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2005/09/10

昨日は救急の日

 昨日9月9日は、キュウキュウということで救急の日だった。分かりやすいといえば分かりやすい。
 ちなみに、9月9日を記念の日にしているイベントは多い。
今日は何の日~毎日が記念日~」の「9月9日」の頁を覗いてみる。
「奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれる」ことから、「菊の節句,重陽の節句」だという。
「大分県九重町が制定」したという「温泉の日」があったりする。「町内に数多くの温泉が点在し、「九重九湯」と言われることから」だって。
 ほかに、「世界占いの日」、「チョロQの日」、「吹き戻しの日」、「福祉デー」などがある。
 中には、「男色の日」なども。「重陽・菊の節句であることから」というが、今一つ、理解できない。何かイベントが行われているのだろうか。
 ま、重陽と、菊から連想するしかないのだろう。

 勝手ながら、9月9日は、クク(九九)とも読めるのだから、暗算の日とか珠算の日にしたらどうかと思うが、調べてみたら、「珠算の日」は8月8日だった。パチパチの日だからだって。じゃ、やはり、暗算の日がいいかな。
 ほかに候補としては、クークーの日、ということで、ハトの日にするとか。ハトの日に設定して何を記念するか、それが問題だが、まあ、ハトは昔から平和の象徴ということになっているから、平和の日にするとか。あるいはハトの糞で汚れた公園などを清掃する日にするとか。
(余談だが、9月1日を「クノイチ」の日にして女忍者の日にしたらと、昔、考えたことがあったが、「関東大震災記念日」や「防災の日」の手前もあって、口に出せるはずもない。でも、その日は、「くいの日」とか、「キウイの日」でもあったりするんだけど。)

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2005/09/09

夕月夜…秋の月をめぐって

 9月ともなると、季語に月にちなむものが増えてくる。たとえば、「月、名月、月見、無月、雨月」であり、ここにさらに「二日月、三日月(新月)、 夕月夜」が加わる。
 湿度が8月までに比して低くなるから、空気の透明度が高まり、勢い、月影が清かになるということか。同時に秋の夜長も関係するのだろう。夕方かな、と思わせる時間も日々、早まる。或いは、明け方の時間も徐々に遅くなっていく。
 仕事柄、ほぼ終日、外にいる。午前中の11時前から仕事が始まって、昼を迎え、午後となり(この午後が夏はやたらと長い!)、6時を回って7時頃にようやく宵闇が迫り、一晩中、外を這いずり回り、4時過ぎか5時前に明け方を迎える。
 仕事が終わるのは、7時前後。すぐに帰宅して、グズグズしながら就寝の時を待ち(帰宅してもすぐには眠る気になれない。神経が昂ぶっている感じがあって、その鎮まりに一時間以上掛かってしまう)、9時前頃だろうか、ようやく寝入る体勢に入る。
 昼間から夜中にかけては仕事も忙しく、交差点での信号待ちの際に、風景を愛で、ふとした光景を興じるくらいだが、丑三つ時を過ぎる頃には、運良くお客さんに乗ってもらうことがないと、あとは、何処かで来る当てのないお客さんを待ちながら、あるいは真夜中過ぎの都心を車で徘徊しながら、しらじらと明けてくるまで、夜の空の変化に感応しつつ一晩、過ごすことになる。
 昨日の朝も、明け方、何処かの町へお客さんを送り届け、さて、次は何処へ車を向けようかと考えつつ迷いつつ何処かの交差点に差し掛かった。すると、そこは急な上り坂の途中だったこともあり、視線が否応なく、空に向かった。
 目線の先には、薄く切り過ぎたメロンのような月。そして星。茜というか、ピンク色というのか、まだ完全には明け染めていない空の美しさにびっくりしてしまった。秋!を感じた瞬間だった。夏の間にだって朝焼けくらいは見たはずだけど、どこかしら空気の分厚さを感じてしまって、車中には常時携帯しているデジカメで、この風景を撮っておこうという空に出会わなかった。
 それが、ああ、この瞬間だよ。この瞬間を昨年の秋口から冬の終わりまで、仕事をしつつも、追い駆け回っていたんだよな、と思い起こされてしまった。
 空の不思議な高さと透明感と、何処に由来するのか小生には判然としない懐かしさの感覚。
 慌ててデジカメを取り出し、信号が赤の間に朝に映える空の光景を撮ってしまおうと試みたのだった。

 表題の「夕月夜」というのは、「夕方だけ月のある夜」の意で、秋の季語。けれど、「花と言えば桜花を指すように、月といえば秋の夜の月をいう」わけで、「月」というと、もう、秋の夜の月の意になってしまうのである。
 小生が見た月影というのは、「有明月」ということになるのか。
 それとも、「爽やかな空、光、昨日とは全く違った秋意を感じる朝をいう」という「今朝の秋」という季語こそが相応しいのか。

 さて、以下、昨年の10月初め頃に書いた、「秋の月をめぐって」という雑文を掲げておく。月影の美しい秋の到来を無邪気に喜んでいる小生がいて、我ながら微笑ましい?!

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2005/09/08

本日は番外編です

 過日、車中で、「石になる」という言葉、それともイメージが浮かんできて、その意味合いが自分でもつかめず、仕方なく、とりあえず、ナンセンスなボクものの掌編を書き下ろしておいた → 「シャボン玉の夢

 ということで、本日は、思いっきり、番外編です。
 
 尚、小生には俳句と川柳のブログサイトがありますが(「投句の細道」)、今後、俳句や川柳関連の作品のアップも、「創作の館」である「無精庵方丈記」に統合一本化します。
 よって、小生のサイトは、以下の通りに:

無精庵徒然草」……季語随筆の館(注)
無精庵方丈記」……創作(俳句・川柳)の館
無精庵万葉記」……書評エッセイの館
無精庵越中節」……富山とオートバイとタクシーとサンバと音楽エッセイの館
無精庵風土記」……駄文・駄洒落・語源探索の殿堂!を目指すサイト?!
無精庵明月記」……コラム・エッセイの館

 ほかに、本館があります。
 以後、御贔屓のほどを願います。

(注):別途、「無精庵徒然草」がある。


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2005/09/07

海辺と水中と

 米国南部をハリケーン「カトリーナ」が襲おうかという頃、小生は二冊の本を並行して読んでいた。一冊は、レイチェル・カーソン著の『海辺―生命のふるさと』(上遠 恵子訳、平凡社ライブラリー)であり、もう一冊は井上 たかひこ著の『水中考古学への招待―海底からのメッセージ』(成山堂書店)である。
 前者も後者も、あまり新しい本とは言えない。

 カーソンの『海辺』は、出版社のレビューによると、「毎日、干満のリズムを繰り返す海。その永遠のリズムの中に生きる生物たちに、"生命の棲み処―地球"の姿をみた著者。カーソンの原点ともいうべき本書は、海辺のさまざまな環境と生物たちの生態をあますところなく紹介し、伝えてくれる」というもので、カーソンの海辺に生きるさまざまな生物たちへの愛情がしみじみと感じられる。
 カーソンについてはあれこれ綴ってきたので、今は繰り返さないが、ガンという病に冒されつつも、使命感で環境破壊への悲憤でもってパセティックにこれでもかと書いている、一部の企業再度には耳に煩い内容の『沈黙の春』とは打って変わって、作家志望だった彼女が、本当ならこんな本をこそ書きたかったのだろう、彼女の思いが伝わってくるような本である。
 彼女には物語を綴る才能はなかったのかもしれないが(あるいは、あったのかもしれない)、丹念な資料収集と実地の調査とで、事実をややポエティックに叙述する能力・志向は抜群のものがあったと感じる。

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2005/09/06

音楽三昧?

 タクシーの営業をやっている…となると、一日、車中にいる。小生のように本を読んだり何かを書き綴ったりするのが好きな人間には退屈かというと、さにあらず、とてもとても退屈などしていられない。
 まずは車の運転ということで、交通事故に遭わないため、神経を擦り減らしているということもあるが、そもそもお客さんあっての仕事、接客業という性格があるので、対人関係という意味でも、神経を使う。
 その前に、不況ということもあって、お客さんを探すという苦労もある。この辺りにいるかな、あの交差点を右へ曲がるか直進か、それとも左折か、あのガードレールの切れ目に立って車の様子を伺っている人はタクシーを探しているのか、それとも友人・知人が迎えに来るのを待っているのか、それとも、道路を横断するために車の流れを見ているだけなのか、などを見極める。
 さらには、最近は潜在的な需要(お客さんの数)に比べタクシーの台数が増えたこともあり、お客さんはタクシー(の会社や個人かどうか)を選ぶようになってきている。
 長年の勘で空車のタクシーの来るのを待っているようだと直感したとしても、個人タクシーを狙っているのか、法人か、法人でも特定の会社か、とにかく空車だったら何でもいいのかを嗅ぎ分けようなどとしてしまう。
 それでも、お客さんの可能性がある限りは、乗ってもらおうとなんとか近付いて行って、普通ならしない割り込みなどもして、路肩へ車を寄せていく。
 ああ、でも、知らん顔だ。違った。お客さんじゃない。少なくとも小生の車のお客さんじゃない。と、思ったら後続のタクシーに乗った…、ああ、個人タクシーだ。あーあ、法人じゃダメなのね。

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2005/09/05

二百十日

季題【季語】紹介」を見ると、「葉月、仲秋、八朔、二百十日、颱風、野分…」と並んでいるのに、小生は、「葉月」の次は「野分」に走ってしまった。
「野分」というと、漱石。ということで、漱石に言及するはずだったのに、一番の眼目には触れずじまい。
 まあ、たださえ長くなったので、割愛せざるをえなかったのだけれど。
 ということで、本日は、表題にある如く、「二百十日」。「野分」とも関連するし、重なる要素も多そうなので、簡単に。
 昨日も参照させてもらった、「こよみのページ」の「二百十日(No.0770)」によると、台風の到来を恐れた昔、「こうして「嵐の来る日」として暦に載るようになったのが「二百十日」です。二百十日とは立春の日から数えて210日目の日だということから名付けられたもの」だとか。さらに、「同じような名前の暦日としては「八十八夜」や「二百二十日」があります」とのこと。
「二百十日は立春の日からの日数ですので、現在の暦であれば9/1(立春が2/4の場合)頃で変化しません。ただ旧暦の時代は毎年月日が変化してしまうため暦注として記載して注意をしていたもの」だという。
「二百十日」の関連で、「野分(のわき・のわけ)」や「風の盆」が扱われている。
 ここには、「越中八尾の風の盆、あるいは「おわら風の盆」として知られる風祭。風神を踊りにあわせて送り出してしまう祭りといわれ、300年以上の歴史があるそうです」と簡単な説明に留められているが、小生は、「おわら風の盆をめぐって」や「「おわら風の盆」余聞」などで若干のことは書いたので、ここでは敢えて触れない。

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2005/09/04

野分…野分立つ

季題【季語】 【9月の季題(季語)一例】」を覗くと、その例は少ないが、採り上げてみたくなる語が目白押しである。
 今日は表題の「野分」をあれこれ調べてみたい。
さきわいみゅーじあむ」の「今月の季語 <9月1日~30日(陰暦8月4日~9月3日)>」で、簡潔だが要を得た説明を読むことが出来た。
「◆野分(のわき)」の項に、「野の草を吹き分ける、の意味。秋の初めに吹く激しい風、台風のこと。また、秋の末から冬にかけて吹く風、木枯らしのことも野分といいます。源氏物語には「野分」という段がありますが、当時の人々は台風が過ぎ去った後の、野の草や垣根等が倒れて荒れはてた様子を「あわれ(風情がある)」と感じていたようです」とある。
「野分」が台風のことを指すのなら、「秋の初めに吹く激しい風」であり、且つ、「秋の末から冬にかけて吹く風、木枯らしのことも野分」をも意味するのは分かるような気がする。
こよみのページ」の「二百十日(No.0770)」を覗くと、「「野分」は野の草を分けて吹きすさぶ風ということから名付けられたもの。台風を含む秋の頃の強風の一般的な呼び名」とあるが、引き続いて、「ただ現在は雨を伴わない強風に限って呼ぶことが増えているようです」と説明されている。
「吹き飛ばす石は浅間の野分かな   芭蕉」や「我が声の吹き戻さるる野分かな   内藤鳴雪」などが掲げられているのがありがたい。

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