった。久しぶりということもあってか、それとも、その日は音楽の当たり日だったからなのか、その演奏に感激したのだった。
 演奏に…、それともチェロの音になのか。何か際立つものを感じた。
 後日、図書館でパブロ・カザルスのチェロ演奏のCDを探したけど、見つからなかった。何か後ろ髪の引かれる思いがあったので、音楽関連図書のコーナーをうろついていたら、パブロ・カザルス著『鳥の歌』 (ジュリアン・ロイド ウェッバー編集、池田 香代子訳、ちくま文庫)を偶然、見つけた。
 パブロ・カザルス著というより、「カタロニアが生んだ不世出のチェリスト、カザルス!彼自身の言葉と同時代の人々の証言から、音楽性はもとより、人格の高潔さによっても世界のファンを魅了した「魂の音楽家」の素顔がよみがえる―バッハ、若かりし頃、直感と解釈、母など全18項目にわたる興味尽きない言葉の数々」ということで、まあ、語録・証言集・エピソード集のような本だ。

 若かりし頃の天才ぶりの発揮などは勿論だが、むしろ彼の失敗談など人間味溢れる逸話が楽しい。一方、頑固なほどの音への拘り。誰よりも練習する人。が、練習が辛いと正直に語りもする。或る時、ある事故で左手を怪我する。周囲の人は、カザルスの演奏が聴けなくなる!などと心配したというが、本人は、「ああ、これで練習しなくて済む」と思ったとか。練習嫌いなのではなく、そこまで演奏に徹底する人だということだ。
 同じ日に聴いた千住真理子さんのヴァイオリン談議などでは、彼女のストラディヴァリへの偏愛ぶりを伺ったが、カザルスはストラディヴァリを決して使わないという。何故か…。その理由が面白いが、それは本書を当たって欲しい。
 気軽に楽しく読めすぎて、本書、車中で一気に読み終えてしまった。勿体無い。今度、本書を入手し、いつか彼の演奏を聴きつつ、自宅でゆっくり玩味したいものだ。

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2005/09/21

嶋岡 晨著『現代詩の魅力』抜粋(1)

 「詩人の数々…峠三吉や森鴎外」の中で参照させてもらった嶋岡 晨著『日本文学の百年 現代詩の魅力』(東京新聞出版局)を読みつづけている。
 嬉しいことに大概は断片の形だが、詩人の紹介のみならず、多くの詩が引用されていること。
 ここでは、主に自分自身の覚書の意味も篭めて、幾つか、転記させてもらう。
 あるいはネット検索すれば、詩の全容や、詩人についての詳細を知るサイトにめぐり合えるかと思われるが、とりあえず、名前と上掲書に引用されている詩(の断片)をメモしておいて、追々、ネットで、あるいは本(雑誌、冊子)などで詳細を見ていきたい。
 とりあえず、詩の全文が読めるサイトがあれば、リンクさせておいた。先々のサイトには感謝のみである。先人の有難味をつくづくと感じるのもネット検索の醍醐味だ。
 表記は原則、上掲書に依るが、あくまでできる限り、である。例えば、のっけの島崎藤村「小諸なる古城のほとり」中、「緑なすはこべは萌えず」というくだりがあるが、本書では「はこべ」は漢字表記されているが、ネットでは違う漢字表記しか見つからなかった。
 また、ルビは()内に示すしかない!

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2005/09/20

草の花…子規忌

 秋9月の季語に表題に掲げた「草の花」がある。「千草の花」という類義語もあるようだ。
 山上憶良の歌、「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」(万葉集 巻八)で有名な、秋の七草があって、ハギ、キキョウ、クズ、ナデシコ、オバナ(ススキのこと)、オミナエシ、フジバカマなどである。
 ちなみに、山上憶良の歌に出てくる「朝顔」とは、キキョウ(桔梗)であると言われているようだ。

「草の花」というのは、こうした地味な草花の中にも列挙されないような秋の草花を一括して指すらしい。それとも、七草も含めてイメージしてもいいものなのか、小生には分からないでいる。

 ところで、「草の花」というと、秋9月の季語と決まっているというのも、どことなく釈然としない。辞書などによると、「昔から木の花は春で、草花(くさばな)は秋とされている」というし、決まりごとだから仕方ないのだろうが。 

 この辺で待つ約束や草の花   今井つる女
 もう用のなき車椅子草の花   稲畑汀子

 などの句がある。

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2005/09/19

詩人の数々…峠三吉や森鴎外

 川路柳虹に惹かれた…。だからといって、別に詩や文学の世界での彼の位置付けなどを勉強しようと思い立ったわけではない。
 が、昨日、図書館へ立ち寄って、当てもなく次に読む本を物色していたら、詩や俳句などのコーナーで、嶋岡 晨著『日本文学の百年 現代詩の魅力』(東京新聞出版局)なる本に目が止まった。
 詩はたまに読んでも詩についての本は読まない。まして、この魅力のないタイトル。詩人らしくない、飾り気はともかく、ひねりも特色(つまり、本のタイトルで通り過ぎる浮気な読者の目を、心を惹く訴え)もない題名。手に取るはずもなかった。
 でも、著者が嶋岡 晨(しまおか しん)氏とあれば、手に取って捲ってみるだけの値打ちはあるかも…。
 そんな安直な気持ちで手にした本だったが、借り出して正解だった。

 何がって、何も川路柳虹(かわじりゅうこう)に関する記述が数箇所もある、その中には、既に紹介した詩(「塵溜」のちに「塵塚」と改題)も載っている、ただそれだけの理由だけではない。

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2005/09/18

田舎で読んでいた本など

 事情があって7月8月9月と、連続してそれぞれ一週間ほど帰省していた。まあ、その事情などは季語随筆や作った句などで察してもらうとして、ここでは夜中や往復の電車の中で読んでいた本のことなど、少々。
 日中はともかく、父母の就寝の時間が早いので夜は、それなりの時間ができる。
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 となると、やることの特にない小生、読書となる。

 ←上京する日、富山駅のホームにて撮影。

(但し、今まではネットに繋がる手段がなかったが、今回、ようやくにしてそのルートを確保。自分のサイトの更新は基本的に出来なかったが、それでも携帯電話での投稿の形で細々とやっていた。それ以上に嬉しかったのは、田舎でも日々、勝手に追いかけているサイトの更新ぶりや掲示板を覗くことができたこと。このことは、また別の機会に触れるだろう。)

 さて、一週間も田舎で過ごすとなると、持っていく本が問題になる。8月の時のことは、「田舎で読んだ本」の中で大凡のことは書いている。バッグに忍ばせた本は、高橋治著の『風の盆恋歌』(新潮社刊)や竹田篤司著の『フランス的人間  モンテーニュ・デカルト・パスカル』(論創社刊)など。

 今回は図書館で物色していて、散々迷った挙げ句、ふと、勝海舟の本にしようかなと思い立った。多分、坪内 祐三著の『慶応三年生れ七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・子規・紅葉・緑雨とその時代」』(マガジンハウス刊)を読んだりして、明治、それも明治の前半の世相に思いをめぐらしていたこともあったのだろう。
 それと、なんとなく、親の一喝を欲していた心理が働いていたような気がする。帰省するのは親の世話という名目もあったし。

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川路柳虹再び

 川路柳虹著の『詩学』(耕進社刊)をパラパラと捲っている。熟読に値すると思いつつ、旅の疲れもあり、拾い読みしている。小生のあまりに生半可な知識では批評どころか感想文も書けそうにない。
 ただ、小生の感覚のドツボに嵌ってしまったのである。
 本名・川路 誠(1888-1959・明治21年-昭和34年)の彼は清新な詩境を示してくれていて、つい先ごろ発見したばかりの小生には嬉しい存在となっている。

 既に彼については、「川路柳虹のことを少々」の中で若干、触れている。
 その時にも「かへる靈」や「蒼蠅の歌」と共に紹介させてもらったが、ここに再度、「文学者掃苔録」(このサイトには随分、お世話になっている。ちなみに、「掃苔(そうたい)」は「墓参」や「墓洗ふ」などの類縁語を持つ秋の季語である)の「川路柳虹」の頁から彼の詩の一節を、掲げておこう(「塵溜」より):

塵溜の中には動く稲の蟲、浮蛾の卵、 また土を食む蚯蚓らが頭を擡げ、 徳利壜の虧片や紙の切れはしが腐れ蒸されて 小さい蚊は喚きながらに飛んでゆく。

 一読して、読み手の好悪がはっきり分かれるものと思われる(改行の具合は、表記の都合で狂ってます)。

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さらにお知らせ

 無精庵方丈記でまたアップ!
 今度は駄句の嵐だぞ!
 詠まなきゃ、損だぞ。
…でも、詠めば、もっと損かも。


 詠まれたい詠まれたくない…じゃ見せない!

 じゃ、見ないって?! そんなー。


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